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2017-05-11 09:17:24

「霞が関過労死110番」が実施されます

テーマ:労働相談

上部団体である国公労連が、5月13日(土)10時~16時、「霞が関過労死110番」を実施します。

 

電話相談で、電話番号は、03-5510-2190です。

 

霞が関で働く公務員の長時間労働をなくしたい、過労死や過労自殺などが発生しない様にしたい、そんな思いから、110番が実施されます。

 

本人からだけでなく、家族からの相談も受け付けます。

 

なお、メールでの相談は24時間いつでも受け付けています。

メール相談は、soudan@kokko.or.jp まで

 

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2017-05-05 12:43:09

安倍首相「教育無償化へ憲法改正」のウソ→改憲なしで実現した高校授業料無償化を廃止したのが安倍政権

テーマ:霞が関・公務関連情報

 読売新聞の記事です。
 

 安倍首相(自民党総裁)は読売新聞のインタビューで、幼児から大学などの高等教育までの教育無償化を憲法改正の優先項目にする考えを示した。
「教育無償化は維新と連携…首相、改憲論議に期待」読売新聞 2017年05月03日 06時00分

 高等教育だけでなく、すべての教育の無償化のために憲法改正が必要だと安倍首相(自民党総裁)は言っているわけですが、以下の異邦人さんのツイートに同感です。

 

異邦人 @Medicis1917 これだけは言っておきますが、教育無償化や環境権は立法政策で実現出来ます。安倍政権はこれらをダシに改憲の必要性を喧伝していますが、自分達の立法不作為を憲法のせいにするのは即刻やめて頂きたい。市民の権利自由を拡充させる為に、我々は憲法に基づき国会に立法権を与えているのですよ。

異邦人 @Medicis1917 民主党政権が公立高校無償化を実現した際には散々反対した挙句、政権交代後にすぐ所得制限を設けたのは他でもない安倍政権なのに、今更「高等教育も全ての国民に真に開かれたものにしなければならない」と言って高等教育無償化をダシに改憲を主張するなど自己欺瞞も甚だしい。だったら今すぐやれよ。

 実際、安倍政権は2014年4月から高校授業料無償化を廃止してしまいました。今でも自民党のホームページを検索すると、高校授業料無償化に反対する歴代の自民党の政策を、以下のように多数確認することができます。

▼自民党のホームページから



▼自民党のホームページから(※今回のテーマとは違いますが、最低賃金1,000円や製造業への派遣禁止がアンチ・ビジネス政策ってのも酷い)



▼自民党のホームページから



 上記を見て分かるとおり、高校授業料無償化は、「将来に責任を持たない政策」、「将来の子供たちにツケを廻すもの」、「ただのバラマキをしているだけ」、「選挙目当てのバラマキ政策」、「(高校授業料無償化を続ければ)財政破綻国家に転落することは間違いない」と自民党は断言してきました。そして、「過度の平等主義や均一主義を排」する「私たち自民党の基本的な考え方は『自助』を基本(※ようするに「教育は自己責任」が基本だと言っているわけですね)」とすると自民党は一貫して主張してきたわけです。

 こうやって、公立高校の授業料無償化についてだけでも、自民党は「教育は自己責任」の立場から強く反対してきました。だからこそ、「大学など高等教育への日本の公的支出は6年連続でOECD最下位、33カ国平均の半分以下と突出して低い大学への公的支出」で、「安倍政権が狙う国立大学費93万円の異常、今でも学費45倍増に対し賃金2割減、日本の私費負担はOECD平均の2倍」に日本は実際になっているのです。これが自民党の教育政策の実績です。



 加えて、稲田朋美防衛相の言葉どおり、子ども手当を付けるぐらいなら軍事費を増やせとやってきたのが安倍政権であることは、軍事費の推移を見れば一目瞭然です。



 そして、「大学など高等教育への日本の公的支出は6年連続でOECD最下位」ですが、以下のように軍事費は世界8位と主要国と肩を並べているのです。



 教育無償化についての予算は「バラマキ」だと口汚く批判して世界最低にまで削減し、軍事費だけは世界有数の規模を確保してきたのが自民党です。日本を「高等教育予算は世界最低、軍事費は世界8位」にしたのが自民党なのです。

 突如として、「幼児から大学などの高等教育までの教育無償化を憲法改正の優先項目にする」と言い出した安倍首相には、民主党政権下で憲法改正なしでも高校授業料無償化を推進してきたことに強く反対してきた自民党の言い方をそのままお返ししたいと思います。「改憲目当てに教育無償化をただ利用しているにすぎない」と。

(井上伸)

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2017-04-22 14:16:20

アベノミクスは超富裕層だけの資産倍増計画だった、富裕層上位40人の資産=総世帯の下から半分の資産

テーマ:経済・財政・税制の問題

▲フォーブス誌のサイト画像

 

 フォーブス誌のサイトに2017年の日本長者番付がアップされました。富裕層トップ40人の資産額と貯蓄ゼロ世帯の推移でグラフをつくってみたものが以下になります。(※貯蓄ゼロ世帯数は2016年のデータが直近です。フォーブス誌は日本の富裕層上位50人を2013年から発表していますが、2012年以前は上位40人であったためグラフは上位40人で比較しています)

 

 

 上のグラフにあるように、2013年から始まったアベノミクスで富裕層上位40人の資産は15兆9,260億円とちょうど2倍に増え過去最高額となりました。国の2017年度予算で、法人税収が12兆3,910億円ですから、富裕層上位40人の資産は法人税より3兆円以上も多いのです。

 

 日銀の金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査」は最新が2016年なので、このデータを使うと、日本のすべての世帯5,036.1万世帯の資産が少ない世帯から積み上げていくと、52.5%の世帯の資産が富裕層40人の資産と同じになります。

 

 「富裕層上位40人の資産=日本の全世帯の半分が持つ資産」――じつはアベノミクスの正体は「超富裕層だけの資産倍増計画」だったのです。加えて、貯蓄ゼロ世帯を427.4万世帯も増加させ、貧困と格差をかつてない規模で急激に拡大させているのがアベノミクスなのです。

(井上伸)

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2017-04-17 12:09:22

アベノミクス激増ベスト3は「富裕層上位40人の資産」「自民党への企業献金」「大企業の配当金」

テーマ:経済・財政・税制の問題

 『週刊金曜日』1月20日号に「数字でわかる! 日本経済を衰退させたアベノミクス」という原稿を書いたのですが、そのとき作成したグラフに、京都総評の永井さんが色を付けてくださったので紹介させていただきます。

 

 

 上のグラフは、アベノミクスを総括したものです。アベノミクスが始まる直前の2012年の各種データと、今現在で公表されている2015年を中心とする直近のデータを比較したものです。下の表は、上のグラフのデータの出所を明記したものです。

 

 

 上のグラフと表を見て分かるように、アベノミクスで最も増加したものは富裕層上位40人の金融資産です。

 

 続いて2位が自民党への企業・団体献金で、2012年の16億1879万円から2015年の27億2817億円へと1.7倍化し10億円以上も増えています。

 

 そして3位は大企業(資本金10億円以上)の配当金で、2012年度の10兆5987億円から2015年度の17兆2704億円と1.6倍に増加しています。この増加したトップスリーにアベノミクスの本質が典型的に現れています。

 

 ほかにも大企業の経常利益は1.5倍増、富裕層(金融資産1億円以上)の金融資産は1.4倍増、役員報酬1億円以上の人数は1.4倍増など、大企業と富裕層の富はアベノミクスでかつてないほど増大しています。

 

 一方、労働者・国民には貧困と過労死が襲っています。

 

 正規労働者は2012年の3,340万人から2015年の3,304万人へと36万人も減らされ、労働分配率が59.5%から54.2%に低下し、実質賃金は99.1から94.8に下げられています。こうした影響によって、ワーキングプア(1年間を通して働いているのに年収200万円以下)は2012年の1.090万人から2015年の1130.8万人へと40.8万人も増加し、家計消費支出は96.2から92.4と減少し、貯蓄ゼロ世帯は1.3倍増と貧困を大きく増大しているのです。

 

 正規労働者を減らし、非正規労働者を増やすというアベノミクスは、低賃金の労働者を増やし貧困を拡大するという労働者の生活悪化をもたらす面と同時に、減らされる正規労働者などに「ブラック企業」が過労死・過労自殺に至る長時間過密労働やパワハラの横行をもたらす面も肥大化しています。過労等による「心の病」の労災請求件数は2012年の1,257件から2015年の1,515件へと258件も増加し、過労死・過労自殺の労災請求件数は454件から482件へと28件も増えているのです。過労死・過労自殺の482件という数字は、1日に1人以上が過労死・過労自殺で命を奪われている計算になるわけで、いま社会問題化している電通過労死事件は氷山の一角に過ぎないのです。

 

(井上伸)

2017-04-04 12:27:36

昭恵氏から「谷さんに申し訳ないと思っています」と釈明のFBメッセージが私たち労働組合の役員に届く

テーマ:霞が関・公務関連情報

▲knamekataさんのツイート

 

 上記のツイートにもあるように、今朝(4月4日)のテレビ朝日「モーニングショー」で、「【現場から告発】たったひとりの国家公務員(昭恵氏付職員)に森友事件の全責任負わせる卑劣な安倍政権」で紹介した、私たちの仲間である全経済産業労働組合副委員長の飯塚盛康さんのフェイスブックでの主張が紹介されました。加えて、昭恵氏本人から飯塚さん宛のフェイスブックメッセージも紹介されています。また、本日発売の『サンデー毎日』(4月16日増大号)でも下記のように紹介されています。

 

 

