岡山市南区郡
2014.10.30
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児島湾
現在の瀬戸内海が形成された約7000年前 (縄文時代)、 現在の
児島半島 以北は龍ノ口山南麓 (岡山市中区)辺りの海岸線まで
児島と20余の島々が浮かび、後に「吉備の穴海 」と称される海原
でした。

旭川河口の干潟で稲作が始まった約3500年前(縄文時代晩期)
から児島の沖合いは、収穫物を運搬する原始・古代の丸木舟が
行き交っていました。

数世紀を経て、島々の間にひろがった干潟により航路が衰退。
ここ郡を拠点にした北側航路に代わり、倉敷市下津井 を拠点に
した南側航路が発展する室町時代まで、中世の帆船が行き交う
海上交通の要所でした。


八幡若宮神社宗形神社 周辺 (
弁天島遺跡)、郡総社宮 周辺に
旧石器時代の集落跡
が出土したここ郡は、原始の頃から生活が
営まれ、古代大和朝廷の 「
児島屯倉」 設置(下記) とともに吉備
児島の 「
」(古代行政下の首都) として栄えました。

<ご参考>
瀬戸の入り海 「児島湾」
「吉備の穴海」の概要(内陸海岸線)
児島湾、児島半島誕生の概要など
いにしえの児島 「郡、弁天島」
弁天島遺跡他、旧石器時代集落跡
の概要、場所・遺跡情報など

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児島湾締切堤防
遊歩道

案内標識の右に見える丘陵 (八幡山) の建物付近 に、児島半島
最大級の古墳(
八幡大塚古墳群)がありました。
墳丘規模・石棺の装飾・副葬品から、大和朝廷が設置した 「
児島
屯倉」(下記) の管理を勤めた貴人の墳墓と言われています。


屯倉 (みやけ)
大和朝廷直轄地。朝廷が運用・管理する倉庫。
屯倉は日本書紀の表記。 その他 「屯家・御宅・三宅・三家・
官家」とも表記されました。
児島屯倉
西暦556年、大和朝廷が郡~宮浦に設置しました。
原始・古代より、塩づくり・漁労・農耕が盛んで産物に富んだ
児島のうち、郡~小串~東児地区~八浜の集落における塩・
海産物・農作物の収穫管理が行われていました。

大和国と結ぶ潮流穏やかな吉備穴海の中央に位置した海上
交通に最良の場所にあり、天然の良港(郡港 ・宮浦港) を有
する児島屯倉は、交易・海運の要所として重要視されました。

<ご参考>
児島湖~児島湾、 いにしえ薫る風
八幡大塚古墳群、場所・遺跡情報など
八幡大塚古墳群情報:ページ下段)
児島 「宮浦の里」 (古代、三宅郷)
児島屯倉に由来する古代の地名、その他
古代児島の行政区画・地名など
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八幡大塚古墳群があった児島
半島北東部の丘陵 = 八幡山
(中央、建物付近)


児島湾締切堤防道路



児島湾締切堤防全景
堤防右=児島湾、左=児島湖
写真下=児島半島 (南区郡)
手前中央=弁天島 (遺跡址)
――― 「金甲山 」より ―――
(撮影 2014.1.25)



児島湾中央管理事務所
(撮影 2012.8.19)
1F : 児島湾干拓資料室

吉備の穴海に浮かんでいた児島と20余りの島々の間に
発達した干潟において、8世紀(奈良時代)から始まった
開拓の歴史、 干拓地へ安定的に農業用水を供給するた
めに1950年(昭和25年)から開始された児島湾締切堤防
工事の歴史、干拓・工事に携わった人々の歴史を伝える
記録や資料が展示されています。
月曜日~金曜日 9:00~17:00開館。
土日祝休館。入館無料。 TEL : 086-267-3002
※2014.11.5 現在(本ページ作成時)の情報です。
おかやま観光コンベンション協会 > 観光スポット情報
児島湾干拓資料室

児島湾締切堤防

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(撮影 2012.9.15)

児島湖

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