※「白血病からの社会復帰」シリーズが初めての方は、コチラ の「シリーズ連載への想い」を先にお読みください
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前回(第28話) の続きです。
「発病前のキャリア~発病~闘病~そして社会復帰」と順に、キャリアコンサルタント目線も添えてお伝えしています。
※なぜ闘病からお伝えしているかは、こちらへ
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(今日のお話)
もしも、あの時、
閉ざされた無菌室から、外と繋がる手段が全くなかったら、、、
・・・・・・・
急性骨髄性白血病で緊急入院してから、5ヶ月目の2002年1月。
無菌室から一歩も出られない状態で、抗がん剤治療を続けていた私に、「骨髄バンクでドナーが見つかった!」と言う知らせが、主治医から入りました。
しかし、その時、順調に治療が進んでいた私にとって、それは朗報でありながら、新たな苦しい選択を迫られる悩みになったのです。命がかかった選択を・・・。
・・・・・・・
主治医が、回診に来る度に、「移植の有無での生存率の違い」を繰り返し尋ねた覚えがあります。
その時、私は、数字で決めようとしていたのです。
5年後生存率。
当時の私の病状で、主治医いわく、移植なしで40%程度、移植ありで60%程度。
移植なしで、もし再発したら、その時に骨髄バンクでドナーさんが見つかる保証はない。
移植したら、完治が狙えるものの、移植が原因で命を失う危険性もある・・・。
6畳ほどの閉ざされた無菌室で「四角い空」を眺めながら 、考えれば考える程わからなくなって、混乱して、おかしくなりそうでした。
そんな時、
唯一の「外」と繋がる手段が、インターネットでした。
無菌室に入ったのは、2001年10月。
その後、当時の彼氏(現・夫)に頼んで、モバイルPCを買って、ネット接続できる状態に整えて、無菌室へ入れてもらっていました。
入院していた病院では、一歩も出られないまま何カ月も治療が続く無菌室で、パソコンの持ち込み・ネット接続が許可されていたのです。
しかし、、、
検索をして、ヒットしてくるのは、天国へ旅立った白血病患者さんのブログばかりでした・・・。
今、こうして私が、白血病克服を公表して、ブログを書いている理由の一つです。
・・・・・・・・・・
ある日、ふと中学生の時から大ファンだった歌手Tさんの公式サイトにアクセス。
そこには、掲示板(BBS)がありました。
場違いだとわかりながらも、思わず、書き込みました。
白血病で治療中であること。
無菌室から、書き込んでいること。
そして、、、
今、骨髄バンクのドナーさんが見つかって、移植に踏み切るかどうかで、とても悩んでいること・・・。
誰かに 命のかかった選択に悩み続けていることを わかってもらいたかったのかもしれません。
何も期待はしていませんでした。
もしかしたら、場違いだと叱られるかもしれない。何の反応もなく、無視されるかもしれない。
それでも、この閉ざされた無菌室の中にいる「自分の存在」を、知ってもらいたかったのでしょう。
すると、思わぬ反応が返ってきました。
それは、、、
こちらへ つづく・・・
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【シリーズ目次】
◆目次~白血病からの社会復帰
【幸せな就職のための具体的スキル記事】
◆就活/転職FAQシリーズ(目次)
【働くを楽しむための記事】
■どんな仕事も楽しめる♪目次集【1~67話、番外編1~54】
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※症状などは私の場合の経験談で、白血病の症状を説明しているものではありません。また白血病に関する内容も、元患者の私の理解の範囲で、正確なものではありません。病に関しては、専門医にご相談くださいませ。