旅中毒

旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!


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2018/5/2

 

博物館を出るころにはこんなお天気になっていました。観光案内所のある広場です。レストラン、カフェ、土産物屋、ホテルなどが集中している。この頃には他にもたくさんの人を見かけましたわ。

 

広場を貫く教会通りを北に歩いていくと、ルーテル教会があります。この川は、街の中を流れるアレックシュピーテ(アレックスの小川)。水の色が茶色いのは泥炭のせいらしい。アイルランドでもよく見た。

 

実は撮った時間帯が違うので、またしても空の色が全然違うのですが、ルーテル教会を川沿いに下ったところ。(と言うか、このすぐ右に教会があるんだけど) 2本の橋が並行してかかっている。

 

上の写真の右側の煉瓦の橋から、左側の木製の橋の方を眺める。

 

木製の橋の下は滝になっています。ラトビアで一番高い滝だそうです。4.5メートル。この滝のすぐ先で、アレックシュピーテ川は大きなヴェンタ川に合流します。

 

上の写真の左側に写っているカフェ「Tilt」でおやつに。ここはしっかりした食事もできますよ。

 

カフェの前の道を進むとヴェンタ川に出ます。この橋は1874年に建築された橋で、レンガの橋としてはヨーロッパで最も長い橋の一つなんだって。ロマンチックなのでよく映画やドラマの撮影に使わるそうな。

 

街から橋を渡ったところから、川べりに降りて行けるの。カフェやキオスクがあるよ。ここでアイスクリームを食べました。さっきケーキ食べたばっかりなのに…。だって、すごい天気で暑くなったんだもの~。

 

これがヴェンタ滝。落差はせいぜい2メートルですが、ラトビアのみならず、ヨーロッパで一番幅が広い滝なんだそうです。249メートル。

 

川べりまで行きやすくて賑わっているのは街から橋を渡った反対側の方だけど、街のある方から撮った方がアングルとしてはきれいに撮れると思う。上から撮りやすいし。

 

こっちからも、川べりには降りられます。でも近くまで行こうと思うと、足元が湿原状態なので、ズブッといかないように慎重に渡っていく必要があります。

 
でね、見えるかな? 滝のあちこちに白いものが散っているでしょ? これ、お魚が遡上しているんです。

 

見事な眺めでしたよ! 魚が次々に川から銀色のロケットみたいに飛び出してくるの! 写真じゃ全然伝わらないと思うけど! これは春のこの時期だけに見られる光景なんだって。vimba という種類の魚。日本語ではなんていうんだろう。ググったけど、中国語のページしか出てこない。中国語では「文鯿」。魚へんに、偏のつくり。昔は秋になると鮭も遡上してきていたらしい。今もかな?

 

宿のおじさまが、「いい時期に来たね。これは4月の終わりから5月の初めにしか見られないんだよ」と言っていました。更に、「見に行くなら午後から行きなさい。午前だと逆光になるから」とのことでした。私の場合は、川の反対側からじゃ全然見れなかったから、こっち側から見物するのがお薦めします。

 

一応、動画も撮ったけど… ズームしているから画像が粗い…。でも、1匹がジャンプに成功して上の水面を泳いでいくのを動画に捉えたぞ!

 

他人の動画の方がよく撮れてる…。どんだけたくさん魚が飛んでるか、こっちならわかる。

 

昔は、魚の遡上を利用した漁も行われていました。クールラント公国のヤーコプ公が1640年にヨーロッパで初めてこういう仕掛けの漁を編み出したのだとか。その頃は1日に80~100匹の魚を捕えることができていたんだって。「空中で魚を釣れる街」と呼ばれていたそうな。
 

 

滝にずらりと40個のバスケットを備えて、ジャンプに失敗した魚を捕える。ここで獲れた魚は公国の他の町にも輸出していたんだって。この漁は、20世紀初頭まで行われていたそうですよ。

 

レンガ橋の反対側(川下)では、普通に釣竿を持った方々が普通に釣りをしていました。

 

てわけで、ジャンピングフィッシュはクルディーガのシンボルなの。橋の街灯の土台も魚モチーフ。

 

橋を渡ったところにある、これは駐輪場なのかしら?

 


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2018/5/1

 

これが私が泊まっていたアパートメントです。私が借り切っていた部屋は2階、この写真の向かって左側の窓2つ分。私はこっちの入り口から入っていたけど、ここは中庭的なとこなの。

 

道に面している、建物の反対側はこう。実は下の写真は朝、上の写真は午後に撮ったんだ。朝は曇っていたけどお昼から晴れたもんで、空の色が全然違う。

 

明るい時間帯に撮ってみた室内。

 

宿のあるカルナ通り。ラトビア国旗が掲揚されていますね。これは、この日が5月1日のメーデーで、祝日だったからのようです。前の日も、次の日も、旗はなかったもの。

 

観光案内所。昔の市役所をリノベーションしたらしい。向こう半分が案内所で、こっち側の半分はクルディーガ名産の織物を実演販売している工房。近隣の女性たちが運営しているみたいよ。その向こうに見えている薄桃色の建物が今の市役所らしい。

 

上の写真の向かって左側のパスタ通り。突き当りがカルナ通りです。

 

観光案内所のある広場を発着する、町の中心部を走る観光バス。平日は12:15から18:15、土日は11:15から19:15まで、1時間おき。

 

祝日のせいもあったのか、午前中は本当に静かでしたねえ…。めったに人が通らないの。

 

クルディーガは13世紀初めにドイツから来たリヴォニア帯剣騎士団が侵略して作った町。最初に文献に出てくるのは1242年、リヴォニア騎士団(ドイツ騎士団に吸収され済み)がこの町にお城を築く許可を管区長からもらった記録があるんだって。お城は今の町から3.5キロくらい離れた場所に作られましたが、大北方戦争でスウェーデン軍が焼きやがったので、1709年にはもう人が住める状態ではなくなったそうな。19世紀になってから、わずかに残った部分が町の中心に移築されました。

 

クルディーガは1368年にはハンザ同盟にも加入したので、観光案内の中にも、ハンザ繋がりでまとめたものがあったよ。ああいう楽しみ方もいいね。

 

1561年にリヴォニア騎士団が解散した後、現在のエストニア南部とラトビア北部にまたがる地域がクールラント及びゼムガレン公国となりました。最後のリヴォニア騎士団長が第1代のクールラント公となり、他の騎士団員が公国の貴族となって国を運営したんだって。クルディーガはその公国の首都(の一つ)になりました。

