Happyキャリア&ライフへの道しるべ
~キャリアコンサルタント木村典子(のり)です
「電話やネットにまつわる”ちょっといい話”」、、、あなたは、どんなご経験がありますか
私は、モバイル・ノートパソコンの小さな画面を見た瞬間、止めどなく涙が溢れ出たことがあります。
感激と、感動の、嬉し涙・・・。今から7年前、2002年のことです。
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2001年9月11日、突然の急性骨髄性白血病の発覚で、緊急入院した私。
まずは4ヶ月間、「無菌室 」と言う6畳位の広さの、常に清浄な空気が保たれた「特殊な個室」から、一歩も出られない入院生活が始まりました。
「外」との接触手段は、インターネットと電話。
「白血病」でネット検索する度に、厳しい現実が見えてくる日々でした。
50%もない生存率。2001年当時、検索でヒットしてくるブログは、ほぼ全てが天国へ旅立たれていました。
そして、無菌室で年越しをし、年が明けた2002年のある日。
当時36歳だった私が、中学1年生の頃からファンだった「歌手Tさんの公式サイト」にたどり着き、恐る恐る・・・掲示板(BBS)に書き込みました。
「無菌室から、書き込ませていただきます」と・・・。
ファンの方々が書き込んで、その歌手Tさん自身も時折り書き込まれていた、その掲示板。私が書き込んだ内容は、どう考えても場違いでした。
「骨髄移植に踏み切るべきかどうか、悩んでいます」・・・。
閉ざされた無菌室 の中で、頭がおかしくなりそうな位に悩みぬいていたのです。
なぜなら、緊急入院後の私は、、、
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緊急入院3日後には、間質性肺炎になり、さらに生命の危機 にいました。
肺炎は、まさに「奇跡的に」回復したものの、
肺炎の原因が、私のタイプの白血病治療に欠かせない抗がん剤の可能性があったので、探り探りの抗がん剤治療が始まりました。
妹とも弟とも、骨髄移植をするために合致しないといけないHLA(白血球の型)は異なり、血縁者ドナーはおらず、
主治医の勧めで、早々に骨髄バンクに登録をしました。
その後、無菌室 の中での抗がん剤治療が順調に進んだ、2002年の年明け。骨髄バンクでドナーさんが見つかったと言う連絡が入ったのです。
その時、「寛解」(見た目上は、白血病細胞が無くなっている状態)を、抗がん剤治療で維持できていた私。
死のリスクをはらんだ「骨髄移植」。
移植に踏み切ったがために、死んでしまうかもしれない。
もしかしたら、移植しなくても、このまま再発せず生き続けられるかもしれない。
でも、もし再発したら、血縁者ドナーもおらず、抗がん剤で再び「寛解」へ持ち込める確率も低い・・・。
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どちらを取っても、命の保障のない「リスキーな選択」に、頭がおかしくなりそうでした。ドナーさんが見つかった嬉しさと裏腹に・・・。
一週間ほどの一時退院をもらえて、「骨髄移植に踏み切る覚悟」が決まり、一週間の一時退院を終え再入院する前日。
また、そのBBSへ書き込みました。
「また闘いに行って来ます!」と。
翌日、再び病院へ戻り、ノートパソコンを開け、そのBBSへアクセスすると・・・。
数え切れない、何十と言うレスが、私の「また闘いに行って来ます!」の書き込みにつけられていたのです。
ノートパソコンの画面を見つめながら、溢れ出す涙を止めることができませんでした。
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見えない人との繋がり。
会えない人との繋がり。
ネットや電話。
それは、人と人との心をつなぐ、大きな役割を果せるモノ。
人は、人によって支えられ、
人は、応援してくれる人の存在を知るだけで、「勇気」と「元気」と「希望」が涌いてくる・・・
「勇気」と「元気」、そして「希望」を運んでくれた「ネットと電話」に、改めて感謝します
「ネットと電話」を通して、私の命を応援してくれたすべての「あなた」に、改めて心から感謝します
ありがとう
生きることを楽しみながら、役割を果たして生きています
ハッピーに働いて、ハッピーに生きる。
Happyキャリア&ライフへの道しるべ
~キャリアカウンセラー木村典子(のり)
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