旅中毒 -32ページ目

旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!

2018/2/25


口羽家からも近い、次の邸宅に向かう。

 

これは、この地区の名物である鍵曲(かいまがり)。高い土塀で囲んだ道が鍵の手(直角)に曲がっている。お城の中と同じで、直進できないようにしてあるんだ。前記事にも書いたようにここは重臣たちが住むようになったので、防衛システムが構築されたのだ。


そして、ここ、旧田中家別邸。第26代内閣総理大臣、田中義一氏の別邸です。萩の旧い邸宅でどれか一つを薦めるなら、私は断然ここを選ぶわ!

 

丸ごと残っているし、中心から少し離れているからか敷地が広いだけに、屋敷が大きく、見応えがある。

 

元々ここは、明治に小幡高政と言う人が住んでいたのだ。小幡氏は、萩藩の要職を歴任し、維新後も 小倉県権令 等を務めたような人なんですが、お母さんが病気になったのでいわゆる介護離職をして萩に戻り、ここに家を建てたんだって。大正になってから田中さんがここを買い取って増改築を行ったとのこと。って、まるでお城の歴史を書いているようだ。

 

部屋もいいんだけど、とにかく廊下が素敵でしたね。



 

 

上の右の写真の丸い窓を内側から。洒落てるよねえ。

 

部屋と部屋の間の仕切りにも窓的なものが…。開くわけではないので、窓とは言わないかな? 灯りを共有するためなのか、あるいは単に飾りなのか。

 

この床の間も洒落ているよね。

 

ここは2階にも上がれます。この2階がまた素敵なのよ。

 

 

ここは寝室として使われていたとのことですけど、寝るだけではもったいないでしょ! ここを居間として一番長く使う部屋にしたいくらいだ。見晴らしも良いし。

 

こういう隅のところに興味が向く…。構造を知りたいのだ。

 

海と反対側の方を見る。

 

そっちからはお庭が見えるんだ。木にオレンジ色のものが見えますね。これは夏みかんなの。夏みかんの原木はお隣の長門市にあったらしい。萩には江戸中期にもたらされたんだって。


萩は長い間、萩藩の中心でしたけど、明治維新直前に藩主が山口に移ったので武士たちがごっそりいなくなり、町の経済は大打撃を受けた。更には明治政府の発令した秩禄処分により、萩に残されていた士族たちは生活が立ち行かなくなるほど困窮した。小幡氏が萩に戻ったのはそんな時でした。

 

小幡氏は萩の苦境を見かねて夏みかん栽培の振興を思いつき、 士族による授産結社「耐久社」を結成。1万本の苗木を育てて配布し、廃墟と化していた武家屋敷の土地を利用して栽培するよう奨励しました。その後、夏みかん栽培は萩を支える大きな産業となり、明治22年にはなんと夏みかんの収益が藩の財政を上回るまでになったそうだ。

 

今の時代はもっと甘い柑橘類が好まれるので、夏みかんの生産量は落ちている… と、前日に浜崎地区でお邪魔した田中邸の奥様がおっしゃっていましたが。なんか残念ね。最近、本当に酸っぱいのが流行らないよね。ポンジュースも、飲んだ後に耳の下にグッとくるようなあの酸味が私は好きだったのに、今は他あの甘いオレンジジュースみたいだ。

 

お風呂とお手洗い。

 

 

お手洗いの中でさえこんなに優雅だ。

 

こちらはお庭です。広いわー。このお隣には、夏みかんをはじめ10種類ほどの柑橘類約400本が並ぶ「かんきつ公園」がある。毎年5月には「萩・夏みかん祭り」が開かれ、このお庭も会場になります。

 

井戸まで優雅にデコってある…。

 

ここから海に出れたんだね。今は塀の外にプロムナードがあるけど、昔は水路が繋がっていたんだろう。

 

大きなお屋敷なので、当然敷地内にも神社がある。

 

最初は次の目的地までのんびり歩くつもりだったけど、目的地でゆっくりと時間を取りたいので、タクシーを使うことにしました。と言う話をしていたら、スタッフのお姉さんがタクシーを呼んでくれましたわ。

 

2018/2/25

 
では武家屋敷の中心地からちょっと南下します。平安古(ひやこ)地区に行くのだ。萩城の三の丸を囲む外堀の南にある。藩の重臣の多くは三の丸、お堀の内側に屋敷を構えていましたが、周辺の開墾が進むにつれ、平安古に住むお侍さんたちも増えていったんだって。
 
この平安橋も貴重な歴史遺産。三の丸にあった3つの総門の一つ、平安古総門の外堀に架けられた石橋で、お城から城下町へ通じる道路でした。他の橋は現存しない。
 
永代家老に次ぐ家柄の名門、口羽家の住宅。萩に残る上級武士のお屋敷の中でも特に古いんだって。
 

門のところに門番所があるのだ。 ここまで立派だとお城みたい。

 

