続きです。

 

 

 

楯崎神社の神社縁起には、三つの伝承があった。
一つ目は、大己貴命と宗像姫。
二つ目は、神功皇后。
三つ目は、最澄法師。

 

(楯崎神社縁起)
 
まずは、序文と、大己貴命と少彦名神の項。
長いのでまずは、概要。
原文は、この記事の下にある。
(旧文字で変換できないものは相当の漢字を当ててます)

 

 

< 序文と大己貴命 >

当社は宗像宮の摂社七十五社の一つ。

楯崎神社の御祭神は、大己貴命と少彦名命。
相殿に飛龍権現と三座する。



< 大昔、まだ混沌としてる時代 >

世が未開で混沌として、草木が話していた時代のこと。
北海の浜に「夷の類」という狂暴な鬼神が攻めてきて、人民を殺略した。

 

その時、大己貴命と宗像姫が自ら神軍を率いて、稜威(いつ・畏れを感じるほどの力)を振るって、
楯を立て、鼓を鳴らして、夷賊を防御して、遂には退治した。


楯崎、鼓石、伽羅船などの名はこれが由来。

 

(鼓石)


< 大己貴命 >

大己貴神は素戔嗚の子。
大己貴命は、又の名を、大国主神、葦原醜男神、八千戈神、顕国玉神。
大三輪社(*1)に祀られる。
大物主神は、大倭神社に祭り、これを称して大国売神と言う。

この大国主神(大己貴命)は、ちはやふる神(*2)を追い返して、初めて国を造った。

その子、百八十一神。

後に、皇孫を避けて、日隈宮(*3)に隠れた。
すなわち、出雲国杵築大神(出雲大社)である。


*1 大三輪社。大神神社のこと。
*2 ちはやふる神。夷の類という狂暴な鬼神。
*3 日隈社。天日隈宮。出雲大社のこと


< 少彦名命 >

少彦名神は神皇産霊尊の子なり。

日本紀が伝える所によると、大己貴命は、国を廻り、出雲国五十狭のみぎわ(岸)に至る。
海上に声あり、驚いて辺りを求めた。
どこにもいないのに、しばらくすると小さい男がいた。
白皮を舟とし、みそざさいの羽を衣とし、潮に浮き、大己貴命の元へ。
(中略)
大己貴命は、少彦名命と一心に力を合わせ、天下の人々や畜産を管理した。
その病気や怪我の治し方を示し、鳥獣や虫からの厄災を防いだ。

その禁厭(*4)の法を定め、これをもって百姓、今に至り恩恵を受ける。

大己貴命は少彦名命に言った。

「我らの造った国、かつてこんなに良い所があっただろうか。」
少彦名命は応えた。
「成す所があるか、いや、成さないところがあるだろうか(全てやった)」

その後、熊野の御碕に至り、遂に鎮座した。
今、天下諸国の温泉地にこの二柱を祀るのは、この縁なり。

(二柱が、病気を治す手段として温泉を使う方法を定めた、ということか)

*4 禁厭。きんよう。なじないで病気や災害を防ぐこと。

 

 

  解説

 

この社に祭られている<大己貴命>は、大神神社の神。
饒速日命。
御祭神には綿津見神の名もある。(饒速日命=高良神と同神)

 

彼が、鬼神を追い返し、初めて国を造った神。

大国主神、国平神とされていることからも分かる。

 

大己貴神=三輪の神=大国主神=葦原醜男神=八千戈神=顕国玉神=大物主神=大国売神。
後に彼は、出雲大社に祀られる。

(出雲大社の神も饒速日命)


また、相殿に祀られている飛龍権現は、大己貴命だとここに書かれてあった。

 

 

「同神の別の名(分霊)を併記したり、相殿や摂社に祀る」のは事実のよう。


 

大己貴命が、宗像姫と共に「夷の類」を退治して、初めて国を造った。

 

夷の類とは、北海の浜に攻めてきて人民を殺略した、狂暴な鬼神。

その時、大己貴命と宗像姫が自ら神軍を率いて、稜威を振るって、夷賊を防御して、遂には退治した。

まったく同じ状況を高良大社の伝承で見ている。
「夷の類」、それは高良玉垂宮神秘書では「ヰルイ」とあった。
異類だ。

神秘書では、それを退治したのは高良神(住吉神)と神功皇后であり、彼らは夫婦だとある。
高良神は饒速日命。
かの社は、物部氏の祖神を祀る宮。

 

