旅中毒

旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!


2019/8/15

 

高昌故城を出て、次に寄ってもらったのが吐峪溝麻扎村。古い町並み、ならぬ村並みが残っており、村ごと野外博物館状態の歴史村です。新疆ウイグル自治区では最古のウイグル人の村とされている。2600年ほどの歴史があるらしい。中国の支配下に入った後は、2004年になるまで、外国人の訪問は許されなかった。2012年に中国政府が文化財に指定したんだって。

 

葡萄畑の中に現れる茶色い村。

 

 
入場料が必要です。その入り口で、この地で撮れた果物を使ったジュースなどを売っておりました。ツアー仲間の人が、なんだったか、黒に近いほどの赤色をしたジュースを購入。その場で一口飲んで「う、今は無理」と。その後皆でちょっとずつもらいましたが、なるほど、とにかく濃厚で、クッソ暑い中で飲めるものではなかったわ。
 
 
水が豊富なので緑も豊かでした。
 
 
この文字は、表札的なもの…?
 
ここは歴史文化村です…みたいな標識が出ていた家屋。入って良かったのかな? なんか洗濯物も見えてるんでやめておいたんだけど。
 
例の、キジル千仏洞を発掘したドイツ人、ルコックがこの村に住んでいたらしいよ。その家は今、見学することができるらしいが、どこにそれがあるのやら。ちなみに、この村から行ける千仏洞もあるんだって。
 
街灯、味わいがある。
 
放っておかれたら1日でもいたいくらいだけど、ツアーなのでぐるっと見て回っただけで、30分くらいしかいませんでした。でも本当はそれくらいで遠慮しとくべきかもしれないね。人が住んでいる静かな村なんだし。
 
 
でも本当に人の姿を見かけなかった。夏の真昼間、一番暑い時間だったから、皆さん家の中にいたのかもしれない。
 
 
もっとも、廃屋もあったし、ボロボロと言えばボロボロだった。昔は栄えた村なんだろうけど、今は人口が減っているかもしれないよね。それでも、カシュガルのメインストリートみたいに観光資源として整備されすぎて、ピカピカの新しい「古い村」に作り替えられてしまうよりは、このままの方が…。(見物人の勝手な感想ですが)
 
 
 
ツアー仲間たち。
 
村の仲にも観光客相手の店が1つあった。
 
自家製らしい果物のジュースのうち、さっぱり目の奴を選んでその場で飲みました。喉がカラカラ。市販品のジュースもあったよ、コーラとかの。壁にひょうたんがいっぱい。
 
これは入場ゲート的な場所で売っていたんだっけ? 干しブドウ各種。すごいな。
 

2019/8/15

 

航空写真など使わずとも、抜かりなく地図の写真を撮っていた私。(記憶にない)

 

さて、高昌故城の最大の見どころである西南大大佛寺に来ました。地図の左下のとこね。この一角が一番保存状態が良いので、ガイドツアーでもここをラストにするようだし、個人客を案内するカートも最後にここを周るようになっている。

 


このお寺、基礎から推測すると6世紀ごろにまで遡れるようだけど、現存する建物は天山ウイグル王国の時代に建てられたものらしい。つまり12~13世紀のもの。

 

上の写真が外から正門を見たところ。下の写真が正門を入った中庭から正門を振り返ったところ。

 

 

広すぎるんでパノラマで撮ってみたけど、めっちゃ歪んだ!

 

中庭の南側と正門の両側にあった建物は、日々のお祈りなどの活動に使われていたと考えられているそうです。

 

 

お寺の敷地は東西130メートル、南北80メートル。中庭を囲んで、主殿を中心に左右対称に建てられておりました。主殿の北、東、西に僧房だったと推測される建物が残っている。

 

 

 

これ同じ場所を撮っているんですけど、

 

両方を載せてしまう。上の写真の方が横長で、壁がたくさん写ってるけど、下の写真は入り口の奥に別の入り口が写っているところが良いので。


 

門を入って中庭を突っ切った奥に主殿があり、その正面にあるのがこの方形の仏塔。くぼみは、大きな仏像が置かれていた仏龕なんだろうねえ。

 

 

 

 

仏塔の南側の壁面には小さな仏龕が残っている。

 

 

中庭の南側…

 

…の正面、北側には、ドーム状の建物が残っている。これは説教堂だったと考えられるそうです。現存する建物は天山ウイグル王国時代(11~13世紀)のものですが、三蔵法師もこの場所で説教したんだろうなあ。

 

 

そうです、三蔵法師玄奘がここに滞在したんですよ。隋から唐に代わって間もない629年(627年説もあり)、まだ20代の若き玄奘は、皇帝の命に逆らってまでインドへと旅立ちます。仏典の研究のため、原典に当たりたかったのです。それでなくとも当時の旅は命懸けですが、密出国して官憲の目を逃れながらの旅ですから、その苦難は想像を絶します。

 

 