 「モーニングショー」のコメンテーターも、『サンデー毎日』誌上でも、飯塚さんの「3年間、昭恵夫人のために仕事をしてきた谷さんに、全責任を負わせて安倍首相を守ろうとしている昭恵夫人と菅官房長官に対して、元経産省の職員として腸が煮えくり返る思いです。」というところに共感していて、昭恵氏は「谷さんに責任を追わせようなどということは勿論全く思っていません。こんなことに巻き込むことになってしまい申し訳ないと思っています。」などと飯塚さん宛のフェイスブックメッセージで釈明するのではなく、昭恵氏本人が公の場できちんと説明すべきだと強調されていました。

 

 そもそも安倍晋三氏と昭恵氏と谷さんの仕事は以下です。

 

 【安倍晋三氏】総理大臣の公務の遂行
 【安倍昭恵氏】総理大臣の公務の遂行の補助
 【谷査恵子氏】総理大臣の公務の遂行の補助の支援

 

 谷さんの仕事は、「総理大臣の公務の遂行の補助の支援」=「昭恵氏の支援」なのに、どうして森友事件の全責任を負わされなければならないのでしょうか? こんなとんでもない理不尽がまかり通るようなら日本はもはや民主主義の国とは言えないと思います。この余波で、飯塚さんによると谷さんは3月24日からずっと出勤もできなくなっています。谷さんに本当に申し訳ないと思っているのなら、昭恵氏は直ちに公の場で「谷さんの責任ではない」と明言し、森友事件に関わる自らの関与をきちんと説明すべきです。

 

井上伸

2017-04-01 12:56:40

「アッキーのスキーでも森友学園でも国家公務員を連れて行くわよ」と国家行政を私物化する安倍政権

テーマ:霞が関・公務関連情報

「私をスキーに連れてかなくても行くわよ」のサイトのヘッダー画像


 ジャーナリスト・まさのあつこさんによる「谷FAXを「公務員として丁寧な対応」と称した内閣審議官は谷さんの上司」を読むと、昭恵氏付職員の谷査恵子氏の立場がよく分かります。

 

 大事なポイントを整理すると――

 

 ◆名刺の肩書きなどに「内閣総理大臣夫人付」とあるが、正式な官職の発令は「内閣事務官 内閣総務官室」で、直接の上司は、内閣官房の土生栄二(はぶえいじ)内閣審議官である。

 

 ◆「総理大臣の公務の遂行を総理夫人が補助することを支援する」のが夫人付職員の公務である。

 

 ――ということですから、夫人付職員の谷査恵子氏は森友学園の件でも昭恵氏の公務を支援していたわけです。そして、その昭恵氏の公務とは「安倍晋三総理大臣の公務遂行補助」です。ようするに、安倍晋三氏と昭恵氏と谷査恵子氏は同じ「総理大臣の公務」を遂行しているのです。

 

 さらにわかりやすく3人の公務を書くと――

 

【安倍晋三氏】総理大臣の公務の遂行
【安倍昭恵氏】総理大臣の公務の遂行の補助
【谷査恵子氏】総理大臣の公務の遂行の補助の支援

 

 ――となり、3人に共通するのは「総理大臣の公務の遂行」です。安倍晋三氏も昭恵氏も谷査恵子氏も公務の出発点は、「総理大臣の公務の遂行」なのです。(当たり前の話ですが)

 

 なので、夫人付職員の公務として「総理大臣の公務の遂行」のために谷さんは、下記のようにFAXも封書も送っているわけです。

 

https://twitter.com/info_9/status/844813633141932033

 

https://twitter.com/knamekata/status/847615328196546562

 

 それから、「「アッキー財布」は官房機密費!? “お付きの旅費は自腹”に疑惑(「週刊新潮」2017年3月30日号掲載)」という指摘がされています。

 

 この問題について、私たちの仲間である全経済産業労働組合の飯塚盛康さんが、現場での実際の運用を踏まえてフェイスブックで指摘していますので紹介します。(※前回の「【現場から告発】たったひとりの国家公務員(昭恵氏付職員)に森友事件の全責任負わせる卑劣な安倍政権」と同じく本人に了承を得ての転載です)

 

全経済産業労働組合の飯塚盛康さんのフェイスブックでの指摘

 

 国家公務員が出張する時は、当然ですが、役所の旅費予算から支出されます。

 

 しかし、省所管の業務に関する民間等が開催する研究会、利害関係者以外から依頼を受けた会議のスピーカーへの出席や大臣が出席する会議に秘書が随行する時の旅費は先方が負担しても問題ありません。(人事院の倫理法事例集から)

 

 内閣官房は昭恵夫人が森友学園に行ったのは公務ということなので、昭恵夫人と秘書の旅費は内閣官房の旅費予算から支出しても問題ないと思いますが、なぜか内閣官房は昭恵夫人が支出したと言っています。

 

 国家公務員が出張する時は、事前に旅行命令伺いを書いて所属課長の決済をもらわなければなりません。

 

 ここからは、以前所属していた職場の例にならうと、昭恵夫人が旅費を負担する場合はどういう手続を踏むのかというと、昭恵夫人から内閣官房に対して秘書を連れていくが、旅費は私が負担しますという書類をもらった上で、本人が「旅費先方負担」(安倍昭恵氏負担と書くかもしれません)と記載した上で決済をもらいます。

 

 その日の出勤簿は出張になります。

 

 この記事(※下記参照)にある昭恵夫人が北海道等へ行った時の仕事が公務か私的なものなのかはわかりませんが、その日の秘書の出勤簿が出張あるいは外勤となっていれば、内閣官房の旅費予算か昭恵夫人が負担しているので旅行命令伺いが内閣官房に残っているはずです。

 

 3月3日から5日に昭恵夫人は「私をスキーに連れてかなくても行くわよ」というイベントに参加し、秘書も随行しているようですが、あまりにも私的なものなので、金曜日の秘書の出勤簿は年休になっているはずです。

 

 年休をとって私的なイベントに参加する秘書の旅費を昭恵夫人が負担するのは、上司のおごりということで、まあ問題ないんでしょ。

 

 官房機密費から支出したのかは不明ですが、秘書の出勤簿と旅行命令伺いを情報公開請求して突き合わせてみるといいかもしれません。

 

▼参考
※「アッキー財布」は官房機密費!? “お付きの旅費は自腹”に疑惑
 デイリー新潮 3/30(木) 5:59配信

 昭恵夫人の“出張”には、政府職員が同行することが多い。だから「公人」ではないかと問えば、その旅費は夫人が私費で負担している――。政府はそういう見解だが、年間数十回も、本当に私費で賄っているのか。そこで疑惑浮上。官房機密費ではないのか……

 

 昭恵夫人について、政府はご丁寧にも「公人ではなく私人であると認識している」という答弁書を閣議決定したが、その「私人」のもとには政府職員の“サポート役”が経産省と外務省から5人も配置されている。ちなみに、歴代の総理夫人で常勤職員が付くのも、2人以上が配置されたのも初めてなのである。

 

 それを聞いて、歴代の総理夫人はともかく、昭恵夫人にかぎって「私人」だと思う人は、よほど偏屈だと言っても差支えあるまい。

 

 しかも彼らは夫人の“出張”にも頻繁に連れ添っている。このところ国会で明らかになっただけでも、森友学園運営の塚本幼稚園での講演や山形でのスキーイベントに数回ずつ。さらには“疑惑の本丸”とされる加計学園に絡むものも、神戸の保育園での講演や、岡山での弁論大会まで複数回にのぼる。

 

 政府は職員の帯同を、当初は「私的活動」としながら一転、「公務」だったと認めたが、一方、菅官房長官は「職員の旅費は夫人が私費で支出した」と説明した。だが、昭恵夫人は頻繁な“出張”のたびに、職員の旅費にポケットマネーを投じるだろうか。職員はそれをよしとするだろうか。

 

■1人に290万円

 

 本誌(「週刊新潮」)は昨年4月から1年間の昭恵夫人の足跡を追ってみた。すると講演、イベントへの参加、組織や施設の訪問や見学……と、実によく出かけている。その回数たるや、選挙応援や総理も参加した式典、総理の外遊同行を除いても、北海道2回、東北8回、東京を除く関東5回、中部9回、関西10回、中国15回、四国1回、九州・沖縄2回、そして海外4回にもおよぶ。

 

 ちなみに、それぞれに職員が1人同行したと仮定すると、新幹線は普通車、飛行機はエコノミークラスを利用し、ビジネスホテルに宿泊したとして見積もっても、290万円ほどかかる計算になるのである。

 

 「公務員は出張命令がないかぎり勝手に出かけられず、出張命令には予算措置がつきます。予算措置がついているなら、なぜ私人の活動に公金を拠出するのかという批判は免れませんし、職員の旅費は昭恵夫人が出した、という説明との間にも齟齬が生じます」

 

 霞が関のさる高級官僚は、そう言って、こう継いだ。

 

 「官房機密費という語を用いると、すべてに説明がつくのです。これは総理とその周辺にいる人間に関わる事柄なら何にでも使える、使い勝手のいいお金で、その額はかなり減ったと言われますが、それでも月に1億円以上あるとされます。職員の日当も予算をつけなくても金一封で済むし、切符などをいちいち精算する必要もありません」

 

 疑惑の目を向けられたくなければ、きちんと説明するほかなかろう。
(特集「炸裂! 『死なばモリトモ』爆弾」より 「週刊新潮」2017年3月30日号 掲載)

 

 飯塚さんが指摘している「官房機密費から支出したのかは不明ですが、秘書の出勤簿と旅行命令伺いを情報公開請求して突き合わせてみる」ということは実行する必要があると思います。国家行政の私物化、第2第3の森友学園を生まないためには、昭恵氏の公務が本当に「総理大臣の公務の遂行の補助」としてきちんと行われてきたかどうかをチェックする必要がありますし今後もチェックしていく必要があります。

 

