風水や風水師がここ何十年か流行しています。私も結構、頑張って風水本を買ったり、部屋を整えたり、ラッキーアイテムと思われるものなどを買って持ち物を変えたりして、いろいろやってました。しかし、何年実行しても、運が劇的に良くなったとか、自分がミラクルにいい方向に変わったことなんてなかったですよ。

 

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もちろん、掃除と整理整頓は大切ですよね。これは快適な生活をして、向上するための基本ですよね。でも、方角がどうだとか、ラッキーアイテムだとか、財布やアクセサリーの色や形だとか、食べ物はこういうのがいいとか、巷に出ている風水本にあるような細かい風水を実行しても意味も効果もないと思います。それは、もうみんな、気づき始めてるんじゃないかな? 洗脳だってことに。

では、なぜ「風水」が実際は効かないのか? 私が考えた答えは、風水の成り立ちにあります。そもそも、風水というのは古来、中国の支配層(皇帝や王)が自分の地位をアゲて、支配される民や奴隷をサゲるために発達させた学問だからなのです。つまり、風水の根底には「自分さえ良ければ(民はどうなっても)いい」という、本来の日本人の美意識や生き方とは全く異なる欲望至上主義や拝金主義があるからです。自分の欲望やお金のためなら、何でもするし手段も選ばない考え方です。

風水本を読むと書いてあるかもしれませんが、日本に「北枕は良くない」という迷信が伝わっているのは、「釈迦が亡くなった時に北を向いていたから縁起が悪い」という理由の他に、もう一つある。それは、風水発祥の地である古代中国の支配者層が一般人に元気になってほしくない(隷属させつづけさせる)ために、実は地球の磁気の流れに沿った北枕をさせないための洗脳として、そういう噂を流させた、と言われています。

他人を支配するための武器、

これが風水の起源なのです。

日本人は、昔からご飯を食べる時には「いただきます」と言って、命を頂くことに感謝して、いいことがあったら「おかげさまで」と言って、周囲に感謝して生きてきました。そして、聖徳太子が「和をもって尊しとなす」と言ったように、日本人は昔から人と協調して、人のために生きることを良しとしてきました。これは、私たち日本人の美点であり、たとえ戦争や地震などの天災があったとしても、みんなで力を合わせて立ち上がることができた日本人の強みでもあります。

「これを飾れば運が良くなるんじゃないか」とか自分の外側を変えることによって、自分が良くなるんじゃないかという

 

「努力は最小限で、欲望丸出し」の風水理論

 

は、日本人のメンタリティには合わないのです。…というより、むしろ害になります。モノやうわべの物事に依存する他力本願な考え方を習慣にしてしまうと、地道な努力や工夫を怠るようになり、その結果として人間としての成長がなくなるからです。

日本で人気風水師として知られている女性が「李王朝付きの風水師の家系だ」と著書に書いておられます。「李王朝」というのは、少数の王族や貴族が圧政を敷き、

 

9割の民は虐げられ当時は読み書きがほとんどできない状態

 

でした。現在も、韓国のソウルでは街で自転車に乗る人がほとんどおらず(自転車に乗ることはみじめなことだとされているから)、職人や工芸などの製造業などがなかなか発展しないのは、その時代に肉体労働者を下層民として徹底的に差別した李王朝時代の名残りだと言われています。

 

日本は江戸時代に寺子屋があり、江戸の庶民の識字率は当時の世界の他の都市と比べてもトップレベルでしたし、高度な商工業や灌漑技術が庶民レベルに浸透していました。また、日本の天皇陛下は、代々、「四方拝」のように民のために自分が全ての厄災のフィルターとなる自己犠牲を祈り続けていました。

日本人には、努力して工夫する美徳があります。

枯れ果てた大地なら、水を引いて耕そう、と考えます。地震で家が壊れたら、立て直そう、と頑張ります。(日本人にとって、これは当たり前の考え方なのですが、文化が違うと、そういう考え方にはならないところもある)

本当に運が良くなりたかったら、それは元々、私たち日本人が一万年以上前から続けている稲作を通じて縄文時代から培ってきた美徳を思い出すことです。そうすると、自分の中に眠っていたパワーが目覚めます。昔の日本人の偉人伝を読んでください。明治維新の志士の生き方を見てください。武道や茶道など、日本の伝統芸能や文化を通じて、「やまとごころ」を養ってください。そうすれば、自分の中に芯ができるので、自分の外にあるものをあれこれ思い煩って、姑息な開運をする必要は無くなります。芯のある人間には、必ず人がついてくるし、本来の運がついてくるし、天がついてくる。

 

開運についての真実

世界が日本人から学びたい理由