911テロからはや6年


ジュセリーノはアメリカの軍事政策との関連で早くから警鐘を鳴らしていた。


彼はかならず公証役場に文書を登録している。


しかしそれは真偽を証明するためではなく


彼の言葉が外れないため、人類が危険を前もって知って


危険に対する準備をせよ、とのメッセージである。


彼自身はしっかりとした教師という職を持ち、家族も養っている。


しかし与えられた力とこれから訪れる未曾有の人類の危機に意識を変えなければ存続があやういようなものばかりだからこそ危機感を持って時の権力者たちへ警告を発し続けている。


彼が扱っている余地は天災、人災のような規模の大きなものばかりなのでる。




事件10  9.11テロとイラク戦争


一九八九年予知1 (一九九三年~二〇〇四年発生)


この事件は、さまざまな出来事の警告書簡の中に数多く登場している。
同じような文章の繰り返しが多くあることは'ジユセリーノ氏の姿勢と、その頑固さがよく表れている。


代表的な書簡を選んで掲載する。

文書1-米大統領へ英領事館への手紙(亭件o,T-文書)最初の書簡は、一九八九年十月二十六日付で'アメリカのプッシュ大統領(ジョージ・プッシュ)あてである。

この手紙では、簡潔にワールド・トレード・センターへの二回の攻撃の危険性を警告している。

第l回目は1993年に起きるが、日付は特定していない。


二回目は2001年九月十一日としている。

続いて、二〇〇四年三月十一日にマドリードの電車の駅で起きる、テロ攻撃を警告している。


同じように、ロンドンでも五百キロ爆弾(爆薬の化学物質にも言及しているが、これは事件18で述べる)によるテロが仕掛けられるとし、これについては「後日イギリス政府にへこのテロを防ぐために知らせます」といっている。


最後に、「私はクリチ-バ市で休暇をとっていますが、アメリカとイギリスのことが心配です」と書いている。

この予知警告が'現実にどう起きたかを調べてみると、確かに一九九三年にワールド・トレード・センターの駐車場で爆弾が爆発している。

起きたのは二月二十六日であった。


 そして9-1-1テロは、まさに予知した日に起きている。


二〇〇1年九月十一日に二機の旅客機が衝突し、センター・ビルは崩壊した。


死者と行方不明者合わせて五千人以上の犠牲者が出た。
同じ日にワシントンのペンタゴンの建物にもテロ攻撃が及ぶ。


この手紙のコピーは'一九八九年十月二十六日の日付で'パラナ州クリチ-バ市の第十一公証役場へ登録されている。


書類の裏に公証役場の印と日付が押されている(事件1 01-2文書)。


また他日に送った同内容の手紙の受付証明書が添付されており'日付が読み取りにくいが'
1月21日の日付印で'首都ブラジリアのイギリス領事へ送ったと記されている。
しかしこれはイギリス大使の自宅住所に送るべきだっただろう。

下のほうに同じく郵便局の引き受け印があ-'同内容の手紙を'アメリカ・ワシントンのホワイトハウスへ送ったと注釈が書かれている。


 文書Iの内容の手紙は方々に送ったようで'アメリカの新聞社であるマイアミ・ヘラルドから予知警告という、まことに微妙なテーマに基づく情報に対して'不審と疑いが込められた表現の返信文が送られてきている。


政府やマスコミにはこの手の手紙が多々送られているためだろうか。


 会社ロゴマークのレターヘッドが付いているこの手紙の発信は'一九九五年八月十一日付である。


執筆担当者のサインが入っている正真正銘の文書といえる。


「私どもは読者の皆様からのお便-をいただくことは常に喜びとするものです。
 あなたから受け取った一九八九年十月二十六日付の手紙にある、ワールド・トレード・センターに対する二〇〇一年九月十一日にあるだろうというテロ攻撃についての文面は正当に評価いたします。
 また、あなたはアメリカが二つの戦争を起こすと語っておられます。
そして最後はイラクに対してであろうと。


