公設派遣村バッシングとの綱引き -子どもの貧困も「ホームレス」も自己責任じゃない | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 日本の子どもの貧困率は、政府が発表しているように14.2%です。これは7人に1人の子どもが貧困状態にあることを示しています。


 また、ひとり親世帯の貧困率は54.3%で、2人に1人以上の子どもが貧困状態に置かれています。


 子どもの貧困率14.2%を人数にすると300万人です。いま日本社会で300万人にのぼる18歳未満の子どもが貧困にさらされているのです。


 昨年末発表された国立社会保障・人口問題研究所の「社会保障実態調査」 によると、「過去1年間に経済的な理由で家族が必要とする食料が買えなかった経験」のある世帯は、全世帯で15.6%にのぼっています。そのうち、子どものいる家庭で、両親がいる世帯では17.8%、ひとり親世帯ではなんと38.4%が「経済的な理由で家族が必要とする食料が買えなかった経験」があるのです。


 その上、日本社会は、医療も住宅も教育も自己責任です。大阪社保協によると、大阪には年収200万円の両親と子どもの4人世帯から年額50万円を超える国民健康保険料を徴収する自治体があります。高校生も含めた無保険の子どもは全国に数万人いると予想されています。


 食べていくことや、病院に行くことさえも困難な世帯に、世界1高い学費を払うことは無理でしょう。奨学金も学費ローン化して、授業料が払えず高校を卒業できない“卒業クライシス”が増えています。授業料を払うために子ども自ら働かざるをえない“現代版児童労働”も増えています。すでに日本の子どもたちの「教育の機会均等」は失われているのです。


 『子どもの貧困白書』(子どもの貧困白書編集委員会、明石書店)によると、「子どもの貧困」の定義は、「子どもが経済的困難で社会生活に必要なものの欠乏状態におかれ、発達の諸段階におけるさまざまな機会が奪われた結果、人生全体に影響を与えるほどの多くの不利を負ってしまうことです。これは、本来、社会全体で保障すべき子どもの成長・発達を、個々の親や家庭の『責任』とし、過度な負担を負わせている現状では解決が難しい重大な社会問題です。人間形成の重要な時期である子ども時代を貧困のうちに過ごすことは、成長・発達に大きな影響をおよぼし、進学や就職における選択肢を狭め、自ら望む人生を選び取ることができなくなる『ライフチャンスの制約』をもたらすおそれがあります。子どもの『いま』と同時に将来をも脅かすもの、それが『子どもの貧困』です」としています。(『子どもの貧困白書』10ページ、「子どもの貧困を定義する」)


 そして、「子どもの貧困」は、経済的困難によって、「①不十分な衣食住、②適切なケアの欠如(虐待・ネグレクト)、③文化的資源の不足、④低学力・低学歴、⑤低い自己評価、⑥不安感・不信感、⑦孤立・排除」などの「不利の累積、ライフチャンスの制約、貧困の世代間連鎖(子どもの貧困→若者の貧困→大人の貧困→次世代の子どもの貧困)」をもたらすものと指摘しています。(『子どもの貧困白書』11ページ)


 日本だけが「子どもの貧困」を政府みずから拡大してきた ことは、過去エントリーで指摘しました。そして、「子どもの貧困は社会の損失、子育ては『自己責任』ではない」という過去エントリー では、フィンランド政府の教育費増額の政策を以下のように紹介しています。


 財政危機にもかかわらず、教育費を増額したのには次のような裏付けがあったのです。教育が受けられないため、働けない人に対する国の負担は、生活保護など年間1人当たり96万円、生涯で2,230万円もの負担になります。一方、教育を受けて働くことができれば、国に税収が年間1人当たり76万円、生涯で1,770万円の税収を得ることができるのです。教育への投資を最優先することが財政危機を解決することなのです。教育への投資は、将来の経済成長につながり、税収が拡大するのです。教育にかかるコストよりも教育で得られる利益の方が大きく、「平等」と経済の活力というものは相反するものではなく、「教育機会の平等」があってこそ、活力ある社会が生まれるのです。


