旅中毒

旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!


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胃を壊してからノンアルコールカクテルに思いを致すことが増えました。
 
前々から、お酒を飲めない際の良い選択肢だとは思っていたんですよ。私、食事の際に飲むものとしては、オレンジジュースやらジンジャーエールやら冷たいウーロン茶って、ダメじゃないけど今イチ好きじゃないんですよね。それならお水の方が良いです(氷抜きで)。サンドイッチならオレンジジュースでもいいし、ピザならジンジャーエールやコーラで良いのですが。
 
お酒に凝っているお店ってやはり、「飲み物」 にこだわっているのでしょう。『アルコールさえ入っていなければ何でもいい』とはせず、食事に合うノンアルコールカクテルを用意してくれているお店も多い。美味しいし、気分も華やぐわ。
 
夏に自宅でよく飲んでいたのはライムソーダ。春からダイエットしていたので、お酒を控えておりまして。箱買いしたペットボトルの無糖炭酸水に、見切り品で50円になったライムを絞っては飲んでおりました。ビールが飲めなくてもこれで充分満足でしたよ。炭酸でスッキリするし、香りが良くて。私はビールが好きなのではなく炭酸が好きだったのではと思ったくらい。
 
ライムは、自宅の庭で育てたいと思うくらい好き。園芸はあまりにも大変そうなのでやらないけど。…けど、ライムとラズベリーを育てられたらなあ…。ミントとバジルは簡単らしいけど…。あとディルとローズマリーも欲しいかも。
 
ところで、「日当たりが良くて直射日光が当たらない」って、一瞬混乱しましたよ。
他のサイトに『日当たりのよい場所の半日陰』と書いてあって意味がわかりましたが。
 

話はそれますが、この秋にハーゲンダッツから期間限定で出ていたメルティーバー 『リッチショコラ ~ベリーソースとともに~』、めっちゃ美味しかったですね。

 
定期的にまとめ買いして楽しんでおりましたが、終わっちゃった。ダイエット中でも他のものを減らしてこれを食べる余裕を作っていたくらい好きでした。定番にしてもらえんものか。サーティーワンも期間限定でラズベリーとチョコレートのアイスクリームを出してくれますが、どうも定番にはならんのな。でも、ラズベリーを自宅で育てられたら、チョコレートアイスクリームさえ買ってくれば自分で好きに加工できるのだ。(前に親がラズベリーに挑戦してくれたことがありますが、枯れました)
 
話を戻しまして。
 
復活できたら、イタリアでせめて寝る前に1杯くらいワインを楽しめたらいいなと思っています。でも体が言うことを聞かないのであれば、無理せずノンアルコールカクテルで通します。アルコールを避けることで不安を抱えずに済むなら、その方がいい。あるいはワインカクテルでアルコール成分を減らすことも考えられる。
 
歯の治療も年内には終わりませんし(長引きそうです…)、これほど体調不良のまま外国に行くのは初めての事ですわ。
 

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ワインを飲んで胃の痛みに朝まで眠れなかった、あれはもう2ヶ月も前のこと。

 

その後、胃潰瘍の診断が下り、投薬治療を続け、その後ピロリ菌除去のために服薬。約2ヶ月の間、お酒を飲めませんでした。というか、飲みたくもならなかった。たまに、「あ、これを食べる時ってビールが美味しいんだよね」と、 “飲めたらいいのになあ” みたいな気持ちになることはあったけど。私は本当にお酒が好きだったんだろうかとすら思いましたよ。お酒を飲むことを楽しんでいただけで、お酒そのものは本当は大して好きではなかったのでは、と。

 

さて、ピロリ菌除去の服薬期間も終わり、お酒を飲んでもいいことになり… でも飲まない。別に飲みたくないし。だけどイタリア旅行が迫っているし、そろそろリハビリしておかんとなあ、と思いまして、とりあえず夕食に合せて缶ビールを開けてみました。…3分の1でごちそうさま。

 

この時はねえ、怖くなったんですよ。いえ、ビールを飲んでまた胃が痛くなったわけじゃない。でも何か、違和感のようなものを感じる。気のせいかもしれない。でも、またあんな痛みに襲われたら? また胃を傷めて、イタリアで食事すら思うに任せなくなったら? 不安で、その精神状態のせいか、それ以上のアルコールを受け付けなくなった。

 

でも先日、音楽会の帰りに食事すべくフレンチのお店に寄って、久しぶりにグラスワインを注文。1杯目は飲み切りました。ゆっくり、ゆっくり時間をかけて、ワインを一口飲むごとにお水も飲んでね。辛口の白ワインはとても美味しくて、やっぱり私はワインが好きだ、お酒が好きだったんだと思いました。が、赤も欲しいと注文した2杯目は半分ほどで飲めなくなりました。

 