さらにサダム・フセインは逃走して'チクリートへ正確にはイラク中部ダウルに隠れると。

不運にも、私どもはこのような内容を発表することができません。
なぜなら、恐怖を引き起こすかもしれないからです。
わが社は世界中の読者を誇りに思います。
そしてその中にあなたもおられます。
重ねて、あなたのマイアミ・ヘラルド紙・国際版への関心に感謝いたします。

心からイザベル・エンテンザ」


この警告文書の内容は'正確に予知どおり発生した。


国際メディアは'二〇〇一年九月十一日にワールド・トレード・センターが攻撃されたと報じた。


二〇〇一年九月十三日に'アメリカ軍がアフガニスタンで戦争を開始する。
二〇〇三年三月二十日に'アメリカはイラクに侵攻した。
二〇〇三年十二月十三日に、サダム・フセインは'予知書簡に書かれたとおりの場所で逮捕された。



政権が変わっても'あきらめることなくジユセリーノ氏は警告を送り続ける。

最初の警告から十年後の一九九八年十月二十八日に'今度は当時のアメリカ大統領ビル・クリントンあてである。


「私は過去に見た夢のことで大変心配しています。それはマンハッタン島に対するテロ攻撃です。高層ビルが空からやってくる火に包まれるのです。冗談のように思われるでしょうが、そうではありません。

ですから私はこうして、このことをアメリカの主要新聞で公表していただくことを願って'お手紙を差し上げています。
私に語る何者かがへ人々の安全のためにあなたに接触するように言いました。

どうぞお願いですから私の警告を無視しないでください。

これは二〇〇〇年から二〇〇二年の間に起きますが'注意してください'それ以上の大きなことがワシントンやニューヨークにやってきます。

私を信じてください。

これは先見の明であり、私はあなたの国が守護されるよう日々祈っております。

ジユセリーノ・ダ・ルース」


この時期に'同じ内容で、ホワイトハウス、FBI、国連、ケンブリッジ大学、米上院議長、そしてアメリカとイギリスの新聞社などに送られた手紙が存在している。


またEメールでアメリカの国務省に送られている。

文中にある、「それ以上の大きなこと」とは、近未来に関する別項の'テロもしくは災害を指すと思われる。


9・11テロが発生したため、焦りを感じて、さらに返答を求めようと、ブラジル駐在のアメリカ女性大便に手紙を出す。

これまでの警告を繰り返し、それまで送付した手紙についても言及しながらへサダム・フセインの所在について詳細に記すとともにマドリードへのテロ攻撃にも触れている。

手紙の文章はタイプ打ちのポルトガル語である。

手紙の日付は、センター・ビル倒壊の二日後、二〇〇一年九月十三日である。


ブラジリアにあるアメリカ大使館へ送った手紙の郵送証明書が少なくとももう二枚あり、書留受取人のサインと確認番号が読み取りにくいが、二〇〇一年十一月二十日と二十二日のものである。


手紙と郵送証明には、受け付け証明書と配達証明書が付けられて'いずれも公証役場の登録印が押されている(事件i-蝣*-文書)。


ジユセリーノ氏が、警告を出しているにもかかわらず返答がないことに対し'相手の姿勢をさらに追及しようとする強い気持ちが表れている。


文書5-ジョージ・ブッシュ大統領への手紙(事件10-5文書)


今度は、現職のジョージ・W・プッシュ大統領へ、自分の予知夢を説明しようとする手紙を出している。


9・11テロの二十日後、アフガニスタン侵攻の十七日後で、まだイラクとの戦争は始まっていない。

この手紙には、次のように述べられている。


「二〇〇一年十月一日 親愛なるジョージ・ブッシュ大統領殿あなた自身が'これから二年間のうちに、アメリカを二つの戦争に突入させていくことになります。一つはアフガニスタンで'次はイラクです。しかし私は前もってお話しします。
イラクに侵攻した時、サダム・フセインは雲隠れしてしまいますが、最後にあなたは彼を見つけ出すでしょう。

