前回の記事 についてですが、実は、もっと色々と文章を書いていたのですけど、後半の文章がとてもシリアスな内容で、前半に書いた文章と極めて対照的な上、”被爆体験を思い出したくも無い”という人に対して思いっきり配慮し過ぎる気持ちが沸いていたせいで削除してしまい、何だか中途半端というか、物足りないような文章になってしまいました。
「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」出版記念パーティの翌日は、岡田裕子さんが多摩美で講師をする関係で、横浜線沿線某所に部屋を借りたので、その引越し手伝いをすると約束してしまっていたので、引越し手伝い&会田寅次郎のお守りをしました。
会田さんの息子、やはり私と同じ匂いを感じます。
一般的に子供はオモチャを欲しがると思うのですが、ホームセンターに行ってお守りをしていると、建築部品とかいった、”何だかよく分からないけど面白そうなもの”を「オモチャとみなして」欲しがります。
やりたい放題 という玩具は、その辺の所を上手く突いた”目の付け所のいい”玩具だと改めて思いました。
道路工事などでよく使われる”カラーコーン”という三角錐形の柵を虚無僧のように私が頭から被ると真似をしたがり、寅次郎も頭から被りました。
危ないので、支えてましたけど。
ホームセンターの中で、我々が一番目立っていたと思います。
結局、”カラーコーン”は大きいので買う事が許されず、”置床用台座”を買ってあげました。
夜遅くに帰り着いたのですが、翌日は早朝から仕事で、一睡もせずにBlogを書いてました。
が、悩みに悩んで、時間が無かった事もあり、結局後半部分を削った物足りない文章をupしました。
それならば、仕事から帰ってから納得いくように文章を完成させてupすれば?という事なんですが、”エリィちゃんは脱退していなかった”という事を早めに告知しないといけなかったので、敢えてupしてしまいました。
そんなわけで、大体の”幻の後半の文章だった文章のようなもの”を書くとします。
「のようなもの」というのは何故かと言うと、当初からは大分内容が変わっているからです。
時間の経過もあるし、気紛れもあるし、ちょっと忘れているからというのもある。
「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」は、実は未だ全部読んではいないのですが、少なくとも読んだ限りでは、色んな人の意見が紹介され、内容的には一種の”MOOK”のようでした。
ここまで原爆・被爆の問題について読みやすい本も、余り無いのではないでしょうか?
あくまで私の持っているイメージですが、原爆問題の本というのは、お硬そうで取っ付きにくいのが多いという印象です。
また、過剰に”人権”が保護され過ぎているという印象の日本。
余り”被爆”の問題について言い辛い様な”腫れ物”的空気も漂っている。
それが、今回の”ピカッ騒動”ではっきりと認識出来たわけです。
タブー嫌いで平然と危ない発言をよくする私にとっては、よくぞ体を張ってタブーに挑戦してくれたなあと思います。
chim↑pomが叩かれた原因というのは、簡単に言えば、作品の見た目が”軽い”印象だったという事に尽きるのではないでしょうか?
それが、被爆者を侮辱している”と看做されたということ。
でも、それは、漫画というものが低く見られているからですよね?
制作者自身が深く真面目に考えて作っていたのなら、何ら問題ないはずです。
謝罪会見についてですけど、いきなりそうさせられる事になったから、何を言おうかじっくり練る時間も無かっただろうし。
でも、感情的に怒っている人には、取り敢えずなだめる事しか出来ないから、その部分に対しては謝罪したけど、謝ってしまうと自分達を全て否定してしまいかねない様なポリシー部分に対しては断固謝罪を突っぱねた所は、良かったと思います。
そこまで謝罪してしまったら、「悪ふざけで作ったんだ」という事を認めた様なものだから。
見た目が駄目なら、ピカソの”ゲルニカ”も駄目という事になりますが。
見た感じ、ふざけてますよね?絶対。あの絵柄。
作者の意図がどうあれ。
また、「はだしのゲン」も、漫画ですよね?