 

今残っている街並みは17~18世紀のもの。結構新しいんだけど、中心部でもそんなに大きな建物がなくて、家はせいぜい2階建てなので、このサイズ感が私好みなんだろうなあ。この大きめの建物の1階にはミニスーパーが入っていた。買い物しようと思っていたけど、次に通りかかった時には閉まっていたので、もういいやって思っちゃって。

 

 

上の写真やこの写真にあるのは、広場を突っ切って延びるBaznīcas通り(教会通り)。旧市街で一番大きな通りで、この先にルーテル教会があります。

 

でも、街歩きはまだ本格的にはやらない。と言いますのは、前の日に宿の人に教えてもらった博物館に行きたいので。11時に開館すると書いてあるのでね。……が、行ってみたのに開いてないんだよこれが。あるある…。遅刻してるのかなと思い、また街をぶらついて戻ってきたら、「たった今、別のお客さんが来て、ガイドが案内しているところなんです。30分後に戻ってきてもらえますか?」て。

 

てことで、これも宿の人に教えてもらった、観光案内所の建物の地下にあるレストランのバーで時間つぶし。ビールのお供に軽くつまみたいと相談したらパンとチーズを薦められ、それを注文。

 

なんか、想像したのとかなり違った。カリカリに揚げたガーリックトーストとチーズソース。これがもう、めっちゃ美味しかったのよ! でもお腹がいっぱいになってパンは残してしまった。

 

やっと開きました、クルディーガ中世博物館。昔風の衣装に身を包んだガイドさんに連れられて、いくつかの部屋を回りながらクルディーガの中世の歴史や生活を疑似体験するのだ。

 

最初の部屋では町の広場の説明をしてくれた。なもんで、必然的に処刑の話にもなった。中世には動物裁判がありましたが、ここでも記録が残っているらしいよ。動物裁判ってのは、モグラに畑からの退去命令を出したり、人間に怪我をさせた豚を絞首刑にしたりするやつね。

 

これは、当時の知識人の書斎とかそんなんだったかしら。

 

最近の、街の中心にある博物館によくあるように、ここも限られたスペースで色々説明するために、壁に写真や動画を投影して見せてくれる。これは、クールラント公国が最盛期を迎えた17世紀中ごろ、ヤーコプ・ケトラー統治下での植民地事業の説明ですね。西アフリカや西インド諸島にも船団を送って原住民を征服し、交易で莫大な富を得ました。

 

もちろん、いい時代ばかりではない。これはクルディーガの町全体が飢餓に襲われていた日々の説明です。このお人形が、空っぽのお皿を見つめて、指をコツ、コツ、コツ…とテーブルに打ち付けているのが恐ろしかった。あからさまな描写よりも、こういう静かな絶望の方が想像力をかき立てられて、しみじみと怖いのよ… 食べるものがなく街ごと死んでいく、その恐怖とはどんなものかと

 

グワッ!(と顔を上げて乗り出してきたあ!)

「おわあああああ!!!!!」

 

絶叫して腕を前に突き出しながら(防御姿勢)飛び退った私に、ガイドのお兄さんは明らかに引いておりました。悪いのはそっちだろー! 歴史を学ぶ博物館になんでこんなお化け屋敷みたいな仕掛けを作るんだよ!

 

この飢餓の部屋の次は、ペストで死んだ人たちが無造作に並べられている部屋でした。これが動いたら私も死ぬと思って距離を取って説明を聞いたけど、こっちの人形は動きませんでした。その次の部屋はまだ死んでいない人たちが閉じ込められていた地下牢みたいなとこで、ここは最初から少し動いているのがわかったから、そんなにショックでもなかった。不意打ちが一番アカン。

 


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2018/4/30

 

スィグルダ城からは歩いてホテルまで戻りました。今度は迷わずすぐ着いた。お昼はアーモンドと水だけだったので、ホテルのレストランでスパイシーチキンとビールでおやつにしました。

 

で、今度こそ電車に乗るのだ。リガ行きの電車の外側と内側。

 

お庭で家族みんなでパーティーしているお宅があったので写しちゃった。いいよね、こういうの。

 

リガ駅。

 

バスターミナルに行く前に少し迷っちゃった。地下道の階段に、土産物を抱えて売っている、体の悪い人がいました。ツェーシスやスィグルダでは見かけなかった光景でした。どこの国でも首都で一番そういうの目にする気がするよ。

 

左がバスターミナルね。入り口と反対側。そして、クルディーガ行きのバスに乗っている間に日が暮れました。クルディーガ到着は20時半でしたからねえ。

 

クルディーガではアパートメントを貸り切って2泊します。「到着が夜になるなら来るまでバスターミナルまで迎えに行くから知らせて」と言ってくれていたので、メールで連絡。バスターミナルは町の外にあるので。と言っても、旧市街の中心部から徒歩15分くらいかな。

 

で、こちらがアパートメントの中。玄関ホールからピッカピカ。玄関で靴を脱いでねと言われるくらいですので、中がどれほど清潔かおわかりになりましょう。寝室には、写ってないけど、広い荷物置きスペースと棚もありました。

 

この奥のL字型のソファの心地良いことったらありませんでしたわ。自分の家にもソファが欲しくなる。

 

バスタブ付きよ。このバスタブがまた心地良くてね! シャンプーやコンディショナーも各種揃っておりまして、バスソルトまであった。洗面台の引き出しにはブラシからドライヤーから綿棒から全て揃ってまして、ああ、ここに泊まるってことは、ここで暮らすってことなんだなあ、と。

 

キッチンにはもちろん食器やフライパンなどが一式揃っております。あと、前に泊まった人たちが置いて行ったのか、調味料やパスタやお茶、コーヒーなんかもあり、何でも好きに使っていいと。あと、宿のオーナーがお庭で育てているミントの葉の乾燥させたやつがあって、ミントティーを楽しめました。

 

オーナーは翌日からのクルディーガ観光について実に丁寧に相談に乗ってくれました。私が何をしたいか聞いたうえで、地図を見ながら見どころを解説してくれて、私が知らなかったこの季節ならではの名物も(後で書くね!)教えてくれてね。観光案内所が開ける勢いでしたわ。

 

更に、スーパーマーケットはまだ開いているけど、行きたいなら往きだけでも車で連れて行ってあげようか?と申し出てくれたので、お言葉に甘えることにしました。そして、行く途中で、ざっと町の中を回ってくれて、さっき教えてくれた場所をおさらい、と言うか、翌日の観光の予習までさせてくれたのでした。この宿の評価がすごく高いのもわかるわ…。