そして中間部屋とか厩とかが続きます。門と主屋が残ってるのは珍しいんだって。

 

上の写真の建物の前には立派な井戸。

 

お玄関。

 

上の写真の右側のお玄関を入ったところ。この木の扉は古くて貴重なものだって。絵が残っているの。

 

このおうちは、ご当主のご一家が敷地内の塀で隔てた区画にお住まいです。もとはそっちまでドドンと繋がる広大なお屋敷だったんだけど、歴史的な建物は現代人が暮らすにはあまりに不便なので、一部を取り壊し現代的な家屋に建て替えてご当主ご家族がお暮らしだそうです。……もったいないとは思いますが、まあ、住んでいる人にしてみたらそりゃあ、ねえ…。たぶん今はもうそういう建て替えはできないんだと思いますよ。文化財に指定されちゃったら補修を除き手を加えられないらしいので。

 

で、ご家族が暮らす区画とは別に残してくださった部分を、今、こうして公開してくださっている。「萩の旧い雛たち」にも参加している。真ん中辺にぶら下がっているのは紙細工の手毬を繋げたみたいな飾り。

 

てゆか、上の写真の手前の部屋と奥の部屋との間にあるここは何!?

 

何かと言いますと、『相の間』だそうです。畳2畳。主人を警護する家来が控えていた部屋らしい。板の間でも良さそうなもんなのに畳敷きにしてあるのは、音がしないようにだって。

 

部屋をぐるりと廊下が囲んでいる。これは敵の襲来があった時に庭に逃げやすくするためらしい。

 

 

この写真、もうちょっと右側まで写せば良かったのに。そしたら、お玄関の方に繋がる出入り口が写せたのに。どうしてこう写真が下手なんだろうな。出入り口と言っても、部屋と部屋の間の仕切りに木の扉が付いていると言うか。

 

んで、こちらがお台所ね。主屋だけの炊事場としては広い気がする。

 

この地区の邸宅の素敵なところは、海に面していることじゃないかしら。庭から海に出ることができたの。

 

敵に襲われた時にも、部屋から庭に飛び出してそのまま海上に逃れられるのだ。

 

あっちはご当主の居住区なので入れないけど、まあ、あんな感じに階段が付いていて、船に乗り込めたのでしょう。

 

このお屋敷は気に入りました。楽しいぞ。いろいろ教えてくれたスタッフの人が、最後に「良かったらどうぞ」とミカンをくれたよ。

 

2018/2/25

 

このお宅はどこだったかしら…? 昔はこんなのメモが無くても思い出せたのに、今では10ヶ月も経つと何もかもが記憶の沼に沈んでしまう。

 

 

ここは旧野田家住宅。住民がいるので内部は見学できません。

 

そしてこちらが青木周弼旧宅。幕末の医師で、毛利敬親に召し抱えられ萩藩の藩医を務めた人。

 

長崎でシーボルトに師事した、当時日本屈指の蘭学医でもある。さらに、西洋医学だけでなく、西洋兵学を修めたそうです。マルチな才能を持った人だったのね。

 

昔の方が、こういう多方面に才能を発揮する人が多かった気がする。高等教育を受ける機会を持つ人が少なかったせいで、そういう人にはむしろ多分野に手を伸ばす余裕が与えられていたのかしら。あるいは、最近の教育や仕事の専門性が高くなっているからなのかな。

 

この家でたくさんの学生を教えていたそうで、教室として使うためか、大きな広間があった。

 

縁側とか戸袋とか好きなんだよな私…。戸袋はともかく、縁側のある家って減ったよね。

 

数軒挟んで、木戸孝允旧宅があります。この家の造りは面白かった。

 

元の名前の桂小五郎の方が馴染みがある気がする。生まれてから江戸に出るまでの20年くらいを過ごした家。彼のプチ博物館みたいな状態でもある。ここが生まれた部屋だって。

 

2階もあるし、1階も広いんだよ。

 

これは表とは別の玄関だったかな。こういうトコ好きだ。ここからこういうお客が来て、こっちの部屋に通して…とか想像するのが楽しいんだよね。

 

仏間とかいろいろあったけど、メモ取ってないので何が何だかになってしまった…。撮影した自分は見直しても面白いけど、ブログに乗せるには、説明もなくただ部屋の写真を連続アップしたって「だから何」状態だもんね。

 

庭には降りられません。こっちの縁側も好き。

 

私は別にお手洗いネタが好きってわけではないのですが、こういう部分がどのような仕組みになっていたかにはとても興味がある。右の写真が、汲み取り口かな?