そしてその翌日。特に飲む予定もなかったけど、『もし飲みの予定が入っていたらソフトドリンクを頼むしかなかっただろうな』という感じでして。ああ、お酒が好きでも毎日は飲まない人の方が多いと言うのはこういうことかと思いました。『飲めば美味しいし、飲むのも好きだけど、毎日なんて飲めない』って、体がこういう風になるんじゃないのかな。別に二日酔いでもなんでもない、だけどお酒を体に入れたくない。こういうことなのかな。ホントのトコ、どうなんですかね、他の方々って。

 

胃がこんなことになる前にワインショップで購入してあったワイン2本、治ったら自分で飲むつもりだったけど、姉に「次にうちに来た時に持って帰っていいよ。それかお正月に皆で飲んじゃって」と連絡。昔、元気いっぱいだった頃は、調子が良ければ辛口すっきり白ワインなら一人で1日で1本空けた。もっと濃厚なワインだと3日くらい。酒量が落ちてからでも、4日か5日あれば空いていた。でも今のこの状態では開栓してから1ヶ月かかるよ。以前に比べたら飲めない人も同然だ…。

 

でも… でも… 治ってもらわないと困るんだ! もうすぐイタリアに行くんだよー! 美酒と美食の国! 各種おつまみでゆっくりワインを飲むアペリティーボ、私がどんなに楽しみにしていたか! 待って、「していた」って、自然に過去形で書いちゃったわ! 楽しみにして い  のよ!

 

まあ、いざとなればノンアルコールカクテルでも充分楽しめそうですが。

 

お酒が得意じゃなくてもアペリティーボ

ノンアルコールでもおいしいアペリティーボ

イタリアのノンアルコールカクテル

 
古城と湖の町、イタリア ブラッチャーノ通信 のyuminaさんの日々のブログを見ていると、大体どうすれば今の自分が満足できるか、予想が立てられる…。

 

あとはねえ、もっと若い頃に行けば良かったと思う。この15年ほどずっとそう思っているけど、今、改めて! そう思う! 昔ほど食べられなくなった上に、今、胃が小さくなっているからさあ。

 

 

先日の音楽界の帰りの食事だって、前菜6種(写真は2人分)、チーズを一口ずつ3種に一口サイズの極薄バゲット3枚、ガーリックトースト(サンドイッチ用食パン0.5枚くらい)。これでもうお腹いっぱい。

 

アペリティーボって、前菜をつまみながら飲むことらしいので、つまり食事の前に食べるわけですが、夏ごろは「アペリティーボしたらもう食事なんて入らないよなあ」。今は「あれこれ食べたいけど、アペリティーボで頼むもの、食べ切れないかもなあ」。

 

無理にお酒を飲んで食欲に影響するくらいなら、最初からノンアルコールカクテルにして食べる方に専念すべきか…。悩みどころです。


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2018/2/25

 

いよいよ時間が押してまいりました。心配性なので、萩から新山口へ戻るバスは終バスから一本前のやつに乗る予定にしていたのですが、時間が足りないので終バスに変更。せっかく萩まで来ているんだもの、萩で時間を使わなきゃ!

 

で、目指すは東光寺なのですが、途中に玉木文之進の家もあるので寄っておきました。吉田松陰の叔父さんで、松下村塾を始めた人ね。

 

郊外にポツンとある小さな家… と記憶していましたが、これが小さく見えたんだなと今写真を見ながら感心しているところです。直前に見た伊藤博文の別邸がすごすぎたのか。ここで松下村塾を開いていたんだから、そんなに小さな家のわけがなかったよね。

 

そして東光寺へ。バスの時間がどうこう言うより、東光寺の拝観時間終了が迫っている。早歩きで向かいました。お寺に至る道には人もあまりおらず、もう一日が終りかけているんだなとしみじみ。

 

時間が遅すぎたのか、入り口に人がいませんでしたよ。拝観料を入れる箱だけあったので、そこにお金を投入して中に入りました。

 

1691年に3代目藩主が建てた、大照院とならぶ毛利家の菩提寺で、奇数の代の藩主と令室が葬られているとか。何すかそれ、奇数と偶数で分けてるの? そういうのってよくあるの?

