宇都宮イサト -50ページ目

今月の音楽予定。

土曜日の夕方、宮フォーク村のジョー君から電話があり市内のライブ出演を頼まれた。

宇都宮ではほとんどやったことがない。宇都宮で宇都宮イサトを知ってるのは

おそらく二人ぐらいしかいない。3人目の方に知ってもらうべく快く引き受けた。

ビストロ・パブのような所。外人がやたら多い店と聞いてる。知らない所で演るのは

すごい刺激的だ。思っただけでも緊張と震えが来る。ビートルズでも歌ってみんべか!


今月の音楽予定


8月23日(日)

http://www.dream-works.cc/miya_folk/bbs/yybbs.cgi


8月30日(日)

http://www.piano8.com/rapo/



追伸


昨日、事務所にこもってギターを弾いていたら

今市のダディース゜カフェで知り合った音楽仲間が二人やってきた。

フォークソングに花が咲き、しばしギター弾いたり歌ったり。

帰る時に今度来るときは女性を連れてくると……ヾ(@°▽°@)ノ

音楽を通じて仲間が増えるのはとても楽しい。

ガイヤの夜明け?

昨日から高速道路のETC割引制度を利用して
\1000で青森にやってきた。下北半島をさかのぼり
雨と霧に煙る霊場恐山。まるであの世のような世界。
それから仏が浦に行き、とどめは本州最北端の地大間崎。
大間といえばマグロである。早速マグロの美味しそうな店に入る。
カウンターに座った。するとそこに偶然「ガイヤの夜明けの」取材スタッフ。
私らのとこに来て「ETC割引の特集をやるとの事。「お客様を
撮影しても差し支えなければお願いします」と
頼まれるとイヤと言えない私の性格を
知ってるかのように取材が始まった。
カウンターの中にカメラマンが入り、カウンターに
座ってる私らに板前さんが「お客さんはどちらから?」の問いに
「栃木県の宇都宮です!」と答えて私が「宇都宮といえば餃子の町ですよ!」なんて具合にやり取りをしてるところをを撮っていた。取材が終わるとスタッフが「おかげでいい絵が撮れました」と。9月の最初に放映の予定との事。カットされなければ栃木訛りバリバリの宇都宮イサトが全国的に写るかも?と期待している。

明日はジュリの墓参りだ。

また暑い夏が

それからジュリを探し回ってどれ位の時間が経ったのだろう。

まるで時が止まったような午後の暑さの中で、やがて近くの道端で

倒れているジュリを見つけた。いやな予感が当たってしまった。

車にひかれた様だ。やたらと空は青く一面にはりんご畑。

悪い夢であってくれたらと思った。が現実は変わらない。


しかしジュリは生きていた。倒れていたが後ろ足を動かしている。

ジュリを抱き上げた。心臓も動いているし息もしている。

私の白のポロシャツが少しだけ血に染まったが大した量ではない。

ただ目がうつろで意識がもうろうとしているが助かると思った。

ジュリは私に抱かれるとそれまで動かしていた足を止めた。

やっと会えた飼い主に抱っこされて安心したかのように。


明日は青森弘前の斎場に眠るジュリの6回目の墓参りだ。

また長く待たせてしまったね。

ジュリの大好きだったサイコロステーキ持っていくよ。

宇都宮イサト

またまた遠方より友来たる

昨日はバーケンの方々が何人かおいでになったので
話に花が咲いた。
私の所は事務所&ギター部屋になっていて

もともとは普通の住宅 。独立をしたことを契機に、そこを事務所&ギター部屋に改造。
家族は別なところに暮らしている。
いわゆる別居状態が何年も続いているわけだ。

私は毎日ギターに囲まれて病気のような異常な状態で過ごしてることになる。

そんな同じ病気の匂いのする親父達が何人かやってきた。

何人来るかは解らなかったが一人ぐらい女性もと期待したが、見事に裏切られた。

私のことを意外と思うかもしれませんが、えっ!イサトさんが?と思うかもしれませんが、

私だってたまに女性の花の香りが恋しくなることもあります。

しかしその辺の浮いた話が未だに何年も出ないのも、

みなさんご承知の通りです。バーケンには綺麗で可愛い娘が山ほどいるし

宝の山なんだけどなぁ~



話題はギターに戻りまして

私のところに来たら時間気にしないで何時間居てもいいし、酒飲んで

朝まで居てもも大丈夫。風呂もシャワーもあるし布団だってあるから。

今度は夜明かしでギターセッションしながら酒飲んで少年の日に帰って

夢を語りましょうね。


てっちゃん、ZUKAちゃん、中井さん遠くからありがとう!