  

 

前に会津で見た、復元された家老の家では、お手洗いの下は砂を敷いた大きな箱になっていたっけな。掃除する時は、その箱を引き出すようになっていた。こういう機能を知るのが楽しいんだよね。お風呂でも、風呂場に焚きつけの機能があったのか、よそで沸かしたお湯を運んでくるタイプだったのか(この場合はお風呂と台所が近かったりする)、排水はどうなっていたか、そういうのが知りたい。

 

2018/2/25

 

さて、最後の日は武家屋敷方面を楽しみに参ります。荷物は宿に預けておくこともできたと思うけど、その日に動くルートが今一つ読めず、バスに乗る前に宿に戻るのが面倒くさいかもと思いまして、持ち歩くことにしました。小型のバックパックなので、背負ったまま歩いても対してつらくはない。

 

さて、こちらは萩城の復元された北の総門。

 

門があるだけで特に見るものはないのですが、この門の前にある普通の民家、門から中が見えたのですけど、式台みたいで、さすがだなあと思ってしまった。

 

総門の近くには、武家屋敷の中の町人地区ってのがあります。その代表格、お醤油屋さんだった菊屋家さん。通りに面した大きな門(詰所まである)から入ったら、こんな風に第2の門があるのだ。

 

菊屋家のご先祖は摂津の武士だったそうです。中世に萩に移ってから刀を捨てて町人になったんだって。その後は町人たちのまとめ役となり、敵に攻められた時などは町衆を率いて籠城と防戦に参加する等、元お侍の家系らしい活躍ぶり。1604年にこの土地を与えられて家を建てたそうです。 御上使の本陣 としても使用されていたんだって。

 

玄関は別の所にあるんですが、御上使は上の写真の門からお庭に直接入ったらしい。

 

真ん中から少し左寄りに、大きな平べったい石がある。御上使の駕籠を置く場所だって。

 

お庭が面している立派な部屋。ここが偉い人が使う部屋だったのね。

 

縁台の上に縁台が乗っているかのようなこれが何かと言いますと、檜の廊下を隠すためのものだったそうです。当時は町人が檜を廊下に使うことは禁じられていたから。しょうもない規則だな。お城の真ん前で規則を破っていたのがご立派。

 

萩でも特に古いお雛様。これは確かお武家様の家に伝わっていたものだった。

 

お姫様だけアップで。

 

こちらは菊屋家が作らせたもの。萩でも随一の豪商が特注した品だけあり、萩で私が見た中で一番豪華だった。御殿の細部も素晴らしいよ。ガラスに背後の蛍光灯が写るのが悔しい。

 

見てこれ…!

 

あと面白かったのが電話ボックス! その向こうはお店の部分ね。

 

ここの電話番号は五番だそうです。

 

代々大年寄格に任命されて藩の御用達を務めていたというだけあり、とにかく敷地が広い…! 写真も撮りまくりましたが、キリがないので特に好きな場所を1枚。お台所の外にあった井戸と流しです。水が好きなのは昔からで、こういう生活の場の水路のシステムにも妙に惹かれます。流しの排水溝とその下で排水を受ける水路、見ていて飽きないの…。

 

菊屋さんの次は、お向かいの旧久保田家住宅に入りました。ここで城下町にある文化財の建物の共通チケットを購入萩市文化財施設1日券。9か所を周れてなんと310円と言う驚きの安さ! 大体さー、菊屋家は600円するけど、この共通チケットで入れる建物って、一ヶ所100円なんだよ! 100円て! そして900円が310円にディスカウントて!

 
さて、ここは久保田家のお台所。…とにかく私は生活臭がする場所が好きらしい。

 

久保田家の初代が江戸から萩に移ったのも江戸後期とのことですから、菊屋に比べたら新参者なのかな。ですので、このおうちも江戸後期のもの。初代は呉服商を開き、2代目から酒造業に転じたそうな。明治30年代まで営業していたって。ここも明治時代には本陣として使用されていたそうです。

 

 

 

あと、お庭が気に入った私。ポンプもあるし…。

 

なんでこんなに右に寄って撮っているかというと、…忘れたけど、とにかく撮るのに苦労した記憶があるので、右側に何か置いてあったのかもしれない。

 

これ、久保田家にあったんだと思うけど、段々記憶が定かでなくなってきた。昭和中期のお雛様。新しいし、大して貴重でもないと思うかもしれませんが…、

 

見てこれ! 左から、冷蔵庫、テレビ、ミシン、鏡台、ベッドだって!!