 

何じゃこれはとびっくりしたのがこれ。魚板とか魚鼓とか言うものなんだって。これが後に木魚となったのだとか。宇治の萬福寺にも同じようなものがあるらしい。どちらも黄檗宗です。

 

口には煩悩をくわえております。お腹をポクポク叩くことで煩悩を吐き出させるんだって。

 

大雄宝殿(いわゆる本殿)。……の横。

 

大雄宝殿と庫裏を繋ぐ通路。

 

釈迦如来、脇士迦葉尊者、阿難尊者が祀られている。

 

大雄宝殿の表側。……ここら辺でやっと、自分が正面から入ってこなかったことに気付く。

 

500を超える石灯籠が並ぶ毛利家の墓所とか、見たかったんだけどね、もう時間がなくてね。ダーッと境内を通り抜けるだけで終わってしまった感じ。松陰神社より先にこっちに来たら良かった~。こっちの方がずっと興味深いよ…。

 

鐘楼? もう近づいてじっくり見る時間すらない。

 

駆け抜けるよ三門。

 

でも振り返るよ三門。

 

ここでついに、別の人を見ました。まだ他に人がいた、と安心したんですが、その人は私を見て「あら?」みたいな顔をして、その後はちょっと離れたところで私の様子をうかがっている様子…。もしかして…と思っていたら、はい、職員の方でした。私が総門に近づいていったらニッコリ笑って「ありがとうございました」と言ってくれて、私を送り出した後、総門を閉めていました…。

 

たぶん彼女は総門で受付をしていたんじゃないかしら。で、もう入っていった客はいないはずだったのに、裏から入った私が現れた、と。

 

ここから入るはずだったんだよね。なのに私は、この総門に行きつく前に道を曲がって、庫裡の裏から入ってきたのだ。だって、グーグルマップのピンがそっちに立ったんですものー!

 

さて、後は帰るだけ。来た時は終点の東萩駅まで行ったけど、今回は町中にあるバスセンターから乗り込みます。

 

バスセンターの前にあった渋い酒屋さん。開いていればここでお酒を買ったのに。

 

さて、せっかくだから萩で晩ご飯を食べて帰ろう。てゆか、お昼も食べてない、忙しくて。てことで、周りのお店はと見渡してみる。どうせならお寿司とか、こう、お魚を堪能できるお店がいい。そして、バスの時間が気になるので、バスセンターから近い店がいい。と思ったら、その時間に営業していて良さげなお店がないんですよねえ。結局、バスセンターの前にある旅館のレストランに入ってしまった。おまけにお寿司どころか洋食のお得セットを頼んでしまった。だって老舗のフレンチレストランらしかったので。(後で調べたら創業140年だった。旅館の見学ツアーがあるほどらしい、知らんかった)

 

 

 

いやあ、このお店は当たりでしたね。美味しかった。それに、お値段にそぐわないほど丁寧なお給仕をしてくれました。バスの時間もあらかじめ伝えてあったので、コーヒーも、食べ終わる前に出しましょうかと気遣ってくれまして。猫舌なのでありがたい。

 

そしてバスセンターでササッとお土産を買いこみ、萩の旅は終わりました。

 

最後に、面白かったこと(面白がっている場合ではないのですが)。

 

今回私、新神戸駅から新幹線に乗って新山口まで行って、そこから萩に直行するバスを使ったのです。帰りも同じルート。で、新神戸駅から三宮まで地下鉄に乗ろうと改札にICカードをかざしたところ、ピンポンピンポンとチャイムが鳴るではありませんか。何事かと思ったら、出発日に改札を通る時に急ぎ過ぎたのか、改札を出た記録がついていなかったんですよ。

 

駅員さんに「前はどこまで乗りましたか」と聞かれ、「一昨日、三宮からこの駅まで… ここから新幹線に乗ったので…」と呆然と答える私。駅員さんは、私がぶら下げていた「萩」の大きな文字が入ったお土産の袋をチラッと見て、「…結構です。どうぞ通ってください」。今後はちゃんと気を付けて通ります、ホントに…。すみません。

 

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2018/2/25

 

さて、残り時間を計算しながら動く必要を感じ始めております。そういうことも考えて、どうしても時間がなければ省いてもいいと思えるものを後に持って来てありました。失礼ながら、その一つが松陰神社です。

 
私、明治維新は歴史の一部としての興味はあるけど、特別な関心はないんですよね…。どっちかと言えば負けた側に目が向くし。正直な話、萩に来るまで、萩の観光がこんなに明治維新を推してくると思っていなかったくらい。歴史を見ればそりゃそうなるだろうって感じではありますが、2018年はちょうど明治維新150周年だってこともあったのかもしれない。
 
かの有名な松下村塾。これは幕末期の塾舎だって。
 
松下村塾は1842年に吉田松陰の叔父の玉木文之進が始めたもの。松陰など何人か塾頭が交代している。明治以降は玉木文之進の自宅が塾として使われていたそうです。最後の塾頭は松陰の兄である杉民治で、1892年(明治25年)まで続きました。
 
てゆか、この建物は移築なの? 松陰神社は、杉民治が邸内に松陰の遺品や書簡を神体として収めた祠を建てたのが始まりだそうですが、この塾はその邸内にあったの?

