学童保育暦 365日 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
まだ赤組の連中との付き合いもあった
ハタチから21歳にかけて、
学童保育の指導員(補佐)ってのをやってたことがある。
保育士 の免許なんて持ってなかったけど、
例えばどっかの工場内なら、フォークリフトの免許がなくても、
誰か代表者が一人 持っていれば、
それを使って作業ができるのと同じように、
まぁ簡単に云えばアルバイトだ。
午前10時から夕方6時頃まで、時給にして¥400。
そもそも学童保育ってのは職業である以前に、
地域社会における“運動”…それが、
“福祉”という範囲に収まるのかどうか、
共働きの家庭の親が、自分達の子供、
小学生を塾や稽古事に通わせるより、
自然環境(?)の中でのびのびと遊ばせたい。
でも、未成年者にとっては色々と危険も付きまとう社会環境において、
それを監督する大人と特定の施設を必要とする。
要するに、児童館へ月謝を払う“遊び塾”(?)のようなもんで、
対象は、基本的に小学校一年生から六年生まで。
そういう要望の親が、市町村の一定の場所に5組以上いて、
保育士の免許を持った人を指導員として立て、
施設も自分達で協力して用意する。
それを市町村役場に申請すると、
学童保育施設として認定され、いくらかの補助金も出る。
こんな感じの運動だったと思うけど…違ってたらゴメンナサイ。
   
で、当時、関東では上福岡においては、
役所の対応も柔軟で、大勢の子供を抱える幾つかの施設が盛り上がってた。
俺も何人かの人達と、名古屋のどこだったか、
全国の学童保育の関係者が集まる一泊二日の研修にも
一度か二度、行ったことがある。
東日本より西日本の方が、そうした運動にも熱心な人も多く、
市区町村の援助も規模が違う部分はあった。
 
   
こういう云い方も失礼かも知れないけど、
要するに、赤組の勢力は関東より関西の方が大きい。
・・・・別に今はここで批判してるわけじゃない。
俺の云い方は言論の自由の中にある。
で、関西の人達ってのは、
デモをやるにもストをやるにも、一度 立ち上がると、
そこで湧き勃る情熱や熱意なんて、
東京周辺の花火大会なんてもんじゃない。
凄まじい勢い。
ただ、祭りは祭りで、運動は運動だ。
その辺をよく理解してない赤組の連中も中にはいる。
 
   
俺は今、どこの政党にも席を置いているわけじゃない。
で、かつてこういう人がいた。
「いまここに、党員登録の申請用紙を二つ用意しているんだけど、
あなたが今、お付き合いをしている女性とは
結婚する意志があるのかどうなのか。
その意志があるのなら
彼女にも党員になってもらえるよう勧めてもらいたい。
もしもただ単に肉体関係の間柄だけなら、
あなたを党員には迎えられないし、
もし党員になるのなら彼女と別れてもらいたい。
フリーセックスの文化もアメリカから入ってきて、
そういう自由な思想も今は…略」
こういう馬鹿げたことを俺に言ってた。
もちろん、その人はその当時、独身で、彼女もいなかった。
で、俺自身は、党員に成りたいなんて鼻っから思ってなかった。
ある夏の日、いきなり電話で呼び出されて、
それだけの用件で
冷房もなく、
カーテンを閉め切った党事務所の中で、
男同士二人だけでな。
帰りがけに、
「よく考えてみてね」
だとか言ってた。
何を考えるべきなのか?
で、二十歳になったばかりの俺は、
そのまま自転車に乗って家へ帰ったが、
それっきりその人とは会ってないし、会いたくもない。
世の中の左寄りにいるすべての人が、そういう人だとは思わないし、
中には、自分自身がどんなに犠牲になっても
他人を助けようとして頑張ってる人もいると思う。
だけど、そんな一人の党員の存在。その、そんなひと言ふた言があったために、
次の選挙の一票を失った とある政党…そういう現実もある。
   
結局、その当時 付き合ってた女性とは、
本人が、タヌキだか貉の動物の霊に支配されてると気づいて以来、
付き合いも絶って、結婚もしなかったが、 
俺が、霊能力者やマルキシストの連中が嫌いな理由の一つは、
そういう部分にも…あるな。
(…一部、読者に言葉の意味が通じてねぇと思うけど…まぁいい。あとでな
   
かつて、学生運動や学園紛争というものが、
若者を中心に熱気ムンムンだった時代、
内ゲバや革丸派という言葉が流行ってた当時、
九州や広島など、関西方面から登って来たフォーク・アーティストが大勢いた。
俺は今でも嫌いじゃない。
拓郎さんの第二期オールナイト・ニッポンなんて、
毎週金曜の深夜、楽しみにしてた
し、
できることなら再び、あの、腹の底から響いて来る叫び声を
もう一度、聴きたい(・と思ってます)。
中学生時代は、陽水さんのバックバンドだった安全地帯が売り出される前から、
フォーライフ関連の歌はぜんぶ聴いてた。
「若者のみなさん、政治に関心なんてなくてもいいから、
新聞の見出しだけは毎日、見ておいた方がいい」