 

テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器と言われた時代のものかしら。長持や火鉢と同様、最新の高価な家具を模して飾ったんだねえ。これも正しいお雛様のあり方だな。


 

2018/2/24

 

さて、本土に戻って来まして、昨日は入らなかった浜崎町の古いお宅の一つに伺う。田中家。「旧田中家」ではないのですよ。今も普通にお住まいです。そういうお宅は大体、外から眺めるだけなんですけど、ここは特別。

 

「萩の旧い雛たち」で入ることができる他のお宅はすべて萩市の所有で、普段から公開されている。でもここは住宅なので、もちろん普段は入れない。ただ、昨年このお宅は家屋を修復したんですって。その際、萩市の文化財でもあるからと補助金が出たそうで、お礼がてら今年は「萩の旧い雛たち」での見学を受け入れることにしたんだって。

 

てことで、ここでは市のスタッフではなく奥様が迎えてくださるのだった。ひええ。奥様のお話「この雛人形はわたくしのではありませんのよ。わたくし、長女ではありませんので」。

 

……雛人形って、長女だけに作るものなの? 私、女の子がいる家が一家に1セットという単位で買うものだと思っていたよ…。うちは姉と私の共有と言う認識だったと思う。考えたこともなかったけど。

 

美しい着物もたくさん展示してありました。これは明治時代の百日着。100年以上経っているのにすごく状態がいい。と言うのも、糸はどうしても経年劣化するので、何年かごとに女衆がやり直しするんだって。自分たちでやるのか…!さすが。

 

戦時中は新しい着物を作れなかったから、お母様の打掛を染め直したとか。あと、成人男性の着物の裏地が妙に華やかで。なんでかと言うと、戦時中は華美な衣装を作れなかったから、表は地味にして裏地を豪華にしていたって。市民の粋な反骨精神がかっこいいね。

 

お茶とお菓子を出してくださいました。

 

どこに泊まっていらっしゃるのと聞かれたので、芳和荘ですと答えましたら、「ああ、〇〇さんのところよ」とお手伝いさん(たぶん)と盛り上がっていらっしゃいました。

奥様 「昔は、ここから先は行ってはいけませんっていう場所でねえ」

お手伝いさん 「うちの父は行っていたらしいです」

 
あと、奥様が「同級生が何人かいたわ」という言葉が引っかかる。詳しくは聞かなかったけど。その地区に住んでいたって意味かな。奥様は80代くらいに見えたし、同級生が働くにしては、若すぎるよね…。
 
さて、では今度は浜崎地区を離れて武家屋敷街に向かうぞ。途中にある普通の家がまた、趣があるのよね。こちらも、屋根は保存して雰囲気を保っている。窓のRもいいし、タイル張りなのもおしゃれだ。

 

マンションも景観に配慮している…。

 

こちらは酒屋さん。良いねえ。

 

電話は壱四番だそうです。

 

これは到着したバスの中からも見えていた、昔の醤油屋さん。かっこいいなあ。

 
てくてく歩いて武家屋敷の辺りに来ました。武家屋敷街は、どうも道が楽しくないねえ。塀ばっかり。

 

こちらは、旧厚狭毛利(あさもうり)家の萩屋敷長屋。1856年の建築。

 

毛利元就の5男元秋を祖とする家ですって。萩城址の前にポツンとあって、移築でもされたのかと思ったけど、むしろこれだけが残ったということらしい。昔は広大な敷地だったそうですが、主屋などほとんどすべてが明治維新後に解体され、この長屋のみが残っています。

 

萩に現存する武家屋敷のなかでも最大規模。長屋は5区画に分割されています。東の座敷は狭いながらも畳廊下を配していることから、身分の高い者に対して用意された詰所だったと推測されているそうだ。

 

そして萩城址へ…。もう日暮れが近いよ。

 

お濠も立派だねえ。海水だよね、萩城は海に面しているから。残っていたらどんなに素晴らしい水城だったことか…。

 

指月山の麓にある平城(本丸・二の丸・三の丸)と、山頂にある山城(詰丸)で構成されたお城だったそうよ。明治政府が発布しやがった廃城令により壊されてしまった。今では石垣とお濠しか残っていない。

 

 

舟遊びもできるらしいな。冬でもやってるのかな?

