高度成長時代の日本人に勇気をくれた梅棹忠夫 | キャリア・読書・人生の窓

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汝の一日、かくの如く終れば、汝の一生もまたかくの如し。
そうだ、今日考えたことを書き留めておくことにしよう。

7月3日は生態・民族学者・梅棹忠夫(うめさおただお)
の命日。
(1920年6月13日 - 2010年7月3日)
国立民族学博物館名誉教授、
総合研究大学院大学名誉教授、京都大学名誉教授。
 理学博士(京都大学、1961年)


両目とも盲目になりながらも、高度成長時代の日本人に
多くの著書により、誇りと勇気と自信を与え続けた。

 

                   

                    合格

 

 

■梅棹忠夫は日本の文化人類学のパイオニア。
梅棹文明学とも称されるユニークな文明論を展開、
多方面に多くの影響を与えた。
京大では今西錦司門下の一人。
生態学が出発点であったが動物社会学を経て民族学
(文化人類学)、比較文明論に研究の中心を移す。

 

 

■代表作『文明の生態史観』の他、数理生態学の
先駆者でもあった。
さらに宗教のウィルス説をとなえ思想・概念の伝播、
精神形成について論じた。
宗教ウイルス説は文明要素(技術・思想・制度)が
選択により遷移していくと言う遷移理論を柱にする
文明の生態史観の一例。

 


■青年期より登山と探検に精を出し、数多くの
フィールドワークの経験からB6版カードを使った
情報整理法を考案。
その方法をまとめた『知的生産の技術』は
ベストセラーになった。
また、モンゴルにフィールドワークに出かけた直後に
原因不明の視力障害を患い、64歳で両目とも失明するが
失明後、それ以前よりも多数の著作
を残した。

 

 

 

                    合格

 


!?ねえ、ねえ。
梅棹忠夫さんは京都の人なんでしょう。
若い頃から頭が良かったんでしょうね。

 


!!うん。
それなんだがね・・・・
1936年、京都一中から4年修了(飛び級)で
第三高等学校に入学。

そこまではよかったんだが、
三高時代から山岳部の活動に熱中して学業を放棄し、
2年連続で留年して退学処分を受けてしまったんだ。

 


!?へー、そう。
山岳部なの?
なにかに夢中になるタイプだったのね。
それで失敗をしてしまったのね。



!!うんそうだ。
ところが、友人に恵まれた。
なんと、後輩や同級生が復学の嘆願運動をしてくれた。
その結果、復学を認められたのだ。

 


この山岳部での経験がのちの学術探検に大いに役立つ
ことになるなんて誰も気づいていなかった。

留年も無駄ではなかったのだね。

 


京都帝国大学理学部動物学科在学中には今西錦司
を団長とする中国北部探検などの探検に参加した。

 


『大興安嶺探検隊』(新版・朝日文庫 1992年)

モンゴルの遊牧民と家畜群の研究を基盤に、
生物地理学的な歴史観を示した『文明の生態史観』
(中公叢書、のち中公文庫、中公クラシックス)
は、日本文明の世界史的位置づけにユニークな視点
を持ち込み、大きな反響を呼び論争を巻き起こした。
これが文明学の主著となった。



フィールドワークや京大人文研での経験から著した
『知的生産の技術』(岩波新書)はロングセラーとなり、
同書で紹介された情報カードは、「京大式カード」
という名で商品化された。



1963年には『情報産業論』を発表。アルビン・トフラーの
「第三の波」よりもかなり先行した時期に情報化社会の
グランドフレームを提示した。
「情報産業」という言葉の名づけ親でもある。
その後の一連の文明学的ビジョンは『情報の文明学』
(中公叢書、のち文庫)にまとめられている。



!?ねえ、ねえ。
今日のタイトルは
「高度成長時代の日本人に勇気をくれた梅棹忠夫」
となっているけど
具体的に何が日本人に勇気をくれたの?

 


      

        (つづく)

 

 

 

 

           

          合格

 

 

 

 


(注)来歴等に関する出典はWikipedia他

 

 


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