古地図でお散歩♪・・・1/5万・明治43年の「深谷」・大泉葛和田編 | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

古地図でお散歩♪・・・1/5万・明治43年の「深谷」・大泉葛和田編

街や交通網の盛衰を記録する....警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-明43深谷1/5大泉葛和田

1/5万「深谷」・・・明治43年と、グーグルマップ最新版との比較

明治43年時点での、葛和田渡し(赤岩渡船場)に行く現・県道83号の道筋は、現在と異なり、グーグルマップ最新版における――線箇所を通っている。

利根川の堤防整備によって道筋が変更されたものと思われる。

←○堤防新設に伴い神社も移設?)
街や交通網の盛衰を記録する....警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-妻沼120219165
葛和田地区の河岸場へ向かう旧道筋と思われる小路現況・・・

(写真:上=「地点、下:神明宮神社東側)

堤防突き当り(写真:上=「地点の自転車を停めた道路反射鏡あたり)には

古い石碑がありましたが、劣化が激しく文字判読不能。。。

(埼玉県熊谷市葛和田にて本ブログ管理者2012.02.19撮影)
街や交通網の盛衰を記録する....警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-赤岩館林土木図面S60
ちなみに、昭和60年の群馬県館林土木事務所管内図を見ると、

埼玉県側堤防まで「赤岩渡船」として指定がある様に描かれている。

(埼玉県側旧道についても、グーグルマップ最新版上の神明宮神社付近~「」地点で途切れるまでまでハッキリと、まるで現行「赤岩渡線」と一本の線で繋がるように描かれているのが判る)

■本ブログ内関連記事「葛和田渡船場編」参照

■本ブログ内関連記事「赤岩渡船場編」参照
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1/5万「深谷」・・・昭和7年

年号が「昭和」に変わった頃には、既に利根川の堤防が完成して、

現行県道と同一のルートに切り替わっているようです。。。

1910年(明治43年)8月、関東地方を二つの台風が連続して襲来しそれに伴う前線の活発化によって利根川は当時最悪の洪水をもたらした。

この「明治43年8月洪水」は死者769名を出す大災害となり、利根川は中流部において北は現在の前橋市・みどり市、西は富岡市から東は野田市、南は川越市に至る広範囲が浸水し関東平野中央部が一つの巨大な湖になった。

この水害を機に先の利根川改修計画は同年改訂され計画高水流量は毎秒5,570立方メートルに上方修正された。

この時事業計画に上ったのが渡良瀬遊水地であり、当時深刻化していた足尾鉱毒事件の鉱毒問題解決に治水目的を付加させるとして正式な事業となった。

このほか堤防や護岸建設、横利根閘門(1921年)・印旛水門(1922年)・小野川水門(1923年)の新設、利根川下流の新河道開削(1889年 - 1922年)、権現堂川の利根川との締切(1926年)が本流域で施工され、江戸川では分流部に関宿水門と関宿高水路(1927年)を建設して利根川からの分流量を調節するほか、下流部では江戸川放水路を開削(1920年)し流下能力を増強させた。

これら一連の利根川改修計画は江戸川放水路の補修が完了した1930年(昭和5年)に一応の完成を見た

この間1923年(大正12年)の関東大震災により利根川中流部で堤防の損壊が116箇所発生し、その復旧も行われている。
街や交通網の盛衰を記録する....警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-昭7深谷1/5大泉
1/5万「深谷」・・・昭和7年

さて、

利根川対岸(群馬県側)の大泉町(当時の小泉町+大川村)ですが、冒頭地図(明治43年)と、直上地図の違いを見比べると、「小泉町」駅まで(現在の東武線)と思しき鉄道が開通していることが判ります。

小泉町駅(こいずみまちえき)は、

群馬県邑楽郡大泉町城之内にある、東武鉄道小泉線

単式ホーム1面1線を有する地上駅(簡易委託駅)

駅舎・ホームは線路の南側にあり、線路の北側と連絡する跨線橋が設置されているが、駅舎の大部分はトイレである。

乗車券は駅から南方50メートルのお茶屋で発売している。

2010年度の1日平均乗降人員は484人。

大泉市街地(大泉町役場)は西小泉駅が最寄り。

東武小泉線の前身、中原鉄道(ちゅうげんてつどう)が館林駅 - 小泉町を開業した際の終端駅であった。

(1917年(大正6年)3月12日 - 中原鉄道により開業)

中原鉄道は、1922年(大正11年)に上州鉄道と改称軽便鉄道から地方鉄道となった。

1937年(昭和12年)に東武鉄道に買収され、東武小泉線の駅となった
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1/5万「深谷」・・・昭和44年と、グーグルマップ最新版との比較

1939年(昭和14年)4月13日 - 仙石河岸線小泉町駅 - 仙石河岸駅間開業

(戦時色が強くなっていた昭和14年、仙石河岸線は開通。主な目的は、太田にあった中島飛行機の工場の軍事物資を運搬すること)
1941年(昭和16年)6月1日 - 太田駅 - 小泉町間開業

仙石河岸駅(せんごくがしえき)は、

かつて群馬県邑楽郡大泉町(旧・大川村)にあった東武鉄道仙石河岸線の駅

1976年(昭和51年)10月1日 - 仙石河岸線の廃止とともに廃駅となる。

(廃駅跡は野球場?)

1941年(昭和16年)12月1日には仙石河岸線に西小泉駅が開設され、中島飛行機(現・富士重工業のルーツ会社)小泉製作所の玄関駅となった。

中島飛行機小泉製作所→米軍→1959(昭和34)年東京三洋電機→三洋電機東京製作所(本館は建替)

軍の要請によって仙石河岸線の新小泉駅から分岐させて熊谷線と接続する予定であったが、第二次世界大戦後に工事は停止され、西小泉駅以南は廃線となった。

(廃線跡は大泉町が所有する「いずみ緑道」として整備)

(熊谷線は、1983年(昭和58年)5月31日に廃止)

西小泉駅(にしこいずみえき)は、

群馬県邑楽郡大泉町西小泉にある、東武鉄道小泉線

島式ホーム1面2線を有する地上駅

キロ程13.2km(館林起点)

2010年度の1日平均乗降人員は1,292人

開業時点では、仙石河岸貨物線の駅であり、中島飛行機小泉製作所の玄関口であったため、現状では不釣り合いなほど立派な駅舎だが、当時は貨物等の取扱量も多く、その隆盛が偲ばれる。

新小泉駅(しんこいずみえき)は、

群馬県邑楽郡大泉町にかつてあった、東武鉄道仙石河岸線の駅。

場所は、西小泉駅の延長線上にある遊歩道(いずみ緑道)の終着点近く。

駅舎は解体されて存在せず、駅舎跡地近くにいずみ総合公園町民体育館が建っている。

小泉線では、2007年3月18日からSuicaとの相互利用が可能なICカードPASMO」を導入しているが、自動改札機を設置していない駅については簡易ICカード改札機を設置して対応している。

西小泉から、かつての仙石河岸線と熊谷線区間と熊谷を通って東上線東松山までを結ぶ「埼群軌道新線」の建設が提唱されている。

この計画が実現された場合、仙石河岸線と熊谷線も埼群軌道新線として復活する可能性があるが、現在関連自治体による議論は、採算性の問題などにより凍結されており、建設時期(むしろ建設の可否)は一切未定。
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旧・仙石河岸駅付近現況(本ブログ管理者2012.02.19撮影)

■本ブログ内関連記事「妻沼編」参照