 

さて、晩ごはん。SAKAYAさんで教えてもらったお店にいくつか電話してみたけど、土曜日の日暮れ後でしたもんでどこも満席で、唯一席が空いていた創作料理のお店、「円(MARU)」へ。お料理も美味しいし、萩の地酒の品揃えが素晴らしいと評判。

 

やっぱりお魚で攻めておかねばと思う、萩だしさ。 見蘭牛とかむつみ豚とか、地元のブランドのお肉も美味しいらしいんだけど、やっぱりお魚が食べたい。

 

そしてまた卵メニューを頼んでしまうのだった。ホンットに私は卵が好きよね…。

 

2018/2/24

 

海岸まで降りてきて、今度は別の集落に行ってみます。

 

ガンギと呼ばれる石段、かなり気に入ったのですが、さっきの集落で上がって行った場所より、この階段がきつい。ずっと続くし…。

 

 

ふうふう言いつつ上っておりましたら、脇の藪から猫がひょいと出て来まして、目が合いました。猫はさっと警戒態勢に入りましたが、すぐに逃げはしない。ちょっとしんどくなっていた私は泣き言を言いたくなり、坂の上を指さしながら「ねえ、この階段、あとどれくらい続くの?」と猫に聞いたのです。そしたらですね、猫がタタタッと階段を上がり、そこで止って私の方を振り返るではありませんか。

 

まるで話に聞く猫案内のようだと思いながら階段を上りますと、私がある程度近づいた時点で猫はさらにタタタッと階段を上がり、また立ち止まって私を振り返る…。え、待って、まさか本当にこの猫は私を案内しているのでは!?


 

 

そのまさかだったと思うの。だって、この子は実に5回、立ち止まって私を振り返り、私が上って来るのを待ってくれたもの!(下の写真は、上の写真の猫部分のアップです)

 


 

 

階段の上にあったのはこのおうち。

 

猫はここまで来たらどこかに行ってしまいました。私をこの家のお客さんだと思ったのかな。

 

んじゃ、また降りていきます。そろそろ帰りの船の時間が気になるしね。

 

坂道に家が並ぶ光景が好き。住んでいたら大変なんだろうけど。足腰が鍛えられそう。

 

普通の現代的なお宅もあるけど、古いスタイルを保っている家も多い。いいねえ。

 

細い路地にひょいとこんな風にお地蔵様がいらしたりする。ちゃんとお供えがしてある。

 

ここには共同の井戸があったらしい。石碑にはびっしりと地が彫り込んである。右の石碑の脇の標には「明治二十三年 旧十二月 水神 世人」と書いてある。左の小さい石の脇の標には「昭和十四年九月 井戸修繕寄付者名」とあり、弐拾円、拾六円、拾三円…と金額順にお名前が。

 

港が近づいてきたね…

 

ここ、バイクや自転車が何台も停まっていたんで、もしかしたら営業中だったのかも。

 

これは港に面した廃屋。中を覗かせてもらったら、船具がしまってありました。いずれ取り壊されちゃうのかなあ。もったいないなあ…。

 

帰りの船でももちろんデッキで眺めを楽しみました。船室は暖かくて居心地いいけど、やっぱり外を見るならデッキがいいよね。…と、おじいちゃんに連れられた小さな坊やも思っているらしい。

 

船上から見る大島。最初に歩いたのが、向かって左側の集落、本村(じげ)。猫に案内されたのは右の集落、赤穂瀬(あかほせ)。

 

集落は、港がある南側に集中しているんだって。南側を除くと断崖絶壁が続くので、海上からも素晴らしい眺めを楽しめるのだとか。北側には奇岩や海食洞が並んでいるとか。大島を船でぐるっと回るサービスとかあればいいのに。夏ならあるかしら。夏にある伝統の星祭りには里帰りの人や観光客で賑わうらしいので。民宿もあるよ。

 

たった4時間ほどの滞在でしたが、楽しかったよ、大島。さようなら~。

 

2018/2/24

 

さて、今日は朝からお船に乗り、島に渡ってみます。

 

沖合には無人島が3つと、萩から船が運航している有人島が3つありまして、そのうち私が選んだのは大島。3島の中でも中心的な島です。3島それぞれ、観光案内所にちゃんとリーフレットもあり、じっくり読んでみると、大島は島全体が台形で、村はその斜面に段々状に張り付いているのだと。私好みなんではなかろうかと思いましてね。(大島の観光案内

 

大島は元は無人島だったのが、壇の浦の戦いで敗れた平家の落人7人が大島に流れて住み着いたという伝承を持っています。その7人の子孫とされる「七名」の旧家があるそうで、特にそのうちの「長岡」の姓を持つ人が島民の20%を占めるそうな。

 

左の写真は萩の港を出たばかり。右は大島の港。水がすっごくきれい!