当時は高昌王国の時代ね。王の麴文泰(きくぶんたい)は非常に敬虔な仏教徒でした。麴文泰は玄奘が唐の追っ手を逃れてついに西域の伊吾(現ハミ)に入ったと情報を得ると、使者を出して丁重に高昌に迎えたそうです。


しかし麴文泰も所詮は権力者。玄奘が、王の『今後はずっと高昌王国に留まってほしい』という願いを聞き入れず旅を続けようとするので立腹し、玄奘を監禁してしまうのだ! 玄奘は水すら飲まない絶食で抵抗します。仕方なく王は玄奘を解放し、義兄弟の契りを結ぶこととインドからの帰途に高昌王国に3年留まることをお願いしました。

 

 

その願いを玄奘は快く受け入れ、王はお礼に、20年分に相当する旅費を出してくれて、警護の兵隊も付けてくれて、更にはインドに至る途中にある24ヶ国の王に宛てて、玄奘の身の安全を守ってほしいとの書簡と贈り物を持たせてくれたのです。ちなみに、この後の天山山脈越えで一行の3分の1が死んだそうだから、玄奘だけでは生きてインドに辿り着くこともできなかったかもしれないよ。

 

さて玄奘はインドで大いに学び、たくさんの経典を手に入れて唐への帰途に就きます。そして王との約束を守るべく高昌王国に立ち寄りました。しかしその1年前に麴文泰はこの世を去っており、高昌王国そのものが唐に滅ぼされて地上から消えてしまっていたのでした。

 

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。

 

 

お寺の周りにもたくさんの建物が残っている。地面を掘り下げて部屋を作る形式が多いようだ。

 

 

素晴らしい見応えの遺跡でございました。しかし1時間ほどの見学の間に干上がったからだが激しく水分を求め、入り口の土産物屋でよく冷えた水を買った時は生き返った心持ちでしたわ。

 

ここでも契約ミュージシャンらしき方が演奏を披露しておりましたよ。

 

2019/8/15

 

次に行きましたのが、アスターナ古墳からも近い高昌故城。高昌王国の主要な都の一つだった町の遺跡です。高昌をウイグル語で言うと「カラ・ホージャ」だって。

 

この土地の歴史をたどると、記録に残っているのは故師国ってのが最古になるのかな? 楼蘭と共に紀元前110年に漢の武帝に滅ぼされた。その後、農作と守備のために漢から兵隊が派遣されて駐留するようになり、元帝(在位:前48年 - 前33年)の時代に高昌壁と呼ばれる軍事基地が置かれるようになりました。

 

327年には謀反鎮圧を機に高昌郡という行政区ができます。しかし5~6世紀にモンゴル平原を支配していた遊牧民族の国、柔然に高昌郡は併合されてしまう。そして柔然が王を立てて、460年に高昌王国が成立。高昌王国は、508年から北魏に、そしてその後も隋、唐に朝貢していたんですが、640年に唐との関係が悪化して、高昌王国は滅ぼされました。

 

唐が弱体化した後、840年にこの地は天山ウイグル王国領となる。天山ウイグル王国は1211年にモンゴル帝国の支配下に入りますが、1260年代にはクビライ・ハーン vs オゴデイ家&チャガタイ家の内戦における最前線となってしまう。1275年(1285年説もあり)に高昌の町はオゴデイ家&チャガタイ家の大軍に包囲されて熾烈な攻撃を受けます(カラ・ホジョの戦い)。姫君を差し出すことでやっと包囲を解かれたものの、その後も攻撃は続き、王家は高昌を捨ててクムルへ、そして永昌へと逃れていったのでした。

 

 

遺跡は東西1.6km、南北1.5km。遺跡を取り囲む外壁の総延長は5.4km。街並みが残っていれば歩き回るのも楽しいでしょうけれど、今ではひたすら土獏を歩くようなもんだし、暑くてつらい。なので、見どころから見どころまでカートで運んでもらうシステムです。

 

1961年に中国政府が歴史遺産として保護するようになりましたが、それまで敷地内で地元の農家が野菜や果物を作っていたらしい。よくある話ね。アルハンブラ宮殿だって、長い間、貧民窟になっていた。

 

都は外城・内城・宮城に分けられ、それぞれの壁がボロボロの状態で残っている。一番外側の壁のすぐ内側(外城)には兵隊が住んでいたとか。内城には一般人が住み、そして内城の中心に宮城、つまり王宮があった。最盛期には町の人口は3万に達していたそうです。主な住民は、中国各地の戦乱から逃れてきた避難民とその子孫。

 

ここは町の東南の角、外城のすぐ内側。この写真のすぐ右側にあるのが…

 

小さなお寺の跡。今は東南小寺と呼ばれています。敷地は南北に17メートル、東西に12メートルあったそうですが、残っているのはこれだけ。

 

 

残存する建物は、建築様式から12~13世紀ごろのものと考えられているそうです。

 

 

礼拝窟の中には…

 

