精密機械のように正確な九十九の法則
木村拓哉出演作品一覧
【難しいとされる爆笑する演技も自然で巧く、涙を流すのも早く上手】
爆笑する演技は、多くの俳優の下手さがあまりに顕著に浮き彫りになる。木村拓哉の巧さを改めて強く実感する。
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“間”を自分のものに出来ない役者は、台詞っぽい、過去に誰か上手そうな役者がやったであろうステレオタイプな芝居を思い描きなぞるような、リアリティーのない下手な役者です。
それで演じ分けられたとしても「違うけど下手、リアルじゃない」で終わり。
(幅広い多くの役(見ていない人、洗脳・先入観で脚本が理解出来ない人も多いだろうが)でそれぞれ結果を出してきた木村さんは勿論演じ分けがとても上手いが、
ネット民の傾向として、『違う演技なら上手い』というとてつもなく短絡的で安易な発想をする人が多い。
それなら、学芸会でも、お遊戯会でも、誰でも出来る。
違う演技でも、一つ一つが下手ならどうしようもない。)
芝居じみてリアルでなければ、一見別人でも、逆に別人を演じる『その俳優』でしかありません、あくまで演技でしかないので。役の仮面を付けている状態。
木村さんは、香川照之さんや児玉清さんなども言うように、台本を全く感じさせず、その人の隠し撮りのような芝居をするので、
他の多くの俳優より深い所で実際に役を生きています。
(間の溜め方も、かなり溜めて異様な雰囲気を作り出し、自分に注目させて話す空一の涼、あまり溜めないエンジン次郎など、役毎に様々だが、その人々が心底想っている)
コミカル三枚目もシリアス(死ぬ役10~11人以上瀕死5~7人以上。天上から降りた人であって人でないシタオ、四肢麻痺身体障がい者も)も悪役(無差別大量殺人犯等16+1+1+4(1)犠牲者22人以上)も時代劇も、役の設定に精密機械のように忠実に演じ分けストーリーを成り立たせつつ、それが素ではと一部の人々に錯覚させてしまう程自然で台本を感じさせない、ドキュメンタリーよりリアルなその人の隠し撮り。
今その言葉を自分でふっと思いついたとしか思えない間・型にはまらない言葉の繋ぎ目(脚本家・井上由美子「よく、『(木村さんのセリフは)アドリブなんじゃないの?』って聞かれることがあるんですけど、ほぼ、台本通り、凄く考えてやってくださる方です」)、
キメ顔じゃない表情の推移の細かさ(カメラを意識し不自然に固まる人多い)、
(例7話「美山さんs、それはぁ…」両肘を机に乗せて顔の前で手を組み、交差させた右の人差し指で上唇と鼻の下を押し上げ、上の前歯の間に挟み下の歯でも噛み、その右人差し指の爪が歯茎の方にギッと滑り、また歯に挟み直す。唇が微妙に変形。
こういった、【このシチュエーションでは普通こういう表情・動きをするだろう】と人々が容易に想像付くような一般論から大きく外れ、かつそれが実は物凄くリアルで現実的、という表情や仕草が、木村拓哉芝居の真骨頂である“隠し撮り”を形作っている分かりやすい一例だ。
これは三枚目朝倉だけでなく、他の二枚目の役にも言えることで、木村拓哉は、ただかっこつけているだけの芝居は絶対にしない。
ただかっこつけただけの演技をする俳優は、少女漫画の如くいかにも【カッコイイ】と世間が容易に想像するありきたりなカッコイイ表情や仕草を思い描き模倣するようで、ステレオタイプなため、表情の種類が乏しくなり、不自然にキメ顔ばかりになってしまう。
だが、現実に生きている人間は、カメラが回っていないため、どんなにかっこいい人でも、キメ顔ばかりではない。
彼は、キメ顔でない微妙すぎる表情を多用することで、その人をまるで実在人物のように映像の中に住まわせる。そのため、現実世界の人々の多くは男性も女性も本気で感情移入してしまい、高視聴率が生まれるのである。