彼はダウルにひそみます。
チクリ-トの近くの、ノアの箱舟のポスターがある所です。
彼はチグリス川の横にある木の板とプラスチックの敷物に覆われた洞穴に隠れているのです。

入口はレンガと泥やゴミで偽装されているでしょう。
これについてはフセインが信頼し'右腕といわれた男がもっと多くの詳細を語ります。
あなたはこのサダムの友人をフランスで捕らえるでしょう」


この書面には'二〇〇一年十月一日にアメリカへ送られたという発送証明が付いている。
このころ、ほかにも大統領あてにテロや自然災害を警告している発送証明付き書簡がいくつもある。
この後、フセイン発見についてはへ次のように報道された。
二〇〇三年七月三日に'アメリカはサダム・フセインを逮捕に導くことができた情報に'二千五百万下ルの報酬を提供すると発表した.

このアメリカ国務省が出す報酬は'前独裁者の親類でも受け取ることができるという説明がついていた。

隠れていたサダム・フセインは、二〇〇三年十二月十三日、チクリート近-のダウル市で地下室にいるところを発見され逮捕されたということが、翌十四日に世界中に発表された。

フセインの逮捕に関わった、アメリカ陸軍第四歩兵部隊のレイモンド・オディア-ノ将軍によれば、フセイン自身に〟近い〟家族十人ほどを尋問して、その居場所を聞き出すことができたという。
最終的な決め手は'「彼らの内から」得られそれによって彼の故郷近くのチクリートでの逮捕につながったという。

しかし将軍は、親類の誰から情報を待たかについては何も発表しなかった。
よってアメリカ当局は、この報酬を誰に支払うかは決めていないとしている。
そして、フセイン所在の最初の情報は'アメリカ軍が尋問したイラク人捕虜とクルド勢力の協力によって得られたと強調した。

二〇〇三年に日本で新たな地震が起き、さらにひどい地震が二〇〇五年と二〇〇九年に発生し'死者は五十万人以上となりへ場所は大阪市や川崎市です

ジュセリーノ(ジェセリーノ)さんの日本地震関連

貼り付け元 <http://ameblo.jp/gitarcla/theme5-10002610554.html >

続きを読む


日本の自然災害

貼り付け元 <http://ameblo.jp/gitarcla/theme5-10002610554.html >

続きを読む

ジョーマクモニーグル 日本の自然災害について

...続きを読む


ジョンマクモニーグル 日本の自然災害 気象変動

続きを読む


ジョンマクモニーグル 日本の自然災害二〇一〇年、長野で大きな地震が起きる

続きを読む


ジェセリーノ(ジュセリーノ)予言集でまし (神秘と学びの館 )

事件1 1 中国へ日本の大地震と南米の強風被害(一九九〇年予知1二〇〇一年~二〇〇八年発生)

ジェセリーノ(ジュセリーノ)予言集でまし (神秘と学びの館 )

地球に向かっている小惑星が二〇〇九年ごろに発見される

ジェセリーノ(ジュセリーノ)予言集でまし (神秘と学びの館 )

二〇〇〇七年十二月から黒い雲が世界中の空に広がるだろう

ジェセリーノ予言集でました!! 大規模災害の予知が来るとき

続きを読む

ジェセリーノ予言集でました!! 世界の安全地帯

.続きを読む

ジェセリーノ予言集でました!! 年表⑤

続きを読む

ジェセリーノ予言集でました!! 年表④

続きを読む

ジェセリーノ予言集でました!! 年表③

続きを読む

ジェセリーノ予言集でました!! 年表②

続きを読む

ジェセリーノ予言集でました!! 年表①

続きを読む

とうとう出ました!!ジェセリーノ予言集

続きを読む