憲法記念日必読書=湯浅誠著『反貧困~「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書) | すくらむ

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 きょうは、61周年の憲法記念日。憲法といえば9条の問題がクローズアップされることが多いと思いますが、ここは国公一般のブログですので、憲法25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する(第1項)。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない(第2項)」に焦点をあてたいと思います。


 いま「貧困」の広がりで、憲法25条の「生存権」が脅かされているなか、憲法記念日に多くの人に読んでもらいたい本として、湯浅誠さんの『反貧困~「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)を私はあげたいと思います。


 「10代から80代まで、男性も女性も、単身者も家族持ちや親子も、路上の人からアパートや自宅に暮らしている人まで、失業者も就労中の人も、実に多様な人々が相談に訪れる」NPO法人自立生活サポートセンター〈もやい〉での相談活動を通して見えてくる日本社会を、「一度転んだらどん底まですべり落ちていってしまう『すべり台社会』」と湯浅さんはたとえています。


 「すべり台社会」は、三層のセーフティネット(雇用・社会保険・公的扶助)がいずれも機能不全で、「刑務所が第四のセーフティネット」となり、「塀の外では食べていけない」から、生きるため、食うために罪を犯し、刑務所に入っているというところにまで現実は来ていると指摘します。(※注→それは書き過ぎじゃないかと思う人は、きちんと本書を読んでから批判してください。本書で湯浅さんは、自らの活動の実体験に基づくたくさんの事例と、「貧困」を裏付ける豊富な客観データをきちんとそろえた上で導き出しているのですから)


 数多くの相談活動の中から、湯浅さんは貧困状態に陥る背景には「五重の排除」があるとして、(1)教育課程からの排除、(2)企業福祉からの排除、(3)家族福祉からの排除、(4)公的福祉からの排除、(5)自分自身からの排除、をあげています。


 みなさんは、貧困に陥るのは「自己責任」ではないのか?と少しでも思ったことはありませんか? もし少しでも思ったことがある方は、この本を必ず読んで欲しいと思います。湯浅さんが指摘する「自分自身からの排除」というのは、上記の(1)から(4)までの排除を受け、「しかもそれが自己責任論によって『あなたのせい』と片づけられ、さらには本人自身がそれを内面化して『自分のせい』と捉えてしまう場合、人は自分の尊厳を守れずに、自分を大切に思えない状態にまで追い込まれる」状態を指しています。そうした「自分自身からの排除」に陥った精神状態にある生活困窮者に、湯浅さんは数多く接しているのです。「生活困窮者は、はよ死ねってことか」と、生活保護を打ち切られて孤独死した北九州市の男性が書き残した日記の一文にみられるように、「誰かが彼らに『死ね』と言ったわけではないだろう。しかし、彼らが社会から受け取るメッセージはそれだった」のです。


 湯浅さんのすぐれたところは、この問題に対してもこう結んでいるところです。「各自治体で生活保護を担当している福祉事務所職員も、全般的な社会保障費の抑制、自治体の緊縮財政化と公務員バッシングの中で、常に限界を超える仕事を抱えている。『水際作戦』の問題が単に担当公務員の資質の問題としてのみ処理されてしまうのであれば、結局は公務員の身分保障を切り崩すことに利用されるだけで、公共サービスの民営化によるダンピングに帰結してしまうだろう。それは、相談者にも何の利益ももたらしはしない。しかしそれだけに、公務員の人たちには、きちんとした公共サービスを行うためにこそ自分たちの存在が必要なのだ、と積極的に示してもらいたい。『水際作戦』のような違法行為は、何よりも自分たちの首を絞める行為なのだということを自覚してもらいたい


 湯浅さんは、派遣労働が、「ホームレス状態にまで追い込まれたフリーターたちの弱みに付け込んで食い物にし、しかもその実態を『フリーターに夢を』といった幻想で糊塗する偽看板の商法」=「貧困ビジネス」を生み出していると指摘します。労働者派遣は、「労働者の商取引化」にあり、労働者は派遣先企業で基本的に労働者としての権利を持たず、労働者を「人」としてではなく、「商品」として取り扱うことを肯定したシステムであると批判しています。そして、「登録型日雇い派遣は、派遣労働の必然的な帰結である」と結論づけています。


 いまの労働状況は、一方における過労死と、他方における日雇い派遣労働=「過労死か貧困か」という正規労働者と非正規労働者の「下向きの平準化」「底辺に向かう競争」「際限ない切り下げ」「底下げ」に向かっている、これがもたらす「貧困は、同時に戦争への免疫力も低下させる」と最後に湯浅さんは指摘します。「若者を戦争に駆り出すために、徴兵制や軍国主義イデオロギーよりも効果的な方法がある。まともに食べていけない、未来を描けない、という閉塞した状況に追い込み、他の選択肢を奪ってしまえば、彼/彼女らは『志願して』入隊してくる」 実際、〈もやい〉に相談に来るワーキングプアの若者たちをターゲットにして、湯浅さんのところに、自衛隊の募集担当者から積極的なアブローチがされてきているそうです。


 「他の多くの国において、『貧困と戦争』はセットで考えられているテーマである。日本も遅ればせながら、憲法9条(戦争放棄)と25条(生存権保障)をセットで考えるべき時期に来ている。衣食足るという人間としての基本的な体力・免疫力がすべての人に備わった社会は、戦争に対する免疫力も強い社会である」


 地に足のついた湯浅さんらしい「あとがき」最後のセンテンスは、私たち国公一般の活動にもあてはまるものです。


 「一つ一つ行動し、仲間を集め、場所を作り、声を上げていこう。あっと驚くウルトラの近道はない。それぞれのやっていることをもう一歩進め、広げることだけが、反貧困の次の展望を可能にし、社会を強くする。貧困と戦争に強い社会を作ろう。今、私たちはその瀬戸際にいる」(2008年3月末日 自宅にて 湯浅誠)


(byノックオン)