 

横から見たところ。元は八畳の施設でしたが、塾生が増えたので十畳半を増築したって。

 
萩と言えば明倫館も有名だけど、一定の身分以上の士族しか入門を許されなかった。翻って松下村塾は町人や農民も受け入れ、約50名が学んだそうな。

 

こっちがオリジナルの八畳ね。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋など、有名な塾生たちの写真が飾ってあった。

 

んで、神社の社殿。

 

神社の後には、すぐ近くにある伊藤博文の別邸へ。東京にあったものを移築したそうです。

 

現在の品川区に建てられた、左右に書院と洋館、更に離れ座敷や蔵などを配した広大なお屋敷のうち、ここに一部の玄関と大広間と離れ座敷を移築しているとのこと。

 

いや、このスケール、さすが伊藤博文のお住まいっすわ!

 

 

廊下が広いこと。畳も敷いてくれてるし、ここを細い部屋として暮らせそう。

 

2階も広いので、旅館みたいに両側に階段が延びている。

 

 

旅館として使えそうなくらいね。名門の血筋の内閣総理大臣の私邸ともなれば広大なのも当然だけど、こういうの見ていつも思う、ホントに持っている部屋数をちゃんと使っていたんだろうか…?

 

窓の内側に手すりを付けてるのか。掃除がしにくそうだな。

 

ステキな建物なのに、今ひとつ盛り上がれなくて、さらっと見て終ってしまいました。何がどう違うのかわからんのですが、気持ちが入り込む建物と、そうでない建物があるんだ。ここは典型的に後者に当てはまる。こういうの、ホント何故なんだろうね。もしかしたら建物には関係がなくて、「もう時間がない」と焦り始めていたからかも。
 
てゆか、この別宅(東京にある、本宅とは別の家)に、旧宅(萩にいた当時に住んでいた家)が隣接しているのに、そっちに入った記憶も記録もない。なぜだ。写真を見る限りそっちの方が好みなのに。時間がないと思って入らなかったと言う記憶もないので、別宅と旧宅があることを理解していなかったとか?
 

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2018/2/25

 

タクシーで一気に到着したのは藍場川。 元は細い農業用水路でしたが、18世紀半ば、 6代藩主毛利宗広が拡張して船も通れる運河にしました。

 

参勤交代の途中で立ち寄った岡山城下の水路を参考にしたんだって。全長2.6キロメートル。農業用水としてはもちろん、防火用水、物資運搬、水害時の水はけとして大いに活用されました。

 

今は鯉が放流されておりまして、観光客の多い時期だと鯉の餌が売られていたりするらしい。

 

 

この川の最上流にあるお屋敷が旧湯川邸。築年は明確じゃないけど、恐らく明治よりも前とのこと。

 

これ、川に何か沈めておく時のための屋根…?

 
藍場川沿いのお屋敷の何が素敵って、このハトバですよ。川沿いに階段を作って、水に近づけるようにしたところ。この湯川邸も、入ってすぐのところに炊事のためのハトバがある。台所は別の建物にありますが、水を使う仕事はここでやっていたらしい。井戸端みたいなもんね。

 

お庭から見た主屋。座敷や茶室があって、結構大きいんだよ。

 

 

お庭には、藍場川から引き入れた水で川が作ってある。

 

右の写真の奥にある建物に、台所やお風呂があります。

 

 

お風呂、ちょっと冬が寒そうだけど、下が石になっていて、水が流れ落ちるようになっている。右の写真がお風呂場のハトバね。

 

 

奥に見えている建物は何か、休憩所的な場所らしい。写真の右から、藍場川の水が引き入れられて…

 

…この手前の方に流れてきて、炊事のハトバに流れていき、また藍場川に戻るの。

 

この休憩所っぽい場所って、東屋みたいなものかしら。


 

そして次に、すぐご近所の桂太郎氏の旧宅へ。ちなみに、湯川邸の裏からでも行けるらしい。

 

お庭にはやはり水が引き入れられています。奥の方にハトバがある。

 

このように。

 

明治政府の重鎮だった桂氏が少年時代を過ごした地に、彼の晩年に建てられた家なのだ。スタッフの人によると「ここで生活していたわけじゃないのでお手洗いがない」そうです。台所はあるのに? ある意味、台所よりも切実に、お手洗いって必要じゃない?

 

余談ですが、各お屋敷の受付でスタッフの人に、どこから来たのか記入をと求められます。で、兵庫と書くと、「まあ、遠いところから」って。いや、関西地方と中国地方なんて隣ですやん…。で、このスタッフの人の親戚が兵庫県に住んでいて、去年行ってきたところだと。でね、その親戚の人が住んでいるのが、なんと私の隣町! いやあ、世間って狭いねえ。

 

お庭はやはり流水池泉庭園で、懸石と言う萩地方独特の石組が特徴と書いてありますが、どこら辺が独特なのか素養がないので全然わかりませんでした。

 

私にわかるのは、とにかく素敵なお庭だということだけだ。

 