 

宿の名前は Kalna ielas Rezidence です。Booking.com や Airbnb で予約できますよ。

 

で、こちらがスーパーマーケットで売っていたスシ。手前はエビの握り(6.99ユーロ)、真ん中はSuši Kunžut roll (3.05ユーロ)です。Kunžut がグーグル翻訳でも教えてくれないのですが、ネットで検索するとゴマが出てくるから、たぶんゴマでしょう。白ゴマでコーティングしてある。

 

キッコーマンのお醤油はもちろん、自宅でスシパーティーしたい人のために巻き簀もあり、お箸とワサビと生姜をセットにしたものも売っているのだ。

 

左は「アジアの夢巻き」。この緑のはディルらしい。確かに日本の夢ではなくどこか他のアジアの国の夢だろう。日本でももっとディルが一般的になれば嬉しいわ。右は豪快なスシ・サーモン・タイム。

 

サーモンスペシャル。左がロールのまま、右が切ったやつらしい。鮭とアボカドね。

 

スパイシー巻きを選んでみました。中はサーモンとクリームチーズ。外側にゴマとペッパーなど。美味しかったよ。私らの思う寿司ではない別の食べ物だけど、これはこれで日本人の口にも合う。あと、つい、ドラムスティックも美味しそうで買ってしまった。それとビールね!

 

この時、なんか料理の勢いがつきましてね。左の写真、置いてあったフジッリ(たぶん)を茹でてシーズにングで味付けし、買っておいたスライスチーズを載せて無理やり溶かして混ぜたもの。スシは一切れだけ食べて後は翌日に取っておき、晩ごはんにはこれを食べたのだ。

 

右側のプチプチしたやつは、後で調べたらキビだったようです。これも適当に茹でて、ドラムスティックを混ぜて塩を振って朝ごはんに食べました。美味しかった。

 

これは、スーパーマーケットから帰る道すがらに撮影した夜のクルディーガです。

 

オレンジ色の街灯が灯る小さな街の静かな通り。最高でしたわ。

 


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2018/4/30

 

洞穴を見た後、近くのバス停からバスに乗りました。バスがなかなか来なくて不安になり、バス停で一緒に待っていた女の人に「スィグルダ城に行きたい、バスはここでいいですよね」的なことを伝えてみたら(言葉が通じなかったので身振りと単語のみで)、その人も地元ではないようでよくわからない、と。でもバスが来たら彼女は運転手さんに私がスィグルダ城に行きたいのだと伝えてくれ、運転手さんが「大丈夫ですよ」と答えてくれました。そしてスィグルダ城に一番近いバス停で停めて、「ここです。ほら、あそこに塔が見えるでしょ?」と方向も教えてくれました。

 

で、これがスィグルダ城ね。実はスィグルダ城と呼ばれるお城は新旧2つありまして、これは「城址」とか「中世のスィグルダ城」とか書かれている、古い方。

 

このお城は1207年~1209年頃にリヴォニア帯剣騎士団によって要塞として建てられました。アルベルト大司教の城であるトゥライダ城に対し、騎士団が自分たち自身のテリトリーを主張する意味もあってガウヤ川の反対側に建てたお城らしい。元は水源と大司教勢力の侵略を監視するために建てられたとか。1237年にはドイツ騎士団に吸収されまして、1432年からは、ツェーシス城に住んでいたリヴォニア騎士団長に次いでNo.2の大物(管区長ってことか?)の住居だったそうです。

 

壊される前のお城はこんな風だったらしい。(こちらのページから

 

リヴォニア戦争で激しく損壊した後、続く戦乱の歴史の中で次々に所有者も変わり、修復しては破壊され、北方戦争の後には打ち捨てられました。

 

一番廃墟化していた頃でしょうね、1794年の状態。(ウィキペディアから

 

1962年に昔の資料に基づいた大掛かりな修復プロジェクトが始まりました。2004年時点ではの写真がこれ(ウィキペディアから)。これくらいにしといた方が雰囲気があった気がする。2011年にはEUも資金援助して修復が行われ、2012年に今の形が完了したらしい。

 

この部分、昔の絵にもないけど、17世紀にはあったのかな。

 

この前辺りに小さなステージがあったり、弓矢のアトラクションがあったりと、家族連れで楽しめるお手軽な観光施設という感じですね。

 

ゲートタワーの中はこんな感じ。

 

この木製の廊下は最近になって復元されたってことなのね。でも資料に基づいているのなら、本当にこういう狭間があって、敵を迎撃していたってことなんだよね。

 

廊下の向こうに見えているあっち側が修道院です。

 

あっち側に修道院がある、その壁を、ゲートタワーのあるこっち側から見ているんですが、なんか変じゃない?

 

窓の形からすると、こっち側が内側だよね? 採光のために、窓の一番外側が狭くて、部屋の内側に向かって広くなっているはず。てことは、もともとゲートタワーがあるこっち側に城館でもあったと思わないと理屈に合わなくない? でも、昔の絵からも、こっち側が屋内だったとは考えにくい気が…。

 

『あっち側』の、修道院跡。上の写真の窓の外側であるべき面が修道院の屋内になってない? 私が何か勘違いしているのだろうか?

 

と、色々考えちゃったけど、どうでもいいのかもしれん。だってね、何でも、ここの修復作業を始めてすぐ、思いがけず早く冬が始まってしまい、慌てた作業員たちは学者の指示を丸っと無視してさっさと仕事を終わらせちゃったんだそうです。てことで、『修復された』として今私が目にしているものの中には嘘が混じっているのだそうな。そんな部分の一つかもしれないじゃないか。

 

 

まあ、他の部分にも、学者が妥協して決定した形があるそうだし…。とは言え、妥協せずに済んだ部分も台無しにされたんだから学者たちは大激怒だったと思う。

 

現地の説明板に上記の作業員のメチャクチャぶりが書いてあったの。でね、このくだりの説明が、「修復が始まったのはソ連時代だった」で始まっているのがまた、印象的でした。ラトビアのせいではなくソ連のせいなのです、って意味よねw まあ確かに、アラル海の大惨事とかを思い出すに、ソ連時代ってホントに考えなしで無責任な仕事が横行していたんだろうと思うよ。

 

 