あの日の夏

お盆の青森は一面りんご畑が広がっている

愛犬ジュリの最後に見た風景はきっと

青い空と眩しい太陽と果てしなく広がる津軽のりんご畑

そこででジュリは死んだ。

その日は女房と二人でホームセンターに買い物に行く予定だった。

もちろんジュリも一緒に。車を出して出かける時だった。

そこに向こうの両親と兄貴が一緒に行くと言い出した。今から思えば

そこで気を使ったのがまずかった。車の中が狭くなる上

犬も一緒ではと思い、ジュリに留守番をさせることにした。

いつもならジュリの目を見つめ「すぐに帰るからね!お留守番頼んだよ」って声をかける筈だった。

犬は十分理解出来るから。

しかし親戚が車に乗り込み急がされた感じの私は

その声もかけられずに、リードを繋いで水を置いて出かけてしまった。

なんか胸騒ぎがして早く戻りたかった。

2時間ほどで戻るとリードから外れたジュリが居ない。水の皿もひっくり返っていた。

きっとご主人様が急に居なくなり、不安になり見知らぬ土地でパニックになったのだろう。

後を追うとしたのかもしれない。

それからみんなで探し回った。近くには幹線道路が走ってる。よもやと思いながらも

無事でいて欲しい、ジュリージュリーと叫びながら探した。

胸の奥では言いようのない重苦しい、いやな予感がしていた。

失くしたもの

人生、長く生きてくると何かしらたくさんあるようだ。

いつまでも歳をとらないと勝手に決めていたけど

やっぱり親は歳をとるんだな…

いつまでも長生きしてほしい。そんな私もいつの間にか歳をとっている。



いつも夏が来ると忘れられないことがある。

自分の至らなさから、失くしたものは思い出すたびつらい。


今の犬の前にもビーグルを飼っていた。

可愛くて可愛くてお風呂も一緒、布団も一緒で同じ枕に鼻と鼻をくっ付けて寝ていた。

手塩にかけて育てるってこういうことなのか。相手は犬だが

家族も同然、風邪をひけば医者に連れて行き、疲れていればマーサージをしてあげて

大好きなお散歩は夏でも冬でも犬のためなら喜んで、すべてが犬中心の生活だった。

動物と人間の信頼関係がアイ・コンタクトで意思が通じ合うたびに楽しかった。

そんな中でも避妊手術をさせた時は、人間の勝手で子供を産めない身体に

してしまったことにかなり罪悪感にさいなまれた。いまでも忘れない。

そんな可愛かった、いや溺愛してた愛犬ジュリを飼い主の不注意から亡くしてしまった。

ちょうど6年前の夏、まだ一才になったばかりだった。 



遠方より友来たる

音楽仲間、特にギターの好きな人と話が出来るのはとびきり楽しい。

群馬よりそんな仲間が私の家(事務所&ギター部屋)を尋ねて来てくれた。

いままで幾百人の人が「イサトさんの家に遊びに行っていいですか?」と聞かれる度に

「いつでも大丈夫だよ!夜は遅くまで居るし、土日は大抵昼間からこもってるから」と答える

しかし実際は中々来てくれない。遠慮してるのか、あれは外交辞令なのか誰も来ない。

何年も誰も来ない。たまに来るのはhaggyぐらい。

そんな中で先日やっと来てくれた方がいる。私と同じにギターへの熱い情熱を持っているてっちゃん。

昔の私と同様、夢をギターに詰め込んでどんな旅をするか胸ワクワクのギター小僧。

二人でしばらく少年のような目を輝かせてギターを弾きまくった。こんな時間が、こんなひと時が

シアワセなことなんだろうね。


私の家に来たい人はおいでよ! ソモギでもマーチンでもギブソンでも何でも弾かせてあげます!


