岡山市南区郡 |
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撮影:2006年~2010年 (HP版より転載・再編集) |
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古代の海岸線、島々の面影がうかがえます。 |
児島湾と児島半島の誕生 |
現在の瀬戸内海が形成された約7000年前(縄文時代)、現在の
児島半島以北は龍ノ口山南麓(岡山市中区)~三野~津島~
矢坂山~吉備中山南麓(同北区)、倉敷以西は山陽自動車道沿
い(南麓)を結ぶ内陸の海岸線まで児島と20余の島々が浮かび、
後に「吉備の穴海」と称される海原でした。
旭川河口の干潟で稲作が始まった約3500年前(縄文時代晩期)
から、児島の沖合いは原始・古代の丸木舟が行き交い、数世紀
を経て島々の間に干潟が発達した室町時代まで中世の帆船が
行き交う海上交通の要所でした。
江戸時代の1583年から始まった宇喜多秀家による農地開拓で
高梁川河口(現、倉敷市酒津八幡山付近)の干潟に新田を開拓
するため1584年から13年の歳月をかけ、児島と同じく穴海に浮
かんでいた早島の多聞ヵ鼻(現、龍神社)を起点に、吉備穴海の
海岸線であった現在の倉敷市酒津に至る大規模な汐止め堤防
「宇喜多堤」が築かれました。
高梁川河口周辺の干拓が進んでいた1618年、現在の倉敷市西
阿知から粒浦辺りの干拓により、内陸~早島~児島が陸続きに
なり、潮流穏やかな入り海「児島湾」と児島半島が誕生しました。 |
右 |
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児島半島最大級の古墳があった八幡山 (手前丘陵)
八幡大塚古墳群 > 詳細 (ページ下段) |
左 |
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児島湾大橋 |
旧石器時代からの集落遺跡が点在していたここ郡は
古代から児島の「郡」(首都)として栄え、港は吉備国
の主要港として栄えました。 |
岡山市中区新築港より |
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正面:岡南富士、怒塚山(いかつかやま)
左:児島半島入口(剣山山麓) |
1978年(昭和53年)着工、1983年(昭和58年)2月完成。
児島湾の北(岡山市中区新築港)と南(同南区飽浦)を結ぶ橋。
路線バスを除く大型車両の通行が禁止されている児島湾締切
堤防道路に代わる岡山玉野連絡道路として建設されました。
延長:931 m、高さ(海面より):30m、幅:10.5m、
片側1車線、片側歩道(西側:児島湖側) |
岡山市中区沖元より |
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正面:岡山市南区宮浦、後:半島最高峰「金甲山」
左:高島(南区宮浦)、右:市民の森(中区新築港) |
カメラ |
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OLYMPUS SP-570UZ
PENTAX Optio S60
PENTAX *istDS2 PENTAX K-m |
レンズ |
: |
PENTAX DA 18-55mm
TAMRON AF 28-300mm MACRO |
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