うっすらと壁画が残っています。(入り口はブロックされていて内部には入れません)

 

家屋と思われる建物の廃墟。

 

その内側。

 

例によって興奮して写真を撮りまくっているけど、写真だけでは、遺跡に興味のない人には石が並んでいるだけみたいに見えるだろうな。

 

 

 

次に宮城を見学。「ハーンの砦跡」とも呼ばれています。内城の北部分に、210メートル四方、3.4ヘクタールを占めていたそうな。王族の住居群と政庁があったと考えられている。

 

 

高昌王国の首都は交河だったらしいので、この高昌故城の王宮って、王族が来たら使う建物ってことですかね。皇居と離宮みたいな。バッキンガム宮殿とエディンバラ城みたいな。天山ウイグル王国も、ここを首都としたのはほんの数年。

 

王都でなかった時代には太守とかが使っていたんかな。ちなみに、高昌故城は、首都だった交河の故城に残っている唐代の官庁と同じ様式だそうです。この場所から西暦で言う445年を記した石碑が発見されており、高昌で亡命政権を立てた王の名前が刻まれているとのこと。

 

 

元々、天山ウイグル王国の首都はビシュバリクという町でした。が、モンゴル帝国の内乱のとばっちりで荒廃したので、1270年頃に高昌に遷都したらしい。なのにその後すぐにまた攻撃されてしまったんだね。ホンマ大変な時代だった。

 

 

あちこちに、通路から降りるなと注意書きがありました。既に風化が激しいからね。好き勝手に触ったり上ったりされたら、あっという間にボロボロになってしまう。内城の壁がほとんど残っていないのも、農地として使用されていた間に住民が壊しちゃったかららしい。アルハンブラ宮殿は貧民窟だった間も人が住んでいたので、建物自体への破壊行為は比較的少なかったんだろう。(時代もずっと新しいし、素材も違うってのもあるけど)

 

 

 

当時の都の様子を描き残した絵でもあればいいのになあ…。王宮跡に残っている壁や塔の大きさ、そして町の中に占める割合から、豊かな国の大きな都にある壮麗な宮殿だったことが伺える。

 

 

王家が去った後も当然高昌の町には人々が住んでいたわけですが、1280年にはオゴデイ家系の軍隊の略奪に遭い、荒廃しきって、飢饉が発生。あまりの惨状に3年にわたって免税措置が取られるほどだったとか。かつては華やかに栄えた都の、悲しい終わり方でした。

 

 

これは内城の壁だったかな? 内城の壁はほとんど残っていないのだ。

 

 

航空写真で見るとこんな感じ。灰色の線が、カートで走るルートだね。さて、この後は西南大佛寺を見に参りました。

 

2019/08/15

 

次に訪れたのは柏孜克里克(ベゼクリク)千仏洞。仏教の石窟です。火焔山のふもとの谷にある。

 

トルファン盆地一帯には多民族がそれぞれのコミュニティを作って住んでいて、それぞれの宗教を大事にしておりました。この石窟が作られたのは5世紀から14世紀にかけてだそうで、現存するのは10~13世紀頃のもの。当時この地を治めていたのは天山ウイグル王国(9世紀半ば~13世紀半ば)。建国当時はマニ教が盛んで国教に近い扱いだったのが、11世紀にはマニ教が急速に衰えて仏教が隆盛になったんだって。

 

こんな感じに、崖に石窟が並んでいる。

 

 

内部の撮影は許可されておりませんが、ここの壁画も素晴らしかったのである。

 

こちらはウィキペディアから。9世紀の「誓願図、第二十号窟第九寺院」。

不明 - Bezeklik caves. A. von Le Coq, Chotscho, パブリック・ドメイン

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18711313による

 

これは8世紀のだって。左はソグド人僧侶と考えられているそうです。

Central Asian Buddhist Monks.jpeg
of the paintings - Unknown. Of the book, Albert von Le Coq. - Chotscho: Facsimile Reproduction of Important Findings of the First Royal Prussian Expedition to Turfan in East Turkistan, Berlin, 1913. A catalogue of the findings of the Second German Turfan Expedition (1904–1905) led by Albert von Le Coq, containing colour reproductions of the murals, which were destroyed in WW2. (National Institute of Informatics – Digital Silk Road Project Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books), パブリック・ドメイン, リンクによる

 

ウイグル人の王子。

Gryffindor - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=785056による

 

ウイグル人の王女。

Gryffindor - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=785055による

 

上記いずれも、現地にはありません。

 

現地に残っている壁画もありますが(例によってイスラム教徒にボロボロにされたやつとか)、保存状態の良かったものは「探検隊」によって世界中に持ち去られてしまいまして、上の「請願図」とか二人の僧侶の壁画は、第2次世界大戦のベルリン爆撃で博物館ごと吹っ飛ばされてしまったらしい。

 

