東京国立博物館平成館で「特別展 写楽」を観た! | とんとん・にっき

東京国立博物館平成館で「特別展 写楽」を観た!



東京国立博物館平成館で「特別展 写楽」を観てきました。観に行ったのは5月の連休の真っ直中、一番混みそうな5月3日、案の定、「写楽展」はたいへんな混雑でした。だからちゃんと観ることができなかった、という言い訳か。混雑を考えると、また行こうという気が失せてしまいました。やはり浮世絵は、近くに寄って、じっくりと観たいものです。


東洲斎写楽といえば、その正体は謎です。篠田正弘監督の「写楽」という映画がありました。1995年の作品です。一度も面識のなかったフランキー堺から頼まれてつくった写楽の正体を推理する映画だったようですが、今となってはよく覚えてない。出演者の真田広之と葉月里緒奈の方が話題になりましたが。その正体の謎解きは、戦前戦後と通じて多々あるようですが、写楽が阿波藩士斎藤十郎兵衛であることを解き明かした、中野三敏著「写楽 江戸人としての実像」(中公新書:2007年2月25日発行)は、けっこうスリリングでした。斎藤月岑著「増補・浮世絵類考」には「俗称斎藤十郎兵衞。江戸八丁堀に住む。阿波候の能楽者」と簡潔に記されているそうです。


さて、僕の写楽雑感、いろいろと思い出すままに、以下書いてみましょう。まずは同じ平成館で開催された「対決巨匠たちの日本美術」、他の大きな屏風などに押されて、浮世絵は(あくまでも比較の問題ですが)ちょっと迫力に欠けましたが、対決していたのは歌麿と写楽、それぞれ6点ずつでした。この好敵手2人の才能に着目して、人気浮世絵師として売り出しに成功したのが蔦重こと、蔦屋重三郎でした。と、「対決」の図録にしっかり書いてあるんですが、この2人の蔦重との関係を僕がやっと意識し出したのは、サントリー美術館で開催された「その名は蔦屋重三郎」展からでした。まさにそのものズバリ、副題には「歌麿・写楽の仕掛け人」とあります。


「その名は蔦屋重三郎」展は、「蔦重とは何者か?―江戸文化の名プロデューサー」で始まり、蔦重を生んだ吉原を考察していますが、歌麿は「美人画の革命児・歌麿―美人大首絵の誕生」として、写楽は「写楽“発見”―江戸歌舞伎の世界」として、大きく取り上げています。写楽の作品はすべて蔦重の元から出版されているという。そしてここが肝心、デビューは豪華な黒雲母摺の役者大首絵を28枚同時に出すという鮮烈なデビューでした。寛永6年(1794)5月のことでした。


人気役者の似絵を戯画化した写楽に対して次第に世間は冷たくなり、その活躍はわずか10ヶ月ほどで終わってしまいます。その間、残した作品は146図。時期が下がるに従って、写楽の個性的な魅力は影を潜めます。大田南畝はそうした写楽を評して、「歌舞伎役者の似絵を写せしが、あまりに真を画かんとてあらぬさまにかきしかば、長く世に行われず、一両年にて止む」(浮世絵類考)と記している、と「対決」の図録にあります。(中野三敏著「写楽」にも同様の記述がある)


それにしても写楽の作品、三井記念美術館で観た写楽の作品、あれは3回に分けて展示された「夢と追憶の江戸―高橋誠一郎浮世絵コレクション名品展―」、重厚なインテリアのやや薄暗い第2室に、ガラスケースに入った写楽の作品、たった1点だけが展示してありました。あの展示は凄かったですね。


展覧会の構成は、以下の通りです。

第1章 写楽以前の役者絵
第2章 写楽を生み出した蔦屋重三郎
第3章 写楽の全貌
第4章 写楽とライバルたち
第5章 写楽の写楽の残影

今回の展覧会では、題材となった歌舞伎が上演された時期によって、4期に分けられ、約140図、約170枚が展示されています。浮世絵では摺りの状態や色の問題など、保存状態が問題になります。そして今回は特に「写楽との競作」の章があり、写楽作品と同一興行の同一の役に取材した作品を比較展示してあります。歌舞伎を知らなきゃ写楽は語れない、それは僕には無理です。もちろん蔦重との関連で、歌麿の作品も展示してあります。これほどまでに写楽の作品が世界中から集められて一堂に会するということは、たぶん空前絶後、これからもまずないでしょう。


