こんにちは てらこやです。
諸事情により両手がひどく筋肉痛です。さっきから打ち間違いがすっごいんです。特に右手の小指が動かない。今回はいつもよりもひどくリズム感が悪いことが予想されます。
さて、今回紹介するのはエドモント・ハミルトンの「フェッセンデンの宇宙」。古典的SFの傑作です。今回使用するのは、河出書房新社から出ている奇想コレクションの訳ですが、他にもその昔、福島正実の編じた講談社文庫、海外SF傑作選中、古典的作品を集めた巻(「華麗なる幻想」)にも紹介されたことがあります。つまり衆目一致で名作だというわけです。
天才だが変わり者の科学者フェッセンデンの自宅をブラッドリーを訪れます。最近フェッセンデンは講義も休み、家に閉じこもっていたのです。史上最高の実験を行っているというフェッセンデン。彼は自分の研究をひとにみせつけたいという自己顕示欲から、その実験室へとブラッドリーを案内します。
自宅奥の実験室。そこでは無重力状態を作り上げる装置によって、極小の宇宙が形成されていたのです。観察者の時間とは異なる時間、猛烈な速さで進むこの小さな宇宙には、きちんと各星々があり、それらの星は特製の望遠鏡によって詳細に見ることができます。地球と同じように、生命体が生まれ、発達し、文明をつくっていく。そのさまを猛烈なスピードで見ることができます。
フェッセンデンの実験は単に極小宇宙を創造するだけにとどまりません。自分が創り出した星々、またその中の生命体に対して彼は様々な試練を与え、それに耐えられるかどうかを観察します。いや、フェッセンデンは意外にもろく滅びていく生命体、文明社会を皮肉なまなざしで眺めます。フェッセンデンによって軌道を変えられた彗星の衝突によって滅びる文明。人間に似た生命体の住む星と爬虫類型の生命体の星とを接近させ、戦争状態に追い込む。原生林に覆われた星で暮す生命体にある光線を浴びせかけ、巨大化した移動型植物を発生させた結果、文明を滅ぼす、などなど。
この小説が優れているのは、SFの最初期の段階で、科学における躍進と倫理との関係を描いたことでしょうね。ここでは、当然フェッセンデンが科学的な進歩のために倫理を無視して突っ走る科学者、ブラッドリーが倫理によってその実験に違和感を感じる役割を演じます。ふたりの会話は非常に現代的です。
「きみがあのもうひとつの世界と接触させなかったら、あの小さな人類は、ずっと平和と幸福のうちに暮していたんだぞ!なぜ放っておいてやらなかったんだ?」
フェッセンデンはいらだたしげにいった。
「莫迦なことをいうな、ブラッドリー。これはただの科学実験だ──ああいった蜻蛉みたいな種族も、やつらのちっぽけな世界も研究対象にすぎないんだ」
最後に、フェッセンデンは非常に美しい星に手を出そうとします。その星は粗雑な物質的進歩を超えた次元に達しています。つまり、地球文明よりもある意味美しく、進んでいるのですね。
「フェッセンデン、あの世界に手を出すんしゃないだろうな!」
彼は人をこばかにしたような薄笑いを浮かべ、
「もちろん出すさ。あの連中が平和と豊穣の果てに腑抜けになっていないかどうかたしかめたい──本物の危機が迫ったとき、あの連中をあそこまで押し上げた科学が、いまでも連中を救えるかどうかを」
(……)
「だめだ!」とわたしは叫んだ。「きみが実験に使い、危険にさらしたり、滅ぼしたりする世界や住民たち──あれは本物なんだ!われわれと同じくらい本物なんだ、たとえ無限に小さいとしても。これ以上は彼らを苦しめたり、虫けらのように殺させたりはさせないぞ。きみの科学的好奇心なんかくそ食らえだ」
フェッセンデンが冷たい憤怒に黒い眉毛をひそめ、しわがれ声でいった。
「やっとわかったよ、きみのような理性に欠けるおセンチ野郎に実験を見せたのが愚の骨頂だったと。しかし、あの極小宇宙はぼくの実験、このぼくの所有物だ。だから、どの世界で実験し、どの世界を滅ぼそうとぼくの勝手なんだ」
もつれあうふたりは装置へと近づき、それに衝突したフェッセンデンは研究室ごと燃えてしまいます。
さて、前にも書きましたが、この小説は科学と倫理について非常に分かりやすい対立を描いています。そしてそれだけではなくて、実は所有権という近代の基本的ドグマと美の問題も含まれています。
フェッセンデンの言うことにも一理あるのですよ。「俺の作り出した世界、何をやってもかまわないだろう」──所有権の確立した現代においては、これに対して文句を言うのは非常に難しい。たとえば俺の極小宇宙なんて仮想のものじゃなくても、名画などの希少品であってもかまわないんです。「俺の買った名画だ。俺の葬式の時に一緒に燃やしたっていいだろ」と言われると私たちは困ってしまうのです。これを止めるのは、社会的良識、倫理観しかないでしょうね。市場主義の祖と言われるアダム・スミスだってその人間観の下敷きには「道徳感情論」があることを忘れてはなりません。
もうひとつは美の問題。ブラッドリーは、苦々しく思いながらもフェッセンデンの実験を目撃していました。どんなに口では「やめなよ」と言っても、彼の中の科学的好奇心が勝っていたことは隠せません。しかし、そんなブラッドリーが体を張って止めたのは、人類よりも美しいと思われる文明に手を出される時でした。でもですね、どっからが守られるべき文明とやらなんでしょうね。ブラッドリーが無意識で守るのは美しい、優れた文明です。しかし、美しくない文明、人間の姿すらしていない生命体は実験の対象になってもいいのでしょうか?難しい問題ですね。すべての生物への実験を禁じれば、間違いなく科学の進歩は止まるでしょう。新薬の臨床実験などできそうもありません。どっかで線引きをしなければならない。その基準は果たしてなんなのでしょうか?
フェッセンデンの台詞はつねに挑発的です。私たちの持つ単純な倫理観など嘲笑してしまいます。
「きみは彼らを殺したんだ──あの世界の住民をひとり残らず殺したんだぞ!」わたしの声は恐怖にわなないていた。
「莫迦ばかしい!ただの実験じゃないか」とフェッセンデン。「細菌学者が実験に使う微生物を平気で殺すのと同じだよ。あの小さなやつらは、どんな微生物より何百万倍も小さかったんだ」
ちなみに、この小説はラストのひねりがきいています。これもこの小説が名作といわれる所以でしょう。ぜひご一読ください。
フェッセンデンの宇宙 (全集・シリーズ奇想コレクション) | |
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