という元気だった拓郎さんの言葉には頷いて、
風呂へ入る時は、俺も拓郎さんのマネして、お
「ポッカ、カフェオーレぇ~」
と歌いながら、脱いだパンツを手に持って回してた。
泉谷アニキの歌 なんて、今でも車の中で子供と一緒に聴いてる。
「しらゆきぃ、ひめぇ、のぉ、どくぅ、リ~ンゴ」
とか、俺の子供も謡ってる。…別にヤバかぁない。
ただ、学生当時の俺は、
「あと10年、早く産まれてたなら、
この人たち世代と一緒に楽しかっただろうなぁ…」
と思ってた…こともある。
で、そういう人達は、右や左や赤組関係の運動には関係なく、
現実に生きる自分たち人間そのものの在り方を
歌に込めて唄い続けて来た。
で、フォーライフの四人組は、
俺にとっては “音楽の先生”のようなもんで、
陽水さん(と伊丹さん )がいなければ、ジョン・レノンなんて絶対 聴かなかったし、
拓郎さんがいなければ、ボブ・ディランなんて知らなかった。
 
 

        The Rolling Stones
        
Like a Rolling Stone
 
もしもあのまま、ディランやレノンがどうでもよければ、
今のようにローリング・ストーンズなんて聴いてなかったし、
キース・リチャーズ やクラプトンの存在なんて、
隣に住んでるギター野郎の趣味でしかないと思ってたと思う。
その後の名残で、ポプコンもイカ天もイースト・ウエストも、
数多くの優秀な日本のミュージシャンを産んだ時代もあった。
   
ところが、今はどうなっちまったのか?
個人的に、雅治福山とかトータス松本さん とかは嫌いじゃない。
それ以外は何なんだ?
俺にはみんな同じ歌に聞こえる。
38にもなればオヤジだから仕方ないのかも知れないけど、
日本のミュージック・シーンをこんなにメチャクチャにしたのは
一体、誰なんだ?
…かつて、あるFMラジオ番組だったか、広島出身の世良さんが、
「『スゲェ バンドが出て来たな』って、あいつらを観た時、
『ああ、俺たちの時代は もう終ったな』って思った…」

そんなことを言っていたのを覚えてる。
桑田さん、あなたのことですよ。
ここで決して、俺は、SASの存在を批判してるわけじゃない。
今でも色褪せることなく現役でやってる素晴らしい人達だし、
俺も好きな歌はいっぱいある。
以前、撮影の仕事で、鎌倉や湘南へ行った時も、
60代、70代の地元の人が、SASを応援して、
桑田さんの存在は自分たち神奈川県民の誇りであると信じてる。
そういう人の生の声も実際に聞いて確かめた。
そんなアーティストは他に日本にいるか?
しかも、まだ生きてる。バリバリの現役だ。
でもな…、それでも、
日本のミュージック・シーンをメチャクチャにしたキッカケは、
俺は、サザンの桑田さんにあると思う。
 
   
「あれでいいんなら、俺たちもバンドやろうぜ!」
と、そんな具合に、次郎も太郎も東京へ ノボって来た。
全部が全部、そうだとは云わない。
それ以下の一発屋も大勢いたし、流行り廃りで消えて行った人もいる。
でも、それ以上になったバンドもミュージシャンも演歌歌手も、
まだ観たことはない。
だいたいにおいて、桑田さんと矢沢さんは基本が違う。
ブルースもロックも、R&Bも、ちゃんと聴いてるし、
ジャズやクラシックだって馬鹿にしてない。いろいろ勉強してる。
流行の音が今だけのモノなのか・どうなのか、区別できる耳を持ってる・と思う。
ハンパじゃない。
ハンパな気持ちで「クラプトそ」とか演ったり、
ハンパな気持ちで白い琵琶型ベース を振り回してるわけじゃない。
ピコピコ鳴るボタンを押して喜んで、
あとはファッションで誤魔化したり、
マイクに唇くっつけてガナルとか、
そういうカラオケ・ボックスの延長のような歌は、
俺はどうも好きになれない。
音楽って何?
そんなことは問わないけど、
以前はもうちょっと、”心に響く歌”ってもんがあったと思うぜ。
   
俺が学童保育の仕事を一年で辞めて、
10年くらいの月日が経過し、当時の小学六年生の子供が成人して、
社会人になった頃の話で、以前…、
毎月、月末になると決まって、
流行りのCDシングルだけを何枚もレンタル屋から借りて、
それをカセットに録音して、2,3ヵ月はカーステレオで流して聴く。
ムロコのテっちゃん組のヤツとか、
ワーイ!、ヤーイ、ウーわぁーウー って、
エフェクト処理のキツイ、ああゆう歌のヤツな。
そういうのばっかり、繰り返し繰り返し、車の中で流してる。
でも半年もしないうち、そのカセットを捨てちまう。
でもってまた、レンタル屋から新しいヤツを何枚も借りてくる。
アルバムなんて、めったに買わない。
そういう今風の女の子がいた。
「なんで、そんなことすんの?」
って、訊いてみた。
応えはこうだ。
「嫌なことがあっても、それが気晴らしになるから聞いてるの。
あとで前のモノを聴くと、その時を想い出すから聞きたくないの。
だからいつもいつも新しいモノだけ聞いてるの。
捨てたっていいじゃない、そんなの…」
    