表情の推移が細かく複雑でリアル。山崎努さんの言う「木村拓哉は一瞬を物凄く細かく刻んで演じる」である)
集中力、頭の回転の速さ、
視聴者を口説き落とす力…
嘘のない芝居。空一やBRAINや月恋や古畑や眠れる森やパパラッチや忠臣蔵やプライドやギフト等々自分と全く違う考え(性格・生い立ち・過去の傷等)の役でも
(俺はこう思ってないけど、こう思ってるように見せよう)ではなく
その時だけは本気で心の底からそう思える天才。
演じている時だけは、完全に役になれる、つまり役=木村拓哉になれる。
その人に命を吹き込むことが出来る。(仮面は仮面でしかない)
それを見て「何をやってもキムタク」と、演技中以外の木村拓哉をよく見てもいないのに、知りもしないのに叩く人々。
(しかも少ししか作品を見ていないのに知ったかぶる。受け売り、先入観、必ず、誰かが言っているのを聞いて影響されている)
真実は『その時のキムタク=役』という事です。
これがどれだけ難しいことか。
超絶リアルだからこそ、(普段の)木村拓哉ではなく『その人』なのです。
『その人』が心の底からの言葉を発した時、演じている俳優が同じ事を心の底から思っていないことなど、現実的にはありえない。
その俳優は何も思わず無感動で意識を失っていて、憑依し身体を乗っ取った役だけが思っているなんて。
カットがかかり現場を離れた木村拓哉は、当然その人とは別人(役によって別人度合は様々ですが)
撮影中の『役=木村拓哉』は完全崩壊する。
性悪女のブリッコを見抜けない男のように、彼に騙され素だ、演技していない、と錯覚した人が、逆に叩く。
ブリッコが下手な女は「男の前だけ子どもや動物好きぶって、素と全然違う!」と思われる。
ブリッコがとてつもなく上手い女は「性格悪いと思ってたけど、心の底から子ども好きみたいだし優しい面もあるんだ、これも素なんだ~」と騙せる。
彼は後者です。明らかに違う芝居を、一部の人々に見えなくさせる程。
BRAIN一分南極月恋PRICELESS空一言葉のない部屋九太郎プライドCHANGE森忠臣蔵ハウル華麗アイカム赤か青REDロンバケ踊り子家康上々松葉杖ギフトetc…
役毎に見たら全くの別人なのに、その全てに木村拓哉はなってしまう。
役と役の間に、実態の掴みにくい「キムタク(役の映像は刻まれ変わらないが、現実の人間はどうなるかわからない)」を挟むから、「どれも同じ演技」という致命的な間違いを犯してしまう。見ていないのに、大勢が言うから正しいと思い込む。
でも、映像・音声には表情・話し方・声・仕草の物理的な違いが残る。
爆発的なキムタクブームを快く思わないアンチ四流ネガキャン記事による、昔から続く執拗な印象操作に、未だに知らず知らず流され洗脳され続ける人々。
世界中の全員が葡萄を林檎だと言っても、葡萄は林檎ではない。涼は九十九ではない。
見たこともない謎の果物を受け売りで「林檎だ」と言っても、それは林檎ではない。言葉のない部屋は伊豆の踊子でもなければ、REDLINEでもアイカムでも武士の一分でもハウルでも九太郎でもなければ、全く木村拓哉でもない。
“違う”という客観的事実は、物理的な問題なので、永遠に変わらない。
地球は回っているのに、天動説を唱え続ける奴ら。
右手で描いた画家に、「下手、嫌い」と言うのはそれぞれの感性の問題だとしても、
「左手で描いた」とは言えない。
「ドレミ」の音程で歌った人に、「下手」と言うのはそれぞれの感性だとしても、
「ファソラの音程で歌った」とは言えない。
言ったところで真実は変わらない。
これだけ分かりやすく喩えても分からないのでしょうね(笑)