龍谷大学の「ベゼクリク石窟大回廊復元展示」ってのがありましてね。龍谷大学とNHKが共同で、11世紀頃に描かれた壁画をデジタル復元して、原寸大で展示しているんだそうで。龍谷ミュージアムの常設展示なので、そのうち見に行こうと思いながら行ってないんだよな。近いのに。
 

下の方にも建物が残ってるんだけど、下には降りられなかった。

 

77の石窟があるそうだけど、入れるのはこの1列だけ。キジル石窟に比べると小さいものの、行く価値ありますよ。

 

 

こういうの見るだけでもワクワクするよね。

 

一人だけ許可されているらしきおじさんが演奏していたので録画してみた。

 

 

別の人も同じ人を撮ってきたようだ。

 

右側のちょろっと見えているのが石窟のあるところ。谷を挟んで、火焔山が。

 

 

 

 

そしてまた車に乗ってしばらく走りまして、 阿斯塔那(アスターナ)古墳群へ。4世紀~8世紀前半ごろの漢人の墓地で、約1,000基の墳墓があるんだって。保存状態がとても良くて、ミイラ化した遺体や副葬品が出土しているそうです。

 

今は地上にはほとんど何もない。地下にあるお墓に、こういう斜めの階段で降りていくの。入れたのは確か3つだけです。

 

 

中の写真が全く残っていないってことは、撮影禁止だったんだろうな。憶えていないけど。

 

 

階段の先には、正方形や長方形の墓室があります。主室の他に前室があるお墓もあり、前室にはお墓を守る獣の像が飾られていたそうです。

 

遺体を見た記憶はないけど、忘れてしまっただけかも。遺体は布で包まれて木棺に収められ、服や食器や食べ物が供えられていたって。死後の世界は生前の世界と似ていると信じられており、日常生活に困らないようにするためだったらしい。そういうのも見た記憶はない。

 

見た記憶がはっきりとあるのは絵ね。ガラスで保護された状態で、お墓の壁を飾る絵があったんだ。でもほとんどの絵は、出土品と共に、トルファンやウルムチの博物館にあります。

 

これは踊り子。

By Anonymous - Zhongguo gu dai shu hua jian ding zu (中国古代书画鑑定组). 1997. Zhongguo hui hua quan ji (中国绘画全集). Zhongguo mei shu fen lei quan ji. Beijing: Wen wu chu ban she. Volume 1., Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10067636

 

琴の奏者。

By Anonymous - http://fateash.tumblr.com/post/77723418974/astana-cemetery-wiki, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=52245222

 

召使い。

By Anonymous - Zhongguo gu dai shu hua jian ding zu (中国古代书画鑑定组). 1997. Zhongguo hui hua quan ji (中国绘画全集). Zhongguo mei shu fen lei quan ji. Beijing: Wen wu chu ban she. Volume 1., Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10080446

 

 

とても興味深い遺跡ですが、見ることができるものが少ないせいか、私らの他には観光客は1組しかいませんでした。係の人は入り口にいただけ。

 

物見台のようなものがあって、その上から辺りを見回しておりました。

 

 

がらんとして何もないけどね。見どころは全部地下ですから。

 

 

2019/8/15

 

ツアーに1人分だけ空席ありとのことで急遽参加させてもらいましたが、1席の空きを埋めるとは、普通のタクシーに客が4人乗る状態でありました。狭くなっちゃって申し訳ない。まあタクシー代は頭割りなので、お金の点では良かったはず…。

 

このツアーでは、火焔山、柏孜克里克(ベゼクリク)石窟、阿斯塔那(アスタナ)古墳、高昌(ガオチャン)遺跡、吐峪溝(トゥヨク)麻扎村を周りました。

 

左上の方にあるのがトルファン市街。火焔山まで42キロ、車で50分くらい。

 

最初に行ったのは火焔山。赤土の山の地肌が浸食でできた起伏のせいで炎のように見える景観で人気です。「西遊記」にも出てくるよ。孫悟空が閉じ込められていた八卦炉から脱出した際に、壊れた八卦炉の破片が地上に落ちてできたのが火焔山だって。

 

私の写真だと全く火焔には見えませんな。陽の当たり方にもよるんだよな、こういうのって。

 

確かに素晴らしい景観なんだけど、天山神秘大渓谷を見た翌日だったせいか、今一つ感慨がありませんでした。

 

施設もありまして、中に入るかどうか他の人は迷ってたけど、私は「せっかくだからちょっとだけ入ってくる」と入場しました。45元。結局、他の人も入場していました。外にいてもやることもないしね。でもこれ、外からでも見れる景色を中から見るだけって感じでしたわ。

 

入場しないと上の写真の場所には近寄れない。でもこれ、遠くから見ないと火焔に見えないしな。

 

歩くのが嫌なら馬や馬車も利用可能。

 

何なんですかねこれ…。

 

あとはわざとらしい彫刻とか。

 

 

間近に見たりドローンで上空から見たりするのかな。

 