 

 

港に面して小さな疫神社があります。それを通り過ぎたところに食堂やスーパー、商店が並ぶ。食料品店でお菓子とお茶を買い、住宅街に入っていく…。

 

坂の村だけあり、このお宅なんて、門を入ってから奥に行くための階段が見えます。

 

家々の間に小さなお堂があり、きちんと手入れされている。

 

台形の上の平地に畑があるそうです。畑仕事に向かうらしきおばあさんを追い抜く…。背負っているのは、トノス(鳥の巣)と呼ばれる背負い籠だな。黒松の枝の骨組みに、棕櫚の葉で作るらしい。

 

坂の途中にある家や畑は、石垣を組んだ上にあるのだ。もっと下の方だとコンクリートがほとんどですが、ここら辺はより古いのかも。神社もあるようで、寄ってみたかったけど、とりあえずは一番上まで行くぞ。

 

 

地元の人が「ヤマ」と呼ぶ丘の上にはこんな景色が広がっている。これはブロッコリーだったっけ?

 

ウロウロと歩き回っておりましたら、向こうからやってくる初老の女性が、刈り取った竹を満載した一輪車を押しながら、こっちをガン見してくる。私は見かけない顔の不審者だからな…と思い、「こんにちは!」と声を掛けたら、さらに不思議そうな顔になり、「誰?」と問われました。で、「遊びに来ているんです」と言ったら、パッと笑顔になって、「ああ、よその方! 私、目が悪いもんでねえ」って。こんなところにいるんだから知り合いか、でも見覚えがない感じ…と混乱していたらしい。

 

この女性が色々と面白い話を聞かせてくれましたよ。大島に観光に来る人はほとんどが釣り目当てだから海岸の方にしか来なくて、丘の上の畑まで来る人はあまりいないみたい。ところで、2018年の2月ごろは、野菜が高騰している時期でした。この女性の息子さんは萩の市街に住んでいて、彼女が自分の畑で獲れたキャベツや玉ねぎなどの野菜を送ってあげたらお嫁さんが「冷蔵庫が空っぽになっちゃってたんですよ、助かります」とたいそう喜んだそうな。

 

 

大島は、昔はタバコの栽培が盛んで、タバコ農家が50軒くらいあったって。今では10軒くらいしかないそうです。禁煙の風潮がすっかり定着したもんなあ。減産にもなるわ。キューバでも葉巻工場を見学したっけな。タバコの葉っぱを乾かしている小屋とか、見てきたよ。大島も、今となっては珍しい光景としてタバコ農家見学とかやったらいいかも。

 

もう朽ち果てているけど、ボートがあってびっくり。ここまで引き上げてきていたのか。

 

夜に宿に帰ってからご主人にタバコの話をしたら、「僕もタバコ農家を手伝っていましたよ」とのこと。タバコの葉っぱは一枚一枚数えるんだって。マジか。「くすねて自分で吸おうなんて、絶対無理だから。一枚落ちただけでも問題になる」って。

 

畑だけでなく、林もあります。入って行ってみる…。

 

あっという間に木々に包まれて行くのだ。

 

さっきまで開けた平地にいたのが嘘みたい。

 

でも、一ヶ所、開けた場所があったの。廃屋があった。

 

古い農機具もあった。いつ頃打ち捨てられたのかなあ。放っておいたら開けた場所だってまた草に覆われてしまうんだから、この廃屋の前の空き地は、誰かが草刈りを続けているんだと思う。

 

 

この廃屋がある空き地の少し先でとうとう道が林の中に埋没してしまったので、戻ります。林から出てきて、島の、港とは反対側へと歩みを進める。さっきの女性によると、崖から流れ落ちる滝を見ることができるのだとか。しかし、途中で道が門で閉められてしまっていた。土日だからかも。役所の車があったよ。

 

では港がある方に戻ろう…。と歩いていると、農作業の休憩中らしい男性が2人、座ってしゃべっているところに行き合いました。目が合ったので「こんにちはー」と声を掛けたら、笑いながら「何してんの?」。つまり、こんなところに何の用があって来ているのか、という…。

 

適当に降りていっていたら、神社に出ました。萩大島八幡宮。

 

ああ、これ、よその土地にある神社にお参りしたことになる、あれだよね?

 

 

こういう場所は公民館的な役割も持ってるよね。子供たちの書初めがあった。

 

 

 

この鳥居… もしかして、と思ったら、坂道を上ってくる時に途中で見かけた神社でしたよ。

 

違う道を通って帰って行っていたつもりだったのですが、途中で、元来た道に合流してしまった。

 

20018/2/23

 

お宿に戻ってきました。元はと言えば、この芳和荘に泊まりたくて萩の旅を決意したのだった。

 

築100年を超える建物です。元は遊郭だったので、中庭を中心に回廊が巡らされ、それに面してお部屋がロの字に配置されているのだ。

 

と、上記の部分が一番の魅力なわけですが、順番に行こう。まずは外の塀と門ね。

 

前にも貼った写真ですが、ここが玄関。

 

玄関を入ったところ。

 

上の写真の階段がこれ。階段の下は下足入れになってるのだ。

 