ここでは難しいことはさておき、その第1期、写楽が28枚をひっさげて彗星の如く現れたときの、これは知っているようで意外と知らないその28点を取り出して、「備忘録」として以下に載せておきます。第1期の写楽の作品は、背景は雲母摺りとした、大判に上半身のみを描いた大首絵です。16点が男役でそのうち9点が右向きの構図、7点が女方でうち5点が左向きの構図、そして5点が二人一組で描かれた役者、と図録にあります。本来であれば「所蔵」も載せておきべきですが、今回は手を抜いて止めにしました。必要な方は「図録」を参照してください。


花菖蒲文禄曾我

(あらすじ)

父を殺し秘伝の巻物を奪った藤川水右衛門を、長男の石井源蔵と二人の弟が仇討ちする筋書き。源蔵は、妻千束と家来の田辺文蔵とともに水右衛門を討とうとするが、夫婦は返り討ちにあい、文蔵も太腿を切られてしまう。水右衛門は、奪った秘伝の巻物を献上し、亀山城主の桃井家に仕官しようとする。しかし、水右衛門の正体を知る桃井家家老・大岸蔵人の尽力により、二人の弟と文蔵の仇討ちが実現する。

  







恋女房染分手綱・義経千本桜

(恋女房・あらすじ)
由留木家の家臣、伊達の与作は、主君から預かった大金を鷲塚八平次の策略によって奪われ、腰元重の井との不義密通も露見し、追放されてしまう。一方、重の井は、父・竹村定之進の切腹という決死の訴えによって罪を許され、由留木家の姫の乳母として仕えることになる。二人の間には離れ離れになった子どもがおり、重の井と子は偶然対面を果たすのだが、母と名乗ることはできず、ただ我が子をじっと見つめ、分かれる。
(義経・あらすじ)
源平合戦の後、源頼朝に追われ義経が都落ちする義経伝説に取材した話。写楽が描いたのは、四段目の吉野蔵王堂の評定場面。吉野蔵王堂に吉野一山の僧が集まり、義経が入山した場合、かくまうべきか討つべきかの評定が行われる。すでに義経をかくまっていた川連法眼は、本心とは逆にあえて義経を討つべきだと主張し、相手の思惑を探る。







敵討乗合話

(あらすじ)
志賀大七に父・松下造酒之進をコロされた宮ぎの・しのぶの姉妹と、佐々木岸柳に父を殺された信田の次郎光行は、仇討ちを固く誓う。病気であった造酒之進の借金のため、妹娘しのぶは廓に売られてしまう。そうした逆境に耐え、姉妹と次郎光行は仇討ちを計画する。そして、遊女屋舞鶴屋の仮宅で遊興にふける志賀大七と佐々木岸柳を、山谷の肴屋五郎兵衞やたばこや清兵衞の力をかりて、それぞれ見事討ち果たす。






「役者は揃った。写楽」特別展

寛政6年(1794)5月、豪華な雲母摺りの役者大首絵28枚を出版して浮世絵界に突然姿をあらわし、翌年1月までに140点をこえる浮世絵版画を制作しながら、その筆を断って忽然と姿を消した東洲斎写楽。作品が登場した時代の人々にとっても多くの刺激を与えていた単純化され誇張された表現は、現代に生きるわれわれの目にも新鮮な魅力に満ちています。本展は、その造形の魅力を解きほぐし、芸術的な特徴を明らかにすると同時に、写楽作品創造の源を探ります。


「東京国立博物館」ホームページ


「写楽 展覧会」ホームページ


とんとん・にっき-sya1 「特別展 写楽」
図録

編集:東京国立博物館

    東京新聞

    NHK

    NHKプロモーション

発行:東京国立博物館

    東京新聞

    NHK

    NHKプロモーション




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