コートヤードを挟んだ反対側の塔も一応再建されておりましたが、見るからに新しくて、写真に収めたいと思うようなものではありませんでした。でもまあ、そこが展望台になっていますので、上っておきましたよ。エレベーターもありました。

 

ゲートタワーと修道院。

 

トゥライダ城も見えます。遠くに見える赤いやつ。

 

右の方にクリムルダ城の側にあるマナーハウスと、左にはロープウェイも見えるね。

 

スィグルダ城はリヴォニア帯剣騎士団の城、トゥライダ城はアルベルト大司教の城、そしてクリムルダ城は、アルベルト大司教を支持するリガの大僧正たちの持ち物だったそうな。クリムルダ城も、騎士団と大司教の争いに何度も巻き込まれたそうですが、後にはスウェーデン・ポーランド戦争のさなか、1601年の春にスウェーデン軍に征服されました。そして秋には、撤退するスウェーデン軍が火をかけたので、今は壁と土台の一部しか残ってないって。でも見てみたかったわ。マナーハウスは元々、クリムルダ城の執事の住居などだったらしい。

 

こちらは1878年に建てられた、新スィグルダ城。ネオ・ゴシック様式です。中には入れなかった。テラスに上がって中を覗いてみただけ。でもこっち側は実は裏側だったの。表側に回ってみたら、実は開いていたりして…? まあ、いいけど。反対側には美しいガーデンがあったよ。


 

お城のビール醸造所だった建物が今はアートギャラリーになっていたり、なんか周りの色んな建物が修復中っぽかったし、ガーデンの駐車場に近い辺りには土産物屋が店を出していたし、まあ、そんな感じで観光の一大集約センターになっていくんだろうと思います。

 


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2018/4/30

 

朝ごはん。パンの他に甘いビスケットがあったのが新鮮だった。

 

あとやっぱりロシア系だからか、ブリヌイもあったよ(左の写真の右端のやつ)。私が「おー」と嬉しそうにブリヌイをもらったら、女の人がニコニコしながら「ジャムを塗って食べてね」と身振りで教えてくれました。紅茶もグラスで出てきたし、文化だなあ。

 

荷物を預かってもらい、さっそくトゥライダ城に。本当は歩いてスィグルダ城に先に行くつもりだったの。ホテルからゆっくり歩いても20分くらいのはずだったので。しかし何故か途中で道がよくわからなくなり、面倒になって、先に遠いトゥライダ城にバスで行っちゃうことにしました。

 

スィグルダはラトビアでは珍しい渓谷地帯で、さらに古城が3つある。市街にあるスィグルダ城址は駅からも徒歩圏内。渓谷を渡るロープウェイで山の上に上ればクリムルダ城の廃墟とマナーハウスがある。スィグルダ一番の名所トゥライダ城も市街からたったの5キロで、周りには野外民俗博物館が広がり、体験型アクティビティも豊富。そしてこのスィグルダはリガからバスや電車で1時間なのだ。リガにしか泊まらない外国人観光客でもスィグルダは日帰りで訪れるみたいですね。大人気の観光地。

 

さてトゥライダ城、私がチケットを買いに行ったら、ドイツから来たと言う団体さんがずらっと並んでいました。が、団体受付ってわけではなく、なんか一人ずつ支払っているっぽい…? これは時間がかかりそうだなと思いながら一番後ろに並んだら、前にいた女の人が「あら、先に行ってくださいね」と私に声をかけ、前の方にいる仲間に「この人を先に行かせてあげて!」とか何とか言ってくれて、順番を飛ばして先に入れてくれました。ありがたいね。そして、さすがトゥライダ、日本語パンフレットもあったよ。

 

入り口から歩いて10分くらい。こちらがトゥライダ城です。きれいに修復されているので新しく見えるけど、起源は1214年にリガのアルベルト大司教の命令でリヴォニア帯剣騎士団が作った砦だそうです。

 

17世紀までは増改築を繰り返していたけど、18世紀にはもう軍事上の重要性を失って、廃墟になっていったらしい。20世紀の後半に発掘調査が始まり、生き残った建物が修復され、今の姿に。

 

私が行った時には入れたのはこの塔と、左側の奥の建物だけ。どっちも中が博物館になっています。手前の時計がある建物とか、一つ上の写真の奥に写っている建物にも入れるはずなんだけど、開いていなかった。ローシーズンだからかな。ラトビアの4月は冬であると思い知りましたよ、ええ。

 

とかやってたら、ここでiPhoneのカメラが動かなくなった! 動画は撮れるしタイムラプスでも撮影できるけど、普通の静止画が撮れない! 買い替えてから半年も経っていなかったのに! iPadがあるので写真は撮れなくなったわけではないけど、iPhoneの方が使いやすいし、ショックでしたわ。

 

塔の中には、主にトゥライダ城の発掘と保存の歴史が展示されておりました。この部屋は単に昔の様子を復元しているだけ。一番気に入った場所はここだ。

 

塔の上からの眺め。こっち向きだとちょっと逆光になる時間帯で残念ですが、森林を縫って流れる川がとてもきれい。この塔の中で、日本人のツアーとも会ったよ。この階には、塔から見えるお城の各部分の解説もあった。何しろここからなら俯瞰で観察できますのでね。

 

もう一つ入れた博物館の中にあったのは、お城の歴史です。左が13世紀前半、右が14世紀。

 

左が15世紀、右が16世紀のお城の姿。展示は他にも、お城での暮らしや中世のこの土地の歴史や文化などの情報が盛りだくさん。英語の解説もあります。

 

ほとんどの見学者がさっと見て周って出て行ってしまうのですが、若いお父さんと7歳くらいの娘ちゃんが私と同じくらいじっくり時間をかけて見ていました。お父さんが娘ちゃんにあれこれ丁寧に説明して、娘ちゃんが興味津々で。娘ちゃんがお父さんの興味を受け継いだ、似た者親子なのか。あるいは娘ちゃんがこういうのが好きなので、お父さんがその興味を満たしてあげようとしているのか。以前にグァテマラで出会った可哀そうな女の子を思い出しますと(「キリグアで会った、未来の仲間」に書いております)、他人事ながらホッとする、嬉しくなる光景でしたわ。

 

これは3つの古城ね。クリムルダ城、トゥライダ城、スィグルダ城。

 

お城にもっといたかったけど、移築した古い建物も見て周りたい。これはお城の近くにある、ラトビアで一番古い木造の教会とのことです。残念ながら中には入れませんでした。

 