 昭恵氏の森友学園での講演に夫人付職員が同行したことについて、菅義偉官房長官は、「首相夫人としての公的な活動に関する連絡・調整の必要があったから」で「私的な活動そのものをサポートするためではなかった」と述べています。この論法でいくと、昭恵氏の私的な活動すべてについても「連絡・調整の必要があるから」という理由で、夫人付職員が同行できることになります。おそらく、この理屈だからこそ、「私をスキーに連れてかなくても行くわよ」というイベントにも夫人付職員は同行させられているのでしょう。これが、安倍政権の言う「総理大臣の公務の遂行の補助の支援」の実態でしょう。
 

 そして、まさのあつこさんが次のようにツイッターで指摘しているように、それぞれに証人喚問し、「総理夫人付」の「総理大臣の公務の遂行の補助の支援」を明らかにする必要があります。これ以上、安倍政権による国家行政の私物化を許さないために。

 

▼まさのあつこさんのツイッターでの指摘

 

1.安倍首相「夫妻」と谷さんを証人喚問し
・「総理夫人付」ポスト創設の理由
・「総理夫人付」の職務、
2.谷さんと土生審議官を証人喚問し、
・「総理夫人付」として内閣総務官室から他の府省へ接触した全ての「職務」
を尋ねるべし

 

井上伸

2017-03-28 12:42:07

【現場から告発】たったひとりの国家公務員(昭恵氏付職員)に森友事件の全責任負わせる卑劣な安倍政権

テーマ:霞が関・公務関連情報

▲首相公邸も私物化する安倍昭恵氏(「安倍昭恵チャンネル」のサイトより)


 すでに以下の3つのエントリーで、森友事件の背景には、安倍政権による国家行政の私物化があることを指摘してきました。

 

◆各省大臣の秘書は1人で「私人」の安倍昭恵氏には秘書5人=国家公務員を首相のプライベートコマンド(私兵)化する官邸の官僚支配がまねいた森友学園問題
 

◆安倍政権は国家公務員を休日にタダ働きで東京から大阪まで連れ回すブラック政権=安倍昭恵氏が国家公務員を私物化、安倍政権の4年間が同じ運用なら税金のムダ使いはすでに1億円以上
 

◆森友事件の影の主役は内閣人事局=霞が関キャリア官僚は「安倍政権の奉仕者」で縁故・腐敗・汚職・大統領暗殺まねいた200年前のアメリカ猟官制時代と同じ

 

 ジャーナリストのまさのあつこさんによる「安倍内閣総理大臣夫人付FAX「個人で保有」:行政文書の定義逃れには無理がある」は鋭い指摘だと思います。この点にかかわって、私たちの仲間(全経済産業労働組合の飯塚盛康さんと全労働大阪基準支部)が国家公務員の現場の実態を踏まえて、昭恵氏付職員個人では不可能であることを指摘していますので紹介します。

 

全経済産業労働組合の飯塚盛康さんのフェイスブックでの指摘その1(※本人に了承を得ての転載です)

 

 今、昭恵夫人付きの谷査恵子さんが財務省に問い合わせたこと自体が、財務省に忖度あるいは圧力になったのではないかと問題になっています。

 

 政府は籠池氏が昭恵夫人の携帯の留守電に入れた要件に基づいて、谷さんが動いたのではなく、籠池氏から直接谷さんに郵送された内容に基づいて、谷さん個人が動いたと言っています。

 

 留守電の内容だろうが、郵送の内容だろうが、課長補佐クラスの谷さんは、昭恵夫人と内閣官房のそれなりの役職に、財務省への質問内容と回答について、相談報告しているはずです。なぜなら、それは国家公務員としての最低のルールだからです。

 

 一方、財務省も昭恵夫人付きの谷さんから、質問があったから答えているわけで、一私人の質問に来年度の予算措置まで言うわけがありません。

 

 この財務省の回答も同様に室長個人のものではありません。

 

 一般的に役所は政治家とその秘書からの問い合わせについては、〇政(まるせい)案件と言って、その問い合わせ内容と回答について、かなり上に報告しているはずです。

 

 この案件も、総理大臣夫人秘書からのものですから、財務省の上の方も知っているはずです。

 

 もし、谷さんと財務省の室長との個人でのものだとしたら、まだ予算措置する段階のものを室長は一私人に漏らし、それを知った谷さんが一私人である昭恵夫人に報告し、籠池氏に教えたことになります。

 

 財務省の室長と谷さんは守秘義務違反、国家公務員法違反になりますよ。

 

 昭恵夫人のfacebookに夫人と一緒に写る谷さんの写真があります。3年間の昭恵夫人秘書という役職から経産省に戻る谷さんの送別会で昭恵夫人と一緒に写っている谷さんは、涙を浮かべているように見えます。

 

 3年間、昭恵夫人のために仕事をしてきた谷さんに、全責任を負わせて安倍首相を守ろうとしている昭恵夫人と菅官房長官に対して、元経産省の職員として腸が煮えくり返る思いです。

 

全経済産業労働組合の飯塚盛康さんのフェイスブックでの指摘その2(※本人に了承を得ての転載です)

 

 谷さんのFAXは個人がやったことで昭恵夫人は知らないということになっています。このFAXですが、政府も提出しましたね。

 

 では、このFAXの原本はどこにあったのかを考えてみます。

 

 ◆谷さんから提供された。

 

 はじめに谷さんが個人のPCやUSBに入っていたものを提供したのかを考えます。

 

 ここは、私がいた省庁からの推測になりますが、内閣官房も同じかそれ以上のセキュリティになっていると思います。

 

 役所で使うPCは情報が流出しないようにシンクライアントPCか、少なくとも役所が貸し出すPW付きのUSBだけが使用できるだけで、外部の記憶装置(USBや外付けHDD、DVD)は使用することはできません。

 

 もし、谷さんが個人的にその原本を持ち出そうとしたら、メールに添付して、個人のメールアドレスに送るしかないと思いますが、あの時、このFAXが問題になるとは思っていないので、この原本だけを持ち出すことは、考えられません。

 

 持ち出すとしたら、勤務した3年間で作成した書類全部を持ち出しているはずですが、そんなバカなことをする人はいないと思います。

 

 ◆内閣官房のサーバーに保存されていた

 

 以上のことから、谷さんから個人的に提供されたとは考えられないので、内閣官房のサーバにある文書フォルダに入っていたと考えられます。

 

 それでは、その文書フォルダに個人的な文書を保存するのかという問題ですが、例えば同期会の案内文書などを保存することがあるかもしれませんが、少なくとも異動する時には削除するでしょう。

 

 それでは、内閣官房の時に使用していたpcのドキュメントフォルダに保存したものなのか?谷さんが使っていたPCは異動した時にPCを管理する部署に返還して、そこが初期化して他の人に貸すので、pcのフォルダにはありません。

 

 ◆なぜ内閣官房のサーバーに保存されていたのか

 

 谷さんは「個人」で作った文書ではなく、業務で作成した書類と考えたからサーバーに保存していたのです。
 

 それを、同期会や懇親会の案内と同じ「個人文書」にして、谷さんに責任を負わせようとする政府や自民党は本当にひどいと思います。

 

▼全労働大阪基準支部のツイート

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845896801773281280

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845898380903514114

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845966057630162944

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845966636360200192

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845967170995568640

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845968068530483200

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845977829313593344

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845987737823985665

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845989965108469760

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845991249999912960

 

2017-03-27 10:04:21

森友事件の影の主役は内閣人事局=霞が関キャリア官僚は「安倍政権の奉仕者」、忖度でなく構造上の問題

テーマ:霞が関・公務関連情報

 

▲上記の小沢一郎氏のツイートの意味するところが、非常によく分かるインタビュー記事を私、まとめたことがありますので、以下紹介します。(が、2014年10月にインタビューしたもので一部抜粋になります)

 

公務員の役割と権利を考える
晴山一穂 専修大学教授インタビュー

 

 重要な憲法の視点から考える公務員の役割
 国民主権など憲法3原則ふまえ「全体の奉仕者」へ

 

 ――きょうは晴山先生に「公務労働者の役割と権利」についてお話をうかがいます。最初に公務員の役割についてお聞かせください。(聞き手=井上伸

 

 公務員の役割を考える場合、常に2つの基本的な視点を持つことが重要です。1つは、日本国憲法の視点で、もう1つは、公務員制度の歴史から見た現代国家における公務員の役割という視点です。

 

 まず、憲法の視点から公務員の役割を考えることの重要性についてです。日本国憲法が直接公務員のことを規定した条文としては憲法15条の1項と2項があります。ただし、15条の意味を考えるにあたっては、憲法の基本原理である国民主権と基本的人権の保障、そして平和主義という憲法3原則を踏まえた上で、行政の担い手である公務員の位置づけについて、15条で規定していると捉えることが大事になります。国民主権など憲法3原則を除いた形で15条だけ単独で取り出して公務員の役割を考えるということは適切ではないわけです。

 

 この点を踏まえた上で憲法15条をみていきましょう。15条1項では「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とし、2項では「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と規定しています。この1項と2項はいずれも憲法の基本原理である国民主権の表れなのですが、この規定の意味をより深く知るためには、戦前の官吏制度を振り返ってみる必要があります。

 

 「一部の奉仕者」だった戦前の公務員

 

 戦前の官吏(現在の国家公務員の中核部分に当たる人)は、大日本帝国憲法(明治憲法)のもとで、「天皇の官吏」として天皇に身分的に隷従し、天皇とその政府にだけ奉仕する存在でした。国民から見れば、絶対的な主権者であり統治権を総攬する天皇に奉仕し、国民を支配する特権階級だったわけです。そして、官吏の任命は、議会も関与できない天皇だけの権限であるといういわゆる「任官大権」が憲法で定められていました。こうした強大な官吏集団と軍部に支えられた絶対主義的天皇制、天皇主権のもとで、日本は軍国主義国家としてアジア諸国への侵略戦争へと突き進み、太平洋戦争を経て敗戦を迎えることになります。

 