あとは飲食店とか土産物屋とかね。45元の価値があるかというと… まあ、好みにもよるだろうけど…。ツアーの他の人たち、この実態を知っていたから渋っていたのかも。付き合わせて悪かったわ。


なおトルファン一帯は中国内陸部で最も気温の高い場所として有名で、巨大な温度計がありました。

 

皆さん記念撮影をしていたけど、日本って2年前でも40℃なんか珍しくなくなってましたしね。それにしても、何でこういちいち彫刻とか絵とかで飾り立てるんだろうねえ。

 
 
なんとなく肩透かしだった火焔山を後にして次の目的地へと向かう途中の、写真ストップ。こっちの方が好きだわ。

 

 

 

火焔山も、近くまで行ったらこういう土の抉れた奇観を楽しめたのかもしれないね。

 

2019/8/15

 

トルファン北駅について驚いたのは、駅前に建物がたくさんあること。大きなホテルやレストラン、ショッピングセンターなど。ウルムチから近いからかな。

 

たくさんのバスの発着場がありまして、私がまず目指すホステルもバスで行けます。

 

が、どこから乗るのかさっぱりわからない。まだ朝の7時過ぎですので、観光案内所(あるのか?)も、お店も開いていない。しばらく頑張ってどのバスか突き止めようとしたんだけど、諦めて、タクシーに乗りました。40元、妥当な線でした。予めホステルに連絡してバス経路を教えてもらっといたら良かったわ。

 

私が泊まったDAPユースホステルは大きな通りから横道にそれて、そこから更に細い道に入ったところ、もろ住宅街の中にあります。初めてだとわかりにくいかもしれんけど、タクシーなのですぐ近くまで行ってもらえて、迷うこともありませんでした。

 

外観はこんな風。青いところが入り口ね。

 

入ると目に入るのがこの風景よ。きっと他のお宅もそんな風なんだろうねえ。中庭があって、それを取り囲むようにして部屋が並んでいて…。

 

ホステルに到着したのは朝の8時くらい。私はシングルルームを予約しており、まだ前の客がいいたので部屋には入れず中庭で待つことにしました。ら、他の泊り客が「疲れたでしょ。ブドウを食べたらいいよ」と収穫してくれましたよ。

 

 

この写真の左の方は植物がたくさん植わっていて、そっちにも座る場所がありましたわ。写真を撮れば良かった。自分がこっち側にばかりいたもので。

 

お手洗いとシャワーは共用。掃除が行き届いていてとても清潔でした。洗面台が広いし、物干しもおいてくれているので、洗濯しやすかったよ。気温が高く乾燥しているので、軽く絞って干すだけであっという間に乾いて、思わず笑ってしまった。夏はいいね。洗濯機もあったはず。

 

受付と優しい番犬くん。

 

出立を控えたご家族の坊やが、ワンコと名残を惜しんでいました。可愛いな。

 

ホステルだから冷蔵庫もあります。キッチンはないけど、電子レンジならある。あと、近くに安い飲食店がいっぱいあってホステルお手製の食べ歩きマップが貼ってあったよ。

 

 

私の部屋はこんな風。

 

 

このように本当に素敵なのですけど、私が他の宿泊客から聞いたところによりますと、このホステルは近い将来に取り壊され、新市街の方に新しいホステルを開業することになるとか。えええええ残念過ぎる…。確かに、翌日近隣を散歩してみると、古い家々をどんどん壊していっていたんだよね。そして例によって無味乾燥なビルが建っていくんだろう…。

 

今、ホテル予約サイトをいくつか見てみたところ、この場所のホステルの登録はまだ残っているけど、営業はしていないんじゃないかと思うんだよね。何ヶ月も先の空き室を検索しても常に完売になっている。で、新しいホステルは確かに開業している。New Dap Hostel って名前で。新しい建物に、このホステルの建築パターンだけ再現したみたいなとこ。ううう、この古い方が1万倍もステキだわ。両方が営業しているならいいんだけどなあ。

 

 

さて、ホステルが主催するツアーがありました。

 

 

 

 

早朝に到着したおかげで、今日という日はまだ始まったばかり。ゆっくり市内でも散策するつもりだったけど、ツアーに参加できるなら、それもいいよね。と思いまして、スタッフに「今日参加できるツアーはありますか?」と尋ねたら、1席、空きがあると言われました。ラッキー。「何時に出発ですか」と聞きましたら、9時だって。

 

その時の時間が、9時ちょうど。

 

大慌てで顔を洗いに行きました。部屋に入ってから荷ほどきしてシャワーを浴びようと思っていて、身づくろいしていなかったのよ…。

2019/8/14

 

