ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在公開している御慰霊行の記録です
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次


現在地 ソロモン諸島 バラナ村 
現地時間 07:36 日本時間 05:36

今まで調べたアウステン山の戦闘記録

バラナ村を拠点として目指す目的地は福岡歩兵第124連隊が昭和17年11月から昭和18年1月まで持久守備戦の陣地であったシーホースであります。
2012年にもお邪魔したのですがスコールにより画像データが壊れてしまい再訪する事にした訳であります。

バラナ村=ギフ高地とシーホースの位置関係



前回お邪魔した際にはヤマハ製の↓ミニジープで一気に踏破したのですが・・・

サイクロンにより車が通れる状況に無いとの事、もっとも道が大丈夫でも今借りているレンタカーでは辿り着ける筈も無い悪路なのです。

我々は昼食と飲料水を携行し出かけたのですがマイケル氏の義理の弟であるバラナ村のガイド・ノニ氏(2012年にも案内をして戴いた)彼の甥っ子サンディの二人はバラナ村のお店でビスケットと飲料水の買出し、今回は道が荒れているのでガイド二人の陣容であります。


バラナ村の集落を出発し・・・此処は既にギフ高地であります。


空は快晴、朝の冷気が心地良い


村を出て2012年にミニジープで走った道を黙々と歩く・・・

当時は道など無く左右の密林が道路上にも繁っていた筈

途中ノニ氏の畑でウォーターメロンをサンディが収穫


その場で切ってもらい頂戴した。

先日百個ほど出荷したとの事でまだ甘くなかったが美味しく戴き半分はノニのリュックへ収納された。

豪雨に削り取られた道には怪しげな蛭のような奴等がウニウニしている。


まだ歩き始めて間もないのにこの有り様

今借りているポンコツレンタカーでは走行不可でありました。

2012年にお邪魔した時も含め初めて目にしたガ島の蛇・・・


既に絶命しておりました。

道行く両側は愈々激しく崩れて・・・

ミニジープでも走行不可状態、前回ミニジープでグイグイ進んだのが思い出される。


道端の倒木より頭を伸ばす怪しげなキノコ・・・


サンディは裸足でグイグイと進む・・・


足許を見れば石の下だけ残り米国西部劇に出てくるモニュメントバレーを思い出す。

サイクロンの際の降雨量が覗える。


前回お邪魔した時ミニジープで踏破したのが信じられない様相となる。


見上げれば・・・


こちらを向いているのはノニ氏


道端で咲く名も知れぬ花


右下は崩れ・・・


見下ろすと・・・


前を行くノニ氏の右手には蛮刀・・・

この倒木を潜り抜けると・・・

視界が開け丘が眺望出来た。

此の丘は稲垣大隊の資料では「丸山高原」、米軍要図では「ヒル27」、現地の方々は「バッドマンヒル」と呼んでいた。

↓現在地を確認すると♂マークが撮影ポイント

現地時間 09:33
バラナ村を出発してから既に二時間経過している。
距離にして大凡8km位であろうか・・・

昭和17年12月18日~27日にかけての米軍攻勢要図と比較すると判りやすい。


このヒル27の手前の渓谷の密林が稲垣大隊と岡部隊を結ぶ連絡路でありました。
勿論、当時このような道は存在せず獣道のような連絡路だった筈。

↓昭和18年1月、米軍の一斉攻勢の要図

我々の居るさらに南方奥地よりシーホースへの侵攻作戦が展開されたことが覗えます。


そして前掲現在地を重ねるとこのような位置関係となります。



シーホースへの道のりは予想通り遠く2012年のミニジープが神のように思え、また稲垣大隊・岡部隊の将兵のご苦労のほんの一端を知る事が出来た気がしたのでありました。


つづく


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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



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