国際十王交通「葛和田」線に乗る♪♪…『河川敷県道』の管理境界点を探る。。。。。
舗装路面の色が変わる位置(バリケードの左端)に、
下の写真(↓)のような「占有管理境界標」がありました。。。。。。。( ↓地図中③ )
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埼玉県熊谷市葛和田にて、、、本ブログ管理者2009.11.27撮影
↑
渡船場(船着場)の管理は、地元市町村で行っているようです。。。。。
(ここは『県道』なのですが、、、、、「埼玉県」の杭は、1本もありませんでした・・・・・)
(もちろん?・・・・・「群馬県」の杭も無い、、、)
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埼玉県熊谷市葛和田にて、、、本ブログ管理者2009.11.27撮影
↑
1級河川における河川敷の管理は、あくまでも「国土交通省」
地域住民生活に欠かせない「足」である渡船に関する部分は「市町村」
が管理します。。。。。。(↓地図中④の位置)
・・・・・・・・・
って言うスタンスなのでしょうか???
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(河川敷に食み出した「県道」部分は、国土交通省が舗装の面倒を見るようです★彡)
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埼玉県熊谷市葛和田にて、、、本ブログ管理者2009.11.27撮影
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■本ブログ内関連記事/千葉県柏市の利根川河川敷に消える県道46号編
■本ブログ内関連記事/八王子市小宮町「川で分断された2つの都道を巡る」
■本ブログ内関連記事/旧・高島の渡し付近を散歩する♪・・・(2)
も参照♪
↑
いちおう・・・・・
埼玉県熊谷土整備事務所の管内図を見る限りでは、
船着場の桟橋直前(河川敷)までが埼玉県の「公式」管理区間になっているのですが。。。。。
(船着場部分は、埼玉県内ですが群馬県管理→熊谷市へ委託)
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この【役所発行の公式図面】によると、
上掲写真の「熊谷市」杭の直前までが埼玉県の管理区間、
それより先の船着場桟橋~渡船区間(利根川部分)・・・が群馬県の管理区間
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実際の県境とは異なり
埼玉県側に群馬県との管理境界点(=上掲写真の「熊谷市」杭)が存在
■本ブログ内「葛和田線」関連記事/『河川敷県道』の管理境界点を探る
■本ブログ内「葛和田線」関連記事/「TO~B」かつての東武バスの停留所です☆
■本ブログ内関連記事/旧版地形図に見る明治43年の葛和田渡船場
実際の
埼玉県の道路管理区間は、ココまで(?)のようです。
(↓速度制限標識とカーブミラーの間に「道路台帳基準点」が在りました・・・・・)
(*タテマエと現実との違い…公式図面とは、おそらく運用が異なるのでは?)
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埼玉県熊谷市葛和田にて、、、本ブログ管理者2009.11.27撮影
↑
ちなみに、、、
群馬県側の公式図面を見ると、「群馬県管理区間」の起点は、
埼玉県熊谷市側の堤防から~・・・を示しています。。。
(出典:群馬県館林土木事務所「管内事業概要・昭和60年」)
↑
埼玉県熊谷市葛和田にて2009.11.27本ブログ管理者撮影
(↑地図中④の位置)
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「県道79号線」表示になっている理由、、、、、
もともと、県道熊谷館林線は、
大正9年4月1日に「(40)熊谷館林線」として認定され、
その後、
昭和35年9月1日に「(79)熊谷館林線」を経て、
平成6~7年にかけての全国的な県道整理番号の見直しに合わせるかたちで、
現行の「主要地方道(83)熊谷館林線」として指定されているから。。。。。。。
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参考資料
:
埼玉県の「道路台帳基準点」について、、、、
■本ブログ内関連記事「成増~和光陸橋にかけて国道254号川越街道を散歩♪」
も、参照ください。。。。。
道路の対面に在る街路灯には、
現行の「(83)熊谷館林線」の路線番号が表示されていましたぁ。。。。。♪
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埼玉県熊谷市葛和田にて、、、本ブログ管理者2009.11.27撮影
地図中④地点から、⑤方向を、堤防上より撮影
葛和田の旧渡船宿場集落を眺める(本ブログ管理者2009..11.27現地踏査)
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本ブログ内関連記事
:
■路上に埋め込まれた標識(起終点標および地点標に限定して、、、)
:
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