タクシーのドライバー氏がスマホの翻訳ソフトを使って「ホテルに戻りますか」と尋ねてくれまして、最初は「駅に行ってください」とお願いしました。が、ホテルのWi-Fiを使ってメールチェックしておく方が良いかと思い直し、ホテルに戻ってもらう。てっきりそこで解散して、駅には自分で行かなきゃいけないのかと思ったんだけど、ホテルに着いたらドライバー氏が「この後で駅に行きますか」と聞いてくれました。ありがたく待っててもらい、駅まで送ってもらったよ。駅に着いたのは夜の8時くらい。

 

駅の敷地内に入るために公安にパスポートを提示するところに並んでいた時のこと。私のすぐ前の人が手続きを始めた時、後から来た若い女性がその人の斜め後ろくらい(私の斜め前くらい)に立ったのです。で、私の前の人が手続きを終わって私の番が来た時、彼女が私の方を向いて、『ごめんなさい、お願い!』みたいな表情で手を合わせたのです。私の後ろには誰もいなかったし、こうしてきちんと断りを入れてくれるのであれば私は別に構わないので、どうぞ、と手で促す。公安の人と彼女の会話は早口で慌てた感じで、『すぐ行って!』みたいな流れになったので、急いでいたんだな。

 

どうでもいいんですが、彼女の顔は、その、人間離れした感じでした。ネットでたまに見かけるタイプっちゃー確かにそうなので、あれが可愛いとされる界隈もあるんだろうけどさあ…。目がでかすぎ、鼻が細すぎ小さすぎ…。

 

カシュガルの駅は中にも外にも売店とか見当たらなかったたけど、クチャ駅の敷地内にはファストフード屋があります。

 

昨夜買ったお菓子はまだ残っていたけど、せっかくだから晩ごはんをここで買いましょう。ナンとお肉にも心惹かれたけど、麺類が気になったので、こちらを。

 

冷やし中華的なものを期待したんだけど、甘みがない酸っぱいおつゆでした。よく考えたら昨日のおやつに似ているわ。あ、おつゆはビニール袋に入れてくれてるんだよ。持ち運ぶ時にこぼさないように。

 

しかし、お汁を麺にかける時に少しベンチにこぼしてしまいましたわ。拭き掃除しながら「やっぱりナンとお肉にすれば良かった」と後悔しました。ナンは喉が渇きそうだなと思ったんだよね…。

 

クチャ駅では写真を撮っている人たちを先に見かけたので安心して、私もたくさん撮りました。カシュガル駅でも撮れば良かったなあ。もったいないことをした。あの時はまだ撮ってもいいのかわからなくてビビってたんだよ。

 

駅舎内にはコンビニもある。何でも買える。またお菓子を買いました。

 

ここでお湯を入れてカップラーメンも作れる。残った汁を捨てるバケツもある。

 

スマホのバッテリーが切れそうな人はこちらへ。

 

常備されている車椅子と、子どもの身長を測るコーナー。身長によって運賃が違うのね?

 

なんかもう、つまんないくらいピカピカ。エアコンも効いていて快適でしたね。カシュガル駅はエアコンが効いていなかった気がする。カシュガル市の方がクチャ市より大きいんだけどな。

 

 

0時19分発の私の列車は32分遅れ。この改札の前に並びなさいと指示があったので、皆で1列に並びました。ら、隣の改札の前に一人の男性が「え、ここはダメなの?」みたいな感じで何やら戸惑い気味に立ちましてね。その人の後ろにも列ができちゃった。

 

 

そっちもいいのかな?大丈夫?と心配しながら見ていたら、やっぱりだめでした。時間になって私たちが並んでいた改札は開いたけど、そっちの改札は開けてくれなかった。そりゃそうだろう。だったら先に駅員さんが「ここはダメだよ」と言えばいいのに。でも、そっちの改札が開かないとわかったら、そっちの列の人たちはこっちの列に自然に吸収されていきましたわ。日本だったらこっちの列の後ろに並び直すんじゃ? もう、自然吸収の方が合理的でいいじゃんね。

 

 
今回は寝台です。下段で良かったわー。

 

机の下に電源もあったのでスマホの充電もできました。お向かいのベッドの男の子も充電したいようで、私はUSBの差込口が2つあるやつを持ってきていたので、一緒に充電しました。

 

 

車掌さんがチケットを預かり、代わりにこんなカードをくれました。

 

換票証とな。どのコンパートメントのどのベッドの客のチケットか、これでわかるんだね。どうして引き換えることになっているのかは、よくわかんないけど。翌朝、降りる駅が近づいたら車掌さんが静かに起こしてくれて、チケットを返してくれました。硬座の車掌さんは駅が来ると大声で駅名を怒鳴りながら歩き回って乗客全員を叩き起こしていたけど、料金の高い寝台はサービスも良いのである。

 

私、別に寝台でなく硬座でも良かったんですよ。硬座そのものはね。でも、あれは…。

 

 

 

