没後120年 エミール・ガレ:憧憬のパリ | パラレル

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サントリー美術館で開催中の「没後120年 エミール・ガレ:憧憬のパリ」展へ行って来ました。

エミール・ガレは、アール・ヌーヴォー期、フランス北東部ローレーヌ地方の古都ナンシーで、父が営む高級ガラス・陶磁器の製造卸売業を引き継ぎ、ガラス、陶器、家具において独自の世界観を展開し、輝かしい成功を収めました。

晩年の1901年には、様々なジャンルにわたるナンシーの芸術家たち36名とともに「ナンシー派(産業芸術地方同盟)」を結成し、初代会長も務めています。

 

ナンシーの名士として知られる一方、ガレ・ブランドの名を世に知らしめ、彼を国際的な成功へと導いたのは、芸術性に溢れ、豊かな顧客が集う首都パリでした。

父の代からその製造は故郷ナンシーを中心に行われましたが、ガレ社の製品はパリのショールームに展示され、受託代理人等を通して富裕層に販売されていったのです。

ガレ自身も頻繁にパリに滞在しては、取引のあった販売店を訪ねたと言います。

 

本展は、ガレの地位を築いた憧れのパリとの関係に焦点を当て、彼の創造性の展開を顧みる試みです。

 

展覧会の構成は以下の通りです。

 

プロローグ 1867年はじめてのパリ万博、若かりしガレの面影

第1章 ガレの国際デビュー、1878年パリ万博から1884年第8回装飾美術中央連合展へ

コラム1 パリの代理店エスカリエ・ド・クリスタル

第2章 1889年パリ万博、耀かしき名声

コラム2 パリ・サロンとの交流

第3章 1900年、世紀のパリ万博

エピローグ 栄光の彼方に

 

磁器装飾職人であったエミール・ガレの父・シャルルは、結婚を機に拠点をナンシーに置き、妻の実家が営んでいたクリスタル製品と磁器を扱う店を継承しました。

シャルルはパリでの販売に注力し、1854年頃からパリに受託代理店を立て自社製品の普及に努め、1866年には「皇帝陛下御用商人」の肩書を得ます。

 

一方、1864年から実業のなかでも陶器デザインを手伝うようになったエミール・ガレは、1867年のパリ万博で父を手伝い、半年間パリに滞在しました。

 

本作は、父シャルル時代の磁器皿です。

ガレ商会では父の代から絵付け前の半製品を外注し、自社工房で絵付けを施していました。

磁器ならではの澄んだ白を背景に、楚々とした花々が繊細にあしらわれています。

ガレ商会《皿「田園風」》(1854-67年) 個人蔵

 

《コンポート》は、12稜形や花形の脚台によって、コンポート自体がおおらかな形の花を思わせます。

透明ガラスの表面には白や緑の花文様が、裏面には紫の唐草文様がエナメル彩で描かれ、表面と裏面が重なることでひとつの文様をなしています。

この構成はガラスの透明性を活かしており、装飾的で華麗なものとなっています。

エミール・ガレ《コンポート》(1867年頃) ポーラ美術館

 

1877年に家業を引き継いだガレにとって、1878年のパリ万博は経営面・制作面で初めて指揮をとった国際デビューの機会となりました。

バカラやサン・ルイなどの大手メーカーも出品した同万博の第19クラス(クリスタルガラス、ガラス、ステンドグラス)でガレは銅賞を受賞し、世界の大舞台で順調なスタートを切ります。

 

続いてガレは、1884年にパリで開催された第8回装飾美術中央連合展に参加します。

ガレは同展の審査員宛に出品作品の解説書を準備しました。

本展に向け、いかにガラスと陶器の製法や装飾法について研鑽を積み、刷新したのかを記したこの解説書には、未来への意欲と活気に満ちたガレの姿が表れています。

 

《花器「鯉」》は、初期ガレ作品の中でも、ジャポニスム様式の代表格といえる花器で、1878年パリ万博出品モデルのひとつです。

『北斎漫画』13編中の「魚籃観世音」図からモチーフを転用しています。

エミール・ガレ《花器「鯉」》(1878年) 大一美術館

 

第8回装飾美術中央連合展に向け、ガレは酸化銅などの金属酸化物の粉末をガラス素地に封入して斑紋を表現する手法を開発しました。

《花器「海神」》では、底部から湧き立つように広がる斑紋の上に、ギリシャ神話の海神トリトン、ヘラクレス、ニンフが繊細に彫り出されています。

エミール・ガレ《花器「海神」》(1884-89年) サントリー美術館

 

《花器「葡萄畑のエスカルゴ」》は、1884年の第8回装飾美術中央連合展に出品されたのち、パリ装飾美術館の収蔵となった花器です。

器の中央に彫られた人物像は、豊穣と葡萄酒と酩酊の神バッカスです。

通常、侍従を伴い、担ぎあげられて行進する姿が描かれますが、ガレはこれをエスカルゴに跨る図像へと変化させました。

エミール・ガレ《花器「葡萄畑のエスカルゴ」》(1884年) パリ装飾美術館

 

快調な滑り出しを果たしたガレが、真の意味で輝かしい成功を収めたのは1889年のパリ万博でした。

ガラスに対する科学的な研究を重ね、新たな素材と技法を開発し、およそガラス作品300点、陶器200点、家具17点という膨大な出品作品と2つのパヴィリオンを準備したガレは、ガラス部門でグランプリ、陶器部門で金賞、1886年に着手したばかりの家具部門でも銀賞を獲得し、大成功を収めました。

