量子場師のむかえです
(心屋マスター29期 かのマス卒業)
☆前者・後者って?
⇒『■【永久保存版・全体概要】前者後者は世界を救う?!前者後者ってなんだ?』
(by 心屋仁之助さん)
☆私の記事はこちら^^
⇒『前者後者の過去記事一覧』
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『空気を読む』
まあ、こんなのは言葉の定義次第でもあるとは思うんですが、
文字通りの意味であれば
前者も後者もデフォルトでは
「空気を読んで」はないんじゃないかと思うんですよね~
※あくまでデフォルト(初期設定)の話なので、
読んでる人はいっぱいいますよ^^
まずですね。
ジャスト「空気」を見てるのも「空気」が見えるのも
むしろ後者じゃないのかな思うんですよ。
だって「空気」って文字通りの意味であればこういうことでしょ?
このもわもわしてるところ
後者って自分の視界に入るものは全部見えてるし、
(キャッチャーから見える球場全体みたいに)
細かいカテゴリー分けをしないで「全体そのもの」を見ることができますからね。
全体の雰囲気とか違和感にも敏感だし、
全体の方向性とか、
テンションや偏りとか濃度とか、
そういうのは普通に見え(関知し)たりするんです。
で、鋭い人は何がそのポイントかも見える
↑お馴染みのこの絵(後者の視界)。
矢印で描いてますけど、これ線というよりビームみたいな感じで
拡散したり集中したりする感じのモノなんですよね。
じゃあ、なんで後者が一般に「空気読めない」と言われる行動するのか、
的外れなことしたりするのかといったら、
ひとつには、後者の場合、
焦ったり何かに興味が向くとすぐに視野が集中したり狭くなっちゃって、
そうなるとそれ以外のことを忘れちゃう、見なくなっちゃう
というのがまず大いにあります。
自分の気持ちだけでいきなり突っ走っちゃうあれですね。
それはそれで強みなのですが。
あと人生的にいつも焦り続けているため、
「目を上げて全体を見渡す」という習慣が全く身に付いてない人が中にはいます。
でもそもそも根本的に、
どっちにしろ後者はやっぱり空気が読めなくて、
それはなぜかというと、後者は基本、
空気見てるだけだから
です。
見えてるけど、読んでないし読めてないの。
その空気が「具体的に」どうやって形成されてるかとか、
「具体的に」どういう意図や状況が絡み合ってるかとか、
あるいは、
自分の行動が「具体的に」状況や周りにどういう影響を与えるか、とか
(ビリヤードの反射角がどうなるかみたいに)
そういうのが
見えてない&読めてない or 読む発想がないんですよね
あとこれ、大事なところなんですが、
でも後者は全体の”感じ”を見ていても、
その空気なら空気を作っている「具体的」な部分を追えてないから、
いざ自分が具体的な「行動」に移す時に、
具体的にどうしたらいいかわからなくて止まったり、
トンチンカンなことしたりするのです。
じゃあ一方で前者はといったら、
前者さんはですね、
別に文字通りの「空気」は見えてないんですよ。
あの人たちは状況を読んでるんです。
今何が起こってて、それはどういう背景で、
具体的に誰がどういう風に関わったり絡んだりして、
色んな人の意図が「具体的に」場にどう飛んで、進行してるか。
見えてもいるし、読んでもいる。
自分の動きが、誰の感情や意図や状況にどう影響して、
それを受けて相手がどう考えるか、動くか・・・
そういうことを意図したり考えながら動いているのがデフォルトです。
(こうしたらこうなる、という因果関係の予想)
これは先日美紀さんと話してる時に改めて気づいたんですが、
前者さんて、われわれ後者と比べて、実は見てるものが特化してるんですよ。
前にも書きましたが、
前者さんが通常把握しているのって、個々のプレーヤーの「関係性」なんです。
だから前者さんは「線」のような感じで色んな事を捉えてるんですよ。
そして具体的に見ているのは各プレーヤの「行動」と「意図」。
(by 美紀さん)
そこだけを特化してメインに見てるんです。
後者は【単一視点】で本当に≪全体(or集中)≫を見てますが、
前者は【複数視点】で≪特化した部分≫を見てるといえます。
で、前者さんはその特化した部分(行動と意図)の情報を元に、
その場の状況を理解したり、予測したり、影響を意図したりして、
関係性の大縄をぐるぐる回したりキャッチボールしています。
人と人とは
具体的な行動(言葉や表情も含めて)を介してつながっていますよね。
前者さんは正にその「その場に巡ってる行動や意図の流れ」を
