派遣労働が若者の未来を閉ざす~家族形成も人生設計もできない下降する流転生活 | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 昨日紹介した木下武男さん(昭和女子大学教授、ガテン系連帯共同代表)の論稿「派遣労働の変容と若者の過酷」(雑誌『POSSE』創刊号掲載 )の最後のところで、秋葉原事件の背景について、過酷な派遣労働と雇用不安とともに、生活設計・人生設計の未来展望が閉ざされている問題があるとして、4つの点を指摘しています。


 1つは、単身者賃金で昇給なしの賃金水準が永久化していること。戦後日本で支配的であった年功賃金による生活の支えが若者のところで崩壊し、単身者の生活すら保障されない低い賃金水準が、正規・非正規社員とわず若者に蔓延しているのです。


 2つは、貯蓄不能による再チャレンジの不可、家族形成の不能という状況が広がっていること。この点について木下さんは次のように書いています。
 日本は、社会保障の充実したヨーロッパ型福祉国家ではないので、賃金がすべてである。その賃金が上がらなければ貯金もできない、ローンも組めない。専門学校に行って技能を身につけよう、資格を取ろうと思っても、貯金をしてその資金を確保しなければそれはできない。子どもを育て学校に行かせるだけの収入がなければ、なかなか結婚に踏み出せない。家族形成ができない。今や若者にとって家族は「贅沢品」になっているのである。


 3つは、下降する未来設計しか描けないということ。製造業派遣の現場は、きつい過酷な労働であるため、「歳を重ねて、いつまで働けるのだろう」という不安を抱えながら働いています。上昇する未来設計が描けないどころか、下降する未来が待ち受けていて、派遣労働の世界には、未来が閉ざされた閉塞感が支配しているのです。


 4つは、「新・出稼ぎの若者たち」は、社会に根付くことができない「デラシネ(根無し草)」にされていること。工場現場で働く派遣労働者は各地の工場を流転しています。離郷した若者が、ある工場で働いていても、今回の秋葉原事件の関東自動車のように、雇用調整によって派遣労働者の人員削減がされ、寮を出て、また他の工場で働くことになります。木下さんは最後に次のように指摘しています。


 彼らは「定住することも家族を形成することも困難な新・出稼ぎの若者たち」といえるだろう。しかし、かつての農村からの出稼ぎ労働者は、農閑期が終わればやがて故郷に帰ることができた。しかし、新・出稼ぎの若者たちは、定期的に故郷に帰れるような賃金ではない。定着できる場所もない、故郷にも帰れない。さらに、このような低賃金と流転の生活では結婚することも難しい、子どもを育てることも困難である。
 新・出稼ぎの若者たちは、社会に根付くことのできない「デラシネ(根無し草)」なのである。会社のなかでの働く仲間の関係も、親兄弟、配偶者・子どもという家族関係も、地域における人間関係も、いずれの根も断ちきられている。社会的関係の切断は人間的安定のゆらぎを生み出すことは必然だろう。


(byノックオン)