続きです。
神話の神は全て、二柱の天照に集約される。
饒速日命(大己貴神)と御炊屋姫(豊受大神、宗像神)。
筑紫では高良神(住吉神)と神功皇后になる。よって、神話はすべて彼らの物語。
神話の舞台も、すべて揃っていた。
ここには幾つもの「岩戸」がある。
☆1 岩戸の地名*岩戸郷
☆2 岩戸の地形
☆3 肥前筑前街道の門
後編
☆4 天の岩戸
☆5 岩戸を繋ぐライン
岩戸郷
前回の安徳台(高天原・底津岩根)が写真の中央の島のように見える台地。
その左端には那珂川が流れている。
(図1 那珂川*中央が安徳台)
(図2 那珂川*地名)
青い線が川の那珂川。
そこから西側が、現在の岩戸地区、昔の岩戸村、岩戸郷。
7~9は、神話の「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」。
(「儺の国の星」に小門原の写真がある。9の一帯だと思われる)
岩戸の地形
那珂川の郷土史研究家、篠原正之著書の「邪馬台国位置論」は、この地が邪馬台国であることを説いていた。(理由は忘れました)
*那珂川に「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」の地名があることもこれで知る。
その中で「岩戸の地形」について触れられていた。
岩戸とは、川を下流から見て、初めに山と山に挟まる箇所
(「邪馬台国位置論」参考)
図2の7の安徳台と西側の山との挟まった地点。
それが「岩戸」なのだ。
そこは、
☆7 地名では橘、今は立花木。
☆9 小門原
☆8 おぎわら橋(萩原・はぎわらと書いておぎわら)
橘の小門の阿波岐原。
そのすべてがある地の「岩戸」である。
ここには祓いの神、住吉の元宮の現人神社があった。
祓いの神の生まれたところ。(*1 注釈)
彼は天照であり、全ての神であった。
神話では「天岩戸(がある場所)に、天照が現れた」ことになる。
この地に存在したことにもなる。
肥前筑前街道の門
(このシリーズの後、詳細書きます)
那珂川の岩戸は、肥前筑前街道の門であった。
福岡側から脊振山系の坂本峠、その先の佐賀(肥前)への道。
ここから坂本峠まで18キロ以上の長い登りが始まる。
写真奥が坂本峠方向。
(安徳台*右端に那珂川*岩戸)
岩戸郷は、峠越えの前線基地。
人の生活に根差した「生きた門」。
岩戸とはそういう場所にある。
( つづく )
*記事内の考察や写真、イラストなどの使用は著作権のルールに沿ってくださいますようお願いいたします。
***************************************************
*1 ただし、神話や伝承の「生まれた」は、文字通りでないこともある。
その土地に存在した、訪れた、または勧請されてきた、もそれになるのだ。
この地の彼の場合は、「勧請」ではないはず。
本当に「この地に生まれた」かどうかは分からない。
X(Twitter)
古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
フォローお願いします
https://twitter.com/sakura15335?t=zywdh8uJGIhzvxAk28C_Tg&s=09