萩の旅 11:武家屋敷(旧田中別邸) | 旅中毒

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2018/2/25


口羽家からも近い、次の邸宅に向かう。

 

これは、この地区の名物である鍵曲(かいまがり)。高い土塀で囲んだ道が鍵の手(直角)に曲がっている。お城の中と同じで、直進できないようにしてあるんだ。前記事にも書いたようにここは重臣たちが住むようになったので、防衛システムが構築されたのだ。


そして、ここ、旧田中家別邸。第26代内閣総理大臣、田中義一氏の別邸です。萩の旧い邸宅でどれか一つを薦めるなら、私は断然ここを選ぶわ!

 

丸ごと残っているし、中心から少し離れているからか敷地が広いだけに、屋敷が大きく、見応えがある。

 

元々ここは、明治に小幡高政と言う人が住んでいたのだ。小幡氏は、萩藩の要職を歴任し、維新後も 小倉県権令 等を務めたような人なんですが、お母さんが病気になったのでいわゆる介護離職をして萩に戻り、ここに家を建てたんだって。大正になってから田中さんがここを買い取って増改築を行ったとのこと。って、まるでお城の歴史を書いているようだ。

 

部屋もいいんだけど、とにかく廊下が素敵でしたね。



 

 

上の右の写真の丸い窓を内側から。洒落てるよねえ。

 

部屋と部屋の間の仕切りにも窓的なものが…。開くわけではないので、窓とは言わないかな? 灯りを共有するためなのか、あるいは単に飾りなのか。

 

この床の間も洒落ているよね。

 

ここは2階にも上がれます。この2階がまた素敵なのよ。

 

 

ここは寝室として使われていたとのことですけど、寝るだけではもったいないでしょ! ここを居間として一番長く使う部屋にしたいくらいだ。見晴らしも良いし。

 

こういう隅のところに興味が向く…。構造を知りたいのだ。

 

海と反対側の方を見る。

 

そっちからはお庭が見えるんだ。木にオレンジ色のものが見えますね。これは夏みかんなの。夏みかんの原木はお隣の長門市にあったらしい。萩には江戸中期にもたらされたんだって。


萩は長い間、萩藩の中心でしたけど、明治維新直前に藩主が山口に移ったので武士たちがごっそりいなくなり、町の経済は大打撃を受けた。更には明治政府の発令した秩禄処分により、萩に残されていた士族たちは生活が立ち行かなくなるほど困窮した。小幡氏が萩に戻ったのはそんな時でした。

 

小幡氏は萩の苦境を見かねて夏みかん栽培の振興を思いつき、 士族による授産結社「耐久社」を結成。1万本の苗木を育てて配布し、廃墟と化していた武家屋敷の土地を利用して栽培するよう奨励しました。その後、夏みかん栽培は萩を支える大きな産業となり、明治22年にはなんと夏みかんの収益が藩の財政を上回るまでになったそうだ。

 

今の時代はもっと甘い柑橘類が好まれるので、夏みかんの生産量は落ちている… と、前日に浜崎地区でお邪魔した田中邸の奥様がおっしゃっていましたが。なんか残念ね。最近、本当に酸っぱいのが流行らないよね。ポンジュースも、飲んだ後に耳の下にグッとくるようなあの酸味が私は好きだったのに、今は他あの甘いオレンジジュースみたいだ。

 

お風呂とお手洗い。

 

 

お手洗いの中でさえこんなに優雅だ。

 

こちらはお庭です。広いわー。このお隣には、夏みかんをはじめ10種類ほどの柑橘類約400本が並ぶ「かんきつ公園」がある。毎年5月には「萩・夏みかん祭り」が開かれ、このお庭も会場になります。

 

井戸まで優雅にデコってある…。

 

ここから海に出れたんだね。今は塀の外にプロムナードがあるけど、昔は水路が繋がっていたんだろう。

 

大きなお屋敷なので、当然敷地内にも神社がある。

 

最初は次の目的地までのんびり歩くつもりだったけど、目的地でゆっくりと時間を取りたいので、タクシーを使うことにしました。と言う話をしていたら、スタッフのお姉さんがタクシーを呼んでくれましたわ。