「見る~読む~それに沿って動く」がワンセットで連動してるのがデフォルトなので、
その流れを外れるようなこと(俗に言う「空気読めない言動」)を基本的にしないし、
そういうことにならないわけです。
でも後者はこの回っている「線」が見えてませんから、
(あるいはなんとなく見えてても動き方がわからないから)
そうやって回している線のやり取りを
いきなり真横に突っ切てきて、断ち切って来たりするんですよね。
ただ、状況を断ち切ってくるのは別に悪いことばかりじゃなくて、
重かったり停滞している空気が一新されたり、
ものの見方がはっと変わったり。
正に「空気が変わる」効果もあるわけです。
で、天然でこれをやる人もいるし、
狙ってこれができる、本当に「空気が読めてる(及びそれに応じた行動をとれる)」後者も中にはいます。
まあただ後者の場合 「読もうと思った時に読める」であって、いつでも読んでるわけじゃないですけどね。
あと実はけっこう外したりしてても自分のことMax値評価する習性があるので、
打率3割でもあれば自分のこと「(いつでも)空気読めてる奴」って思ってるから注意です。
ちなみに前者さんはデフォルトでは
3次元的な全体の空気はあまり捉えられてませんから、
やり取りの結果、その全体がどういう状態をつくっていて、
それが結局どこに向かってどうなってくか、
ということにはあまり意識がなかったりします。
だからハマっちゃうと、
例えばA⇒Bに具体的な状況自体は変化していても、
それは同じ平面でスライドしているだけで、
実は全体の状態は別に何もよくなってなかったり(むしろ不満が高まってたり)、
何とかしようとすればするほど袋小路に陥ってたりすることもけっこうあるんですよね
まとめると、
後者は・・・
「空気が見えて」たとしても「読んでない」&上手く「動けない」
(見る・読む・行動するは別の作業で、見てはいるが行動までがストレートにつながってない)
見えても読めるとは限らないし、読めても動けるとは限らない
⇒その場に展開してることを、ぶった切りがち。
(良くも悪くも空気は変わる)
前者は・・・
「空気」は見てないけど「状況を読んでる」し、自然に「動ける」
(具体的な状況を読んで、それに即した動きがナチュラルにできる)
⇒場の展開に上手く乗れるし、回すことができる。
(その変わり、「空気を変える」ような質的な変化はあまり起こらない)
※元々見てるものも違う
だからなんだ、て話ですが・・・・・
でも「空気読む」「読めない」とかだけじゃなく、
こういう言葉をおおざっぱに使ってるとですね。
(話早くするのに敢えて使ってるならともかく)
何ができてて何ができてないのか、
てことのポイントが曖昧になるんですよ。
言葉の力って侮れなくてですね。
言葉=認識ですから、
「自分てこう」「あの人ってこう」って言った時に
ひとつの言葉でそれに含まれる色んな要素(能力)を
点検もしないで、丸ごと評価したり捨ててしまったりしかねないんですよね。
「空気読める」ようにならなくったって別にいいんですケド、
それはもったいないなあと、ワタクシは思うわけです
【趣味の余談】
前者と後者のこの認識の仕方の差は、
あくまで例えですが、例えば印象派の絵を見てですね。
(前者や後者が実際に絵をそう見るという話ではないですよ)
(クロード・モネ『日傘の女』)
これを、
「草むらで日傘を差してる女性と、少年の、明るい印象の絵」
と”掴む”のが前者さんです。
あるいはそこに使われている技巧とか、構成とか、メッセージや意図・・・
それを考えたり拾うことができます。
でも後者にとっては、
もちろん女性も少年も見えてますが、それは要素でしかない。
そこに表現されてる空気感、光の感じ、雰囲気、情感・・・
その丸ごとでこの絵です。
どんな技巧が使われてるか、作者の意図や時代背景も知識でしかない。
これは絵の捉え方の差であって、
どちらが間違ってるも合ってるもありませんが、
ただ、目の前の絵そのものを捉えてるのは後者といえるでしょうし、
奥行きのある「理解」をしているのは前者かもしれません。
また、それを他人と共有したり、取り扱ったりする時には
言葉で要点を表現される必要があって、
「女性がメインに描かれた展示会やりたい。いい絵はないか」
となったときに、前者的な”掴み”方が全くできてなかったらエントリーすらできない(思いつかない)。
どこから光を照らすかで、
どっちがいいも悪いもないんだけど、
お互いの得意分野を自覚しつつ、
相手に見えてるものも尊重して
視野の観点を広げていけたらより豊かなものの見方ができるだろうなー、と思います