トゥライダの薔薇と呼ばれたマイヤのお墓があったの、この近くじゃなかったっけか。1601年、トゥライダ城が戦場になった後、生存者を探していた城代が、死んだ母親に抱かれた赤ちゃんを見つけたんだそうです。城代はその子を引き取ってマイヤと名付けて育て、マイヤは美しい娘に成長しました。マイヤは庭師のヴィクトルと恋仲になり、近くの洞窟でよく逢引きをしていたとか。しかしマイヤの美しさに目を付けたポーランド兵が彼女を偽の手紙でおびき出し、暴行しようとしました。マイヤは首に巻いていた赤いスカーフを示し、「これを身に着けている人は剣でも銃でも傷つくことはない。私を逃がしてくれるのならこれを貴方に与えましょう。嘘だと思うならその剣で私を突いてみればいい」と言い、ポーランド兵が信じて彼女の胸を突いたところ、マイヤは自らの狙い通りに、ヴィクトルへの貞節を守って死に至ったのでした。個人的にはこういう展開は好きじゃないけど、今でも恋人たちがこの愛の伝説に敬意を表してお墓詣りしているらしい。

 

これは移築した鯉の養殖場だって。地下と言うか、丘の下と言うか、これワクワクしない?

 

中にはこのように生簀が。博物館のレストランではここの鯉を出したりしないのかしら。

 

これは鍛冶屋さんです。この人たちは確かコインを作ってたんじゃなかったかしら。

 

レストランで食事をしたかったんですけど、時間がないのでもったいなくて、諦めました。ケーキくらいは…とも思ったんだけどね。で、駐車場で屋台をだしていたお土産屋さんで水とアーモンドとクッキー、それとラズベリーのジェリーを粉砂糖でコーティングしたみたいなお菓子(お土産にした)を買いました。

 

で、ここからどうするか迷ってたの。クリムルダの廃墟とマナーハウスを見て、ロープウェイで下ってくるのもいいよね。でも、それやったらスィグルダ城を見学する時間がなくなりそう。なら、朝にバスで来た道を戻ってラトビア最大と言うグートマニャ洞窟を見に行こうか。洞窟好きとしては外したくないよね。

 

てことで、30分くらいてくてく歩いて、洞窟に行きました(バスの本数が少ないので歩くしかないのだ)。ここら辺は森林の中の遊歩道もあるので、時間のある人は一日かけてハイキングがてらあちこち見て周るといいと思うよ。あと、サイクリングしている人もたくさんいた。と言うか、サイクリングの大会か何かがあったんじゃないかな。日差しも強くて、絶好の行楽日和。昨日までいたツェーシスでダウンジャケットを着ていたのが嘘のようでしたわ。

 

そして辿り着いたグートマニャ洞窟。まあ、写真で見た通りだったんですが… 私、これが入り口だと思っていたのよ。入り口じゃなくて、これだけでした。これって洞窟っていうの?と思ったんですが、よくよくガイドブックを見ると、洞窟じゃなくて洞穴と書いてあった。はい、崖に穴が開いているだけです。

 

ちなみにここがマイヤとヴィクトルが逢引きしていた洞穴ってことになっています。そのせいか、恋人たちが愛を誓い合う落書きがうちにも外にもびっしり。この写真の上の方、木が生えている辺りにもある。どうやって書いたんだろう。よじ登ったんだろうか。

 


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2018/4/29

 

ツェーシス歴史博物館の見学の後は、昨夜歩き回ってチェックしておいた素敵な場所を明るい中で確認しに行きました。

 

この家と隣の煉瓦の建物も素敵。この間の道を通りぬけた向こうは小さな広場になっていて、バーやカフェ、レストランなどが集まっていました。聖ヨハネ教会前の広場よりこっちの方が、ツェーシス旧市街の繁華街として機能しているのかもしれない。(←適当です)

 

左の写真は、昨日ライブをやっていたお店。昼に開いていれば入りたかったけど、少なくともこの時は閉まっていた。右側は、宿の近くのおうち。玄関の庇が立派だな。

 

これは宿の前の通りです。ここら辺は良かったなあ。古い平屋の家がずらっと並んでいてさ。

 

左の写真、宿の裏側から撮っておきます。預けておいた荷物を引き取って、駅&バスターミナルに向かう。右の写真は、聖ヨハネ教会がある辺りから駅の方前で続いていく商業地区の通り沿いにある建物。

 

右の写真には、小さくてよく見えないと思いますが、右端の方に梯子を持った作業員さんが写っています。古い家屋をリノベーションしたのか、昔風のデザインで新しく建てたのか。どちらにせよ、この場所にこういう建物を作るってことは、観光客を意識したお商売をするんだろうなと思いましたわ。

 

特に遊んでくれなかったけど逃げもしなかった猫。右はラトビア独立戦争(1919年~1920年)で命を落とした兵士の記念碑です。旧市街と駅の真ん中辺のロータリーに立っている。

 

これがツェーシスの駅。これからスィグルダに向かいます。って、バスで行ったんだけどね。電車は本数が少なくて都合に合わなかったの。本当は電車で行きたかったのよ。スィグルダの宿は駅前で、ツェーシスからスィグルダへ私が乗るバスは駅から離れた場所に止まるので。

 

このバスの中で、近くに座っていた若い兄さんがスマホで喋ってたんだけどさ、途中から相手の音声がバンバン聞こえてきて。女性の声で、めっちゃ怒って泣いているらしい。で、ブチッと通話が切られ、兄さんはその後はかけ直すでもなく、ポチポチとメッセージを打っていた。若い人は大変ね。

 

あと、音楽がずっと流れていたのですが、日本語の歌が流れてきたのよ! 古い感じの歌で、「夢~ 夢を見たのよ~♪」。思わず検索したら「真夜中のボサノバ」という歌でした。1969年の歌。まさかラトビアの田舎で日本の懐メロを聞くことになるとは思わなかった。

 

さて、スィグルダ郊外の道端で降ろされ、民家や畑の中を30分くらい歩いてたどり着いたスィグルダ駅とバスターミナル。実は翌日撮った写真ですけど。スィグルダは、ツェーシスより少し開けている感じ。

 

駅舎の中にはピアノが置いてありました。チェコのチェスケー・ブディエヨヴィツェの駅にもあったなあ。私、「猫ふんじゃった」だけなら今でも弾けるんだけど。あと、ストーブが昔ながらの形でなかなか良かったです。形だけだと思うけどね。まさか薪は使わないでしょ…。写っている窓口は、鉄道用の窓口。バス用の窓口は反対側にある。電車の本数が少ないので、電車の到着時間が近づくまで窓口を締めるらしい。日本でもあるよね、そういう駅。

