岩手県を「イーハトーブ」と言った宮沢賢治 | キャリア・読書・人生の窓

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汝の一日、かくの如く終れば、汝の一生もまたかくの如し。
そうだ、今日考えたことを書き留めておくことにしよう。

8月27日は詩人であり童話作家である宮沢賢治
の生誕日。
(1896〜1933年)
日本文学に特異な世界を切り開いた。
また常識を覆した文章記述方法も新鮮。



■宮沢賢治は、岩手県花巻の出身。
1896年、質屋・古着商を営む家に生まれ、
凶作や飢饉(ききん)に見舞われる過酷な風土
の中で育つ。
1914年、岩手県立盛岡中学卒業の年に法華経を
読んで感動し、終生熱烈な法華信者となる。


<最終学歴>
盛岡高等農林学校(農学得業士)
(現・岩手大学農学部)



■1920年、法華経を根本経典とする日蓮宗の
信仰団体である国柱会(こくちゅうかい)に入会。
宗教と芸術の合一についての示唆を受け、
創作活動に力を入れるようになった。
宮沢賢治の文学の根底にはこの法華経の教えがある。


 

■1921年、県立花巻農学校の教諭となり、4年間
教壇に立つ。
その間、口語詩の制作を開始し、地元の新聞や
同人誌に詩や童話を発表し始める。
1924年に詩集『春と修羅(しゅら)』と
童話集『注文の多い料理店』を自費で刊行。


 

■1926年、農学校を退職し、独居自炊の農耕生活
に入り、農業青年を集め
「羅須地人協会(らすちじんきょうかい)」を作る。
農芸化学や農民芸術論の講義、レコード鑑賞、合奏
などの文化活動を開始。
また無料で肥料設計を行うなどの献身的な活動の
傍ら、農業・芸術・科学・宗教の一体化を希求する。
ところが警察当局に目をつけられたり、結核を発病
したりなどして挫折した。



■その後病気が一時回復して砕石工場の技師となるも
再び発病し、『銀河鉄道の夜』などの膨大な未発表
原稿を残して1933年に37歳で死去した。



■残された詩と童話は、みずみずしい言語感覚、
奔放な想像力、自然との交感に満ちている。
そこにひそむのは文明への深い洞察。

 


 

<代表作>


『注文の多い料理店』(1924年)


『雨ニモマケズ』(1931年)


『銀河鉄道の夜』(未定稿)


『風の又三郎』(1934年)

 

『なめとこ山の熊』

 

 

デビュー作
『春と修羅』(1924年)

 

 


!?ねえ、ねえ、
宮沢賢治の『注文の多い料理店』などに度々出てくる
「イーハトーブ」ってなあに?



!!ああそれか、
それはエスぺランド語だ。
岩手県をエスぺランド語で言うと「イーハトーブ」
となる。


宮沢賢治は仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした
創作を行い、創作作品中に登場する架空の理想郷に、
岩手をモチーフとしてイーハトーブ(Ihatov)
と名付けた。


生前彼の作品はほとんど一般には知られず無名に
近かったが、没後草野心平らの尽力により作品群が
広く知られるようになったのだ。



!?へー
そうだったの。
代表作品の中身をもっと詳しく知りたいわ。

 

 

 


       (つづく)

 

 

 

                   合格

 

 

 

 

           
(注)来歴等に関する出典はWikipedia他

 

 

 

 

 

 

 

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