事件1 1 中国へ日本の大地震と南米の強風被害(一九九〇年予知1二〇〇一年~二〇〇八年発生) 

この文書(事件文書) は'一九九〇年六月一日に'パラナ州の新聞社編集局あてであるが、そのほかにもボルト・アレグレ市役所、フロリアノポリス市役所、クリチパ市役所へ、同じ内容の手紙を送っておりへ いずれも発送証明がある。

さらに最近になって'ブラジリアの中国大使館へ、近未来の災害予知を送付している。

送付の日付は二〇〇五年一月八日である。 
予知事件は五件あり、ブラジルだけでなく、世界各地での災害を含んでいる。
「私は長い間'世界の出来事をあらかじめ夢で見てきましたので'その重要な事柄をここにお伝えいたします。
ほとんどの場合へ問題が起きることが事前に把握できます。
特にブラジル南部の人々に伝えることで'建設的な結果が得られると思いますので、私のメッセージを確認してください。
当地の官公庁にも、同様の内容を伝えてあります」 
前書きに続きへ メッセージの第一項が記されている。
「二〇〇三年に'カタリナという名のハリケーンがブラジル南部を通-ます。
また二〇〇四年には、この地方ではあまり知られていない現象である熱帯性低気圧による強風によって大きな被害がもたらされます。
同じ-私の夢の中で、二つの-ルネ-ドがサンタ・カタリナの南部で多くの家を破壊するのを見ました。
正確にはクリシウマ市で時速一〇〇キロの風速になり,この地区は最も被害が大き-な-ます。
さらに二〇〇六年七月十六日にブラジル南部の海岸地域に、それよりもっと強いハリケーンが襲います」
というのが第7項にある。 二〇〇四年三月二十七日に'ニュースはサンタ・カタリナ州で熱帯低気圧が発達してハリケーンになったと報じた。
このハリケーンはサンタ・カタリナ州からリオ・グランデ・ド・スル州までを襲い、クリシウマ市はもっとも大きな被害を受けた地域の一つだった。
南米のこの地域でのハリケーンの発生は珍しく近年増加するようになった。 
第二項も南米に関するもので「アルゼンチンで二〇〇三年と二〇〇四年に経済政策上の危機が起きます。
さらに二〇〇五空月言口の新年の祭典で'あるクラブ会館で花火による火災が起きへ数百人の死傷者が出ます」となっている。

 ァルゼンチンは、二〇〇7年から二〇〇二年にかけての財政危機の結果,二〇〇三年,二〇〇四年と政界はこの間題に直面し続けていた。 
そして二〇〇五年一月一日には、予言どお-ブエノス・アイレスのナイトクラブで'花火にょる火災が発生して'百七十五人が死亡した。 
第三項は漠然としたものであるが、地震に関して書かれている。
「アジアで大きな地震が発生し'十メートルの津波によって七つの国が被害を受けます」 
これは'二〇〇四年十二月に起きた、スマトラ沖大地震とそれによる津波であると思われる。
これは後に事件13で詳述する。 
第四項は、アジアで起きる近未来の災害である。
「二〇〇八年九月十三日に、中国で地震が起きへ三十メートル以上の津波が海岸を直撃します。
震源地は南寧と海南島です。
これによる死者は百万人に上ります。地震の前に小さな地震が頻発し'国家と国民を不安にします」 
これは北京オリンピック閉幕の直後ということになる。
この詳細についてはへ別にブラジルの中国大使館に手紙を出している。 
第五項は、日本を特定している。
「二〇〇七年もし-は二〇〇八年の七月十三日に'日本も巨大な地震の被害を受けへ大勢の命が奪われます」  
(監修者注① - 日本に関する地震の予知は、事件21にも出てくるが、地名が明確ではない。
この内容について、一九九三年ころから日本に手紙を出しているということを'二〇〇六年十二月三十日のテレビ朝日年末特番の取材でジユセリーノ氏は述べている。
このと き日本を襲う津波は、スマトラ地震を上回る三十メートルに達するという。巻末年表参照)