この間炎上している、田端信太郎氏(「ZOZOTOWN」を展開する株式会社スタートトゥデイのコミュニケーションデザイン室長)のツイートは、過労死を労働者の自己責任とするだけでなく、過労死で家族を失った遺族に対する侮辱、また遺族と一緒に過労死労災認定をたたかう労働弁護士や私たち労働組合への攻撃をも含むもので看過できません。高度プロフェッショナル制度の問題とも密接につながっていますので取り上げておきたいと思います。
私が最も許せないと思った田端氏のツイートです。(※ツイートのキャプチャ画像と「▼」の部分にツイートをリンクしています)
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「自殺だから一義的に自己責任なのは当たり前でしょうが。」とあります。デジタル大辞泉によると、「一義的」の意味は、「1 それ以外に意味や解釈が考えられないさま。2 いちばん大切な意味をもっているさま。根本的。第一義的。」です。田端氏は、過労自死(過労自殺)は労働者の自己責任と言い切っているわけです。しかし、過労自死(過労自殺)が労働者の自己責任などではなく「企業側に一義的に責任がある」ことは、2000年3月の電通事件最高裁判決ですでに確定していることなのです。(※詳しくは、渡辺輝人弁護士の「―ついに電通に立ち入り調査―人はなぜ過労で死ぬのか」を参照ください)
次に許せないと思った田端氏のツイートです。
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田端氏は、「過労死した形の家族を前にするような場面であっても」「過労死のほとんどは、自分で自分に危険タックルしてるようなもんです。」と自分は言い放ってやると断言しているわけです。
こうした田端氏のツイートを読んで、過労死や過労自殺が労働者の自己責任なのかもしれないと少しでも思った方は、ぜひしお(汐街コナ)さんの過労自殺とは何かがわかるマンガを以下のツイートから読んでください。
◆「死ぬくらいなら辞めれば」ができない理由 1/2
◆「死ぬくらいなら辞めれば」ができない理由 2/2
それから、高度プロフェッショナル制度の問題にも関連してくる田端氏の5つのツイートです。
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最初は「過労死は労働者の自己責任」と言い切っていたのに、嶋﨑量弁護士や佐々木亮弁護士に批判される中で最後の方は「過労死には本人の責任もある」「本人の責任もゼロではない」「組合や従業員代表の責任もゼロではない」などと、田端氏は言い逃れをしようとしています。しかし、それでもなお「いわゆる過労死は、使用者にも責任の一端は有ると思いますよ。」の部分から、田端氏は「過労自死(過労自殺)には使用者の責任は一切ない」と思っていることがわかります。ここで、まだ田端氏と同じように、「過労自死(過労自殺)には使用者の責任は一切ない」と少しでも思った方は、再度上記で紹介したしお(汐街コナ)さんの過労自殺とは何かがわかるマンガを熟読してください。
田端氏は「高プロで年収1100万円ぐらいって無敵」とか、「36協定とは労使双方の合意に基づくもので、一方的に使用者サイドが決められるものではない!」から過労死の全責任は使用者にないとか、「現行法でも一方的な残業強制は違法なのに高プロを「残業させ放題」とか言ってる人って?」などとツイートしています。電通社員の平均年収は1200万円ですが「無敵」でないことは、渡辺輝人弁護士の「―ついに電通に立ち入り調査―人はなぜ過労で死ぬのか」を読めばよくわかります。そして、36協定の労使双方の合意もなく、一方的に使用者サイドが「残業させ放題」にできるのが高度プロフェッショナル制度であることは、上西充子法政大学教授の「高度プロフェッショナル制度「きほんのき」(1):「労働時間の規制を外す」→でも労働者は時間で縛れる」はきちんと読めば、田端氏でも理解できると思います。また、田端氏の高度プロフェッショナル制度についての理解は間違っていますが、一方的に使用者サイドが決められ残業強制が合法になる「残業させ放題」の高度プロフェッショナル制度こそ過労死を100%激増させるものであることや、「今後、起こり得る過労死を減らすためには、働く側が自分の身は自分で守る気概を持」ったとしても高度プロフェッショナル制度ができてしまえば、過労死は合法化され、労働者の自己責任にされることが田端氏の今回の一連のツイートで逆によくわかるとも思います。
過労死を労働者の自己責任とした上で、過労死で家族を失った遺族に対する侮辱、また遺族と一緒に過労死労災認定をたたかう労働弁護士や私たち労働組合を侮辱した一連のツイートについて、田端氏は謝罪すべきだと思います。
(井上伸)