スーパーセンター那須塩原店内美容室完成
この一ヶ月この現場に拘束されてしまった。まるで塀の中の何とかのよう・・・。
テナントの一部を請け負う工事なのだが、ゼネコン(総合建設)と同時進行のため
安全管理、規則はこちらの指揮下に入る。守られない場合は出入り禁止処分もある。
朝8時からラジオ体操、朝礼がある。駐車場も業者の車で溢れんばかりで、早めに
行かないと遥か彼方に車を停める事になる。そんな訳で毎朝5時半に起き、犬を散歩させ
6時半には出かける。朝礼をうけ、昼;礼もある。午後は工程定例会議が毎日ある。
作業届けや残業届けを出さないと仕事をさせてもらえない。一日終わるまで常駐することになる。
他からの依頼の仕事は夜とか休みの日に回す。そんな訳で休みはまったくない。これを一ヶ月続けてきて
ようやく完成。 自分は昔から大変だとか苦しいとかは考えない主義で、苦痛を楽しむようにしている。
これは神が与えた試練だとか、どんな大変な仕事もいつかは終わる。終わらない現場はない
仕事が出来るだけ幸せ。
不平、不満は感じたことがない。すべて自分の責任。人のせいにするのは死んでもしたくない。
しかしただ一つ不満があるとすれば女性に縁がないのと?ギターが上手くならない事かな。あれっ?二つもあった。
税務調査が来た!
事業を始めて12年税務署がやって来た!
税務調査。サラリーマンにはおよそ縁のない言葉。
自営業にとっても縁のないことを願っているが、イヤでも付き合うことになる。
誰も納税の義務はある。サラリーマンは給料から天引き。経費などまったく認められない。
しかし自営業は事業に関わる出費は経費として認められる。取引関係の冠婚葬祭費や
打ち合わせのお茶や食事代だって認められる。仕事なのか個人の出費なのか疑われるが
すべて仕事のためと心を鬼?にして領収書を添付するだって利益が出ると半分ぐらい税金で持っていかれる。
もったいない。ならば経費で落としてしまえ! ハードオフでギターを買う。領収書にギターと書いてあったら
認められないが、中古のパソコンなら落ちる。店員に頼んでパソコン代とかいてもらう。合法的に会社の金で
ギターが買える。明日をも知れない何の保証もない自営業の小さな役得。しかし、しかしこれは利益が出ていればこその話。仕事がなく赤字ならば明日の生活にも困る、いわゆる路頭に迷うことになる。
あるとき正月はなかなか出来ない。
税務調査で経費の面で質問されたのは
1. 3年前に買った福田屋の商品券5万分 (送った相手先を聞いていた)
2. 青森りんごの代金8万円 (お歳暮用) ( たぶん振込み先が個人名だったので)
3.最後は極めつけで 「この領収書のユニクロ、とりせん、しまむらは何ですか?」
・・・・私は着ているズボン・シャツを見せて、「これがユニクロ、こっちがしまむら・・・・作業服です」と
答えたらすぐに納得してくれた。 今度は見栄を張ってブランド物の領収書でも・・・・と思ってしまった。
課税されたのは契約書に印紙が貼ってなかったので、印紙代1j万円とペナルティー千円。
本気にならないと
人間本気にならないと誰からも協力は得られない。
熱意、誠意、やる気、そして人望がある人には人が集まる。
人が寄って来る人にはお金も寄って来る。人が寄らない人には
お金も逃げてゆく。金を追う人は金に追われる。好きな仕事を
続けていて夢中になっている人は、気が付いたらお金が後から着いて来る。
これが自分が一番理想としているかたち。
本気でやってない人には誰も協力しないし、まして、お金も得られないのは当たり前。
よく何も出来ない人(しようとしない人)はお金がないからとか、時間がないとか出来ない理由
を山ほど並べる。・・・しかし自分もかつてはそうだった。偉そうな事は言えない。
ただ絶壁に追い詰められて自分で事業を始めたら、いろんな人に助けられた。今でも助けられている。
今度は自分が助ける番だ。人から受けた恩は一生忘れない。
いつしか恩返し出来るまで、もう少し頑張ることにする。
自由と引換えに手にしたのは貧乏だった。
自分で仕事(会社設立)を始めたのは38才の秋。忘れもしない、不安と不安と不安に満ち溢れた冬隣の日々。
期待と夢など思う余裕は微塵もなかった。「こんな会社辞めてやる!!」と啖呵は切ったもののこれからどうしょう・・・。住宅ローンも始まったばかりだし、子供二人も小学生。女房に一言の相談もなく勝手に会社を辞めてしまった。今思うと男の一分だったのかもしれない。かっこよくやめてもこれからの収入を考えなくてはならない。女房子供に住宅ローン。気が弱ければ首でも吊りたい心境に陥るだろう。女房に会社を辞めたことを告げると、慌てふためく事もなく意外とあっさりで、なんとかなると女は意外とたくましい。なんとかなればいいのだが、ハッキリしているのは自由と引き換えに手に入れたものは貧乏。ただ思ったのは人に使われるのは二度とごめんだった。
つづく
野球のシーズン
春は野球のシーズン。学童から社会人までまったく同じルールの野球が開幕する。
野球の審判をやるようになって15年ぐらい経つだろうか。だからといって野球選手を引退したわけではない。
