(15)IT会社を辞めて、塩の会社を起業した理由
私が、IT企業を辞めて、塩の会社を起業した理由をご紹介しています。
(1) (2) (3) (4) (5) (6) は、は、父が肝硬変で入院し、その病院で、「病気にならない生き方」と「食品の裏側」を読み、娘の未来の子供達の健康は、娘たちの食事を作る私に責任があるのだと思った。そして、今の会社の顧問・瀬川昌威と出会い、輪島の塩と出会い、ミネラルの重要さを知り、化学で作られたサプリメントの怖さを知り、輪島の塩のユーザになったという話。
(7) (8) (9) (10) (11) は、リンゴの変色実験をしたことから、乳酸菌の育成実験にいたり、人間の血液の比率によく似ている輪島の塩は、精製塩や岩塩よりも、乳酸菌の育成量が多かったこと。発酵食品の決め手となる乳酸菌発酵には、ナトリウムとマグネシウムの微妙なバランスが関係していること。この発酵を促すミネラルバランスの塩は、輪島特有のものだろうと思ったという話。また、マグネシウムが酵素を活性化し、たんぱく質を分解して、うま味を出し、かつ、消化を助けることがわかったという話。
(12) (13) (14) は、インターネットでいろいろと検索して調べて、輪島の塩にはまっていき、輪島に旅行に行くことになり、三國清三シェフから、世界料理オリンピック大会のジュニア部門で輪島塗の台や器を使いたいと頼まれ、輪島へ行って、あげ浜式塩田村を見学した、という話でした。続きます。
2007年9月、輪島を車で案内してくださった漆芸家の若宮隆さんには、三國シェフの要望を伝えました。シェフの要望に合うものは現状持っていないため、ジュニア部門ということだから、漆器青年会の若手メンバ・古込和孝さんを中心に、ディスプレイの制作をしてもらおうか、ということになりました。
東京に戻ってきてからは、漆器青年会の古込和孝さんや、世界料理オリンピックの日本の事務局となる日本司厨士協会の方々、三國清三シェフ、輪島の塩の製造会社の社長さんなどと連絡しあって、輪島塗の制作や、合宿について、連絡・仲介係として進めていきました。
合宿場所の旅館の確保、料理を作る市民センターの確保、輪島市のマイクロバスのレンタル、NHKや地方テレビ局・地方新聞社の招へい、輪島で見学する場所のコース決め、輪島市役所に表敬訪問するために三國シェフと輪島市長・輪島市役所の方との仲介、などなど。
輪島の見学コースには、あげ浜式塩田を入れることになりました。マイクロバスでの移動の中では、三國シェフからの依頼により、瀬川から、20歳前半のジュニア選手達に、塩についての講義も行うことになりました。
そして、2008年4月。年休をとって、輪島での合宿にも参加しました。あげ浜塩田村では、選手達が桶をかついで、海から岩場を登って海水を運び、砂の上に撒く、というような体験まで行ないました。
以下は、その輪島合宿の新聞記事です。輪島市役所に、チーム一行が、梶市長を訪問した際の記事(北國新聞 2008年4月17日)。
こちらは、輪島の漆器青年会の皆様やお世話になった方へのお礼として、輪島の海産物や野菜を使って、三國シェフ率いるジュニアチームが料理を作っているときの写真です。
輪島合宿は、最初に三國シェフが話してくださったときに、頭に、ドキュメンタリーのテレビ番組の映像が浮かびましたが、そのイメージ通りのイベントとして実施することができました。
