(16)IT会社を辞めて、塩の会社を起業した理由
私が、IT企業を辞めて、塩の会社を起業した理由をご紹介しています。
(1) (2) (3) (4) (5) (6) は、は、父が肝硬変で入院し、その病院で、「病気にならない生き方」と「食品の裏側」を読み、娘の未来の子供達の健康は、娘たちの食事を作る私に責任があるのだと思った。そして、今の会社の顧問・瀬川昌威と出会い、輪島の塩と出会い、ミネラルの重要さを知り、化学で作られたサプリメントの怖さを知り、輪島の塩のユーザになったという話。
(7) (8) (9) (10) (11) は、リンゴの変色実験をしたことから、乳酸菌の育成実験にいたり、人間の血液の比率によく似ている輪島の塩は、精製塩や岩塩よりも、乳酸菌の育成量が多かったこと。発酵食品の決め手となる乳酸菌発酵には、ナトリウムとマグネシウムの微妙なバランスが関係していること。この発酵を促すミネラルバランスの塩は、輪島特有のものだろうと思ったという話。また、マグネシウムが酵素を活性化し、たんぱく質を分解して、うま味を出し、かつ、消化を助けることがわかったという話。
(12) (13) (14) (15) は、瀬川から紹介してもらった三國清三シェフから、世界料理オリンピック大会のジュニア部門で輪島塗の台や器を使いたいと頼まれ、東京と輪島の連絡係をして、輪島合宿を実施した、という話でした。続きます。
輪島合宿の中で、漆の工房を見て、作品を見ながら、色や質感を選び、世界料理オリンピック大会で使うディスプレイのイメージを作っていきました。
世界の料理競技会のレベルをご存じの三國シェフ、料理を作るジュニア選手、大きさや形の条件に配慮する日本司厨士協会の事務局、輪島塗を制作する漆器青年会のメンバが意見を交わしながら、テーマを「和」を意味する同心円にすることが決まりました。
でも、実は、この輪島合宿のときには、輪島塗の製作費をどう捻出するかまだ決まっていなかったのです。
合宿後、輪島市役所の方々のご尽力で、輪島塗を世界の人が集まる場でアピールしようと、石川県の能登震災の復興予算を振り分けていただくことが決定しました。予算委員会で承認されるまで、本当に実現できるかどうかと、胃の痛くなる思いをしました。
お礼をお伝えしたいから、と東京・四谷の三國シェフのレストランに、石川県知事ご夫婦を招く調整をしたりなどもして、私は、谷本県知事や、石川県東京事務所の松原所長とも、ご挨拶やお食事をする機会に恵まれました。
結局、ジュニアチームの出場を商業利用させたくないという協会事務局の意向で、普通なら広告代理店がやるようなことを、ボランティアでやったわけです。
調整すべき箇所が多方面にわたり、また、どれについても、直接知っている方々ではなかったので、何箇所、何段階も、仲介の方に入っていただく必要がありました。正直、大変なことでした。
そして、とうとうディスプレイが完成。2008年10月。ドイツ・フランクフルト近郊のエアフルト市で世界料理オリンピック大会が開催されました。