ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在地はガダルカナル島中部戦跡・見晴台

赤線徒歩移動  橙色線自動車移動

↓昭和18年1月10日に米軍によって撮影された航空写真に現在地書き込むと

ヒル56台上の捜索すること凡そ一時間、徐々に気温は上昇し進呈に堪えて来たのでヒル57へ移動を申し出ると案内人ラファエルはマンゴー?の樹に戻ってからヒル57へ向かうと言う。

どうもヒル56からヒル57へ向かう直線上の谷間は移動に適さない地形のようでありました。

今一度来たルートを戻り


ラファエル仰せの通りマンゴー?の樹手前木陰へ戻り・・・小休止

するとサンディかラファエルどちらかがこの場所は昔トンガが住んでいたと言う。
先に頂戴したたわわに実るマンゴー?

この樹もトンガが植えた樹とのこと自生していた訳ではなかった。

トンガとは丸山道の案内人リーダーを務めた
このお方である


聞けばガダルカナルが内戦に陥ったエスニックテンションの時、身の危険を感じて家族を引き連れシーホースのバオ村へ引っ越したと言う。

トンガ引越し状況


バオ村と言えばベースキャンプにしているバラナ村からさらに奥地である。
昨年バオ村につながる道がサイクロン・アイタにより崩れK隊員と歩くこと片道三時間・・・

その時の記事
バラナ村~シーホース
シーホース
シーホース2
シーホース3 狼陣地
シーホース4 独立山砲兵第十連隊位置
シーホース~バラナ村

独立山砲兵第十連隊位置の記事で公開した布陣図

↑分哨高地付近が現トンガ宅。

話は前後するが2012年にミニジープでお邪魔した時雨宿りさせてくれた家が・・・
嗚呼・・・2012年にトンガと一度会っていたのか(ノ_-。)
当時のバオ村の写真は壊れて再生不可なのでご紹介出来ないが、トンガの旧宅の話から以前面識があった事を思い出しました。

見晴台からシーホースへ引っ越すとはよほど命の危険を感じたのでしょう。
内戦がガダルカナルの人々に与えた苦しみを再確認させられたトンガ引越し秘話でありました。

そんなトンガ旧宅周辺を捜索して見ると・・・

ヒル56とはうって変わり日本軍の小銃弾と薬莢が・・・

真ん中の鉄の塊は砲弾片か・・・

薬が入っていたと思われる小瓶と薬莢

この地は眺望の良い位置なので若林中隊の監視哨だったのではないでしょうか。
配置は一個分隊・・・否!!竹内小隊布陣位置だったのかも知れません。

周辺捜索を終えてラファエルと位置・進路確認

曇天ながらあまりの暑さと汗にTシャツ乾燥中、行儀が悪くて申し訳なし。

傍らで同じく暑さに耐えながら休憩中、サンディの愛犬「黒」勝手に名前つけました。


現在地の座標確認

丸山道ではローカル乾電池のおかけでピントの合わないカメラしか稼動せず、このように座標を楽して画像に収める事が出来なかったのが悔やまれます。

座標をグーグルアースに入力すると↓


現地時間11:39

ヒル57へ向かって出発であります。

つづく


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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



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