現在の瀬戸内海が形成された約7000年前 (縄文時代前期) から
1618年 (江戸時代) の藩営干拓により児島半島が陸続きになる
まで、現在の半島以北の平野部に点在する20余りの丘陵・山々
とともに、海原(吉備の穴海
)に浮かんでいた「児島」に高く
そびえ、古代から九州―近畿(大和国)を航行する舟が吉備児島、
吉備国の目標としていました。
国生み神話「古事記」では9番目、「日本書紀」では8番目に
生まれたとされる「吉備児島」の国魂 (くにたま:国土を司る神)
建日方別(たけひかたわけ)が鎮座し、古代から内陸の吉備中
山
、高倉山
と並び、神が鎮座、降臨する神奈備 (かんなび) の山
として崇められ、中世は修験道の山として信仰されていました。
吉備児島の国魂、建日方別を祀る祠(ほこら)があった山頂の
磐座(御神体とした巨岩)を祭祀遺跡として山頂展望台の横に
保存・整備されています。
建日方別は金甲山北麓(山頂真北) に位置する国津神社
(南区郡)
へ移し祀られ、平安時代に郡総社宮
(同) へ合祀されました。
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