昔の建物なので、階段は結構な急勾配です。

 

これを上り切ったところが回廊に繋がっていく。私の部屋はこの写真のちょうど手前。

 

中庭を取り囲む回廊に魅了されて多くの古い建物好きがこの宿を訪れております。

 

スリッパが見えますね。この日は金曜で、他にも泊り客がいました。翌日は満室だって。

 

で、廊下まではこのように中庭から吹き晒しなわけなので、2月だと寒い。廊下にストーブを焚いてくれています。外気の中ではなんだかもったいない気もするけど。

 

上のストーブのある辺りから撮った写真。

 

こちらは、上の写真の廊下の対面側にある階段。この写真の左側は大きな部屋で、家族連れが泊まっていましたよ。

 

上の写真の階段の向かいに、お手洗いと洗面所。タイルが素敵ねえ。この中も当然、ストーブを焚いてくれていますよ。

 

お風呂は1階にあります。2つあって、女湯と男湯が一日交替。宿泊客がお風呂に入るころを見計らってご主人がお湯加減を調整してくれているのだ。

 

脱衣場も機能的で清潔。

 

夜の様子もいいよね…。

 

私が泊まった部屋です。色々開け放って撮影。

 

部屋の外の廊下的なのは何かと思ったらですね…

 

昔は本当に廊下だったのでは? 隣の部屋との間を板で仕切ってあるけど、元々は繋がってるっぽくない?

 

部屋の窓からは宿の玄関が見下ろせました。

 

1泊目の朝ごはん。お腹いっぱい。

 

2泊目の朝ごはん。1泊目は私一人の朝食だったけど、2泊目は他に10人くらいいたよ。

 

この芳和荘、朝ごはん付きでも6000円くらいと格安なの。ご主人が一人で切り盛りしていて、人件費がかからないからかしら。遊郭として使われていたのは当然、売春防止法が発令される前のこと。その後は旅館になったそうですが、ご主人がこの建物を受け継いだ時にはもう営業していなかったらしい。それから一人でコツコツと廊下や階段を磨き上げ、設備を整えて、現在の姿になったのだそうです。

 

古い建物や歴史が好きな人が全国から泊まりに来る。外国からのお客さんも最近増えましたよとおっしゃっていましたわ。

2018/2/23

 

梅屋七兵衛さんのおうちを出るころはもう夕方。明るいうちに街並みを見ておきたい。

 

ヨーロッパで旧市街と言うと中世の街並みを連想するけど、日本ではさすがにそこまで古い建物はめったにない。萩の古い街並みも、明治や江戸末期から昭和初期のものを指しています。

 

こちらのお宅は昭和かな? でも昔ながらの狭い2階があるっぽい。

 

こちらは格子が素敵な窓。

 

これはお寺の横にあったおうち。玄関が高い位置にあって踏み石が設置してある。門の中なら、玄関が階段を上がったところにあるのも珍しくないけど、道路から直ってのはあまり見ない気がする。

 

このおうちは、玄関の前に立派なスペースがある。

 

人様のお宅をこんな風に撮影するのは良くないのでしょうが… すみません…。

 

玄関の外に屋根がついた部分があるのは珍しくないけど(我が家だってそうだ)、そこに壁や扉が付いているのは珍しい気がする。待合スペース? 第1玄関の戸を開けると第2玄関がある状態。

 

そしてこの家はお隣にほぼ同じ作りの家がもう1軒あり、廊下で繋がっているのだ。楽しい。

 

住宅街から段々と商業地区に。ここ、入り口はサッシにしてあるけど、壁や屋根は残してくれている。

 

ここも1階の店舗部分はサッシ化。2階がいい味よね。バルコニーみたいになってるの?

 

ここはどなたか、幕末志士の家でしたな。いい感じで塀が残っている。

 

これは趣が違いますが、興味深い近代建築ですね。現代では個人宅でコレなかなか作れんでしょう。角を丸めてあるところと言い、敢えて角にガラスをはめてあるところと言い、優雅です。

 

これは鉄格子のデザインが可愛らしいので注目したの。お隣も、一つだけ古い窓を残してくれている。

 

こちらは普通の民家ですね。このクラスの木造建築がゴロゴロあるよ、萩。このまま残してほしい! でも、後に乗ったタクシーの運転手さんがおっしゃるには、彼の自宅も文化財の認定を受けていて、改装できないんですって。玄関から隙間風が入るから本当はサッシにしたいんだけど…と。

 

前に聞いたお話(どの地方かは知らない)。古い家に住んでいる家族が、住みにくいので家の改装を検討し始めたところ、市が『この家は古いので手を加えずに残してほしい。更に、無料で見学者を受け入れてほしい』と要請してきたそうです。でも市から補助金が出るわけでもない。「勝手なことを言うな」と怒ったご家族は、今後の事も考えて、今のうちにと家をつぶして新しい家を建ててしまった。難しいよね…。