桂氏は現在の拓殖大学に当たる台湾協会学校を創立した人です。創立100周年に拓殖大学から贈られた像がこれ。今でも年に一度、拓殖大学から学生さんの代表が何人か来て、この像の前で校歌を歌っていくとスタッフの人が言ってました。

 

観光の中心からは少し離れているからか、人が全然いなかったけど、藍場川は素晴らしいわ。次に来たら、レンタサイクルで市内をゆっくり回りたい。そしてこの藍場川沿いの道と、この2つのお屋敷で、たっぷり時間を取って遊びたい。水路のある街やお庭が好きな人にはホントお薦めよ。

 


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2018/2/25


口羽家からも近い、次の邸宅に向かう。

 

これは、この地区の名物である鍵曲(かいまがり)。高い土塀で囲んだ道が鍵の手(直角)に曲がっている。お城の中と同じで、直進できないようにしてあるんだ。前記事にも書いたようにここは重臣たちが住むようになったので、防衛システムが構築されたのだ。


そして、ここ、旧田中家別邸。第26代内閣総理大臣、田中義一氏の別邸です。萩の旧い邸宅でどれか一つを薦めるなら、私は断然ここを選ぶわ!

 

丸ごと残っているし、中心から少し離れているからか敷地が広いだけに、屋敷が大きく、見応えがある。

 

元々ここは、明治に小幡高政と言う人が住んでいたのだ。小幡氏は、萩藩の要職を歴任し、維新後も 小倉県権令 等を務めたような人なんですが、お母さんが病気になったのでいわゆる介護離職をして萩に戻り、ここに家を建てたんだって。大正になってから田中さんがここを買い取って増改築を行ったとのこと。って、まるでお城の歴史を書いているようだ。

 

部屋もいいんだけど、とにかく廊下が素敵でしたね。



 

 

上の右の写真の丸い窓を内側から。洒落てるよねえ。

 

部屋と部屋の間の仕切りにも窓的なものが…。開くわけではないので、窓とは言わないかな? 灯りを共有するためなのか、あるいは単に飾りなのか。

 

この床の間も洒落ているよね。

 

ここは2階にも上がれます。この2階がまた素敵なのよ。

 

 

ここは寝室として使われていたとのことですけど、寝るだけではもったいないでしょ! ここを居間として一番長く使う部屋にしたいくらいだ。見晴らしも良いし。

 

こういう隅のところに興味が向く…。構造を知りたいのだ。

 

海と反対側の方を見る。

 

そっちからはお庭が見えるんだ。木にオレンジ色のものが見えますね。これは夏みかんなの。夏みかんの原木はお隣の長門市にあったらしい。萩には江戸中期にもたらされたんだって。


萩は長い間、萩藩の中心でしたけど、明治維新直前に藩主が山口に移ったので武士たちがごっそりいなくなり、町の経済は大打撃を受けた。更には明治政府の発令した秩禄処分により、萩に残されていた士族たちは生活が立ち行かなくなるほど困窮した。小幡氏が萩に戻ったのはそんな時でした。

 

小幡氏は萩の苦境を見かねて夏みかん栽培の振興を思いつき、 士族による授産結社「耐久社」を結成。1万本の苗木を育てて配布し、廃墟と化していた武家屋敷の土地を利用して栽培するよう奨励しました。その後、夏みかん栽培は萩を支える大きな産業となり、明治22年にはなんと夏みかんの収益が藩の財政を上回るまでになったそうだ。

 

今の時代はもっと甘い柑橘類が好まれるので、夏みかんの生産量は落ちている… と、前日に浜崎地区でお邪魔した田中邸の奥様がおっしゃっていましたが。なんか残念ね。最近、本当に酸っぱいのが流行らないよね。ポンジュースも、飲んだ後に耳の下にグッとくるようなあの酸味が私は好きだったのに、今は他あの甘いオレンジジュースみたいだ。

 

お風呂とお手洗い。

 

 

お手洗いの中でさえこんなに優雅だ。

 

こちらはお庭です。広いわー。このお隣には、夏みかんをはじめ10種類ほどの柑橘類約400本が並ぶ「かんきつ公園」がある。毎年5月には「萩・夏みかん祭り」が開かれ、このお庭も会場になります。

 

井戸まで優雅にデコってある…。

 

ここから海に出れたんだね。今は塀の外にプロムナードがあるけど、昔は水路が繋がっていたんだろう。

 

大きなお屋敷なので、当然敷地内にも神社がある。

 

最初は次の目的地までのんびり歩くつもりだったけど、目的地でゆっくりと時間を取りたいので、タクシーを使うことにしました。と言う話をしていたら、スタッフのお姉さんがタクシーを呼んでくれましたわ。

 


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2018/2/25

 
では武家屋敷の中心地からちょっと南下します。平安古(ひやこ)地区に行くのだ。萩城の三の丸を囲む外堀の南にある。藩の重臣の多くは三の丸、お堀の内側に屋敷を構えていましたが、周辺の開墾が進むにつれ、平安古に住むお侍さんたちも増えていったんだって。
 