でも、周知のように、物凄く賞賛されています。
それから、この本に掲載されている卯城君の手記で一番印象的だったのは、蔡国強(ツァイ・クォチャン)の友人と称する老人から罵倒されたという話。
「蔡には”愛”があるけど、chim↑pomには無い!!」とのことだが、蔡さんの事をよく知っているからこその発言なんでしょうけど、chim↑pomメンバーがどういう人柄なのかどうかは知らないでしょうに。
また、本を読んだ限りでは被爆者というわけでも無い様です。
”老人”だとのことで、もしかしたら戦争体験をしているかも知れません。
その辺の所よく知りたかったですが、それによってはchim↑pomを叱る資格があるのかどうかが決まってくると思います。
更に、以前も書きましたが、あの”黒い煙”には蔡さんの愛が込められているのかも知れませんけど、見る人には絶対そんなの分からないでしょう!!
事前通告の問題とか、超越してます。
被爆体験所か戦争体験も思い出したくない、思い出しただけで泣いてしまうという人が見たら、そんなの関係なくトラウマが呼び覚まされてしまう事でしょう。
その意味では、”ピカッ”も”ゲルニカ”も”黒い煙”も同じように見えました。
以前「結果オーライならいいんじゃないか?」みたいな事を書いたと思いますが、それを見て「たまたま被爆者団体の理解を得られたりしたから良かったものを、そうならなかったらどうするんだ?無責任発言ではないのか?」と思った人もいるかと思います。
要は”後出しジャンケン”みたいな感じ。
でも、じゃあどうすれば良いのでしょうか?
今の所、私にはちょっと解決方法が分かりません。
当たり障りのない完全にクレームが来ないような「戦争って嫌だね、原爆って嫌だね」的な、或いは批判されないように内容がぼかされた漠然とした「死者の為の瞑想」みたいな当たり前過ぎる作品を作った所で、話題にもならず、ダラーッとした状況が続くだけだっただろうと思います。
平和問題を利用しただけの”姑息な作品”に成り下がってしまうと思います。
あと、”悲惨な体験をした人にしか語る資格が無い”みたいな風潮も一部あると思うのですが、これは単純に”言論弾圧”に繋がります。
タブー(腫れ物)化させ、ものが言えないようになる危険なものを感じます。
原爆体験・戦争体験が無くても、意見感想言ったっていいじゃないですか?
一方的に話を聞かされるだけで、肯定的な意見しか言っちゃいけないとか、どれほど配慮し過ぎなんだろう。
そういう人はまず、人前に出て、戦争体験とか語らないでしょう?
思い出したくも無い筈なので、語りたがらないでしょう?
「ほっといてくれ!!」と言うでしょう?
「体験したことないお前に私の気持ちが分かるか!!」って言われたら、それ以上建設的な議論が出来なくなります。
体験していないから、イメージするしかありませんから、完全には理解出来なくとも、極力理解する努力はしたいじゃないですか?
私が感動したのは、本が出版される前から卯城くんや林くんから聞いていたんですけど、彼らがお話を伺った被爆者団体の方々が、皆寛大だったということ。
chim↑pomに対して怒っている被爆者もいるそうですけど、世の中色々意見の異なった人がいるからそりゃあいるでしょうけど、団体の窓口、リーダーに冷静さが無ければ、どうしようも無いですよね。
寛大さ、優しさが無い人に、平和を語る資格は無いと思っています。
以前も書きましたが、結局”戦争”というのは、”怒り”と”怒り”のぶつかり合い、”憎しみ”と”憎しみ”のぶつかり合いです。
単純に”怒り”とか”憎しみ”がこの世から無くなれば、”争い事””戦争”が無くなる筈です。
私も、偉そうな事を言っているつもりは毛頭無いのですが(その様に誤解している方がいるのであれば、それは誤解ですと申し上げたい)、悪い感情を持った所で、いいところ無いではないですか?
世の中には、対立を煽って”漁夫の利”を得ようとする輩もいますけどね。
”人の不幸を喜ぶ”人も多いと思います。
どうなって行くんでしょうか?人類。
【訂正】
会田虎次郎 → 会田寅次郎
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