 そして、「正規でも非正規でも、つまずいても生きていける福祉国家へ」 では、「総合研究開発機構(NIRA)がこういう試算を出しています。若年の非正規労働者がこのまま正社員になれず、高齢化すると、国が彼らを養うために必要なコスト--生活保護費の追加負担などが、年間17兆7000億円から19兆3000億円にもなるというのです。このままでは、若年層は、高齢化する親の世代を支えられないどころか、自分さえも支えることができず、なおかつ、国の財政負担は莫大なものになってしまうのです。そしてこれは「労働力の劣化」という企業にとっても深刻な問題を引き起こします。現在、企業は目先だけの利益・効率で、「派遣切り」など労働者を好き勝手に使い捨てていますが、このままでは「労働力の劣化」は避けられないでしょう。この問題は、質の高い労働力プールを維持し、そこから良質な労働力をピックアップするという、企業にとっても大事なことが非常に困難な事態に陥ることになるわけです。企業側が言うところの「国際競争力」の源泉の一部分である労働力が劣化していくことは、企業にとっても大きな問題です。そういう意味でも、まともな雇用で、まともな労働力を維持していくことは、企業のメリットでもあるし、企業の社会的責任でもあるのです」と指摘しました。


 以上、見てきたように、「子どもの貧困」は「自己責任」ではなく「日本社会の責任」です。そして、子どもの貧困→若者の貧困→大人の貧困→次世代の子どもの貧困という「貧困の世代間連鎖」も「自己責任」ではなく「日本社会の責任」です。そしてこの「貧困の世代間連鎖」を放置することは、日本社会にとっても「大きな損失」をもたらすことになります。


 繰り返しますが、「子どもの貧困」も「大人の貧困」も「自己責任」ではなく「日本社会の責任」です。そして、この貧困を「自己責任」として放置し続けることは日本社会に「大きな損失」をもたらすことになります。


 この間、「公設派遣村」をめぐって、マスコミを先頭に激しい「ホームレスバッシング」が起こりました。「ホームレス」の問題は、過去エントリー「ハウジングプア、路上に放り出される若者 -貧困な日本の住宅政策」 や、「漂流させられる若者たち、派遣労働による日本社会の寄せ場化」 などで、日本社会が「ホームレス化」を促進してきたことを指摘しました。そして、とりわけ「派遣労働が若者の未来を閉ざす~家族形成も人生設計もできない下降する流転生活」 をもたらし、「現代の派遣奴隷制が若者を襲う~人格の否定、支配的な強制労働、暴力による労務管理」 がおこなわれ、さらに、「『上から目線』の自己責任論が、自分を責め抜き疲れ切っている弱者を黙らせさらに痛めつける」 のです。「ホームレス」の原因は「自己責任」などではなく「社会的排除」であることも過去エントリー「貧困の原因は『自己責任』でなく『社会的排除』~反貧困のための社会的連帯を」 などで指摘してきました。


 1月31日に開催された「なくそう!子どもの貧困全国ネットワーク準備会設立シンポジウム」で、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんは「子どもの貧困もさまざまな貧困もつながっている問題なのにバラバラにされ、自己責任とされて解決への道を個別につぶされています。それを許さない綱引きに私たちは参加しています。ずっと続く綱引きで大変だけれど、この綱を引き続けましょう」という主旨の発言をしました。


 今回の“公設派遣村バッシング”のように、ホームレスへの偏見に一番強烈な形であらわれますが、さまざまな「貧困を自己責任」の問題にだけ封じ込めようとする力との綱引きはずっと続きます。


 最後に湯浅さんの著作『反貧困~「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)を紹介した過去エントリー の一部を以下紹介します。


 湯浅さんは貧困状態に陥る背景には「五重の排除」があるとして、(1)教育課程からの排除、(2)企業福祉からの排除、(3)家族福祉からの排除、(4)公的福祉からの排除、(5)自分自身からの排除、をあげています。


 みなさんは、貧困に陥るのは「自己責任」ではないのか?と少しでも思ったことはありませんか? もし少しでも思ったことがある方は、この本を必ず読んで欲しいと思います。湯浅さんが指摘する「自分自身からの排除」というのは、上記の(1)から(4)までの排除を受け、「しかもそれが自己責任論によって『あなたのせい』と片づけられ、さらには本人自身がそれを内面化して『自分のせい』と捉えてしまう場合、人は自分の尊厳を守れずに、自分を大切に思えない状態にまで追い込まれる」状態を指しています。そうした「自分自身からの排除」に陥った精神状態にある生活困窮者に、湯浅さんは数多く接しているのです。「生活困窮者は、はよ死ねってことか」と、生活保護を打ち切られて孤独死した北九州市の男性が書き残した日記の一文にみられるように、「誰かが彼らに『死ね』と言ったわけではないだろう。しかし、彼らが社会から受け取るメッセージはそれだった」のです。
(byノックオン。ツイッターアカウントはanti_poverty)