【顔の作りがかっこいいから】って、何も見えなくなり何も聞こえなくなり、例えばわざとキモくしまくっている九十九までかっこつけてると言うわけですか?笑
で、例えば空一の超絶セクシーな涼と同じにしたがるわけですか?笑
そもそも、アンチはスマスマもワッツも開放区もその他もちゃんと見ないため、木村拓哉本人についての勝手なイメージ自体が『笑わない』『SMAPで一番売れてるのは俺だと鼻にかけてる』など大幅に間違っているので話にならない。
★★★もし私がある一つの作品だけを初めて見て、ワッツやスマスマやその他の番組での木村拓哉を全く知らず、他の作品も一つも見たことがなかったとしたら、あまりに自然すぎ、これがこの俳優の素なんだろう、演技していないんだろうと、思わされてしまうでしょう、騙されてしまうでしょう。
それを役者・木村拓哉は長年追求し続けているのです。その上で、演じ分けているのです。
木村さんは涼のことを「嫌な奴で好きになれない」、蓮介のことを「ヒドい男」、鉄平の自殺を「最低」、ハルのことを「普段メイビーなんて絶対言わないから凄く恥ずかしかった」
自分と真逆な役でも、それが素では?と木村拓哉本人をよく知らない人々の一部に錯覚させて騙せるほど、演じている感がなく自然でリアル。
もしこの世に俳優が木村拓哉一人だけだったとしたら、私が彼の上手さに気付くことはなかったでしょう。
ファンだから上手いと言っているわけではないのです。
他の多くの俳優と比較するからこそ、リアルで上手い、そして魅力的だと感じ、改めて俳優・木村拓哉の大ファンになったのです。
私は人並みに、生まれてから今まで、日本、海外の沢山のドラマや映画を観てきました。
その中で彼の芝居に、唯一無二の特別なものを感じたから、その才能に惹かれ、ファンになったまでです。
(日本人同士の共感もあると思いますが)
★最初に、「間を自分のものに出来ない下手な役者」について書きましたが、
間を自分のものに出来る、上手いとされる役者でも、その全員が、木村さんのような能力を持っているわけではありません。
上手いと専門家に評価されている役者は他にも沢山いますが、間は自分のものだとしても、ドラマなのに舞台風の大袈裟な演技だったり、明らかにカメラを意識しすぎていたりして、リアリティーを感じられず、好みじゃなかったりもします。(勿論舞台演技を批判しているわけではありません)
(木村さんに迷惑がかかるので、誰とは言えないのがもどかしいですが)
彼ほどの自然さがなくても、他に大きな魅力があれば、評価されます。
だからこそ、彼の自然な芝居は、決して「上手い」の最低条件なんかではなく、“プロとして求められる、最低限必要な自然さ”より遙かに上のレベルにあると感じます。
(個人的に、映像なのに一言一言が大袈裟な演技をする役者たちを上手いとは思えない。どんなに評価されていても。世間の評価を見ていると、映像で大袈裟な作り物演技をしてもよい、むしろすべきだ、というルールがあるのかもしれないが、私は、映像ではリアルで自然な演技をすべきだと感じる)
専門家の方々の分析を読む前から、例えば香川照之さんや児玉清さん、山崎努さん、山田洋次監督(「台詞の枝葉末節で、こんな芝居しようって、こんな表情作ろうって、ことでなくて、もっとこう深いところで、この人物を捉えようという所がありましたね」)、石原隆さん(「役者が演じて、初めて生命を持つ。その命の吹き込み方が、木村さんは非常に上手い」)の、木村さんの演技についての分析と、全く同じことを感じ、痺れていました。
実際、知恵袋に書いてもいました。
専門家の方々の発言を知った時、こんな偶然があるのかと信じられなかった程。一語一句に、「私も思ってた!!!」と叫びたくなるくらい、私が俳優・木村拓哉を好きな具体的な理由がそこにはありました。