 こうした歴史への反省に立って、戦後の日本は、天皇主権に立つ大日本帝国憲法から国民主権に立つ日本国憲法へと転換を遂げることになります。戦前の「天皇の官吏」のあり方は全面的に否定され、公務員は国民全体の奉仕者になるとともに、「任官大権」も否定され、公務員を選ぶのは国民固有の権利であることを15条1項で明記させることになります。

 

 もちろん、実際にすべての公務員が選挙で国民に選ばれるわけではありません。現在選挙で選ばれるのは国会議員と地方自治体の長、地方議会の議員ですが、国の場合には、国民によって選ばれた国会の多数派が内閣を組織し、内閣を構成する各省大臣が公務員を任命します。地方の場合にも、住民が選んだ長が公務員を任命する、ということを通して、つきつめれば国民に公務員の選定権があるということになるのです。つまり、公務員の地位は、国民から離れた一部の権力者によって付与されるのではなく、究極的には国民の意思によってのみ成立する、という国民主権という鏡を通して公務員の地位を照らし出した規定が15条1項になります。

 

 15条2項の公務員が「全体の奉仕者」であるということも、同じ考えに立つものです。とりわけ注意する必要があるのは、公務員は「一部の奉仕者ではない」とわざわざ付け加えられているところです。これは、戦前の官吏のように、天皇を頂点とする一部の支配者に奉仕するのではなく、まさに国民全体に奉仕すべき存在であり、国民主権に立った公務員であるということを明確に性格規定しているのです。

 

 公務員制度の歴史から見た現代国家における公務員の役割

 

 ――2つめの視点としてあげられた、公務員制度の歴史から見た公務員の役割とはどういうことなのでしょうか?

 

 公務員制度の歴史から見た現代国家における公務員の役割を考える際に、参考になるのが、アメリカの公務員制度の歴史です。また、戦後日本の国家公務員制度は、アメリカの公務員制度にならってつくられたもので、憲法の制定と並行しながら、GHQが自国の専門家を呼んで、憲法の理念を踏まえながら国家公務員制度のあり方が構想され、国公法が制定されたわけです。その点からしても、アメリカの公務員制度の歴史を踏まえておくことが日本の公務員制度を考えるときにも大切なのです。

 

 19世紀当初のアメリカの公務員制度は、猟官制という慣行が支配していました。猟官制というのは、一言でいえば、大統領選挙で政権が代わるごとに大量の連邦公務員を更迭する仕組みです。アメリカでは早くから2大政党制が発達するわけですが、そのもとで、ある政党が大統領選挙で勝利すると、その政党の支持者を公務員に任命します。そして、次の選挙で別の政党の大統領が当選すると、今度はその政党の支持者へと公務員を入れ替えます。これが猟官制の基本的な仕組みです。

 

 ある意味ではこの猟官制はアメリカ的な民主主義の表れともいえるわけです。民意に従って政権を選び、その政権が民意を踏まえた政策を徹底して遂行するために、それを支持する公務員で固める。そして次の機会に民意が変われば、それに従う。非常に単純に考えれば民主主義の究極の形態ともいえるのですが、官職を得るために政治家と金銭でつながるなど行き過ぎた猟官運動が広がる中で、次第に当初の民主的理念を失い、腐敗の度を強めて、最後は大統領が暗殺されるという事件まで起こってしまいます。

 

 アメリカの猟官制の腐敗と高度で専門的な
 職務への変化による成績主義の確立

 

 他方で、資本主義の発展に伴いさまざまな社会的矛盾が激化する中で、国家機能が著しく拡大・多様化し、公務員の職務内容も当初の比較的単純な職務から高度で専門的な職務へと大きく変化します。猟官制で選挙のたびに入れ替わる数年間だけの公務員というのでは、その高度で専門的な職務を担うことはもはや不可能になっていきます。

 

 この猟官制の腐敗と、高度で専門的な職務への変化によって、アメリカでは、100年くらいの長い歴史を経て、猟官制から成績主義へと移行が進められることになります。

 

 成績主義というのは、党派的立場によってではなく、公務の担い手としての客観的な能力や資格を備えているかどうかを基準に公務員を任用するというものです。成績主義による公務員の役割は、時の政権の政治的支持者として政権に奉仕することではなく、自らの専門的能力を活かして、政権交代の有無を問わず永続的な立場に立って、公正中立の観点から国民全体に奉仕することにある、ということになります。

 

 こうしたアメリカでの猟官主義から成績主義への転換を踏まえた形で、現在の日本の公務員制度ができ、成績主義を踏まえた憲法の「国民全体の奉仕者」という日本における公務員の役割が基本的に確立されたわけです。

 

 アメリカの成績主義やドイツのワイマール憲法から
 日本国憲法の「全体の奉仕者」が生まれた

 

 ――アメリカでの猟官主義から成績主義への移行と、日本国憲法が制定される時に「全体の奉仕者」と明記されたのは、どういった時間軸での関係になるのでしょうか?

 

 アメリカの猟官制が腐敗していったのが19世紀半ばから後半にかけてで、資本主義の高度化が19世紀末から20世紀でした。そこから大きく転換して、今の現代的な公務員制度の元になった法律が1883年にアメリカで制定されます。

 

 しかし、そこで一気に成績主義に変わったわけではなく、完全に成績主義に変わるまでにはごく最近までかかっています。アメリカでは20世紀初頭からそういう流れになって、戦後日本のモデルにした時には大きく成績主義に転換を遂げつつあったということです。

 

 それから、「全体の奉仕者」という規定が憲法に盛り込まれた理由については、最近、憲法の制定過程を調べ始めています。具体的にこれが理由だという明確なものはまだわかっていないのですが、同じ規定がワイマール憲法にあったということがわかっています。ワイマール憲法は第1次世界大戦後、ドイツの社会民主党政権のもとでできた、その時代の最も先進的で民主主義的な憲法と言われています。そのワイマール憲法には、「ドイツの官吏は国民全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」という規定があるのです。日本国憲法の制定はGHQの十数名のメンバーが中心になって起草しているのですが、法律の専門家が多くて、世界各国の憲法と日本の各種憲法草案も取り入れながら、いわゆるマッカーサー草案をつくっていったと言われています。その過程の中で、「全体の奉仕者」の規定についてはワイマール憲法が参考にされたということが共通して言われていることなのです。

 

 そうすると、日本国憲法15条1項・2項は、猟官主義から成績主義へというアメリカの歴史だけではなく、ドイツのワイマール憲法も含めて、普遍性を持った現代国家における公務員の位置づけを定めた規定ではないかと最近は考えるようになっています。

 

 「一人ひとりの人民の集合体としての
 コミュニティ全体の奉仕者」=公務員

 

 憲法制定過程はもっと調べていきたいと思っていますが、もうひとつ気になっている点について言うと、日本国憲法15条2項の英文の規定は「Public officials are the servants of the whole community」で、全体社会と言いますか、国家でもなく、ただの全体でもなく、まさに人々の集合体であるコミュニティというのが起草したもともとの言葉なのです。それを「全体の奉仕者」という非常に抽象的な日本語を使ったものですから、「全体主義的」な意味で捉えられたり、「全体の奉仕者」だから公務員は国家に尽くせ、ストライキなんかとんでもない、といういわゆる権威的な「全体の奉仕者論」になってしまうという負の側面も出て来てしまいました。当初の最高裁などは、それによって公務員の労働基本権の制限を合理化しました。

 

 英文規定はGHQとやりとりした日本の法制局の官僚が日本語に訳したわけですが、意図的に「whole community」を「全体」と訳したのではないかという指摘もあります。せめて国民をつけて「国民全体の奉仕者」と規定すべきだったのを、国民も落として「全体」としたのではないかというわけです。この点についてもどこまで信憑性があるか確認しなければいけない問題なのですが、いずれにしても15条における「全体の奉仕者」というのは、もともとは抽象的な「全体の奉仕者」ではなく、文字通り「一人ひとりの人民の集合体としてのコミュニティ全体の奉仕者」が公務員なのだという趣旨です。その意味でも、非常に普遍性をもった国民主権のもとでの公務員のあり方だと捉えるべきではないかと考えています。

 

 公務員が「全体の奉仕者」であることを確保する仕組み

 

 ――公務員が「全体の奉仕者」であることの意味はわかりましたが、そのことを確保するためにはどのような仕組みが必要になるのでしょうか。

 

 指摘してきたように、憲法の視点と公務員制度の歴史という2つの視点から、現在の公務員は、一党一派に奉仕するのではなくて、自らの専門的能力を踏まえて、公正中立の観点に立って国民全体に奉仕すべきものということになります。

 

 しかし、それを現実的に保障する制度なりシステムが存在しないと、時の政権の意向で「政権に従うことこそ全体に奉仕することなんだ」などという政治的な支配を受けかねないことになります。ですので、それを防いで、公務員が全体の奉仕者として国民全体のために職務を遂行することを確保する仕組みが必要となります。そのための制度上の原則が、いわゆる「公正中立性」といわれるものです。この公正中立性という言葉を悪用して、公務員そのものが公正中立でなければならないとして公務員の政治活動の自由を制限し正当化するケースがありますが、これは間違った使い方です。本来の正しい意味での公正中立性とは、人事行政の公正中立性を指し、政治が公務員に対して様々な支配や関与をすることを防ぎ、公正中立な人事行政のもとで公務員が国民全体のための奉仕者として職務を遂行できるようにするという意味での公正中立性ということになります。

 

 その最も重要なものが、公務員の身分保障です。簡単にいえば、法令の定める事由によらなければ免職や降任されないということで、その免職や降任の理由も法律で厳格に制限し、客観的にそれを解釈していくことによって恣意的な免職等によって公務員の身分が脅かされないということが一つです。

 

 もう一つは、今でいえば人事院制度ということになるわけですが、もう少し一般化して言えば人事行政全体を担う政府から独立した公正中立な第三者機関の存在が必要になってくるということです。これは、国でいえば人事院、自治体でいえば人事委員会ということに今はなるわけですが、こういう話をすると、組合活動を一生懸命やっている人は「そんなこと言ったって今人事院は給与制度の総合的な見直しで酷いことをやっているじゃないか」「人事委員会はもっと酷いじゃないか」という意見がかなり出るのですね。それは確かにそうなので、そこは正していかなければいけない課題として踏まえておく必要があるのですが、公正中立の第三者機関の存在によって公務員の全体の奉仕者性を支えるという、本来の第三者機関の役割がすごく重要だということは常に意識しておいて欲しいのです。その点を踏まえずに「人事院はいらない」ということにしてしまうと、今の政府の動きから考えても非常に危ういことになりますので、そこは常に意識すべきだと強調しておきたいと思います。

 

 政治主導をめざす国公法「改正」

 

 ――今回の国公法「改正」については、どう見ていますか?