この平安橋も貴重な歴史遺産。三の丸にあった3つの総門の一つ、平安古総門の外堀に架けられた石橋で、お城から城下町へ通じる道路でした。他の橋は現存しない。
 
永代家老に次ぐ家柄の名門、口羽家の住宅。萩に残る上級武士のお屋敷の中でも特に古いんだって。
 

門のところに門番所があるのだ。 ここまで立派だとお城みたい。

 

そして中間部屋とか厩とかが続きます。門と主屋が残ってるのは珍しいんだって。

 

上の写真の建物の前には立派な井戸。

 

お玄関。

 

上の写真の右側のお玄関を入ったところ。この木の扉は古くて貴重なものだって。絵が残っているの。

 

このおうちは、ご当主のご一家が敷地内の塀で隔てた区画にお住まいです。もとはそっちまでドドンと繋がる広大なお屋敷だったんだけど、歴史的な建物は現代人が暮らすにはあまりに不便なので、一部を取り壊し現代的な家屋に建て替えてご当主ご家族がお暮らしだそうです。……もったいないとは思いますが、まあ、住んでいる人にしてみたらそりゃあ、ねえ…。たぶん今はもうそういう建て替えはできないんだと思いますよ。文化財に指定されちゃったら補修を除き手を加えられないらしいので。

 

で、ご家族が暮らす区画とは別に残してくださった部分を、今、こうして公開してくださっている。「萩の旧い雛たち」にも参加している。真ん中辺にぶら下がっているのは紙細工の手毬を繋げたみたいな飾り。

 

てゆか、上の写真の手前の部屋と奥の部屋との間にあるここは何!?

 

何かと言いますと、『相の間』だそうです。畳2畳。主人を警護する家来が控えていた部屋らしい。板の間でも良さそうなもんなのに畳敷きにしてあるのは、音がしないようにだって。

 

部屋をぐるりと廊下が囲んでいる。これは敵の襲来があった時に庭に逃げやすくするためらしい。

 

 

この写真、もうちょっと右側まで写せば良かったのに。そしたら、お玄関の方に繋がる出入り口が写せたのに。どうしてこう写真が下手なんだろうな。出入り口と言っても、部屋と部屋の間の仕切りに木の扉が付いていると言うか。

 

んで、こちらがお台所ね。主屋だけの炊事場としては広い気がする。

 

この地区の邸宅の素敵なところは、海に面していることじゃないかしら。庭から海に出ることができたの。

 

敵に襲われた時にも、部屋から庭に飛び出してそのまま海上に逃れられるのだ。

 

あっちはご当主の居住区なので入れないけど、まあ、あんな感じに階段が付いていて、船に乗り込めたのでしょう。

 

このお屋敷は気に入りました。楽しいぞ。いろいろ教えてくれたスタッフの人が、最後に「良かったらどうぞ」とミカンをくれたよ。

 

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2018/2/25

 

このお宅はどこだったかしら…? 昔はこんなのメモが無くても思い出せたのに、今では10ヶ月も経つと何もかもが記憶の沼に沈んでしまう。

 

 

ここは旧野田家住宅。住民がいるので内部は見学できません。

 

そしてこちらが青木周弼旧宅。幕末の医師で、毛利敬親に召し抱えられ萩藩の藩医を務めた人。

 

長崎でシーボルトに師事した、当時日本屈指の蘭学医でもある。さらに、西洋医学だけでなく、西洋兵学を修めたそうです。マルチな才能を持った人だったのね。

 

昔の方が、こういう多方面に才能を発揮する人が多かった気がする。高等教育を受ける機会を持つ人が少なかったせいで、そういう人にはむしろ多分野に手を伸ばす余裕が与えられていたのかしら。あるいは、最近の教育や仕事の専門性が高くなっているからなのかな。

 

この家でたくさんの学生を教えていたそうで、教室として使うためか、大きな広間があった。

 

縁側とか戸袋とか好きなんだよな私…。戸袋はともかく、縁側のある家って減ったよね。

 

数軒挟んで、木戸孝允旧宅があります。この家の造りは面白かった。

 

元の名前の桂小五郎の方が馴染みがある気がする。生まれてから江戸に出るまでの20年くらいを過ごした家。彼のプチ博物館みたいな状態でもある。ここが生まれた部屋だって。

 

2階もあるし、1階も広いんだよ。

 

これは表とは別の玄関だったかな。こういうトコ好きだ。ここからこういうお客が来て、こっちの部屋に通して…とか想像するのが楽しいんだよね。

 

仏間とかいろいろあったけど、メモ取ってないので何が何だかになってしまった…。撮影した自分は見直しても面白いけど、ブログに乗せるには、説明もなくただ部屋の写真を連続アップしたって「だから何」状態だもんね。

 

庭には降りられません。こっちの縁側も好き。

 

私は別にお手洗いネタが好きってわけではないのですが、こういう部分がどのような仕組みになっていたかにはとても興味がある。右の写真が、汲み取り口かな?

