東京藝術大学大学美術館で「ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし」を観た! | とんとん・にっき

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会期末が迫るなか、東京藝術大学大学美術館で「ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし」を観てきました。この展覧会の企画者は、以前、ハンマース・ホイの展覧会も企画した、という。一方のヘレン・シャルフベック(1862-1946)はフィンランドの画家、もう一方のヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864-1916)は、デンマークの画家です。たしかに二つの展覧会は、どことなく共通したものがあるように思います。

国立西洋美術館で「ヴィルヘルム・ハンマースホイ」展を観た!


それはそれとして、展覧会の公式サイトを見ていたら、「シャルフベックを読み解くキーワード」という項目がありました。ざっと見てみると、「3歳のときの怪我」、「家庭教師」、「アドルフ・フォン・ベッカー」、「雪の中の負傷兵」、「模写」、「イギリス人画家との婚約破棄」、「快復期」、「ヨースタ・ステンマン」、「エイナル・ロイター」、「2度目の失恋」、「自画像」などとあります。


「雪の中の負傷兵」はパリ行きの奨学金を手にした作品、「快復期」はパリ万博で銅メダルを獲得した記念碑的な作品、そして「自画像」は自分を生涯にわたって記録し続けた画家としてのテーマでもありました。


「イギリス人画家との婚約破棄」は、21歳のとき、フランス、ブルターニュ地方のポン=タヴェンでイギリス人の画家と出会いすぐに婚約するが、2年後彼からの1通の手紙により一方的に婚約が破棄されるというもの。「2度目の失恋」は、50歳を超えたシャルフベックは19歳年下のエイナル・ロイターに恋心を抱くが、シャルフベックが提案したノルウェー旅行に出かけたロイターはそこで出会った女性と婚約してしまう、というもの。この二つの失恋事件が、シャルフベックの精神を大きく傷つけ、作品にも影響を及ぼします。


面白かったのは「第4章 自作の再解釈とエル・グレコの発見」です。「自作の再解釈」は、画商ユースタ・ステンマンの勧めもあり、初期の自作に基づいた制作を開始します。作品のレプリカをつくるのではなく、自作を抽象的に再解釈するという意欲的な試みでした。「エル・グレコの発見」は、17世紀のスペインの画家エル・グレコの作品を再評価するという試みでした。たとえば「天使断片」(エル・グレコによる)が、それにあたります。


展覧会の構成は、以下の通りです。


第1章 初期:ヘルシンキ―パリ

第2章 フランス美術の影響

第3章 肖像画と自画像

第4章 自作の再解釈とエル・グレコの発見

第5章 死に向かって:自画像と静物画



第1章 初期:ヘルシンキ―パリ

3歳で左腰に障害を負ったシャルフベックは、学校に通うことができず家庭教師から教育を受けることとなります。家庭教師から素描の才能を認められると、彼女は11歳のときフィンランド芸術協会で素描を学ぶことが許され、15歳になると、パリで学んだ画家アドルフ・フォン・ベッカーのアトリエで絵画を学び始めます。すぐに才能を発揮した彼女は《雪の中の負傷兵》(1880年)によってパリ行きの奨学金を手にしました。シャルフベックはデビューから画家としての将来が約束されていたのです。

1880年にパリに渡ったシャルフベックは、アカデミー・コラロッシで多くの女子留学生とともに学び、当時流行の“レアリスム”のスタイルを身につけます。学友たちとブルターニュ地方のポン=タヴェンに旅し、土地の子供たちを優しいまなざしで描いた《妹に食事を与える少年》(1881年)は、フランス留学の最初の成果と言えるでしょう。また、イギリスのセント・アイヴスにも二度滞在し、そこでは自然主義的な光の表現を手に入れました。ここで描かれた《快復期》(1888年)は、1889年のパリ万博で銅メダルを獲得し、現在は国立アテネウム美術館を代表する記念碑的な作品として知られています。