なかでも本万博で発表した黒色ガラスを活用した作品群では、悲しみや生と死、闇、仄暗さなどを表現し、独自の世界の展開に成功しています。

ガレの作品に物語性や精神性が色濃く表れるのも、1889年パリ万博の特徴と言えるでしょう。

 

《花器「マグノリア」》は、1889年パリ万博に出品されたのち、翌年ガレから直接入手した花器です。

優美な花マグノリアは、ヨーロッパの装飾品のモチーフとして広く使用されており、ガレも自作によく採用しました。

エナメル絵付けは花器の内・外側の双方から施され、絶妙なニュアンスを醸し出しています。

エミール・ガレ《花器「マグノリア」》(1889年) パリ装飾美術館

 

《蓋付杯「アモールは黒い蝶を追う」》は、1889年パリ万博で発表した黒色ガラスが用いられた、同万博出品モデルです。

ガレはヨーロッパ工芸で積極的に使われてこなかった黒色を取り入れて、愛の神アモールと蝶に象徴される妻プシュケの前に立ちはだかる試練、その悲しみや苦しみを詩情豊かに表現しました。

エミール・ガレ《蓋付杯「アモールは黒い蝶を追う」》(1889年) サントリー美術館(菊池コレクション)

 

《杯「私の遺産はキマイラ」》の口縁部にヴィクトル・ユゴーの詩からの引用句「私の遺産はキマイラ」とあります。

ギリシャ神話上の怪物キマイラは、ライオンの頭と山羊の胴体に蛇の尻尾を持ち、口から火炎を吐いて人々を苦しめ、英雄ベレロポーンに退治されました。

本作では飼いならされているように表されています。

エミール・ガレ《杯「私の遺産はキマイラ」》(1889年) パリ装飾美術館

 

1900年のパリ万博は、フランス史上、最も華やかな国際舞台となりました。

しかし実際には、地方都市には何の利益ももたらさないといった反対の声もあり、このとき中心となって声を上げた都市のひとつがガレの故郷ナンシーでした。

この頃のガレは、もはやナンシーの一市民であるだけでなく、フランスを代表する装飾美術家としてパリでの地位を固めつつありました。

 

こうした状況で挑んだ1900年のパリ万博でガレは、特にガラス作品において、造形的にも観念的にも、観る者の心を震わす独自の世界観を展開しました。

 

《花器「おたまじゃくし」》は、成長するおたまじゃくしの姿に、自然界の営み、時の流れを象徴した花器です。

おたまじゃくしは立体的かつ写実的に表現されています。

口縁部の浮き草の周りには、テオフィル・ゴーティエの詩文「回想の城」が浮彫りで表されています。

エミール・ガレ《花器「おたまじゃくし」》(1900年) サントリー美術館

 

《花器「木立」》の遠景には木々の隙間から覗く青空が見え、溶着の手法で表現された立体的な木々が中景をなしています。

口縁外周と脚台に溶着された枝葉が近景となり、鑑賞者の目前に迫ってきます。

木々の周辺にパチネによる曜変加工が施され、年月を経た樹木の様子が表現されています。

エミール・ガレ《花器「木立」》(1900年頃) サントリー美術館

 

また、食器や家具など生活空間の芸術性を総合的に高めることを目指したアール・ヌーヴォーの潮流のもと、ガレは1886年から家具制作に着手しました。

徹底した自然のモチーフの採用と、様々な木材と用いた寄木細工(象嵌)がガレの家具の特色となっています。

エミール・ガレ《木の葉形トレイ「アイリス」》(1890-1900年) サントリー美術館(菊池コレクション)

 

1900年までの成功の裏側で、その準備に疲弊し、社会問題のなかで戦い、故郷ナンシーでは名声ゆえの反発を買うこともあったというガレ。

新しい世紀を迎えた1901年あたりから、彼は療養を繰り返すようになりました。

そして1904年9月23日、白血病によってその人生に幕を下ろします。

 

「春の始まり」を意味するラテン語から名付けられた「プリマヴェーラ(サクラソウ)」は、生命の永遠なる再生の象徴として、ガレの作品に度々取り上げられました。

友人で園芸家のヴィクトル・ルモワーヌは、この花の新種に「マダム・エミール・ガレ」と名付けたといいます。

エミール・ガレ《花器「サクラソウ」》(1900-04年頃) 個人蔵

 

《ランプ「ひとよ茸」》は、小さく短命なひとよ茸の成長過程を三段階に分けて巨大化し、当時最先端の家具であったランプに仕立てた、ガレ晩年の大作です。

枯木を糧に成長し、笠が開いたかと思うと一晩で溶け落ち、再び土へ帰っていくひとよ茸に、ガレは自然の摂理、輪廻の世界を託したのでしょう。

エミール・ガレ《ランプ「ひとよ茸」》(1902年) サントリー美術館

 

ガレの輝かしい名声、それゆえの苦悩、そして発展・・・、世界的芸術の都パリという舞台なくして、ガレの芸術性も成し遂げられなかったでしょう。

ガレとパリとの関係性を雄弁に物語る作品を通じて、ガレの豊かな芸術世界を楽しんでみませんか。

 

 

 

 

 

会期:2025年2月15日(土)〜4月13日(日)

会場:サントリー美術館

   〒107-8643 東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階

開館時間:10:00〜18:00(金曜日は10:00〜20:00)

   ※3月19日(水)、4月12日(土)は20時まで開館

   ※いずれも入館は閉館の30分前まで

休館日:火曜日

   ※4月8日は18時まで開館

主催:サントリー美術館

協賛:三井不動産、鹿島建設、サントリーホールディングス

後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