貧困の原因は「自己責任」でなく「社会的排除」~反貧困のための社会的連帯を | すくらむ

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 昨日紹介した東海林智さんのルポルタージュ『貧困の現場』(毎日新聞社)に掲載されている座談会「反貧困のための社会的連帯」(東海林さんと首都圏青年ユニオン書記長・河添誠さんとソルボンヌ大学・一橋大学研究員、貧困研究者のダヴィド・アントアヌ・マリナスさんの3名での座談会)の中で、「自己責任論」や「社会的連帯」について、とても興味深い話が展開されていますので要約して紹介します。


 フランスでは、貧困問題の原因について、「自己責任」という言葉は使わず、「社会的排除」という言葉を使います。「社会から排除された状態として貧困があり、貧困は社会が強制するものだという認識の上に成立する言葉」(東海林さん談)なのです。


 「社会的排除」という言葉を使うと、いい意味で当事者である貧困者の責任が薄くなります。当事者である貧困者が関与できない社会的なメカニズムの影響で貧困状態になるということが示せるため、運動をつくるのがずっと楽になります。当事者が生活保護を頼む時にたいてい「仕事を探しなさい。貧しいのはあなたの責任なんだから、自分で頑張って」と言われるけれども、「社会的排除」という言葉が一般的になると、当事者が「私の責任じゃない」と思うことができます。また、行政や市民の側もそのことを感じているから、ホームレスに対する差別的な対応が少なくなります。貧困は「私」のせいじゃなく、「社会」の側に問題があるとする「社会的排除」は、社会的連帯の運動を広げていく重要な概念であり、社会的弱者が運動するための重要な発想なのです。


 座談会では、ダヴィドさんが1996年に新宿のホームレスの状況を研究していたときの話が次のように語られています。


 東海林 当時のホームレスの状況に対して、社会の不平等とか不公正を問う声が日本では少なかった?


 ダヴィド 非常に少なかった。まず、ホームレスの当事者が運動したくないという状態だったから、ホームレスは社会運動になりにくかった。驚いたのは、50、60代のホームレスたちが、「私の人生が失敗したのは私が悪い」と言っていたことです。


 河添 自分の責任だ、と。


 ダヴィド 「勝ち組に入れない。でも、それは私のせいです」と、小泉より以前から日本社会では自己責任論は一般的だった。特に戦後の団塊の世代以上の人々は、自分の力で自分の人生をつくるという強いイデオロギーに縛られていましたから、生活保護を頼むのは心理的に非常に難しいですよね。
 それと、政治家が自己責任という言葉を使うのは自己否定のようなものではないでしょうか。民主主義の社会では、みんなのことを考えるのが政治家の役割なのですから。


 東海林 まさにそうだよね。


 ダヴィドさんによると、フランスでは、「国境なき医師団」をつくった人々が、海外だけでなくフランス国内の貧困者を助けようと、宿泊と飲食と医療を受けられる緊急シェルターをつくったとのこと。その日困っている人が、その日シェルターに入ることができ、路上にいる人は、115という電話番号に連絡して「私、困っている」と伝えます。あるいは市民が、困っている人を見て連絡するのです。115番は、「samu social」と呼ばれ、「samu」は救急車の意味で「社会的救急車」ということになります。15番が救急車、115は社会的救急車で、フランスでは「社会的」という形容詞がつくと、貧困やホームレス、普通の状態で暮らしていない人を手伝う制度を意味します。


 いまだ日本ではホームレスへの偏見が強いのですが、ただ、ネットカフェ難民に対する反応は、昔に比べると一定の理解が生じているのでは?という問いに河添さんが次のように応答しています。


 河添 そうですね。やっぱり家がない状態を悲惨であると感じるんじゃないでしょうか。


 東海林 その立場や境遇への共感が、社会の構造を問う声になっていきつつあるんですかね。


 河添 そこまでは到ってないですね。どちらかというと、「ネットカフェなんてところに泊まっている人がいる」という社会的な驚きでしょうね。けれども、路上に寝ている人には驚かず、ネットカフェだと驚くというのは矛盾ですよね。路上で寝ているほうがきついわけですから。路上に寝ている人に驚いてほしいという思いがありますよ。


 最近は、路上生活者になる前の人たちの状況も、報道されるようになってきましたよね。「家があって働いているけれども生活に困窮しているという人が、こんなにたくさんいる」と、路上生活者予備軍がたくさんいて、そこから路上に出ていく人が生まれてくるという構造が、ある程度は理解されてきた。くわえて、日本で暮らしている多くの人には、労働の過酷さや税金の高さなどから、生活がきついという生活実感がある。だから、「病気や怪我で倒れたら、すぐあっち(野宿)へ行っちゃうんじゃないか」という危機感をもっているんだと思います。自己責任論は根強くあるんでしょうが、NHKの「ワーキングプア」という番組が高視聴率をとって、続編も撮られた。さらに各新聞も特集を組んでいます。これが一時の流行じゃなく、社会の構造的な問題を問う声としてどこまで定着するか、それがまさにこれからの課題でしょう。このままだと、しばらくしたらネットカフェ難民に誰も驚かなくなりますよ。どこにでもいるんだもの、自然な状態になってしまう。これは社会として異常な事態なんだと言い続けなくてはいけませんね。


 座談会の最後に河添さんが「社会的連帯」について次のように語っています。


 河添 去年の1月「世界社会フォーラム」でケニアのナイロビに行ったんですけれども、身体障害者の人たちがデモをやっていたんですね。世界社会フォーラムのスローガンは「もう一つの世界を」。デモはそれに対して「我々抜きで新しいもう一つの世界なんていうのは不可能なんだ。だから私たちを含んだ新しい社会をつくれ」というスローガンですね。どれだけ障害者が排除されているかということに対しての強烈な抗議の声です。これはおそらく、世界中でマイナーな存在にされている人びとや排除されてしまっている人々の共通したスローガンになり得るんじゃないでしょうか。


 大事なことは、相手を対等な人間と見ているかどうかだと思うんです。生活保護申請の窓口で、ボールペンで指して「あんた」とやったり、お金を投げて渡すとか、そういうのは通常の人間関係では絶対やらないことなわけです。まして役所の窓口で区民に対してとるべき行為じゃない。でも、それができてしまうというのは、相手を対等な人間としては見ていないからですよね。社会的排除にも関わりますが、市民社会の下に排除している。仲間じゃないんですよ。自分たち仲間の下にいる何か別の存在にされてしまっている。だから「社会的連帯」と言った時に、その人たちを社会の中に入れるというイメージがとても大切なような気がしています。彼らを含んだ新しい社会を想像することが、これまでとは違う社会をつくってゆくことに繋がると思うんです。それがどういうものなのかを真剣に模索するためには、まず、排除された人たちを励まして声を少しでも上げられるようにする。そして、その声を聞く姿勢を市民社会の中につくっていく。この応答作業こそが社会的連帯なんじゃないかと私は思っています。


(byノックオン)