私の上のベッドの男性は起こされてすぐに、どこかの駅で降りていきました。私ももう起きておこうと思って、早めに準備完了(着替えも洗顔もしないので起きただけだけど)。お向かいのベッドの男の子も起きちゃって、その後、スマホで音を出しながら音楽を聴いていました。あの、貴方の上のベッドの女性、まだ寝てますけど…。寝ている人がいてもスマホから平気で音を出しちゃうのは、硬座の男の子たちと変わんないのね。社会全体の規範がそうなんだろう。

 

2019/8/14

 

 

 

 

 

 

崖の迫力と言う点ではこの辺りが最高だったと思う。圧巻でしたよ。太陽が真上から差し込む時間帯にここを歩いたら素晴らしかろうな。

 

一瞬、何がどうなってるのか混乱した写真。

 

 

 

 

 

上の場所、どうしても上から下までを一枚に収めたくて、パノラマで撮ってみる。

 

結局、写真を撮る時間やぼうっと眺めている時間も入れて、2時間半くらいいたのかな。もう、ここに丸一日こもっていたかったよ。本当に美しい場所だった。また行きたいなあ。

 

 

あとはクチャに帰るだけとなりましたが、運転手さんはもう一ヶ所、写真ストップをしてくれたのだ。

 

 

 

 

 

 

もろい性質の岩なのかな。溶けてるよね。穴が開いた個所もあった。

 

 

本当に本当に私好みの風景。渓谷があるというからには好きなタイプの光景を見ることができると期待はしていたけど、期待以上でしたよ。朝から夕方まで眼福でございました。

 

ちなみに位置関係はこんな感じ。

 

他にも古い砦跡など幾つか見どころがあるから、オーダーメイドのツアーを組むなら、旅行会社の人に自分の好みを伝えて相談すると良いと思います。時間の制約などを考慮してアドバイスをくれると思う。私、最初は既成ツアーに入れなかったのを残念に思ったけど、自分の好きに時間を使える一人だけのツアーで本当に良かったと思いましたよ。私は値切らなかったんですが、金額の交渉も可能なのではないかしら。自分だけのツアーを組んだ人たちが、300元だったとか400元だったとか書いています。行き先や拘束時間にもよるから、一概には言えませんけど。

 

209/8/14

 

狭くなってくると縦長の写真が増えますね。

 
上の写真と下の写真は同じ場所を撮っているのですが、注目ポイントが違うの。上の写真は切り立つ崖と谷底の狭さに感動しているし、下の写真は道(というか、ここができた時は川だった場所か)がここで急角度で曲がっているのが面白くて。
 


これ↓、私が行った中では一番奥のところ。

 

この渓谷の一番狭いところは幅40センチだと聞きますが、もしかしてこの場所だったのかもね。ちなみに一番広いところは53メートルあるそうです。

 

 

歩いて動画を撮ってみる。動画である意味って別にないかもしれないけど。

 

 

最後の方に写り込んでる青シャツのおじさん、この人がいなくなってくれないかと、自分が行ったり来たりしながらかなり長いこと待ってみたんですけど、どいてくれませんでした。通りすがりにチラッと見たら、この人、そこでスマホをいじってたんですよね。写真のチェックとかしてたみたい。この渓谷は賑わっていたので、人の写っていない写真は基本的には諦めていたんですけど、これくらい奥まで来ると人も少なくなっていたから、なんとか人の写り込んでいない写真を…と欲が出ましてね。

 

これは、奥を曲がったところすぐに人がいるんだけど、角度や自分の立ち位置を工夫してギリギリ人が写りこまない写真を撮ったもの。

 

この細い場所の奥は岩でふさがっていて行き止まりになっちゃってました。無理やり岩をよじのぼる若い男の子もいたけど、そんなに先には進めなさそうな感じ。

 

ここまで、入り口から写真を撮りまくりながらのんびり歩いて1時間15分くらいでした。見学に使える時間によりますが、ここまでは来てほしいなあ。渓谷全体が素晴らしいけど、その中でもここが一番素晴らしかった。

 

では引き返していきましょう。ああ、岩肌の美しいことよ…。

 


 

 

往きにチェックしていた分岐の一つに、帰りに寄ってみました。分岐の入り口になんかお寺があるっぽい門みたいなのが作ってあったので、往きはもっと先へ、もっと奥へと気が向いていたので横目で通り過ぎたけど、帰る時は心の余裕もありまして。

 

なんか岩の上に仏像が。

 

お寺とかあったんだろうねえ。

 

 

彫刻も残っている。

 

てゆか、今これ書いてて重大なことに気づいたんですよ。この分岐にはこれくらいしか残ってなかったけど、この渓谷には、8世紀、唐の全盛期に作られた300を超える石窟が発見されているのだ。阿艾石窟というと知り検索してみたところ…

 

でてきた写真が、ひとつ前の記事で「ここだけ変わってる」とかのんびり書いてたここ!

 

「なんか階段があるねえ」とか書いてたけど、帰る途中で撮った写真のここから繋がってたんじゃ!?

 

展望台があるんだろうくらいに思ってて、もう夕方が迫っているからと諦めたのよ!

