岡山市南区郡~玉野市八浜
撮影 :2013.2.14 (再編集)
FUJIFILM FinePix HS30EXR

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歴史・伝説 参照元
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瀬戸内海国立公園
金甲山 (きんこうざん)
岡山市最南端と玉野市の境界に位置し、日本で最初の国立公園
に指定された瀬戸内海国立公園に属する
児島半島最高峰の山。
(標高:403m)

― 眺望 ―
岡山平野

― 山頂東側(送信局舎付近)より ―
児島湾と、神武天皇聖蹟伝説地(昭和15年、文部省指定)の
高島
(中央:稜線ぎりぎりに見える島)、百間川(後述)河口と
岡山市東区方面。
歴史
平野部に点在する20余りの丘陵・山々は、現在の瀬戸内海が形成
された約7000年前(縄文時代前期) から1618年(江戸時代) の藩営
干拓により児島半島が本土と陸続きになるまで、龍ノ口山南麓 (岡
山市中区)辺りが旭川河口、海岸線であった海原(吉備の穴海) へ
児島とともに浮かんでいました。

児島の沖合いは、旭川
(下記リンク) 河口の干潟で稲作が始まった
約3500年前 (縄文時代晩期) から収穫物を運搬する原始・古代の
丸木舟が行き交い、数世紀を経て島々の間にひろがった干潟によ
り航路が衰退した室町時代まで、中世の帆船が行き交う海上交通
の要所でした。


伝説
初代神武天皇が、葦原中國 (あしはらのなかつくに:日本の古名)の
平定をめざして九州から大和国 (現、奈良県) へ向われる際、紀元
前666年4月
(岡山県神社誌 高島神社御由緒より西暦換算)
、「吉備
の穴海」(現、児島湾)に浮かぶ高島へ仮宮「
吉備高嶋宮
を御創建、
3年間滞在されました。(日本書紀)

高島、吉備国へ滞在された間、一挙して天下を平定するための船を
建造、船団を整え、食糧を備える (日本書紀 卷第三 神武天皇即位
前紀)
とともに、皇兄の彦五瀬命(ひこいつせのみこと) らが「吉備の
穴海」の北岸(現、東区西大寺周辺) で、稲作や機織りなどの殖産を
奨励されました。


天照大神 (日の神、祖神) と崇めた太陽を仰ぐ島の南側へ創建され
た高嶋宮址へ、神武天皇を御祭神とする高島 (高嶋) 神社が鎮座し
ています。御祭神は平安時代に郡総社宮へ合祀されました。

西大寺には彦五瀬命らの産業奨励を顕彰し、「兄を祀る(まつる)神
社」 として創建された安仁神社 (古名:兄神社、社格:国幣中社) が
鎮座しています。(安仁神社御由緒)
高 島

岡山市南区宮浦
(撮影 2013. 8.20)

<ご参考>
吉備児島 「高島遺跡、吉備高島宮址」
  高島遺跡(祭祀跡)の遺構、出土品。
高島史跡(吉備高島宮址)、高島神社の由緒沿革など
瀬戸の入り海 「児島湾」
  「吉備の穴海」の概要(内陸海岸線)、児島湾、児島半島
誕生の概要など

― 山頂駐車場 北側展望台より ―

岡山港と岡山市南区・北区・中区方面。
一番遠くに霞む山々が中国山脈。
中ほどに連なる山々の裾野辺りが 「吉備の穴海」の海岸線。
右からひろがる裾野が 「吉備の穴海」 に浮かんでいた操山。


児島湾と岡山市南区、岡南工業地帯。
蛇行する旭川を挟んだ岡山市中区の街並み(操山の裾手前)と
岡山市北区の岡山市街地・ビル群。(操山の裾上)
旭川 「岡山を生み、育んだ大河」
  土砂の堆積作用によって岡山の大地を生み、本流・支流域
でひろまった農耕・製鉄技術で、児島の製塩とともに古代有
数の地方国家 「吉備国」 を築き、吉備文化を育んだ旭川の
概要、河川データなど。