 

スィグルダの駅前にあった可愛い家。ここら辺、全体的にこんな感じの建物が多い。

 

 

駅が町から離れているところと、駅が町の中にあるところがあるよね。ツェーシスは、離れているってほどじゃないけど前者のパターンで、駅前はあまり建物が無くて、民家よりスーパーとかガソリンスタンドとかがありました。そしてスィグルダはどちらかと言えば後者ですが、駅のまわりに繁華街があるってわけでもなくて、駅の周りも住宅街で、その中に駅前らしい商業施設が混じっている感じ。

 

こちらがスィグルダで泊まったホテル。駅前にあるので選んだの。スィグルダを見て周るのは宿泊翌日だから、預けておいた荷物を持ってすぐ駅に移動できるのが理想的でね。土産物屋、カフェ、バー、レストランが併設されています。右側にあるテント屋根、レストラン席なのよ。

 

お部屋はこんな風。機能的で快適でした。

 

「ホテルピルス」のピルスとは、お城という意味。だからか、廊下や踊り場は中世の騎士の絵や甲冑が飾られておりました。あと気になったのが、廊下にあったこのベッド…。ここ、フツーに廊下なんだけど、ここに泊まる人もいるの…? 余ったベッドが置いてあるだけ?

 

上の写真のテント屋根のテラス席で晩ごはん。5月が近いと言ってもまだ少し寒いのでビニールで囲われており、快適でした。真上からより、少し斜めから撮れば良かったなー。これ、帽子と言う名前のお料理でしたよ。叩いたお肉を揚げ焼きにして、その上にチーズソースをかけて焼いたものだと思う。下に敷いてあるポテトもすごく美味しかった。

 

このホテルはロシア系みたいでした。受付にマトリョーシカが飾ってあったし、カフェでは「ハラショー」という言葉が聞こえてきたり。確かロシア系の人の国籍の事で何かあったよな…と改めてググってみたところ、下記のような情報が。

 

1991年にソ連から独立した後に制定されたラトビアの国籍法では、国籍保有者は、1940年6月17日(ソ連がラトビアに侵攻した日)までにラトビア国籍を持っている人とその子孫、またはその日よりも前にラトビアに居住していた人に限る、となっています。なので、1940年6月17日より後に流入したロシア人は帰化しない限りは無国籍者なんだそうです。記事によって数字がバラバラなんですが(その記事が参照した資料の年度によるのかも)、一番少なかった数字でも24万人だって。

 

彼らには参政権がなく、公務員にも慣れない。パスポートは作れます。「非市民」と表紙に書いてあるんだって。帰化するにも、ラトビア語と歴史の試験があるそうです。ソ連時代にはロシア語が通用していたから、ラトビア語を話せないロシア人はたくさんいるわけだ。

 

この件は「ラトビア 無国籍者」で調べたらたくさんの記事が出てきますので、ご興味のある人はどうぞ。

たとえば、こちらとか。

引き裂かれる東欧:ラトビア

 
 
 

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2018/4/29

 

ツェーシスに戻るタクシーの運転手さんは英語が堪能で、色々と話を聞かせてくれました。前にも書いたけど、ソ連時代にはロシアに規制されていたのでツェーシスには高い建物が建てられなかった、とか。あと、ツェーシスは夏にはたくさんのフェスティバルがあって人が集まるし、冬場はウィンタースポーツが盛んで、国内はもとより国外からも大勢遊びに来るとか。特にスノーボードが有名らしいよ。

 

で、街に戻ってツェーシス城の新しい方のお城にある歴史博物館へ。昼間に写真を撮っていなかったようで、前の晩に撮った写真しかない…。18世紀の城主さんが増築したそうです。

 

歴史博物館は先史時代から始まっておりまして、ここは中世のコーナーね。リヴォニア騎士団の人がいる。この人、結構大きくて、近くで見たらちょっと怖くなったわ。

 

この地下室っぽいとこには、城の自爆で犠牲になった女性の遺骨から顔を復元したものが展示されていました。20代半ばの女性だったらしい。右側はツェーシスの歴代の紋章だったかな。

 

上の階には近代の城らしい華麗な空間が広がっており、近代の歴史に関する展示がある。あと、中世の書物や、民俗楽器の展示もあり、ヘッドフォンで音楽を聴くこともできたよ。

 

一番印象に残っているのは塔の中ですわ。これは城主さんの書斎だね。

 

書斎に通じる階段を見てよ! そして更に塔の上に上っていくわけですが、

 

その階段がまた素敵なのよ! この時代らしい、美しい曲線。

 

上の階にも図書室がある。円形の図書室なので、本棚もカーブしているのだ。

 

本の背表紙を見ているだけでもうっとりしちゃうわ。これはシェイクスピア全集だね。

 

下の2枚、なんか繋がっているように見えるけど、繋がっていませんよ。更に上へ。

 

 

塔であることを活かした実に美しい構造。ガイドブックにこの塔についての言及がないなんて!

 

上の階段を上り切ると、屋上に出ます。騎士団長の部屋がある塔は一つ一つの窓からしか外が見れないけど、こっちは居ながらにしてパノラマを楽しめるよ。

 

それにしても春で良かったよね。これ真冬だったら寒すぎて楽しめなかったと思う。4月の終わりでもそれなりに寒かったけどね。ダウンジャケットも着ていた。(でも途中で暑くなって脱いだりしていた)


上から見下ろすと改めて美しさにうっとりするわ…。

 

あと面白かったのは台所ですか。やっぱり生活の匂いがする場所は楽しい。あと、隅っこにこんなお遊びを見つけたよ。可愛いな。

 

なんか写真だけだったな、この記事。

 


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2018/4/29

 

ホテルの朝ごはん。手前に、暖かいソーセージやゆで卵が入っています。

 

今日はまず、郊外のアラーイシ湖にある野外博物館に行くのです。チェックアウトして、荷物を預かってもらう。アーライシ湖までのバスは本数が少ないので自転車を借りるつもりだったんですが、ホテルのレンタバイクは5月からしかやっていないんだって。他にも2軒ほどレンタバイク屋があるらしいんだけど、どうせ他も同じことでしょ…。旅程を逆回りにしたら良かったなあ。ほんの2日かそこらのことだったのに。で、7キロくらいだから歩いても行けるけど、今回ばかりは時間がもったいないのでタクシーで行きました。

 

この野外博物館には、石器時代と青銅器時代の集落の跡、9-10世紀の水上集落の跡、14世紀に建てられた騎士団の城塞の廃墟があるのだ。

 

まずは石器時代と青銅器時代から…。湖畔は湿地もあるので歩道が渡してある。そして例によって赤が退色した看板。「ハイヒールを履きなさい」になっちゃってますよ。

 

古代の住居跡はもちろん本物ではない。この土地のこの時代にはこういう住居があったと考古学で判明しているので、同じようなものを作ってある。これが石器時代かな?