ただ嫌いだから叩きたいだけのアンチ共は、その奥深さも何も理解出来ず、その言葉の意味が分からない。
一部しか見ていないのに「何を演じても」と馬鹿みたいに知ったかぶることしか出来ない、哀れな人間です。
偏見の受け売り文句を知らない外国人や子どもに、まず空一を見せ、次にBRAINを見せ、パパラッチを見せ、ハウルを見せ、アイカムを見せたとします。
誰一人、同じとは言わないでしょう。
ギフトを見せ、CHANGEを見せ、REDを見せ、一分を見せ、九太郎を見せ、言葉のない部屋を見せても、誰一人同じとは言わないでしょう。
あまりに違いすぎるのが真実なので。
見ていないのに「何の役やっても」と知ったかぶっている人々の言葉を真に受けるのは、詐欺師に引っかかるようなものです。
むしろ詐欺師の場合は知識があるので、幼稚園児に騙されるようなものです。
でも、人間は弱い生き物なので、大勢に言われ続けると、自信をなくし、そうなのかも…と思ってしまったりします。
脚本の人物設定の違いはまず一目瞭然。(似ている役もありますが)
脚本に沿った演技でなければ、あれほどの結果は出し続けられません。
「役は全然違うのに、演技が同じ」だとか、「演技が同じだからストーリーに入り込めない」だとかアンチは言いますが、
だったら絶対に、あれほどの実績は築けません。
木村さんの実績は、多くの人々が、ストーリーに入り込んだ証です。
脚本に合っていない、間違った演技で結果を出せるほど、甘い世界なはずがありません。
何か共通点を見つければ、違いは無視し、すぐに同じと言いたがる。
受け売り文句を言う方々は、私が「○○と○○の違いも分からないのですか?」と聞いても、絶対に答えてはくれません。
見ていない、忘れている、何も考えず偏見に便乗しているだけ、同じではないと本当は分かっている、、、だから答えられないのだと思います。
せめて声を大にして、【私は演技の違いが少しも分かりません!】とハッキリ言ってほしいです。
でも、繰り返しですが本当にリアルで自然なので、騙されてしまうというのはあると思います。
方言や英語や昔の言葉は別として、映像の中の人が、本当にリアルに生きている場合、これが木村拓哉の素なんだ~と錯覚するか、
この主人公は演技ではなく実在人物なんだ!と錯覚するか、
真逆なようで、紙一重だと思います。
そのぐらいの次元のリアリティーです。
私は木村拓哉ではない男性達を深く愛していますが、現実的には、演技。
素と全然違う表情や仕草や話し方でも、木村拓哉自身をちゃんと見ていない人には素だと錯覚させてしまうのが、木村さんの演技力の凄いところなんだろうとは思います。
どうして私は、木村さんではない人々に本気で恋してしまったんだろうと思うと、悲しくなります。
あれほどまでリアルすぎる演技をしないで欲しかった。
毎日毎日、大好きな人々の存在を否定されます。
コピーしたような批判をする方々は、この役はこういう演技だけど、この役はこういう演技で、ここが違う、などと語ることも出来ないんですよね?
まだ「不自然」、「下手」などと言われた方がましです。
正直、人間とすら思えないからもうどうでもいいけど。
他者に遺伝子操作された同じ鳴き声で吠え続ける動物達。
物理的・客観的な違いが少しも見えなくなった害虫共。
自分の目と耳と脳で判断することが出来ないならもはや人間ではない。
害虫は1匹だろうと1000000匹だろうとただの害虫。
害虫の鳴き声に傷付くことは出来ないから、もう余裕(笑)
脚本家や小説家が木村さんが演じてきた役を全て観れば、彼がどれだけ幅広い難役を自分のものにしてきたか一目で分かるでしょう。
脚本だけ見ても簡単に分かります。
単に理解力の問題。
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