― 山頂北側(送信局舎付近)より ―

児島湾岡山港と、岡山市南区・北区・中区方面。
児島湾の手前 = 岡山市南区郡~北浦辺り。

百間川と岡山市中区(左)。
左からひろがる裾野が「吉備の穴海」に浮かんでいた操山。
百間川は、岡山城築城後に城郭の防御のため旭川を付け替えた
(蛇行させた)ことにより度々発生した洪水対策のため、1669年~
1686年に開削整備された旭川放水路です。(全長12.9km)
旭川分流付近の堤防間の幅、百間(約180m)が名前の由来です。

百間川に沿った操山の裾野(吉備の穴海沿岸)には、約4000年前
(縄文時代)からの集落跡、約2100年前(弥生時代)からの広範囲
な水田跡、稲株(田植え)跡が出土しています。
(百間川遺跡群等)

岡南富士怒塚山(いかつかやま)と、児島湖へ注ぐ笹ヶ瀬川
笹ヶ瀬川(ささがせがわ)は、童話 「桃太郎」 で・・・
おばあさんが川で洗濯をしていると・・・
大きな桃が どんぶらこ~ どんぶらこ~ と
流れてきた
  ・・・とされる川です。
笹ヶ瀬川 「童話、大きな桃が・・・」
  吉備国を平定・統治、吉備文化の基礎を築いた大吉備津
彦命の渡来に想い重ねた童話「桃太郎」の ワタクシ的解釈。
吉備文化発祥の地「吉備路」などを流域として、古代吉備
国の発展に深く関わった笹ヶ瀬川概要、河川データなど。

― 山頂展望台より ―

児島湖と、玉野市を南北に流れる鴨川水系の本流、鴨川
(二級河川)の河口。

鴨川河口(手前)と、倉敷美観地区を流れ、児島湖に注ぐ
倉敷川(上)。


玉野市八浜の町並みと、両児山(ふたごやま)= 中央。
江戸時代から昭和時代の数世紀に亘った児島湾干拓のうち鴨川
を挟み、昭和時代の四半世紀に及ぶ干拓事業で開かれた玉野市
南七区(左)と、岡山市南区北七区:旧灘崎町(右)辺り。
歴史
八浜は中世から近世まで、帆船の風待ち・潮待ちの港町として栄
え、近世は金毘羅参詣などの宿場町として賑わいました。
1180年 3月には高倉上皇(第80代天皇) が厳島御幸の途中に
泊まられ、その際に八幡若宮神社へ幣物を奉献されました。

― 県道399号 金甲山線 (山腹)より ―

児島湾を挟み、岡山市南区海岸通り辺り(上)と飽浦(手前)。
飽浦 (あくら) の浜は、「万葉集」 第7巻に、「網引する海人とや
見らむ飽浦(あくのうら)の 清き荒磯を見に来し吾(われ)を

と詠まれています。


児島湾を挟み、岡山港・岡南(こうなん)地区(上)と郡辺り(手前)。
伝説
郡周辺は、瀬戸内海沿岸と同様に原始の頃(旧石器時代) から
生活が営まれ、古代国家建設・朝廷創設期より 「児島」 を”
古代
国家形成の重要拠点
”とした大和朝廷は、「吉備の穴海」の中央
に位置していた郡周辺に、朝廷直轄領 「
児島屯倉(みやけ)」 を
設置しました。 海上交通、海運・交易の拠点として重要視された
郡は古代より吉備児島の首都(
)、港は吉備国の重要港として
栄えました。

<ご参考>
おかやま全県統合型GIS (岡山県地理情報システム)
埋蔵文化財(遺跡)情報 児島半島郡周辺
いにしえの児島 「宮浦」
郡~宮浦、東児地域の古代遺跡と伝説、歴史。
児島 「宮浦の里」 (古代、三宅郷)
児島屯倉に由来する古代の地名。その他、古代児島の
行政区画・地名など



児島湾締切堤防が結ぶ岡山平野(岡山市南区・北区辺り)と児島
半島(岡山市南区郡辺り)。 締切堤防右=児島湾。左=児島湖


昭和中期、"世紀の大事業"と称された当時日本最大の干拓工事
で完成し、ダム湖を除く人造湖として、オランダのアイセル湖に次
いで世界2番目の広さを誇る湖 「児島湖」を誕生させた児島湾締
切堤防。
 手前中央=弁天島 (遺跡址)

金甲山 TOP

山  頂 展望台
――― 眺望 ―――
瀬戸内海 岡山平野
同一ウインドウで開きます。

<ご参考>
おかやまの自然百選 「金甲山」

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