今だ:現役で先発レフとで7番バッター。毎年、毎年、戦力外通告をいつ言われるかとビクビクしている。毎日早朝、犬と一緒にランニングは欠かさない。息切れなど全然しない犬の方が息切れしている体が軽い。グランドを走れるうちは続けたいと思う。もちろん草野球の世界の話。そんなこんなで自分の子供の学童野球のおかげ?で審判もやるハメになった。野球を続けてから審判だけはやりたくはなかった。文句は言われても褒められることは絶対にない。負けたチームには「審判のせいで負けた」と必ず言われるし一方勝ったチームは「うちの息子が打ったから」とか活躍したからとか・・・「審判のおかげで勝たせていただきました」なんて話は聞いたことがない。
審判は本当に報われない仕事である。じゃあなぜ審判やってるの? 自分にもよく解らない。
ひとつ言える事は審判のミスジャッジで、監督コーチの厳しい練習を続けてきた子供たちに悲しい思いをさせてはいけない。実力で負けるのは勝負の世界で仕方がない事。しかし審判のミスで負けるのはねえ・・・。自分もミスしないように日々精進しなければ。そんなこんなで後10年はグランドから離れられそうにない。
岸辺眞明ライブ
今日は大間々の「ねこの時計」で岸辺眞明ライブに行ってきた。主催は有名なウォーターロードギタールシアーの増田さん。いつもこのご家族には暖かく迎えていただいてありがたく思っている。久しぶりに岸部さんのライブを観たがやっぱりブロの音は違う。中川イサトでもなく小松原俊でもなく岸辺さんの音なのだ。自分も同じウォーターロードギターを持っているが、Mファクトリーもレキシコンのリバーブも寸分狂いなく同じに調整しても絶対に
同じ音にならない。なんとなく似ているが全然違う。不思議だ。やはり右手のタッチとその人の持っている音が
出てくるようだ。どんなに練習してもクラプトンの音はクラプトンにしか出せない。前から解っていたことだが
、今日のライブで改めて考えさせられた。その後の打ち上げは楽しかった。増田さんの二人の娘がとても気立てが良くて、幸せな気分になった。今度生まれてくる時は同じ時代に!と正直に思ってしまった(^^ゞそんなこんなで今、前橋の東横インに一人いる。明日は現場が早い。早く寝ないと。おやすみZzz…(*´?`*)。o○
何だか忙しい
ここ最近、いや去年から忙しい。もう少しで仕事が終わると思いきや、次なる
依頼の仕事。仕事はどんなに重なろうとも、どんなに多かろうと来た仕事は
絶対に断らない。すべて受けてしまう。受けてから考える。やる前にあれこれ
考えているとタイミングを失う。受けてから悩み、苦しみ方法を探る。自営業に
明日の保障はない。仕事がなければ野垂れ死にするだけ。公務員には想像も
出来ないと思うが、民間はみな同じ。気を許せばあっと言う間に終わる。
今、仕事があるからといって安心なんて感じたことがない。とにかく無我夢中。
今年もまた不安の中でのスタート。しかし愚痴は言うまい。好きで選んだ道。
理想を支配すべく会社を飛び出し独立。奇跡的になんとか生きてこられた。
だが自由と引き換えに手にした物は貧乏だった気がする。貧乏暇なし。そんな中で
ほんの少しの安らぎは酒と女とギターを弾いている時。しかし最近は年で女も苦痛かな?
でもどんなに重なろうとも?絶対断らないよ;(><;)
ギター修理
ギターは中学生の頃から大好きで、ブロンズ弦の響きはたまらなく魅力的だった。
それは30年過ぎた今でも変わらない。一時エレキに懲りキッスやボストン、イーグルスなど
のけぞりのギターをしばらくやっていた。3年ぐらいたってやっぱりアコギに魅せられていった。
特にフォークグループ「風」の22才の別れに流れるjマーチンD45の音色はこの世のものとは
思えないぐらい美しい。演奏しているのは石川鷹彦。この方の右に出る者はいないと思う。
フォークソングは大好きだったが、それ以上にギターの音が好きだった。キダーの素晴らしい音色。
井上陽水の「あどけない君のしぐさ」 吉田拓郎「祭りのあと」 さだまさし「理不尽」 中島みゆき「ホームにて
」たまらないぐらい素晴らしい音色。 今からギターのフレット交換をしなければ。。。
美容室工事
群馬県安中市の美容室 50坪 11月15日オープン
今年の夏~秋~霜月にかけて完成。今年の夏は暑かった。毎日、毎日、日光経由足尾周りで
現場まで片道130キロ。最初は遠いけど、慣れとは恐ろしいものでそのうち遠いなんて
感じなくなってくる。朝6時に出れば8時半には到着。夜は7時に帰れば10時前に帰れる。
まだまだ余裕を感じる。そんなこんなで完成してしまった今は、少し寂しさを感じる。
工事中は早く開放されたい一心。問題のない現場なんて今まで一つもない。必ず何かしら問題が
出てくる。慎重に注意深くしていても出てくる。夢にまで出てくる。夢の中でも仕事している。俺は
いったい何時になったら休めるのか・・・・。しかし終わらない現場はない。この戦いもいつかは
終わる。そう言い聞かせながら30年。 えっ?次の現場の打ち合せ?それと見積もり?
また新たな戦いが始まる。