  

 

前に会津で見た、復元された家老の家では、お手洗いの下は砂を敷いた大きな箱になっていたっけな。掃除する時は、その箱を引き出すようになっていた。こういう機能を知るのが楽しいんだよね。お風呂でも、風呂場に焚きつけの機能があったのか、よそで沸かしたお湯を運んでくるタイプだったのか(この場合はお風呂と台所が近かったりする)、排水はどうなっていたか、そういうのが知りたい。

 


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2018/2/25

 

さて、最後の日は武家屋敷方面を楽しみに参ります。荷物は宿に預けておくこともできたと思うけど、その日に動くルートが今一つ読めず、バスに乗る前に宿に戻るのが面倒くさいかもと思いまして、持ち歩くことにしました。小型のバックパックなので、背負ったまま歩いても対してつらくはない。

 

さて、こちらは萩城の復元された北の総門。

 

門があるだけで特に見るものはないのですが、この門の前にある普通の民家、門から中が見えたのですけど、式台みたいで、さすがだなあと思ってしまった。

 

総門の近くには、武家屋敷の中の町人地区ってのがあります。その代表格、お醤油屋さんだった菊屋家さん。通りに面した大きな門(詰所まである)から入ったら、こんな風に第2の門があるのだ。

 

菊屋家のご先祖は摂津の武士だったそうです。中世に萩に移ってから刀を捨てて町人になったんだって。その後は町人たちのまとめ役となり、敵に攻められた時などは町衆を率いて籠城と防戦に参加する等、元お侍の家系らしい活躍ぶり。1604年にこの土地を与えられて家を建てたそうです。 御上使の本陣 としても使用されていたんだって。

 

玄関は別の所にあるんですが、御上使は上の写真の門からお庭に直接入ったらしい。

 

真ん中から少し左寄りに、大きな平べったい石がある。御上使の駕籠を置く場所だって。

 

お庭が面している立派な部屋。ここが偉い人が使う部屋だったのね。

 

縁台の上に縁台が乗っているかのようなこれが何かと言いますと、檜の廊下を隠すためのものだったそうです。当時は町人が檜を廊下に使うことは禁じられていたから。しょうもない規則だな。お城の真ん前で規則を破っていたのがご立派。

 

萩でも特に古いお雛様。これは確かお武家様の家に伝わっていたものだった。

 

お姫様だけアップで。

 

こちらは菊屋家が作らせたもの。萩でも随一の豪商が特注した品だけあり、萩で私が見た中で一番豪華だった。御殿の細部も素晴らしいよ。ガラスに背後の蛍光灯が写るのが悔しい。

 

見てこれ…!

 

あと面白かったのが電話ボックス! その向こうはお店の部分ね。

 

ここの電話番号は五番だそうです。

 

代々大年寄格に任命されて藩の御用達を務めていたというだけあり、とにかく敷地が広い…! 写真も撮りまくりましたが、キリがないので特に好きな場所を1枚。お台所の外にあった井戸と流しです。水が好きなのは昔からで、こういう生活の場の水路のシステムにも妙に惹かれます。流しの排水溝とその下で排水を受ける水路、見ていて飽きないの…。

 

菊屋さんの次は、お向かいの旧久保田家住宅に入りました。ここで城下町にある文化財の建物の共通チケットを購入萩市文化財施設1日券。9か所を周れてなんと310円と言う驚きの安さ! 大体さー、菊屋家は600円するけど、この共通チケットで入れる建物って、一ヶ所100円なんだよ! 100円て! そして900円が310円にディスカウントて!

 
さて、ここは久保田家のお台所。…とにかく私は生活臭がする場所が好きらしい。

 

久保田家の初代が江戸から萩に移ったのも江戸後期とのことですから、菊屋に比べたら新参者なのかな。ですので、このおうちも江戸後期のもの。初代は呉服商を開き、2代目から酒造業に転じたそうな。明治30年代まで営業していたって。ここも明治時代には本陣として使用されていたそうです。

 

 

 

あと、お庭が気に入った私。ポンプもあるし…。

 

なんでこんなに右に寄って撮っているかというと、…忘れたけど、とにかく撮るのに苦労した記憶があるので、右側に何か置いてあったのかもしれない。

 

これ、久保田家にあったんだと思うけど、段々記憶が定かでなくなってきた。昭和中期のお雛様。新しいし、大して貴重でもないと思うかもしれませんが…、

 

見てこれ! 左から、冷蔵庫、テレビ、ミシン、鏡台、ベッドだって!!

