はじめての方へ

前の二つの記事 これ と これ

の、はい追伸でーす。 (斎藤一人さん風)




>この物質世界の元、科学の言葉でいえば量子の世界を
>私たちの心が動かす、その動かし方が変わると、

>言い換えれば、思いが変わると(タイムラグはあっても)
>周りも変わるということが起こるのです。


この話は、「自分が変わると世界が変わる」ということを示唆しています。ここで終わると、すべては自分次第、ということはたしかにいえるようです…が、

人の思いの実現化・現象化で、多くの人が自分の思いが創造する自分の宇宙という一面、片面だけを都合よくとって
(それで心が弱ってた人が生き生きと強さを取り戻せたりしますから、それはよい一面もあるな、とは思うのですけど)
本来、自分を拡げようというスピリチュアルが、その逆に、知らず知らず自分のエゴの世界にこもる、垣根をつくる、知らず知らず他者の存在を犯すことになって(それはかつてその人自身が嫌っていたはずでも…)省みない原因になっている。そういう、あることが盲点になっていることが多い…と思うのです。

そのあること…

量子の世界において、観測者の自分はむしろ参加者なわけですが、実際は、別の観測者、参加者もいるわけです。

そしてその別の観測者が見たということで新しい量子が生まれ、その先の創造の要素に上書きされています。

これはスピの皮を被ったエゴに都合よく華麗にスルーされがちだと…

だから同じ野球の試合を沢山の人々で
(観客、選手、ビール売りのお姉さん…それそれの参加が可能)
試合を盛り上げたり、大ブーイングな風景にしたり
そこで様々な感情や体感を共有する部分もあれば
またそれぞれ違う風景を見ている部分もある…


違う例えを。

よくある話、まだ新しい築数年の家が、そこの住人の急な転勤や急逝などで
その家を常に観る人がいなくなる(住む人がいない)と

不思議ですね、同じような家が並んでいる地域でも、その家だけ傷みが早かったり、どうかすると屋根にコケが生えたりしますよね?
たまに人に頼んでメンテしてもらっても、少々傷む覚悟をして誰かに貸して住んでもらった方が家が活きます。



アップル社の創業者、故 スティーヴ・ジョブズの言葉

「よい仕事ができない、ということは、その人がそういう期待をされていないからという面がある」

これはスピだなぁ、と思ったのです。


製品開発に妥協を許さない鬼ジョブズでしたから、本人の問題に関わらずなんてことは当然思っていないのですが、彼のベースは若き日インドでグル(導師)について瞑想したり、晩年まで禅の修養をしていた人ですから、只のエゴ実現の鬼でもなかったのですね。


いや、それでも尚かなりのエゴイストではあっただろうけど(笑)


その人によい素質、能力があっても、それを「観る」他者という存在がないと生きない、輝かないということが往々にしてある、と言っている。


期待されて芽吹く、伸びるものなら、偏屈な人でも、ゲイな人でも(後継CEOは…ですね)ジョブズは見出してきて、社員もユーザーも、その人がアップルのその役であることを「観る」ようにした。



自分が主役、人生の創造者である、

それと同時に、(観測者、参加者として)

観てくれる人の「お蔭」があるのです。



たとえ一人でも、観ていてくれる人がいることで

自分の生命の輝きって、大きく違うんです。



幼い頃に一番「観て」くれるのは両親です。(一般的にです。片親ならその母親なり父親。継母とか、施設の方ということもあるでしょう。)

やがて成長して、その道中で沢山の「観る」人との関係性が生まれ、


それぞれの善き・良きところを


「観る」そこにお互いがフォーカスしあうことで


お互いを(どのようにでも「観て」)創造してゆく。


世界を創造してゆく


現世で限られた時間の芝居を皆で作り上げている



ありがたいって、「有り」「難い」当たり前ではないことなのですが、


(その意味で「感謝」の反義語は不満じゃなく「当然」)


本当に有難いものだということが、
科学からも教えられることがあります。



「全は個・個はまた全」なのです。


(そう思って「君が代」を聴いてみると違って聴こえますよ。
さざれ石の出来上がり方を興味のある方は調べてみると
スポーツ観戦でも何でも始まる前から感動できますから(笑) )


自分は自分、人は人というものではない。


すべての人、「観て」「観る」ことで地球人(大げさ??)としての大きな人生、神芝居を紡いているのですね。


あたしはあたし。人は人。お好きにしなさいっていうのを、個人主義と思われているような気がします。


日本人は戦後に民主主義を持ち込まれましたが
(それは素晴らしい面もあるのだけど)


それを活かすには日本人は、個の自立、確立という意味では民族的に未成熟だったのではないでしょうか?

個が立ててないのに欧米の個人主義をやろうとしても成り立ちません。
(そりゃあ、ただの全体主義も問題でしょうけど)

ともかく、

宇宙ってそんな風にはできていないということが量子論、ミクロの世界の法則からも読みとれてしまうのです。


何十年も前、ノーベル物理学賞受賞のC.H.タウンズ博士が

「宗教と科学はやがて収斂して(方向が寄って集っていって)やがて一致する」

という言葉をのこしていますが…
(まだ生きてるのかな? 亡くなったのかなタウンズ博士 < 調べておけ自分 )

追記: 2015年1月にご逝去


高次元な科学って下手な団体宗教よりはスピリチュアルに通じると思います。


脱線しそうだ(笑) 元に戻して締めくくります。


そりゃあ、良く見てくれる人ばかりではないですよね?


性格やその時のお互いの立ち位置の違いから「敵」と認識される人だっている。


でも、それすらも


刻の輪の向こう側、この世の舞台を降り…ないまでも、いくつかの大きな節目、あるいはある一段落が着いたときに観えてくることがあります。


それすらも、只々、有難いものであった、と。


ここまでお読みいただきまして、


そして今日も「観て」いただきまして

有難うございました。m(_ _)m





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