 

 この春の国公法「改正」で、幹部職員を初めて国公法で定義づけました。事務次官、局長、部長ということですが、そこだけ普通の職員と切り離して独自の類型として法的に位置づけた。その上で、その幹部職員の人事については内閣総理大臣と官房長官が一元的に行うという具体的な仕組みをつくったわけですね。そして、それを事務的に支えるために内閣に内閣人事局を設置しました。

 

 これは数年前の自公政権で最初に法案が出て、成立しないまま民主党政権に引き継がれ、民主党政権でも基本的に同じ内容の法案が出されたわけですが、それも廃案になった後に、安倍政権のもとでようやく成立したということになります。つまり、安倍政権が成立したから国公法「改正」が通ったということではなく、自公政権、民主党政権含めて、この間の一つの共通する流れとしてあったということになります。

 

 それを支える考え方がいわゆる「政治主導」ということになるわけです。政と官の関係について従来のあり方を大きく見直し、選挙で勝った政党が内閣を構成するのが本来の議員内閣制であるから、選挙で国民の信を得た政策を実行していくために、公務員、官僚を統制しなければならないというわけです。官僚はそれに従うことこそが本来の役割だということなる。その論理を支えるもう一つが、いわゆる「霞が関解体」論です。今の官僚制度は省庁縦割りで、それぞれが省益だけを追求しているので、ここを解体しない限りは国民の要求は実現しないんだという話になっているわけです。

 

 少しさかのぼると、橋本内閣以降の行政改革の流れの中で、政治主導論というのが日本の政治と行政のあり方を大きく変えてきました。これとセットになっているのが政治改革ということであり、90年代始めに紆余曲折の末に政治改革法案が成立し、2大政党制に向けて小選挙区制を導入したわけです。政権を競い合う二大政党を形成して、その2大政党がマニフェストを掲げて政権を争い、選挙で勝った方がマニフェストを全面的に実行していく。そして、公務員はすべてこれに従え、という論理です。

 

 これを主導したのは財界ですが、そのシンクタンクといっていい21世紀臨調の動きをずっと追っていくと、じつに見事に21世紀臨調の主張に沿っています。そして、この政治主導の論理を最も有効に活用したのが小泉政権で、経済財政諮問会議を大活躍させて新自由主義改革をどんどんやって進めたわけです。そういう流れのなかで今日まで来ているのだろうと思っています。

 

 国家公務員制度改革もその流れのなかで、従来の公務員制度改革とは性格が変わってきました。2001年に出た公務員制度改革大綱が今の流れにつながる出発点ではないかと私は思っているのですが、そこで橋本行革で器は整ったけれど魂が入っていない。これに魂を入れるのが公務員制度改革だというのを打ち出したわけですね。それ以降、政治主導論の流れが今日まで続いてきて、今回の国公法「改正」に結びついたというふうに大きな流れとしては見るべきだろうと思っています。

 

 今回の国公法「改正」は時代に逆行するもの

 

 ――政治主導というのは、アメリカの猟官制に戻るというように考えていいのでしょうか?

 

 そう見えますね。これまで指摘してきたように、公務員制度の歴史的な流れにはまさに逆行するわけですね。アメリカで猟官制が比較的腐敗しないでやっていくことができた時代は、それほど公務が複雑化・高度化していなかったわけで、多少知識がある人であれば誰でもやれるという状況だったのです。それが選挙で勝った政党のためにというところと結びついていたので、いってみれば民主的な理念がそれなりにシステムとしての猟官制を支える時代状況があったからこそやっていくことが可能だったわけです。

 

 ところが、今やそんなことはもう現実的にできない。いくら猟官制をやろうとしても不可能なくらい公務自体が多様化・複雑化・高度化してきた中で、政治とは違う公務員独自の役割が出てきたわけです。もちろん最後は国民主権ですから、最後のところでは政治に従わなければいけない、政権に従わなければいけない、これは全面的に否定できないのですが、しかし、ただ政治に公務員が服従していればいいという話ではなくて、公務員が場合によっては政治も正すという観点から公務の専門家として意見を述べ、できるだけ国民全体の奉仕者としての公務員の役割を政治に反映させていくことが必要になっているのが現代なのです。

 

 本当はそれをきちんと保障する仕組みが必要で、日本の場合はなかなかそれがなくて大変なのですが、本来的にはそういう役割を公務員は持っているわけです。私が描く政官の正しいあり方は、公務員は専門家として中立公正の立場で、どんな政党が政権についていようとも、時の政権に可能な限り自らの意見を反映させていく役割があるということです。他方で政治家の役割は、公務員の中立公正さを最大限尊重して、幅広くいろいろな意見を吸い上げ、最後は政治の責任で決めて実施し、その責任は選挙で問う。これが現代の政官の本来あるべき姿だと、私は考えています。

 

 この現代の到達点から今の政治主導論を見ると、マニフェストで競い合って勝った政党に公務員も全面的に従えと説くことは、やはり猟官制の時代に戻ることになり、歴史を逆行させることになると思っています。

 

 ――民主党は、アメリカの猟官制の歴史などをきちんと知らないということでしょうか?

 

 知らないのでしょうね。民主党を観察していると、ある意味では真剣に良かれと思ってやっているようなところもあるように思います。しかし、今の時代にそれを説くことの現実的な意味ははっきりしていて、橋本行革で出て来た政治主導の流れから小泉構造改革に象徴される政治主導によって、貧困と格差が拡大するという反国民的な結果になっているわけです。

 

 この政治主導がもたらす反国民性を見ないで、ただ選挙で勝った方に公務員も全面的に従うことが国民主権と議院内閣制の要請だという論理は非常に危険な面をもっています。

 

 小選挙区制のもとでの「政治主導」は根本に問題あり

 

 ――選挙自体も小選挙区制で民意が反映されていないという問題もあります。

 

 そうですね。政治主導論は、小選挙区制を前提とする政権交代可能な政治を前提とするものですが、そもそも得票率と議席占有率の大きな乖離を不可避とする小選挙区制のもとでは、政権与党が国民の多数派であり民意が反映されているという前提自体に根本的な疑問があるわけです。

 

 実際、過去2回の小選挙区制での選挙結果を見ると、2009年の総選挙では民主党が47%の得票率で74%の議席を獲得し、また2013年の総選挙では自民党が43%の得票率で79%の議席を獲得しているわけです。このことは、国民の多数意思にもとづく政権交代という構図がいかに虚構に満ちたものであるかを示しているわけです。政治主導論の根本に問題があるのです。

 

 民意を反映する手段は選挙だけではない

 

 それから、国民主権のもとでは、国会議員選挙が民意を反映する最も重要な機会であることは否定できませんが、それと合わせて、多様な手段を通して政治過程に民意を反映することが現代民主主義の不可欠な要請ということになります。情報公開や各種行政手続き、公聴会・審議会制度の整備、住民投票・直接請求制度の採用など、そのときどきの政策決定に民意を反映させるための多様な制度や仕組みがそれであり、たとえ選挙公約に掲げた政策であっても、これらのいろいろな手段を通して少数意見を含む国民の多様な意見を反映しながら政策の決定・執行に当たることが、政権にとっては求められるのです。数年に1度の選挙の結果でつくられた議会多数派の意思こそ民意であるとして、与党と内閣による政治主導・官邸主導を強調することは、場合によっては、民意の正しい反映を妨げるだけでなく、「民意」を口実とする「与党独裁体制」を招くことになりかねないわけです。

 

 政治主導論に基づく「縦割り行政」批判の危険性

 

 ――縦割り行政の弊害で省益が優先され、霞が関に権限が集中しているからダメなんだという主張が常にあります。この点についてはどう考えればいいでしょうか。

 

 本当の意味で行政が国民生活に背を向けている原因は、政官財の癒着や行政の官僚主義などに原因があるわけですね。たとえばキャリア官僚の「天下り」を例にとると、経産省から原発産業へとか、防衛省から軍需産業へとか、たくさんあって、これは当然あってはならないことなのですが、その本質的な問題はまったくアンタッチャブルにしておいて、第1次安倍政権がそれを根絶すると言って国公法を「改正」しましたがまったく変わっていない。むしろそれがおおっぴらに許される状況になってきているという問題があります。

 

 また官製談合など、ときどき表に出るような問題もあって、これ自体は誰が見ても良くないことですから、それ自体は国民的な観点からも絶対に正さなければいけないことで、少しは国会で追及されたりするわけですが、本当に切り込もうとはしていない。構造には手は付けないわけです。他方で、霞が関が強固で縦割りだから政治のやろうとしている国民のための施策が阻害されている、だから地方分権を、という話などにもなってくるのですが、結局本当に正さないといけないところには切り込まないで、それを温存したまま官僚制そのものが悪だという印象を国民に植え付けようとしている。どこまで意図的かどうかは別として、結果的にそうなっていると思うのですね。

 