(絵も、知識があった方が本当は面白いし、見えるものが広がるんですよ)
■前者後者の過去記事一覧
⇒ http://ameblo.jp/mukae-443/entry-12197146742.html
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広まれ!前者後者論。
■前者後者整理
・後者チェックシート
・前者と後者の決定的な違い
・補足
・主観/客観/他人視点の違い & 境界にいる方々へ
・能力の話でもないしキャパ(容量)の話でもない
・「自分」の感覚が違う
・行動パターンの差
・「できる」の捉え方も違う
・前者と後者の違い、改めて(マニアックバージョン)
■これがあるから混同する
・自己中と利己的は違う
・実は客観視はできる
・後者にも得意なゾーンはあるので勘違いする/後者は得意ゾーンの違う後者同士でバカにし合っている (後者は自分のできてることについては声高に主張し、他の後者の前者力は認めない)
⇒ 前者力の競い合いは、やがてボールの落とし待ちになって目的を見失う
⇒(余談;思い出話)
・「使えない高学歴」の正体もこれ (ただしこいつらがやっかいなのは、もうひと捻りある)
参考)
・ 「頑張らない」がわからないというより、「頑張る」がわかってない
・ 「自分を活かす」には
■後者の本質
・自己感覚へのこだわり
・後者の本質は突出じゃなくて「欠落」
(突出するのは、この偏りの結果と、変更力のなさによる特定方向の突破力
/偏りという個性そのものが讃歌)
・一部の前者さんが驚く後者の特性
■悪意について
・悪意は他者の視点への想像力、場の把握力、シナリオ力を要する前者同士でも「前者力」を競う高度なゲーム
・参加してない人間を弄ぶのはマナー違反だが、参加するなら文句は言えない
・誰かの始めた悪意が巡り続けている
・悪意の行き着く先は、病気、犯罪、子供、スーパー後者(あるいは後者性を否定していない後者)
■誤解を解く
・能力の分布(平均の前者/バラツキの後者)
・言語化が苦手というより、情報が多過ぎてローギアを回しきれない
・前者が冷たいのではない、我々が複雑で深いのだ
・後者は理解できないわけじゃない。理解できるように説明されれば普通にわかる。
■後者による「自分取扱い説明書」
・何をさておいても、できてないことをできてないと認める
・他人からの評価が低いなら評価が低い自分を受け入れる。
(そこからがスタート)
・自分の能力をMAX値で測るのをやめる
・前者ぶらない「可愛い気のある後者」になる
・「手に負えなくなりそうになった時点で助けを求める」という呼吸をつかむ。
(投げ出すのではない)
・その時の「頼み方」は言い方のパターンがあるので覚えて練習する
・わからないことの質問の仕方もパターンがあるので覚えて練習する
・人の視点に立つものの言い方も覚えて練習する
・前者力は、自分を縛るためではなく自由にするために学ぶもの
・欠落は超えようとするものであって、埋めるものではない
・突っ張りたいなら突っ張り続ければいいが、その価値があるのかは考えた方がいい
・自分の興味関心を見極める
(どうせすぐに気を取られるし、興味さえあれば一気に集中できるのが才能)
■後者による「後者取扱い説明」
・全体像と枠組みを抑えて伝える(配慮する領域が後から増えるのに弱い)
/とにかく最初が肝心、足場と軸を作る(あとは放置してよい)
・正しい角度で殴れ
・短い説明はむしろわからない(文脈と他人のものの見方を交えて説明する)
・”いったん”期待値を下げろ
・「前者力」にどれだけ負荷がかかっているか見極める
・納得し興味さえ湧けば勝手にやるし、突破力もある
・先に手を出さなければ「前者力」が育つ
・能力を理解し活かしてくれる人への感謝と忠誠力はすごい
・”こういう後者”は見放されてもしょうがない・・・が、チャンスをあげて欲しい。
■後者による「後者のための前者取扱い説明書」
・見えてしまう苦しさ、できることをしない罪悪感
(気づかなかった、という言い訳はできない)
・彼らは人からどう見られているかを常に肌で感じている
・彼らにとって夢中になるとは
・この非難は取り合わなくていい
・前者の言葉はヒント、受けて深めてるのは後者
■後者の素晴らしさ
・後者は先に悪意を手放せる
・後者は先に幸せになれる
自分を縛ることができるのは自分だけ・・・
心も体も今より自由になりたい!
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