岡山市南区宮浦
2013. 8.20
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高 島

九州の高千穂宮 (たかちほのみや)を御所とされ、政(まつりごと)
を行われていた磐余彦尊(
いわれひこのみこと:初代神武天皇)が
幾つにも分かれた部族・豪族間の争いが絶えなかった 葦原中國
(
あしはらのなかつくに:日本の古名)の平定をめざし、 彦五瀬命
(ひこいつせのみこと ) ら皇兄たちとともに、 その中央に位置して
葦原中國の平定にふさわしい大和国 (現、奈良県) へ向われる際
に 「
吉備高島宮」 を創建し、滞在された島。(古事記・日本書紀)
<昭和15年 文部省指定「神武天皇聖蹟伝説地」>


― 高島遺跡 ―
岩盤山(北側丘陵)山頂(写真、左)
縄文・弥生時代 祭祀跡
遺  構: 巨石群(磐座)
出土品: 縄文土器、弥生土器、鏡、鉄刀、鉄鍬、
甲冑の断片、勾玉等の石製装飾品、他
高島天狗山遺跡
天狗山(南側丘陵)山頂(写真、右)
古墳時代 祭祀跡
遺  構: 高さ3.5mの巨石と周囲に石が配され
た祭祀跡(磐座)
出土品: 師土器、鏡、勾玉等の石製装飾品、他
天狗山(南側丘陵)山麓、広場
出土品: 鉄製釣針、石

Google マップ航空写真

<参照>
岡山県地理情報システム 埋蔵文化財(遺跡)情報
日本先史古代研究会 吉備(黄蕨)国・高嶋宮伝承の解析
発掘調査
1967年(昭和42年)9月1日~9月10日
瀬戸内考古学研究所、 岡山理科大学
高島史跡
吉備高島宮址(高島神社)



Google マップ航空写真

天照大神(あまてらすおおみかみ:日の神、祖神)と崇めた太陽を
仰ぐ島の南側へ創建した
高島宮
(仮宮)址へ神武天皇を御祭神と
する高島神社が鎮座しています。

昭和13年(1938年)~15年、当時の学界の総力を挙げた「文部省
神武天皇聖蹟調査」の結果、古代土器、装飾品等の出土、祭祀跡
の遺構、記録された口碑伝説(上記)があることなどから、文部省
「神武天皇聖蹟伝説地」に指定されました。
昭和17年(1942年)、「神武天皇聖蹟調査報告」発行。(文部省)

高島神社 (高島宮址)

昭和15年 文部省指定「神武天皇聖蹟伝説地」
(昭和15年 5月 6日 官報第3996号)
所在地:

岡山市南区宮浦3286(高島)

社 格 : 旧村社
主祭神: 神武天皇
相 殿 : 天児屋根命、武甕槌命、経津主命、比咩命(合祀)
例 祭 : 10月14日・15日
境内地: 982坪
建造物: 本殿、幣殿、拝殿、釣殿、神饌所、渡廓下、逢拝所
摂末社: 龍神社
氏子数: 1,050人、崇敬者数:54,000人 (参照:岡山県神社誌)

由緒沿革
創 建 : 神武天皇乙卯年三月(西暦換算:紀元前666年4月)
神武天皇が御東征の砺、当地に行宮を創設せられた
のにはじまる。古事記に記載された高島宮。
(岡山県神社誌 原文)
西暦772 年、四柱の神「天児屋根命、武甕槌命、経津主命、
比咩命」を奉斎。
(合祀)
朝廷、国司、藩主が、神封、社領、社殿の新改築等を寄進。
明治維新の際に村社に列格。
由緒、昭和15年の文部省「神武天皇聖蹟伝説地」指定により
県社に相当。(社格制度:昭和21年廃止)

<中世~近代>
739年 (天平11年)、別当寺として高島に備前国分尼寺建立。
現、新華山 松林寺
別当寺:神仏習合の時代に神社の管理を行った寺
1907年 (明治40年)、松林寺が現在地 へ移転。
1926年 (大正13年)、岡山市が高島を海上公園として開発整備。
1940年 (昭和15年)、紀元2600年記念事業 の「神武天皇聖蹟の
調査保存顕彰」として社殿を改築、神域を整備。
紀元2600年記念事業:神武天皇御即位(紀元前660年:
明治期の換算)
2600年を奉祝し、1940年(昭和15年)に
行われた国家事業。
1941年 (昭和16年)、太平洋戦争勃発により開発整備中止。
現在は無人島で定期船の発着もなく、氏子有志の方が定期的
に清掃等の奉仕に出向かれています。

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吉備(黄蕨)国・高嶋宮伝承の解析
(日本先史古代研究会)

吉備高嶋宮と古代児島

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