 ところがそれによって何が起きるかというと、結局、曲がりなりにも国民のためにやっている省庁の仕事が時の政権による新自由主義的な政策の妨げになると、それをつぶすために縦割り行政の批判を利用したりするわけです。これは、小泉構造改革以来とりわけ目立つ手法で、ターゲットになっている省庁の一つは厚生労働省ですね。とくに労働規制緩和の問題で厚労省もあまりきちんとしていない面はあるのですが、それでもギリギリ労働者のために一定のところまでは抵抗しているところもある。それを構造改革の阻害要因だということでバッシングする。混合診療の問題でも同じで、国民サイドに立っている省庁を縦割り行政で批判して、結局、政治主導が妨げられるということに帰結させていくわけです。その側面を十分見ないで「霞が関が悪い」というだけの議論は非常に危ういのです。ここがいま盛んに政治サイドから行われている縦割り行政批判、霞が関批判の大きな問題点の一つだと思います。

 

 それに、実際に省庁で働いている圧倒的多数の職員は国公労連にも結集する普通の公務労働者なわけで、その人たちは別に縦割り行政で自分の利益のためだけに仕事をしているわけでもありませんし、仮に縦割り行政に固執したからと言って自分の利益に跳ね返ってくるわけでもありません。圧倒的多数の職員は、国民のために働いているし、労働運動においてもすべての労働者のためにたたかっているわけです。そこも一緒くたにして批判の対象にするということで、こうしたバッシングというのは、単なるまやかしではなく、二重三重のまやかしで、非常に悪い機能を果たしていると思います。

 

 これらは政治主導の立場に立った官僚批判ですが、最近は、それとは別に一般国民のレベルでの公務員バッシングは、かつてとは結構変わってきているのではないかという感じがしています。

 

 かつては本当に素朴な意味で、「窓口に行くと公務員は働いていない」とか「新聞ばかり読んでいる」とか「給料が保障されている」というのが80年代は強かったですよね。マスコミの批判もそういうものと、「公費天国」などというお金を湯水のように使うというのが随分話題になりましたが、そういう時代からみると、本当に身近にいる公務員そのものにやっかんだり、批判したりというのは前ほど強くなくなっているのではないかと思うのです。むしろ公務員も大変だというのが国民にもわかってきた。たとえば教員が長時間労働でいかに大変かということなどが分かってきているので、そこは一つ、労働運動の拠り所にもなるのではないかと感じています。

 

 むしろ今問題なのは、政治部門による意図的な、政治主導論に基づく省庁批判、官僚批判であって、国民との関係でいえば、公務員バッシングは以前よりは薄らいできているのではないか。結局、国民自身が非常に大変な状況になってきていて、公務の職場も「官製ワーキングプア」の深刻な状況であるとか、民間の職場と同様に深刻になってきていることが分かってきて、そこを理解し合える状況が逆にこの間の構造改革の中で生まれてきているという側面があるのではないかと思っています。

2017-03-16 13:22:53

月100時間未満OKは政府が「殺人」を合法化するもの|過労死遺族が怒りの訴え

テーマ:働くルールづくり

 昨日(3月15日)、「過労死ラインの上限規制を許すな!~労働時間の上限規制を問う緊急院内集会」が開催されました。主催は、日本労働弁護団、過労死弁護団全国連絡会議、全国過労死を考える家族の会です。とりわけ全国過労死を考える家族の会のみなさんの怒りの訴えは涙なしには聴けませんでした。以下、主な発言の要旨を紹介します。(文責=井上伸

 

過労死ラインの上限規制は公序良俗違反、安全配慮義務違反
過労死を合法化し、政府自ら過労死を容認するもの
棗一郎日本労働弁護団幹事長

 

 3月13日、経団連と連合が合意しました。私たちは残業に上限規制を行うことに反対しているわけではありません。中身こそが問題だと言っているのです。今回の上限規制の中身は到底賛同できるものではありません。休日労働を含んで単月100時間未満、2カ月から6カ月の平均は80時間以内とすることは到底納得できません。これでは過労死を合法化し、政府自ら過労死を容認することに等しいものです。最近の労働裁判では、月80時間を超える残業について「公序良俗に反する」「労働者への配慮に欠ける」との判断が相次いでいます。今回の中身はまさに公序良俗違反です。労災認定基準を大幅に下回る上限規制をしなければ安全配慮義務違反です。

 

命奪う長時間労働を差し止めはしない、
企業は堂々と長時間労働を実現する、という今回の方向
長時間労働は経営にとっても大きなマイナス
経団連は日本経済の維持、健全な発展を阻害するのか
川人博弁護士

 

 今回の「100時間未満」は、公害裁判における“住民に補償はするが差し止めはしない”という日本の現状を想起させられます。

 

 たとえば基地の騒音被害で“住民に賠償はするが戦闘機の飛行を差し止めはしない”と同じです。「100時間未満」という労働で、その結果、病気になったり亡くなれば労災は適用しましょう。しかし、そのような労働は差し止めはしません、企業はやっていただいて結構です、というものです。つまり、これまでのさまざまな違法状況を放置したまま、賠償すればいいという考え方で長時間労働を堂々と職場で実現する。これが拡大する。補償すれば命は戻ってくるのか? 労災適用すれば亡くなった方の命は戻ってくるのか? そういう意味で、まったくもって納得できない今回の方向であるわけです。

 

 いまヨーロッパで注目を集めているオランダの若手研究者ブレグマン氏の書籍『Utopia for Realists』がベストセラーになっています。この書籍の中でブレグマン氏は「21世紀に1日3時間1週間15時間の労働を実現しよう」ということを書いています。そしてブレグマン氏は、これまでの歴史を見ても長時間労働が経営にとっても多くのマイナスをもたらしてきたことをさまざまな具体的なデータで実証しています。たとえば、アメリカの自動車会社において週40時間労働を週60時間労働にした結果、生産性が下がったということや、そもそも人間が創造性を発揮できるのは1日6時間労働までが限界であるという研究者の報告も紹介しています。

 

 残業100時間をあくまで主張している経団連のみなさんに申し上げたいのは、いったい日本でこれほどの長時間労働をさらに続けて日本経済は本当に維持されるのかどうか? 健全に発展するのかどうか? なぜ100時間でなければいけないのか? 上限規制が40時間、50時間でなぜいけないのか? この点についてはなんら具体的な反論も実証もされていません。むしろ長時間労働が経営にとってもマイナスとなるさまざまなデータが出されている。経営学の研究者から長時間労働がいかに経営にとってもマイナスかということが出されている。私たちは政府に対してはもとより、経営者のみなさんにこの長時間労働がもたらす悪弊について、話をし、説得をし、考え方をあらためるように強く訴えていきたいと思います。

 

健康でも月平均80時間の残業で過労死する
過労死を考える家族の会 Aさん

 

 タバコも吸わず、健康診断でもひっかかったこともない、40歳の夫が過労死で命を落としました。6カ月平均80時間の残業が認められ、労災認定されました。健康でも平均月80時間の残業で、人は死んでしまうのです。家族を亡くした遺族として、月100時間未満や平均80時間という合意は、到底許せません。人の命がかかっているのです。特例など認められません。「子どものために一生懸命に働かなくてはいけない」「子どもと一緒にいたい」と、いつも夫は言っていました。人が健康的に働くことができる社会にして欲しいのです。

 

「単月100時間未満」「2~6カ月平均80時間以内」は長時間労働促進
政府と経団連と連合は大切な家族を亡くし絶望のなか立ち上がった私たちの願いを無視するのか
全国過労死を考える家族の会 兵庫代表 西垣迪世さん

 

 今回の方向は本当にこの国の働き方を改革し、長時間労働をなくし、過労死ゼロを実現し、女性や若者、高齢者などの多様な人材が本当に活躍できる社会につながる規制になるのでしょうか? 私は断じてそう思いません。自分の命より大事なひとり息子をこの日本社会が生んだ長時間労働により過労死で亡くした遺族として、過労死ラインを合法化する労働基準法改正はとんでもないことだと言わざるをえません。

 

 息子は会社の記録によると、4月の残業は93時間、6月72時間、7月75時間でうつ病を発症し、27歳で過労死しました。実際には記録のない休憩時間も働いていたために4月の実労働の残業時間は124時間になり、とくに荷重であった6月後半から7月前半の変形1カ月をとれば、150時間を超える残業でした。

 

 1カ月100時間未満、2ないし6カ月80時間以内は、このように変形1カ月をとったり休憩時間を含む実労働時間をとればゆうに100時間を超える長時間労働になる恐れがあります。こうした過労死ラインを労基法に書き込んでは絶対にいけません。時間外労働の上限は月45時間を守るべきです。そうでなければ「長時間労働規制」ではなく「長時間労働促進」になります。

 

 また睡眠時間の保証は命の保証です。1日の上限またはインターバル規制をもうけるべきですし、時間外労働規制除外の業種をもうけるべきでもありません。どの業種の人の命も同様に尊いものです。私たち過労死遺族はこれ以上大切な家族を亡くし悲しむ遺族を出してはならないと絶望のなか必死の思いで立ち上がり、この国を健康的に働ける国にするために過労死防止法の制定を2014年の6月に実現しました。過労死防止啓発シンポを43都道府県でとりくむなどしてきました。私たちの願いを無視して、政府と経団連と連合は、過労死ラインを合法化するというのでしょうか? 働く人の命と健康を大事にする国に、企業に、かわるべきです。

 

今回の過労死合法化は殺人につながる
東九州過労死を考える家族の会 桐木弘子さん

 

 大手自動車会社の整備士だった23歳の息子は、「工場長、使えない人間で、すみませんでした」という遺書を残して自ら命を絶ちました。自分の命にかえても守りたいと思って必死に育てたわが子が、仕事が原因で自死するときの衝撃は想像を絶するものでした。最愛のわが子を救えなかった自責の念と絶望、喪失感など、とても言葉で言い表せない苦痛でした。

 

 子どもに先立たれた悲嘆が一番大きいと言われていますが、もっと苦しく辛かったのは息子本人です。死を決心したとき、どれだけ苦しんだのか。死を決行したときどれだけ痛かったのか。仕事から逃れる方法がそれしか思い浮かばなかった息子がかわいそうで、今でも胸が詰まります。

 

 残業上限を繁忙期に100時間未満まで認めるという恐ろしい法律が制定されようとしています。たとえ100時間未満と取り繕っても99時間と100時間の間にどれだけの違いがあるのでしょうか? この法案を通そうとしている人たちは、100時間の残業がどれだけ過酷なものか認識しているのでしょうか?