 

で、こっちが青銅器時代か。扉は施錠されていたけど、ハイシーズンだと中に入れるのかも。石器時代のも青銅器時代のも、いくつかありました。

 

さて、こちらがリヴォニア騎士団が建てた城塞の跡。建てられた正確な年は不明だそうで、14世紀とだけわかっている。

 

ツェーシスにある本拠地からすぐ近くにこのお城を建てたのは、それだけ軍事的・経済的に重要な土地だったってこと。ツェーシス城が自爆した例のリヴォニア戦争の際に、こっちのお城はイワン雷帝の軍隊により破壊されました(1577年)。それでも17世紀までは人が住んでいたらしい。リヴォニア戦争の後はここはポーランド・リトアニア共和国になっていたので、そっちの軍隊が駐屯していたのかしら? ちなみに発掘調査の結果によると、城の住民のかなりの部分が地元の村人たちだったろうとのこと。

 

 

そしてこれが一番の目玉、『水上要塞』です。

 

9~10世紀頃にこの土地に来たラトガレ人たちの集落跡です。ラトガレ人はラトビアの最大部族だったそうよ。遺跡は湖底の泥に埋まっていたので非常に保存状態が良く、建築の構造をはっきりと解析することができたんだって。151棟が発掘されまして、見学用に14棟を復元してある。

 

今時だねえ。スマホを落とさないように!って注意書きがある。柵の向こうに見えているのが、本土と集落を結ぶ橋。敵が攻めてきたらこの橋を焼いちゃったらしい。

 

この右手の家が村長の家だと思うんだ。中央にあるし、一番大きくて立派だし、なんかテラスがあるし。

 

ここがメインストリートであろう。

 

反対側の道はちょっと狭いです。

 

狭いけどめちゃくちゃ密集しているので、これでも80人くらい暮らしていたらしい。今の基準に照らしたら快適とは言えなかっただろうけど…。

 

てゆか、151棟全部がこの湖にあったの? 151棟もあったら湖が埋まってしまうと思うけど。近在の他の湖も併せてのことだよね、きっと…。

 

家を出たすぐのとこに物置があるんだ。道具とか入れてたのかな。動物を飼っていた家もあったかしら?

 

左が何だったか忘れたけど、確か右は鍛冶屋の家だったと…。普通の家はこんな風に床の丸太の上に土を敷き詰めているんだけど、共同浴場は木の床だったそうな。水が下に流れるようにね。共同浴場は一番清潔な場所だったから、医療施設でもあり、子供を産む場所でもあったらしい。

 

家の玄関は必ず左側で、かまども玄関から入って左向きに作られていたと解説本には書いてあるけど、上二つの写真、どっちもかまどが正面を向いている。これは自宅のかまどではなく職場だからなのか? そもそも、職場と自宅は同じではなかったのか? 簡単な解説本だけじゃわからないことだらけで。ガイドさんがいてくれたらなあ。

 

あと面白かったのは、屋根の作り方が家によって違うことかな。外から見てもわかるけど、内側から見ると更にわかりやすい。これだけのスペースに、もしかしたら10人くらい住んでたかもしれんのか。そんなものなのかな。

 

 

この野外博物館、チケット売り場は小さな小屋で、あとはお手洗いと軽食スタンド(営業してなかった)があるだけだったけど、もうすぐ発掘品を展示する建物を建てると言っていたよ。近隣の子供たちが校外学習に来る場所だそうだし、せっかくツェーシスからも近くて観光客を呼べる施設なのだし、どんどん整備してほしいものです。

 

私が見に行った時は、小さな子供連れの3家族くらい(親戚かしら)が来ていて、この子供たちが大喜びでキャアキャアと隠れんぼ&鬼ごっこ。そりゃこんな場所だもの、隠れ甲斐も走り甲斐もあろうと言うもの。それにしても子供たちの身体能力はすごい! 床が丸太なのに、なんであんな風に走り回れるんだろう!? 驚異的だったわ。

 

ある家の陰に私が何気なく目をやったら、そこに隠れていた一人の子と目が合い、彼は目で「僕がここにいることを言わないで!」と訴えてきたんだけど、近くにいた別の子は私のその様子だけで悟ったらしく、何か叫びながら突進してきて、隠れていた子はダッシュで逃げていきました。ごめん… 笑

 

私が写真を撮ろうとするたび、どこかから子供が弾丸のように飛び出してくるので、なかなか人が入っていない写真が撮れない。私ももう可笑しくて楽しくて笑い出してしまい、あるお母さんが「貴方が写真を撮れないわね、ごめんなさい」と笑っていました。

 

一人、何があったのか拗ねちゃって、ある家の中にじっと閉じこもってる男の子がいて、お母さんらしき人がたまに行って宥めていた。なんだか懐かしい光景でしたわ。

 


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2018/4/28

 

街の中心に戻るに、同じ道を通ってはつまらないので、少し遠回りを。公園の敷地の端っこにあるロシア正教会。入り口に立っている赤い服の方は、教会が開くのを待っている信者さん。

 

ラトビアはロシアの支配下にあった時代が長いので、今でも住民の3割はロシア系。でもツェーシスではその割合はグッと低く、ラトビア人が85%を占めるんだそうです。それでも、翌日乗ったタクシーの運転手さんが「ロシア支配の時代、ロシアの中央政府はツェーシスに高い建物を建てることを許さなかった。だからツェーシスに背の高いビルはないんだ」と言っていました。(今となっては、景観保護のためにはそれで良かったのかもしれませんが、そういう問題ではない) やはり軋轢はあるんでしょうね。

 

入り口で私も待っていたら、いくらも経たずに黒革ジャケットのおじさんがやって鍵を開けてくれました。入ってすぐは誰もいなくてこんな写真も撮れたけど、直後から次々に信者さんが訪れ、お祈りを捧げていました。そしてイコノスタシスの向こうから、僧衣に着替えたさっきのおじさんが出てきました。神父様だったのか。

