筑紫日向橘小門あわぎ原

それは住吉神の現れた所。

この地には住吉の元宮の現人神社がある。

彼は饒速日命。

子孫が名を変えて、それぞれの地で祀ったのだ。

★前の記事

 

★目次

☆1 立花の小門のあわぎはら

☆2 天津甕星は建御名方神

 

 

  橘の小門のあわぎはら

(「儺の國の星」21、坩子星(こうじぼし)より引用

 那珂川の山田の西を小門原(おどのはら)と言う。かつて神功皇后の水浴びし給う渡良瀬であった。

...那珂川は大正五(1916)年までは女人は誰でも陰暦七月七日の未明に髪を梳(くしけず)りとく姿が見られたときく。

 

小門原はこの地にある。

 

那珂川は神話の「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」。

それはイザナギ神の禊で「住吉神が現れた地」であった。


ここには住吉の元宮の現人神社がある。


図1 地図はGoogle map

 

「儺の國の星」の山田の西とは、上の図の緑で囲った場所になる。

 

文中に写真があり、ほぼ同じ角度で撮ってきた。



橋本橋の所から撮った。
橋の位置は変わらないので、この地点。
ここが小門原。図1の赤文字。
おそらく、この一帯を「小門原(小戸原)」と言ったのだろう。

もう1枚、「儺の國の星」に小門原とある写真の場所。
橋本橋を撮ったものだった。
場所は同じ。

 

図2 この辺りの俯瞰写真。
(この場所は今は立ち入り禁止になっている)

 

☆7 地名の橘、今は立花木。

☆9 小門原

☆8 おぎわら橋(萩原・はぎわらと書いておぎわら)

 

この地には、住吉の元宮の「現人神社」がある。

住吉神は高良神であり、物部の祖神の饒速日命。

 

 

神話の全ての神は彼ら二柱に集約される。

「イザナギ神の禊から現れた神」は、すべて同神を意味している。

 

高良神=饒速日命であるから、この地ですべて繋がる。

三貴神、住吉神は彼であった。

 

日神の天照神=天照国照彦天火明饒速日命。

月神の月読命=高良神は月神。

星神、海神=スサノオ命=祇園神=高良神。

 

星神、海神=住吉神=綿津見神。

 

 

ゆえに、この地を舞台にしたものが神話になる。

 

図3 地図はGoogle map

 

岩戸に関するもの。

下の記事。

 

 
 

図4 天孫降臨*真の道

 

彼らが神話の降臨した神であるので、ニニギ命の降臨した地もここになる。

 

「笠沙の岬まで真の道が通って」

★1笠沙

 

ここでも笠沙。

ポリネシア語では、カサ、カタが貝が口を開けた様な湾。

「儺の國の星」では、笠が流星が落ちた所。

 

 

図5 博多湾
 
ハカタのハは美称、カタが貝が口を開けた様な湾=流星が落ちた(ようにみえる)所=「儺の國の星」の笠。
 

 

ここには神功皇后と武内宿禰の伝承がある。

神話で、裂田溝(さくたのうなで)を土地の人と造ったのは、三韓征伐の際に助力した神のおられる地の神田に水を引く為であった。

その神が住吉神。

 

もう一柱は、天照大神。

住吉神は高良神であり、饒速日命=天照自身であった。


 神話で神功皇后に住吉神が関わるのは、彼らがこの地におられた神であり、夫婦であったからだ。

武内宿禰様は、高良神なのだ。


住吉神でもあり、饒速日命でもある高良神が武内宿禰様。

変えられているのは、神話の方になる。


 *神話のまとめ



 

  天津甕星は建御名方神

(「儺の國の星」21、坩子星より引用)

...倭人は銀河を天の川とよび、又”みなのかわ”或いは”みなのはら”とよぶこともあった。天津御火星を”みなかたぼし”と称した。工事の職人を土方と言う。海上の回漕渡船の職人を舟方(ふなかた)とよんだから、水方(みなかた)とは淡水の河川の渡守(わたしもり)のことであり、これが水方星(みなかたぼし)、略してみかのほしの語源でもあったらしい。筑紫では千手(せんず)或いは島廻(しまめぐり)とよぶ安人赤蛮の氏族であった。

 

天津御火星(天津甕星)をみなかた星と称した。

みなかたとは、淡水の渡守のこと。

略してみかのほしの語源らしい。

 

天津甕星=みなかた星=みかのほし

 

みなかた星とは、御名方星。

神話の国譲りの際に、国津神の大国主神側として登場する。

天津神側の武甕槌神と勝負をして負けている。

 

しかし、天照が派遣したという、武甕槌神、経津主神は彼と同神であった。

 

武甕槌神=春日神、鹿島神=高良神

経津主神=石上神宮の神=饒速日命

 

高良神は饒速日命なので同神である。

大国主神は大物主神であり、饒速日命。

 

登場人物はすべて、名を変えた彼であった。

 

 

 

上の記事(後編)にも、天津甕星を記載している。

もう少し詳しく書いたのが下の記事。

 

 

神話の中の天津甕星は、建葉槌(たけはずち)命に布で拘束されてしまう。

その理由が、武御雷神と布津主神(経津主神)に従わなかった為。

 

やはり、同神であるのだ。(詳細上の記事で)

 

 

 

*天津甕星=赤星神

先代旧事本記の饒速日命と共に天の鳥船に乗り、天降った二十五部族の中に、筑紫弦田物部がある。

 

高良大社の麓には、筑紫弦田物部の祖の天津彦神を祀る、赤星神社と富松神社がある。

 

赤星神社

 

社の前の苔が見事だったので、俯瞰写真。

 

弦田物部の地は八女と、宮若市の鶴田ではないかとされるが、その両方に彼を祀る神社がある。

 

*鶴田の天照宮

鶴田には、天照宮。

天照国照彦天火明饒速日命の名で祀られていた。

 

 

天照宮の神は笠置山に降ったという。

麓には穂掛神社。

元は笠置山に宮があり、山頂には宗像氏の山城があった。

 

天照である饒速日命を山頂に祀ったのは、宗像氏だと言うことなる。

 

 

宗像神=市杵島姫命(宗像神)=御炊屋姫。

彼女は饒速日命の后。

よって、宗像氏が饒速日命を祀るのだ。

彼女も女神の天照であった。

 

 

*赤星神社

高良大社の麓の赤星神社に話は戻る。

 

「弦田物部」の里、鶴田の一つにあるのが、天照宮であった。

赤星神社は「弦田物部の祖、天津彦神」を祀る。

天津彦神である赤星神は、鶴田にある天照宮の饒速日命ということになる。

子孫が彼を祀ったのだから。

 

では、彼を祀った宗像氏と弦田物部は同族であったのだ。

 

 

この赤星神社は、妙見宮とも呼ばれて、扁額もそれ。

妙見さんは天御中主神であり、饒速日命であった。

 

高良神は饒速日命。

だから、この社も、富松神社も「高良内」にあるのだ。

 

 

(つづく  )

 

 

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