 

 過労自死は、仕事が原因でうつ病に罹患することによって死に至ります。過労死ラインを合法化し、死ぬかもしれないとわかっている労働時間を働かせたあげく、死なせることがあれば、まさに殺人であると私は考えます。

 

 過労死、過労自死はなくすことができるのです。死ぬほど、働かせなければいいのです。どうか、労働者が人間らしく幸せに暮らせるような労基法にして、私たち親子のような悲惨な目にあう家族をなくしてください。

 

人の命奪う働かせ方を公然と行う提案が堂々とされる異常な事態
過労死増大法では人間らしく働けない
大阪過労死を考える家族の会 代表 小池江利さん

 

 49歳の夫は脳動脈破裂によるくも膜下で過労死しました。特別養護老人ホームの管理室室長で、介護事業の拡大とあわせて、会計業務が増え、倒れました。過労死をなくすための法律、悲願の過労死防止法が成立したときに、みんなで喜びあいました。しかし、今回の合意は、人の命を奪うものです。堂々と提案される事態が不思議でなりません。この法律が成立すると、過労死ラインの働かせ方が、公然と行われることになります。残業の過少申告問題もあります。子どもたちは今は社会人になりました。子どもたちには充実した人生を過ごしてもらいたい。将来ある子どもたちが、このような過労死増大法のもとで、人間らしく働けるとは思えません。安心して、家族を仕事に送り出せる社会にしたい。

 

すべての国会議員が賛成した過労死防止法に照らして
まともな残業規制の実現を
全国過労死を考える家族の会 代表 寺西笑子さん

 

 遺族の切実な訴え、お聞きいただいたでしょうか。労働組合でも専門家でもない。大切な家族を過労死でなくした、二度とこのような苦しい思いをしてほしくない。まじめに働いた人が、仕事で命を落とすことなどない社会にしたい。そう思って、私たちは活動をしてきました。なぜ、働き方改革実現会議に、私たちが参加できないのでしょうか? 長時間労働をなくせば、過労死はなくせるのです。電通過労死遺族の高橋幸美さんのコメントを共有したいと思います。自分の命にかえてでも守りたかった家族をなくした。この状況が、4半世紀活動してきましたが、いっこうにかわらない。過労死を防ぐ法律をつくろうと、弁護士ともに、2014年に過労死防止対策推進法が実現しました。ところが、この法律の3年後に、このような改悪をしようとは。なんのための過労死防止法だったのでしょうか? 過労死防止法の方が先の法律です。しかもすべての国会議員が賛成してできた法律です。月100時間残業などと言っている人も、過労死防止法に賛成しているのですから、労基法の改悪は絶対にさせない。まともな規制を実現するために、たたかいましょう。

 

▼エキタスが経団連前緊急抗議行動にとりくみます

 

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(井上伸)

2017-03-14 15:58:20

安倍首相絶賛の月100時間未満では電通過労自死事件なくせない

テーマ:働くルールづくり

安倍首相と菅官房長官の言葉です。

 

 本日、連合、そして経団連の双方が、時間外労働の上限規制に関して合意をいたしました。労働基準法70年の中で歴史的な大改革だと思います。
3月13日 神津連合会長及び榊原経団連会長による訪問、首相官邸サイトより

 

 菅義偉官房長官は14日午前の記者会見で、労使が残業時間の上限規制について合意したことを受け、「極めて画期的で、労働基準法70年の中で歴史的な大改革だ」と評価した。
菅官房長官、残業規制は「歴史的改革」 時事通信 3/14(火) 11:06配信

 

 これに対して、電通の新入社員で過労自殺した高橋まつりさんの母、幸美さんは次のようにコメントしています。

 

 月100時間残業を認めることに、強く反対します
 

 政府の働き方改革として、一か月100時間、2か月平均80時間残業を上限とする案が出されていますが、私は、過労死遺族の一人として強く反対します。
 

 このような長時間労働は健康にきわめて有害なことを、政府や厚生労働省も知っているにもかかわらず、なぜ、法律で認めようとするのでしょうか。全く納得できません。
 

 月100時間働けば経済成長すると思っているとしたら、大きな間違いです。人間は、コンピューターでもロボットでもマシーンでもありません。長時間働くと、疲れて能率も悪くなり、健康をそこない、ついには命まで奪われるのです。
 

 人間のいのちと健康にかかわるルールに、このような特例が認められていいはずがありません。
 

 繁忙期であれば、命を落としてもよいのでしょうか。
 

 命を落としたら、お金を出せばよいとでもいうのでしょうか。
 

 娘のように仕事が原因で亡くなった多くの人たちがいます。死んでからでは取り返しがつかないのです。
 

 どうか、よろしくお願いいたします。
 

月100時間残業「強く反対」 まつりさん母がコメント 朝日新聞 2017年3月13日20時42分

 

 安倍首相と菅官房長官はそろって「労働基準法70年の中で歴史的な大改革だ」と大絶賛しているのに、過労死遺族は「強く反対」しています。あらためて3月8日に衆議院厚生労働委員会で行われた参考人質疑での川人博弁護士の意見陳述と質疑での意見を聴くと、安倍首相と菅官房長官の主張がいかにとんでもないものであるかがとてもよくわかりましたので、一部ですが以下紹介します。(文責と中見出し=井上伸

 

▼過労自殺した電通の高橋まつりさんの遺族の代理人も務める川人博弁護士の意見陳述と質疑での意見(3月8日 衆議院厚生労働委員会)

 

2つの問題(①非合法な長時間労働隠し②36協定など合法的手段)
に対策を打たなければ過労死はなくならない

 

 日本における長時間労働は、2つの方法、手段によって発生しています。1つは、非合法な労働時間隠しによってです。もう1つは、36協定などによる合法的な手段によってです。長時間労働を規制するためには、この2つの問題に対する対策が必要です。

 

 まず初めに、長時間労働の隠蔽といいますか、労働時間を隠すという問題です。

 

過労死事案で長時間労働は隠蔽されている
電通事件でも月30時間以上隠されていた

 

 ほとんどの過労死の事案において、実際の労働時間というのは、名目上の労働時間、会社が公認している労働時間と異なっています。

 

 高橋まつりさんの電通の事件に関して言えば、会社は、会社公認の残業時間としては1カ月70時間未満としていたわけです。しかしながら、実際には、労働基準監督署が認定した範囲でも、法定外の労働時間が100時間を超えていたということです。

 

 先日、ヤマト運輸が、全社的に、全国的に多くのサービス残業があったこと、不払い残業があったことを認めて、過去にさかのぼってそれを支払う、そういう方向を出しました。不払い残業があったということは、言い換えると、労働時間隠しが行われていたということでもあるわけです。

 

いま中間管理職が過労死の脅威にさらされている

 

 加えて強調しておきたい点は、現在、中間管理職の時間外労働がとても厳しくなっているという報告を受けています。つまり、昨年秋以降の電通事件の報道等によって、中間管理職には、早く新人を帰すように指導しなさい、こういうことが役員から指示がおりてくるわけです。

その結果、どうなっているかというと、若い1年目の人、2年目の人はとりあえず労働時間が減っているところもあるけれども、中間管理職、マネジャーのような立場の人たちの労働時間がとても増えているのです。

 

 なぜこういうことが起こるかというと、現在、中間管理職に関して、多くの会社が労働基準法の41条の管理監督者の規定を濫用して、誤って使って、残業時間を記録していないわけです。残業手当も支払っていないわけです。

 

 本来は、労基法41条の管理監督者規定というのは、ごく一部の上級管理職にだけ適用されるべきものです。判例上もそうなっています。それを課長、さらには課長補佐まで適用しているということがあります。

 

 このような労働時間管理放棄によって、現在は、新人のみならず、中間管理職も過労死の脅威にさらされている、このことを指摘しておきます。

 

労働基準監督官があまりにも少ない
労働基準監督官の大幅な増員で
実効ある監督行政にし長時間労働隠し根絶を

 

 今年の1月20日に厚労省が、使用者向けに、労働時間の把握のための新しいガイドラインを策定しました。このガイドラインに沿って監督行政をぜひ実行していただきたいのですが、私たちの現場の実感で言えば、あまりにも労働基準監督官の数が少ないということがあります。ぜひ、労働基準監督官の大幅な増員を含めて、監督行政を実効あるものにする、そして、労働時間の的確な把握を進めていただきたいと考えています。

 

 2番目の36協定など合法的な手段による長時間労働についてです。

 

 高橋まつりさんは一昨年の12月25日に亡くなりましたが、会社は、10月に徹夜を含む長時間労働で彼女が相当疲弊していたにもかかわらず、彼女の部署について、12月には、36協定の特別条項を適用して合法的な長時間労働の枠を広げるという措置をとっていました。

特別条項の問題とは別に、建設業や運輸業では、そもそも36協定の時間外労働に関する規定が全くありません。私は、石油プラント工業で亡くなった24歳の青年の事件や、つい最近では、下水道関連の公共事業に従事した建設業の方々の事件を担当しましたけれども、建設業において何らの36協定の上限規制がないというのが、いかに深刻な影響を与えているかということを、痛感しています。この点も、ぜひ、今回の法改正に向けての重要なテーマであるということを、改めて強調したいと思います。

 

長時間労働をなくすためには労働時間の絶対的な規制が不可欠

 

 長時間労働をなくすためには、労働時間の絶対的な規制が不可欠です。時間外労働の上限規制の法制化の議論の中で、特別条項で1カ月100時間という案を聞いたときに、私はわが耳を疑いました。全く信じられない数字が出てきたということです。なぜなら、そもそも、もう今から15年以上前の2001年に、厚生労働省は1カ月間に100時間の時間外労働があれば過労死ラインとして労災の適用になることを明確に医学的な根拠を含めて出したわけです。

さらに、今議論されている中には、2カ月間の平均で80時間が上限ということも出されていますが、平均80時間というのも、厚生労働省が過労死のラインとして設定している数字であるわけです。

 

繁忙期には長時間労働もやむを得ない?