 

これは幼稚園らしい。幼稚園もこんな素敵な建物なのね。って、町全体がそうなんだから当たり前か。

 
この左の建物が、ツェーシスでは結構大きな建物だものねえ。右の写真の左側の建物、窓がきれいだけど、何なんだろう。教会ではなさそうだったけど。
 
民家は平屋か2階建てがほとんど。やっぱり民家を見ている方が楽しいな。
 
ここは、駅へ続く道ね。旧市街の目抜き通りだから、建物も少し大きめで新しい、っつか、リフォームをきちんとしているんだろう。この通りにネイルサロンがありましてね。出発前、忙しくて爪がボロボロのままで来ちゃっているから、磨くくらいしてもらおうかなあと思ったんだけど、なんか勇気が出ずやめときました。
 
晩ごはんはヨハネ教会前の広場に面した Kafe Pride にて。お城の受付が観光案内所も兼ねており、お薦めの郷土料理レストランはと尋ねましたところ、「郷土料理ってわけじゃないけど、美味しいのはここ!」と一推しされたの。これは鮭とお野菜のソテー。確かに美味しかった!
 
もちろん地ビールも飲みましたし、デザートも忘れない。
 
 
食事の後はまた住宅街をぶらつき、猫と遊んでもらおうとしては逃げられたりしつつ、陽が暮れたので一旦お宿に戻りました。この頃の日没は21時くらい。やっぱり明るい時間の長い季節はお得だよねえ。洗濯やら翌日からの準備やらを済ませてから再度、今度は夜のお散歩に。
 
この聖ヨハネ教会、中に入るのをとても楽しみにしていたのですが、なんでか開いていませんでした。この日も、翌日も、開館時間とされている時間帯に何度も行ったんだけど。残念だわ。観光案内所の人に確かめても、「開いているはずなんですけどねえ…?」って。
 
もう一度お城の方に行ってみる。この、照明がギラギラ写っちゃうのが困るんだよな。そうならないように、スマホカメラでも調整できるのかしら?
 
公園も、ひと気がありませんね。
 
街の写真と言うより家の写真を撮っているよな、私。これは確か、ちょっと賑やかな界隈に通じる路地にあった家。私が泊まっていた静かな住宅街からもすぐ近くなんだけど、バーなどがいくつもあるらしくて、なかなか活気がありましたよ。
 
ここもバーみたい。中を覗いたら、何やらライブをやっていたよ。大変興味を引かれましたが、小さな店だし、みんな演奏者に向かって座って熱心に聞いているので、演奏の最中に入ると言うのが何となく気が引けて、やめてしまった。でもやっぱり入ってみたら良かったな。
 
結局、Kafe Pride に戻ってきて、ワインなんか飲んだりして。ここ、週末は0時までやってるんだ。
 
翌日のこともあるからそろそろ戻らないとね…。
 
ここは、ホテルの正面玄関側の、すぐ前の道だな。
 

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2018/4/28

 

修道院の外に戻ってきました。この塔の下にダンジョンがあります。狭い穴を梯子を使って降りていくので、足の悪い人は見学は難しいかな。

 
梯子を下りた場所から更に下に、階段を使って降りる。ここ、お手洗いがあるんだよね…。かなりの地下になるわけですけど、塔が丘の上に立っているから、汲み取り口は作れるんだな。てゆか、専用のお手洗いがあるダンジョンって初めて見た気がする。ここの囚人って、そこそこの身分の人だったの?
 
 
実は前々から、ただの地下の部屋であるダンジョンだと用足しはどうするのか、身分が低い囚人なら、「隅にでもやっとけ、衛生状態なんか知らん」って感じだったんだろうか、と疑問に思っていたんだよね。ここはその点、多少は住環境に気を使われている気がする。お手洗いの上には通気口もあるし。
 
外に出てお城の周りを歩いてみる。ここが正門ですね。向かって左が、私が上ってきた塔で、右がダンジョンのある塔。今は通行禁止。修復中なんだよ。夏までには開放されるんでしょうが。私としては、ここ10年ほど年末年始しか旅行していなかったのに、久しぶりに暖かい明るい季節に来た!と思っていたけど、観光地的にはまだローシーズンですのね。
 
元々空濠なんでしょうね。建物がボロボロなのは風雨による劣化だけでなく、城が打ち捨てられていた頃、例によって近隣の村人たちが住居の資材として城から石を持って行っていたかららしい。
 
軍事技術の発達につれこのような古いお城は段々に軍事的重要性を失っていったけど、17世紀までは駐屯部隊がいたんだって。でも1700~1721年の大北方戦争(スウェーデンと反スウェーデン勢力がスウェーデンの覇権を争った大戦争)の後は完全に廃墟になってしまった。そして、19世紀にヨーロッパで起きた懐古趣味ブームでまた注目を浴びるようになったのでした。
 
お城の前は公園として整備されています。日があるうちに行ってみよう。
 
現存するお城の全景。
 
⑥が修道院跡で、①は騎士団長の部屋がある三角屋根の塔を指しているんだろうな。③と④は翌日に見に行った19世紀のマナーハウスです。今は歴史博物館になっている。時間がないのでこっちはもういいや、と思っていたんですが、ちょっとだけ見とくか…と、閉館時間間際に覗きに行ったら、まあこれが面白くて! 翌日また来ようと決意。⑦の右の方にある円形になっている部分、これがツェーシスの町の起源とされる石器時代の砦があった場所。
 
空濠の跡が遊歩道になっています。(この右側の盛り上がりが砦のあった丘ね)
 
時間があれば丸一日遊んでいたかったなあ、このお城…。
 
公園は18-19世紀のロマン主義に基づいて作られているそうですが、この華麗な階段なんか正にそんな感じ。真ん中のとこ、水が流れる仕組みになっていたみたいよ。
 
上の写真の階段を下りてきた手前がこの池。ここから階段で池の中に降りていける。池の真ん中には像が立っていたりする。
 
街の真ん中にあるから見学も簡単だし、ぜひ行っていただきたい。
 

ツェーシス城の公式ウェブサイト

 
 
お城のすぐ横にあるこれは、ラトビアで一番古いビール工場の跡。まだ営業していると思い込んでいて、見学できるものと楽しみにしてきたけど、遺跡らしい。ツェーシスの郊外には同じくらい古い現役の工場もあるとか聞いたよ。
 
 

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