放置気味とO型と依存症

私のブログを読んでくれてる人が何人かいるようです。

暇つぶしのつもりで覗いてくれればと思いますが、

性格が性格だけに毎日、毎日几帳面に書き込むことはありません。

集中出来る時間があって、気分が乗らないと永遠に放置気味です。

もちろん書く以上は見られることを意識する訳で、あの娘に見られたら…

あいつに見られたら…女房に見られたら…当然意識します。

でも意外と見ていないようなので、反響は何もありません。

なまじ反響があるとそれに応えようとして(たぶんA型なら対応可)

無理するのだろうど私は大雑把で面倒くさがり屋のO型。

無理することはありません。


理想の性格は 小事を気にせず雲の流れる如し

仕事は 天使のように大胆に悪魔のように細心に (経営はこのバランス感覚が重要)


こんな心情で病気にならないようにしてます。


みんなもあまり携帯、ミクシー、ブログ依存症にならないように(これも半分病気)

恋愛はそんなモンでは何も解決しませんよ!

究極の恋愛の形は最終的には上から下まですべて脱ぎ捨てて……でしょう?

この時ぐらい携帯いらないよね?ずっといらないね。

でもどうしてもと言うならせめてマナーモードにしてね。









今月の音楽予定

7月18日(土) 宇都宮 宮フォーク村  http://www.dream-works.cc/miya_folk/top.html



7月26日(日) 日光市(旧今市市) 市縁ひろばビアガーデン

       (同日の自治医大前27回RAPOコンサートは今回は断腸の思いで辞退)


http://www.daddyscafe.com/news/072409/072409.htm

http://blog.livedoor.jp/renzan2008/archives/841241.html



どちらも演奏は初めてなので気合を入れて練習、練習




宇都宮イサト

野球だけが音楽だけが人生じゃない

子供の時から野球と音楽が好きだった。

貧しかった子供の時の遊びは野球、野球、ソフトボール

音楽は学校で支給されたリコーダーとハーモニカ

男の子が音楽?っていう硬派を装いながらも隠れて

練習をしていた。


そんなこんなで思春期を迎える中学生の頃に

フォークソングの洗礼を受ける。

しかしこの頃は日本のフォークより海外の

サイモンとガーファンクルを狭い家の中で

ヘッドホンで毎日聴いていた。特に好きだったのは「ボクサー」

ライラライのサビの部分が来るまでじっと待っていて

来たら一緒に口ずさんだものだ。とてもシアワセな時間だった。


それから幾星霜…半世紀に乾杯の自分がいる。

野球は昔より今が面白い。7番レフトで先発

ツーアウト満塁で自分の出番。仲間の期待のまなざしの中で

走者一掃の三塁打。去年の最後の試合の思い出。

今年もあの感動が忘れられず試合に出ている自分がいる。

広いグランドを水を得た魚のように走り回る

いつまで走れるか。走れなくなったら引退かな。


音楽、ギター、フォークソング。

フォークソングが好きだったというより

ギターそのものが魅力的だった。

美しい音色はこの世のものとは思えない感動があった。

ギターを続けてきたのは、この感動の継続があったればこそ。

多くの人はその時感動しても継続はしない。

それが普通です。しかしまれに熱病にでもうなされたかのように、

その日からすべてが変わる。ずっと感動が続いている。

半世紀に乾杯の私も未だに感動が消えない。

好きな音楽が聴けるなら交通費をかけ宿泊費をかけ

ライブの打ち上げまで参加して、高額なライブになってしまう。

その後はいつもの極貧生活に戻る。感動でお腹は満たせないのだけど…


自分には野球と音楽が今あるけど、本当は絵描きになりたかった。

昔からイラストもたくさん描いている。

映画も大好きで高校生の頃はキネマ旬報によく評論を送ったものだ。

映画館に年間100本は観ていた。今でも記録したノートが残ってる。

この頃将来は映画評論家か配給会社に就職出来たらと思ったものだ。


そんなこんなで気が多いだけ多くて、何一つものになっていない

ヘタの横好きとはよく言ったものだ。それも懲りずに現在も

続いている。

しかし一つだけ気が多くないことがある、それは女性だ。

未だ一度も浮気したことないし、他の女性に興味を持ったこともない。

女房以外に女は考えられない、女房以外は女に見えない

地球上に女は女房だけでいいと思う。女房と一緒にお墓に入るのが夢。




…これだけ言えば怪しまれないかな(;´▽`A``