 

 繁忙期には長時間労働もやむを得ない会社や業界もあるじゃないかという意見があります。しかし、繁忙期にある程度やむを得ないからといって、なぜ100時間や80時間というレベルになるのか、そのような具体的な説明は全くなされていません。そのような立法事実は提起されていません。月に100間もの残業をしなければ会社が倒産してしまうということなんでしょうか。そのような会社が本当にあるのか。さらに、仮にあったとしても、人命よりも会社の存続を優先させていいのか。私は、繁忙期の問題がテーマになる企業においては、経営者の方々に、ぜひ年間を通じた経営努力で改善を図っていただきたいと考えます。

 

全く規制がないよりも100時間という規制でもあった方がよい? よりまし?

 

 また、今は青天井だから、全く規制がないよりも100時間や80時間という規制でもあった方がよいではないか、つまり、よりましの議論が出ています。

高橋まつりさんの死亡の労災認定が明らかになって以降、昨年の秋以降、多くの企業で現行の36協定を各社が見直し、特別条項を使っても月80時間を超えないようにという流れが生まれてきています。電通では、遺族との合意文書の中で、特別条項を適用しても月の法定外労働時間は75時間以内にする、そのような業務命令をするということをはっきりと約束しています。

 

100時間残業OKは時間短縮の流れを逆流させる

 

 このように、現に今職場では、100時間や80時間よりも少ない数字の特別条項で動いているわけです。ところが、100時間でもいいということが通れば、それによって状況がもとどおりに戻ってしまう。よりましな基準ではなく、むしろ、今の時間短縮の流れが発生しているにもかかわらず、その時間短縮の流れを逆流させる、それが100時間、80時間をいいとするものであることを強調したいと思います。

 

 100時間で1カ月ぐらい働いても健康は大丈夫じゃないかという意見もあります。しかし繁忙期に100時間というのは、いわゆるだらだら残業などではありません。会議中に眠ったり、あるいはぶらぶらしたり、そんなようなことを行っている労働者はいないわけです。労働密度も当然濃い。さらに、IT化によって労働密度はますます濃くなっている。そういう中での80時間、100時間ですから、当然のことながら、人体に対する極めて深刻な影響も出るわけです。

 

繁忙期の残業100時間は死に至る

 

 1カ月間辛抱したらいいじゃないかという意見がありますが、うつ病は短期間に発生します。厚生労働省の委託研究でも、月100時間の残業があれば、うつ病が急速に発症し、それが死に至る危険がある、と具体的に提起されているわけです。

 

 これらの点を考え、上限規制は、過労死ラインと言われる80時間や100時間というものでない、もっと低いラインの上限規制を実現するようにしていただきたい、そのことを強く訴えたいと思います。

 

 高度プロフェッショナル制度の問題について、一言述べたいと思います。

 

 私が疑問なのは、高度プロフェッショナル制度と言いますが、果たして、労働時間規制も撤廃して長時間働いたから高度なプロの仕事ができるのかということです。

 

 人間の能力を発揮するために、適度な睡眠時間の確保や休日の確保は当然の前提条件じゃないでしょうか。どうも経営者の一部の方々は、目先の利益の確保を目指すあまり、正しい意味での労働能力の発揮、労働効率ということも忘れてしまって議論をしているのではないでしょうか。

 

 最後に、夜勤交代制労働者につきましては、夜勤交代それ自体が過重であるわけですから、上限規制自体、一般の労働者以上に残業の上限規制は厳しくなければならないと思います。

 

 この10年間で厚労省が労災として認定しただけでも、過労死は約2千人に達しております。過労死をなくすることは国の責務であると過労死防止法は宣言しました。どうか、国会、立法府におきましては、この異常な日本の職場を改革するために、長時間労働を解消し、過労死のない社会の実現のために知恵を絞っていただきたい。そして、知恵を絞っていただき、適切な法律を制定していただきたいと心より訴えます。

 

〈以下は質疑での川人博弁護士の主張〉

 

フランスでは今年の1月から業務上のメールを自宅で見なくてもよい権利=「ライト・ツー・ディスコネクト」の法案を施行

 

 ITが進むことによって、労働時間の管理などは大変把握しやすい状況になってきました。労務管理においては、例えば入退室管理の記録などが瞬時に出るようになる。そういう意味では、上司や人事関係者が従業員の労働時間の把握ができるようになった、こういう意味では、IT時代における、ある意味では労務管理を改善していく条件が生まれています。

 

 ただ、他方では、ITの時代において、特に自宅労働がより広まる、そしてそれによるストレスが解消しないという問題があります。フランスで今年の1月から、メールを見なくてもよい権利=「ライト・ツー・ディスコネクト」の法案がことしの1月から実施され、業務上のメールを自宅に帰って見る必要はない、こういうことを方向性として出しています。

 

 こういうことも含めて、どのようにIT時代における過重な労働を防ぐのか、こういったさまざまな工夫、努力も必要になってきているのです。

 

 交代制勤務における残業規制は一般の労働者以上に低いレベルにしなければならない

現在も医師の過労死の案件を多数担当しています。研修医の状況については、労働時間に関して言えば、残念ながらほとんど改善がない、そのような実感を持っています。

 

 関西医大の研修医の方の亡くなられたケースで、随分前に研修医の労働者性ということが明確にされ、そして労働時間管理の重要性が裁判所でも指摘されたわけですが、そしてさまざまなところで議論されているにもかかわらず、残念ながら研修医の長時間労働の実態は改善されていない。そして相当数の研修医の過労死が現に発生しているのです。

 

 特徴は、労働時間とあわせて、何らかの医療事故を発生したことによる精神的なストレスとが重なっています。

 

 ですので、ぜひ、日本の医療の将来を担う若い医師の勤務条件の改善をどうするかということについて、大いに今後とも知恵を絞り、御議論いただきたいと思っています。

 

 あわせて、看護師の方あるいは理学療法士の方、介護労働者の方等も含めて、夜勤、交代制勤務という観点からも非常に厳しい状況があります。

 

 80時間や100時間の過労死ラインというのは、通常、昼の労働者を念頭に置いたことであり、看護師の方は、80時間や100時間なんというレベルではなく、もっと低いレベルの時間外労働でも十分に過労死ラインと評価すべきです。そういう意味で、医療現場における夜勤、交代制勤務における労働時間規制の問題は、一般の労働者以上により低いレベルにとどめるようなさまざまな政策や法律を検討していただきたいと思います。

 

高度プロフェッショナル制度、裁量労働制は過労死を自己責任にするもの

 

 裁量労働制の問題も同様ですが、結局、高度プロフェッショナル制度の問題についても、本質的な問題として、その当該労働者の仕事の目標、いつまでにどのような成果を上げるのか、そういう目標の設定というのは会社、使用者が行うわけです。基本的な業務内容、それと業務目標、例えば納期であるとか、例えば特許出願を担当しているような人であれば、それはいつまでに出願できるようにとか、こういうことは基本的に会社、使用者が決めるわけです。

 

 ですから、本来的に、使用従属の関係、指揮命令の関係という本質的な問題は、高度プロフェッショナル制度においても裁量労働制においても同じなのです。この点において、ある一部分をとって自由裁量であるとかいう形で議論をすりかえています。

 

 大きな枠、目標設定は企業が行っている以上、自己責任で健康は守ることはできません。ですから、そういう意味での高度プロフェッショナル制度を含めた自己裁量というものに対する見方があまりにも肥大化し、実態以上に強調し過ぎている。もっと労働者性が貫徹されているという側面を見るべきなのです。

 

残業100時間上限では電通過労自死事件は繰り返される

 

 先日、高橋まつりさんのお母さんの幸美さんが安倍総理と面談したのですが、その席に私も立ち会いをいたしまして、お話を聞きました。そこにおいても、高橋まつりさんのお母さんは、本当に実効性のある労働時間規制を行っていただきたいということを強く話をされていました。

 

 高橋まつりさんの事件について言えば、労働基準監督署はこのような理由で労災と認定したわけです。亡くなる年の11月の初めにうつ病を発病している、したがって、その前の労働時間がどうだったかということが重要ということで、具体的には、うつ病を発病する前に105時間の時間外労働があったと労働基準監督署は認定して、そして、それより前の月は約50時間程度であったものであるから、それが倍の時間外労働になった、このことがうつ病発病の原因になって、その延長線の上で彼女がクリスマスに死亡した、このように労働基準監督署は認定しているわけです。それは専門家の医師などの議論も踏まえてそのように認定しているのです。

 

 したがって、1カ月であっても、100時間、105時間というのはおおむね100時間ですよ、そういう時間外労働があった場合には、それがうつ病を発病するだけの重大な負荷になり、それによって死亡するのだということは、労基署、つまり国自体が認定したことです。

 

 まつりさんの死を繰り返さないためにどうするかということで始まった議論において、1カ月100時間の時間外労働が許容されるということはあり得ないわけです。

 

 この問題は、私もまつりさんの遺族といろいろ話をしている中においても、ある意味では全く信じられない提案である、そのように御遺族も受けとめられているわけであります。それは多くの過労死の御遺族も同じだと思います。その点をまず指摘しておきたいと思います。

 

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