 

壁画が残ってるんだよーーー!!! えええええ なんで調べておかないんだ私!!!

 

 

ここ、詳しいよ。ネットの自動翻訳で大体わかります。

 

仏教的、美術的なことはもうチンプンカンプンなのですが、歴史的・文化的な背景について書かれているところを抜粋します。阿艾石窟の壁画は敦煌の莫高窟の流れをくむものであり、仏教美術の西への伝播を物語る重要な遺跡なのだそうです。キジル石窟とは逆ね。また、唐の時代の中央平原とチベットとの政治的・経済的・軍事的な結び付きを示す証拠でもあるそうな。

 

西暦658年に安西都護府なる唐の行政区画が亀茲(とトルファン)に置かれた後、この地域には大勢の僧侶や職人たちが訪れるようになったそうで、この地に唐の文化が広がることになっていったらしい。なので阿艾は典型的な漢民族の石窟で、壁画は漢民族の大乗仏教の教えを説いているんだって。

 

こんな素晴らしいものが残っているなら見たかったよ!! 2年も経ってから知るなんて間抜けすぎだろ! ああ、今更ながら心残りすぎるよー!!

 

 

ああ、それでかな。渓谷で一ヶ所だけカフェがあったの、この階段の近くだったと思う。お手洗いもあった。多くの人は、ここまで来て壁画を見て休憩して引き返すのでは!? もおおおお 何で知らなかったんだ私は!?

 

てゆかね、私、ウイグル旅行の準備ってほとんどしていなかったんですよ。何があるのかよく知らないまま来てしまった。古い街並みを見てウイグルの人の暮らしぶりがわかればそれでいいくらいに思っていた。こんな渓谷があることすら知らなかったもの。元が行き当たりばったりタイプの旅行者だからってのもあるけど。それはそれで楽しいけど、知らないとこういう目に遭うよ! バカ! 私のバカー!

2019/8/14

 

さて、再び絶景を拝みながら、今度は天山神秘大渓谷に向かいます。名前がすごいな。

 

窓越しに撮っているから青っぽい写真に。

 

 

写真ストップしてくれたところ。クチャ川だよね。期せずして電車が写り込んでいたわ。

 

この辺りもいっぱい写真を撮っているんだけど、切りがないのでね。本当に私好みのゴツゴツした岩山が続きます。道路を通すの大変だったろうな。

 

渓谷の駐車場は、キジル石窟よりもずっと車が多くて混んでいた。人の数も全然違ったよ。

 

ここでも、いつまでに戻って来いとか何も言われず送り出されました。これまでの旅先では、1日チャーターしたって「1日とは3時までのことだ、もう帰らないといけない」と言い張るドライバーに「文句があるならここで放り出す」と脅されたり(インドです。その帰り道に土産物屋に連れていかれブチキレて車から降りるの断固拒否した)、他の国でも、どこそこまで行って○ドルと約束したら「もう見るべきところは全部見たから帰るぞ」と急かされたり(私が決めることだろ!)、「もっと時間をかけるなら別料金」と言われたり(金で解決できるならそれでも良いわ)、色々ありましたが、この日のドライバーはホンットに何も言わず好きにさせてくれましたねえ。

 

ウイグルの言葉ではキジリヤ。赤い崖と言う意味だって。

 

この渓谷は全長で5000メートルあるそうです。崩落なんかもあるので、整備されている途中までしか行けないらしい。メインの谷の他、そこから分岐する小さな谷が7つあるそうな。

 

 

急流や風雨、そして洪水による浸食により大体1億年くらいかけて出来上がったものだって。地層好きにはたまらんものがあるのではないでしょうか。

 

 
渓谷好きの私といたしましては、ウイグル旅行でどこが一番良かったかと聞かれたら、迷わずここを選びます。
 
 
ここも入り口から奥までずっと監視カメラだらけでした。
 
場所によっては水が流れていて、足を浸して休む人もいたよ。小さな橋をかけてあるところもあった。
 
 
 
 
水が出た時に非難する場所も何ヶ所か。安全島って言うのか。雨は春と夏に多く降るそうです。北側にそびえる天山山脈の山頂には万年雪と氷河があり、水源はそこなんだって。気温が上がって溶け出した水が流れてくるんだろう。治水工事も進められていて、水害を防ぐと共に、周りに農業用水を提供したり、森林育成を促進したりしているそうな。
 
 
 
ここら辺は地面がぬかるんでいたし、植物も生えている。崖ばかり見ているとカラカラに干上がってるように思っちゃうけど、大雨が降ったらここは激流になるんだろう。
 
 
正面のとこ、なんか周りとちょっと違う感じだね。それに、撮ってる時は気づかなかったけど、少し下の方に展望台か何かがあるみたいだね。階段で上って行けたんだろう。
 
 
同じような写真ばかりが続きますが、これでも厳選してるんですよ! 本当に素晴らしい。一足ごとに景色が変わるので、撮り続けてしまうよ。