 

外見だけでも残すことができれば、街並み保存にはなるんだけどねえ。ヨーロッパの旧市街でもそんな感じでしょ。家の中まで古いまま残してあるとは限らない。ブルージュの旧市街の宿を探した時、外見は中世のままで素敵なんだけど、部屋が「先週作りました」ってくらい現代的で普通な宿がほとんどだった。やっぱり、維持管理という点で、そうなっちゃうよね。

 

 

焼き鳥屋さんで「ひばり」って、ちょっと…。タバコ屋さんの看板ネコは眼光が鋭かった。

  

 

フラフラ歩いていたらお寿司屋さんの前を通りかかりましたので、入ってみる。本当はタイもヒラメもヨコワもあと1切れずつあったんだけど、少しずつ置いていってくれるので、やっぱ食べちゃうよね。この後もっと増えましたし。

 

お刺身で地酒を飲んだ後、お寿司と出し巻卵をいただきました。

 

 

本当はこの酒屋さんで飲みたかったんだよ。地酒の品揃えが素晴らしいと評判の「世界のお酒セレクトショップ SAKAYA」さん。2階がバースペースだとネットで読んで楽しみにしていたのに、どうもその晩はやっていなかったらしくて。でも、若くて元気も愛想も良い店主が色々と教えてくれました。「萩を紹介するようなラインアップで地酒を何本か」と頼んだら、「そういうセットはちゃんとご用意してあります!」と出してくれたのがこれ。自宅に送りました。父に大好評。

 

ここにはワインセラーもあったよ。次に萩に行ったら、ここで買ったお酒を宿で飲みたいね。おつまみも置いてありました。あと、酒屋さんは飲食店にお酒を売っているので、地元の美味しい店も知っているもの。てことで助言を求めたところ、何点かの飲食店を、価格帯や雰囲気やお料理の特徴を詳しく解説しながら教えてくれました。萩を盛り上げたいと言っていましたが、実際、こういう熱意と能力がある若い人がいてくれるのは素晴らしい、ありがたいことだね。

 

2018/2/23

 

この記事はほぼ、だら~と写真を貼っていくだけです…。

 

こちらは古い和菓子屋さん。エアコンの室外機をうまく隠している。

 

これを買ったのは翌日ですが、とりあえず、こんな感じです。

 

ここは船具屋さん。昔の船具を展示しているし、住人が使っていた古い家具などもあって楽しい。

 

古いオルガンもあったよ。今でも弾ける。

 

池部さんのお宅。3代にわたって蒲鉾製造を営んできたそうです。この家は明治時代に、現在のご当主のおじい様が購入したのですが、道路を拡張した際に2間が斜めに切り取られ、こんな面白い形に。

 

齊藤家。こちらも19世紀半ばの建築。魚の仲買人だったって。逆光できれいに撮れない…。

 

藤井家主屋(母屋じゃないのね…)。西と東の二棟あり、西は1820年代、東は1850年代の建築。

 

ここら辺は特に旧家ではないらしいけど、この路地とその奥には楽しい家が沢山あった。

 

ワカメが干してあったり、現役っぽい井戸があったり。

 

このお宅の2階も何だか変わった形になっているね。もしかしたらここも、道路を通すために切り取られたのかも。道路って言うか、細い路地だけどさ。 駐車場の問題かしら。

 

上の家のお向かいにあるのがこの下の家。外壁はシンプルなんだけど、窓の庇が好き。

 

全ての窓にこんなにしっかりした庇が。窓自体は小さ目なんだけどね。

 

ここは塀がなぜだか段々状態になっていまして…

 

道から見えるお庭は、小さいながらもなかなか素敵。フツーのお宅に灯篭があるのねえ。てゆか、この離れ的な建物も変わってるよね…。

 

更に進むと、こんな蔵があったり。

 

とか歩いていたら、神社にたどり着きまして、

 

立派なお庭付きの旧家に。

 

この小さな家の主人は幕末の商人、梅屋七兵衛。北国問屋の老舗に生まれ、彼の代には酒造業や藩の武器調達などにも携わり、藩の命令で秘密裏に命がけで長崎から鉄砲1000丁を購入したそうです。関西からお茶などの文化を持ち帰って萩で広める風流人でもありました。そんな七兵衛さんが隠居後に晩年を過ごしたのがここで、お庭に面した部屋でお茶やお花を楽しんだそうな。

 

 

 

お庭の横に通路が…

 

…その奥に出入り口が…

 

と思ったら、こっちが正門だったらしい。