 

テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器と言われた時代のものかしら。長持や火鉢と同様、最新の高価な家具を模して飾ったんだねえ。これも正しいお雛様のあり方だな。


 


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2018/2/24

 

さて、本土に戻って来まして、昨日は入らなかった浜崎町の古いお宅の一つに伺う。田中家。「旧田中家」ではないのですよ。今も普通にお住まいです。そういうお宅は大体、外から眺めるだけなんですけど、ここは特別。

 

「萩の旧い雛たち」で入ることができる他のお宅はすべて萩市の所有で、普段から公開されている。でもここは住宅なので、もちろん普段は入れない。ただ、昨年このお宅は家屋を修復したんですって。その際、萩市の文化財でもあるからと補助金が出たそうで、お礼がてら今年は「萩の旧い雛たち」での見学を受け入れることにしたんだって。

 

てことで、ここでは市のスタッフではなく奥様が迎えてくださるのだった。ひええ。奥様のお話「この雛人形はわたくしのではありませんのよ。わたくし、長女ではありませんので」。

……雛人形って、長女だけに作るものなの? 私、女の子がいる家が一家に1セットという単位で買うものだと思っていたよ…。うちは姉と私の共有と言う認識だったと思う。考えたこともなかったけど。

 

美しい着物もたくさん展示してありました。これは明治時代の百日着。100年以上経っているのにすごく状態がいい。と言うのも、糸はどうしても経年劣化するので、何年かごとに女衆がやり直しするんだって。自分たちでやるのか…!さすが。

 

戦時中は新しい着物を作れなかったから、お母様の打掛を染め直したとか。あと、成人男性の着物の裏地が妙に華やかで。なんでかと言うと、戦時中は華美な衣装を作れなかったから、表は地味にして裏地を豪華にしていたって。市民の粋な反骨精神がかっこいいね。

 

お茶とお菓子を出してくださいました。

 

どこに泊まっていらっしゃるのと聞かれたので、芳和荘ですと答えましたら、「ああ、〇〇さんのところよ」とお手伝いさん(たぶん)と盛り上がっていらっしゃいました。

奥様 「昔は、ここから先は行ってはいけませんっていう場所でねえ」

お手伝いさん 「うちの父は言っていたらしいです」

 
あと、奥様が「同級生が何人かいたわ」という言葉が引っかかる。詳しくは聞かなかったけど。その地区に住んでいたって意味かな。奥様は80代くらいに見えたし、同級生が働くにしては、若すぎるよね…。
 
さて、では今度は浜崎地区を離れて武家屋敷街に向かうぞ。途中にある普通の家がまた、趣があるのよね。こちらも、屋根は保存して雰囲気を保っている。窓のRもいいし、タイル張りなのもおしゃれだ。

 

マンションも景観に配慮している…。

 

こちらは酒屋さん。良いねえ。

 

電話は壱四番だそうです。

 

これは到着したバスの中からも見えていた、昔の醤油屋さん。かっこいいなあ。

 
てくてく歩いて武家屋敷の辺りに来ました。武家屋敷街は、どうも道が楽しくないねえ。塀ばっかり。

 

こちらは、旧厚狭毛利(あさもうり)家の萩屋敷長屋。1856年の建築。

 

毛利元就の5男元秋を祖とする家ですって。萩城址の前にポツンとあって、移築でもされたのかと思ったけど、むしろこれだけが残ったということらしい。昔は広大な敷地だったそうですが、主屋などほとんどすべてが明治維新後に解体され、この長屋のみが残っています。

 

萩に現存する武家屋敷のなかでも最大規模。長屋は5区画に分割されています。東の座敷は狭いながらも畳廊下を配していることから、身分の高い者に対して用意された詰所だったと推測されているそうだ。

 

そして萩城址へ…。もう日暮れが近いよ。

 

お濠も立派だねえ。海水だよね、萩城は海に面しているから。残っていたらどんなに素晴らしい水城だったことか…。

 

指月山の麓にある平城(本丸・二の丸・三の丸)と、山頂にある山城(詰丸)で構成されたお城だったそうよ。明治政府が発布しやがった廃城令により壊されてしまった。今では石垣とお濠しか残っていない。

 

 

舟遊びもできるらしいな。冬でもやってるのかな?

 

さて、晩ごはん。SAKAYAさんで教えてもらったお店にいくつか電話してみたけど、土曜日の日暮れ後でした門でどこも満席で、唯一席が空いていた創作料理のお店、「円(MARU)」へ。お料理も美味しいし、萩の地酒の品揃えが素晴らしいと評判。

 

やっぱりお魚で攻めておかねばと思う、萩だしさ。 見蘭牛とかむつみ豚とか、地元のブランドのお肉も美味しいらしいんだけど、やっぱりお魚が食べたい。

 

そしてまた卵メニューを頼んでしまうのだった。ホンットに私は卵が好きよね…。

 

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