第2章 フランス美術の影響

パリからヘルシンキに戻ったシャルフベックは、母親の介護を兼ねてヘルシンキから50キロほど北に離れたヒュヴィンカーの小さなアパートに移り住みます。ヘルシンキのアートシーンから離れたため、シャルフベックは最新の情報をフランスの美術雑誌を定期購読して得るようになりました。この時期彼女は雑誌を通じて、レアリスムの時代が過ぎ去ったことを感じとっていたのかもしれません。この小さな城に篭もることでパリでの美術体験が熟成し、そして一気に花開きます。彼女の作品は抽象化が進み、マネやホイッスラー、セザンヌなどの色濃い影響が見え始めました。なかでも、ヨーロッパ中の話題をさらったホイッスラーの作品は、彼女にとっては鮮烈なものだったのでしょう。ホイッスラーによる《灰色と黒のアレンジメントNo.1(母の肖像)》(1871年)の影響をシャルフベックの《お針子(働く女性)》(1905年)にはっきりと見て取ることができます。



第3章 肖像画と自画像

シャルフベックは画家としての自分の姿を自画像として表すとともに、自分の好きな人々の肖像画を多く描きました。どの肖像画も抽象的かつ明るい色調で、まるでモード雑誌を見るような当世風のスタイルは、シャルフベックのパリ体験や購読していた雑誌の影響によるものでしょう。女性の肖像画が多いなかで、シャルフベックの画家仲間エイナル・ロイターの肖像《船乗り》(1918年)は、ひときわ異彩を放っています。19歳年下の彼は、シャルフベックの作品を高く評価する良き理解者で、彼女の伝記を初めて執筆しました。彼女はロイターに対する想いが、叶わぬ恋だと気付きながら、彼が別の女性と婚約すると、絶望に打ちひしがれ《ロマの女》(1919年)にその心情を託します。この失恋から立ち直るためにシャルフベックは、二ヶ月の通院を余儀なくされたほどでした。ロイターに手紙で心の苦しみを訴えながら、自分の顔を傷つけた《未完成の自画像》(1921年)も残しています。





第4章 自作の再解釈とエル・グレコの発見

母親が亡くなった後、シャルフベックはリゾート地タンミサーリに居を移します。歳を重ね、体調も思わしくない中で、制作だけが彼女の生きがいとなります。静かな環境のなか、ここでも彼女は雑誌や画集からインスピレーションを求めました。例えば、セザンヌやピカソによって再評価されていたエル・グレコに、シャルフベックも注目するようになります。彼女はエル・グレコの作品を実際に見たことがありませんでしたが、本の挿図から想像をふくらませることができたのです。《天使断片》(エル・グレコによる)(1928年)で表現された色彩は、 彼女の現代的な感性によるものです。また、画商ステンマンの提案により、若い頃の自作に基づく制作を始めることとしました。それは、単に人気のあった作品のレプリカではありません。《お針子の半身像(働く女性)》(1927年)や《パン屋II》(1941年)で見られるように、自作を抽象的に再解釈する新しい試みだったのです。



第5章 死に向かって:自画像と静物画

シャルフベックは画家としての自分を記録するだけでなく、鏡の中の自分を残酷なまでに見つめることがありました。自画像に傷をつけたり、顔のバランスを欠くような表現も見られます。1944年になるとシャルフベックは、ステンマンの勧めでスウェーデン、サルトショーバーデンの療養ホテルに移り住みます。死期を感じながら、ホテルの一室で制作に打ち込む彼女のために、ステンマンは彼女が必要な画材や資料を提供しました。彼女はここで日に日に近づいてくる死を感じながら、骸骨のような自分の顔を冷徹に見続けていました。《黒いりんごのある静物》(1944年)には、衰えていく自分と重ね合わせた、腐りゆくりんごが描かれています。ホテルの一室で最後の瞬間まで自分に向けたまなざしは、20点以上の自画像を生み出しました。そして1946年に彼女はその生涯を閉じるのです。



シャルフベックの代表作が一堂に
本展では、フィンランドの国宝級の作品といわれる《快復期》(1888年)、《黒い背景の自画像》(1915年)をはじめ、ホイッスラーの影響を強く感じさせる《お針子(働く女性)》(1905年)、セザンヌの影響がある《赤いりんご》(1915年)、ファッション誌から出てきたような《諸島から来た女性》(1929年)、リアリスティックな描写が際立つ《少女の頭部》(1886年)、愛らしい《母と子》(1886年)など、初期から晩年に至る画業を網羅しました。フィンランド国立アテネウム美術館のコレクションを中心に代表作を一堂に会します。


「東京藝術大学大学美術館」ホームページ


sch1 「ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし」

入場チケット

(図録は購入せず)







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