 

 

 

また、楯崎神社の大己貴命も、彼だ。

 

共通する「ヰルイ」
大己貴命が饒速日命であり、高良神であるのだから、同じ伝承になる。

*また、これらのことから、大己貴命=饒速日命=高良神であると分かる。

では、楯崎神社の大己貴命が高良神であり、饒速日命ならば。
共に「夷の類」を退治したという「宗像姫命」は、神功皇后ではないのか?
これは次回に。

 

 

  原文*序文と大己貴命

 

それ当社は宗像宮に摂する所の七十五社の其の一にして、楯崎神社は以下詳かに説く古宮なり。

祭る所の神は、大己貴命、小彦名命なり。又、飛龍権現を以て相殿と為し三座となす。

 相伝えて云う、荒洪草昧(*1)の世、草木、言い語りの時、夷の類狂暴なる鬼神、吾が北海の浜に来寇し、人民を殺略す。

時に大己貴命及び妃宗像姫大神自ら神軍を率い稜威を振い、楯を立て、鼓を鳴らして夷賊を防禦し、遂に誅滅し類、無きなり。

楯崎及び加羅船等の名、蓋し此れより起る。

按ずるに大己貴命は素戔嗚尊七世の孫天之冬衣神子、母刺国若比売神、此の大神、亦の名を大国主神、亦の名を葦原醜男神、亦の名を八千戈神、亦の名を顕国玉神と謂い、併せて五名の若夫あり。

大三輪社に祭る。大物主命は大倭神社に祭り、之を称して大国売神と謂う。故に此の大国主神は、千早振神等を追撥(*2)し而して(*3)始めて国を作る。其の子凡そ一百八十一神あり、後に天の下、皇御孫命を避け奉り、日隅宮(*4)に永隠す。

即ち出雲国杵築大神なり。

 少彦名命は神皇産霊尊の子なり。

日本紀に按じて曰く、大己貴命の国を平ぐるや行きて出雲国五十狭の小汀に到る。

而して朝、まさに飲食せんとす。

是の時、海上忽、人声の驚くありて、之を求む。すべて所見無き頃、時に一箇の小男あり。

白皮を以て舟と為し、鷦鷯(*5)の羽を以て衣と為し、潮水に隋って浮き、大己貴命に到る。


即ち掌中に取り置き、而して之を翫ぶ。

則ち跳びつき噛む。

其の頬の怪、其の物の色なり。

遣使天神に白す。

 

時に高皇産霊尊、之にこたえて曰く、吾が所に産児凡そ一千五百座あり。

其の中の一児、最悪にして教養に順わず、指間より漏るる堕者は必ず彼なり。

爰(*6)に於いて之を養うべし。

此れ即ち少彦名命、是れなり。

又、云う、大己貴命、少彦名命とともに勠力一心、天下を経営し、またあきらかに、蒼生及び畜産を見んがため。

其の療病の方法を定め、又、鳥獣昆蟲の災異の穣を為す。

即ちその禁厭の法を定め、此れを以て百姓、今に至り咸、恩頼を蒙る。

嘗(*7)、大己貴命、少彦名命に謂りて曰く、吾等造る所の国、豈(*8)に善成と謂や。

少彦名命、対えて曰く、或は成す所あらんか、或は成さざるにあらんか。

其の後、少彦名命、行きて熊野の御碕に至り、遂に常世郷に適す。

今、天下諸国に温泉地あり。是の二神を祭り奉るは、この縁なり。

(見やすいように、行開けてます。該当する漢字が無い場合は相当する字を充てます)



*1 草昧 そうまい。世の中が未開混沌としていること。荒洪は造語か?
*2 追撥 原文は手偏に発。
*3 而して しかして。そうして。
*4 日隈宮。天日隈宮。出雲大社のこと。
*5 鷦鷯。みそさざい。鳥。
*6 爰 ここ 。
*7 嘗 かつて。
*8 豈 あに。どうして~か?反語

 

( つづく )

 

☆このシリーズのまとめ

 

 

 

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