なんか、寂しいじゃないか、虚しいじゃないか。
勿体ないじゃないか、そのカセットテープも。
音楽って、そういうもんか?
そう思いながらも俺は、ゴミ箱に捨てられたカセットテープを拾って、
そこへ上からストーンズの曲を並べて録音した…。
だって、勿体ねぇだろ。カセットテープだけはな。
   
まぁ、世の中、人さまざま、一人一人がみんな違うから、
色々な考え方もあって自由かも知れない。
でも、もしもそれが、その一人だけじゃなく、
日本全国に、そういう若い女の子が
何人も存在していたとしたなら…
全国のレンタル屋も潰れないかも知れないな。
よかったな。安泰だ。
困るのはレンタル屋以外のCDショップだ。
しかも今は“コピコン合戦 ”の世の中。
これには参った。…俺は“コピコン合戦”なんて屁とも思わんけどな。
とにかくいま生きてるその瞬間だけの、
ほんの僅かな間だけでも、
多少の気分が紛れるモノがあればいい。
何かに満たされない肉体も心も、
決してそのまま放っておくつもりはなくても、
他にどうしようもない。
そんな心境の中に生きてる若者の姿…

 
   
国も、中高生の学力低下が云々なんて言ってる場合じゃない。
この意識はなんだ?
音楽業界も、テレビ業界も、携帯電話の“買い替えシステム”も、
“覚せい剤”と大差ないじゃないか。
「そん時だけ良ければいい」
なんか違うだろ。 (…お前の頭も違うだろ。極端すぎやしねぇか?)
ともあれ、俺はストーンズを聴く。
テレビは久米宏。
携帯電話は、まだ一回も買い替えてない。
いいだろ、これはこれで。
   
そんな俺は学童保育の“指導員モドキ”だった頃、
子供達と、こんなアソビをしていた…というより教えていた。
   
学校が夏休みに入ると、学童保育も色々と忙しい。
朝8時頃から施設に出向いて、
その日一日のアソビやオヤツの準備をする。
仕事へ行くお父さんとお母さんに
「行ってらっしゃい」と見送った子供達は弁当を持ってやって来る。
学校の校舎もスグそばにあったので、
プール通いを終えた子供も、午後にはやって来る。
近所の寺や神社も、虫捕りや蛙、泥鰌、ザリガニ獲りと、
遊ばせるネタも豊富にあったが、
南 大空。この俺が、そんなアリキタリの遊戯で、
子供達にとっての夏休みの貴重な一日を終わりにする訳がない。
   
まず、昼飯の弁当をみんなで食べて外へ出る。
8~9人、平均年齢7~8才の小学生を引き連れて近所を散歩する。
ふと、俺の目に、一軒の豚小屋の存在…。
近づいてみると、豚も昼食を済ませたあとだったのか、
飼育小屋の日陰でみんな昼寝をしていた。
おそらく食用にされる豚だったと思う。
何頭かは人間よりも体がデカイ。
プゥーッとか、プヒーッとか、イビキをかいて気持ちよさそうに寝てた。
数えると、小さい子豚も含めて20頭は下らない。
「よぉしっ、みんな、ちょっと静かにしてろよ」
俺はそう云って、足元にあった少々大きめの石を摑んだ。
「おめぇ、なにすんだよ!」
「まさか、あのブタにぶつける気か?」
「ヤメロヨ、そんなこと!」
などと、子供達は俺を止めようとする。
実に躾のイイ、思いやりある連中だった。
それに構わず、思い切り石を投げる俺。
見事、いちばんデカイ豚に命中。
「逃げろっ!」
そう云って俺は、子供達よりも先に走り出す。
しかも、豚の飼育小屋の脇を遮りながら…。
自分の身に一体、何が起ったのか?
驚いた一頭の豚が慌てて小屋の中を走り廻ると、
他の豚たちも、つられて暴れ出す始末。
飼育小屋の柵も壊れそうな勢い。
しばらくして、全員、いつもの神社へ集合。
「はぁはぁ、な、おもしれぇだろ。これがスリルってもんだ。
でも、俺がいない時はやるなよ」
「やんねぇよ!」
と、何人かの子供達は声を揃えて俺に怒鳴りつけてた。
   
別の日、同じ神社にて。
ダルマサンガコロンダ…もう30回はやった。
あきた。
俺が一緒にいる間は、子供達はやめようとはしない。
「おい、おめぇが鬼の番だろ、ちゃんとやれよ!」
「るせぇな、少し休ませろ、朝 早くから来てて疲れてんだ」
と、そう応える俺が自分の腕時計を見た時、
時刻は午後2時を回っていた。
境内から少し離れ、鳥居の側にあった樹木の肌。
見るとそこには、
ちょうど子供の背の高さの辺りに
一本の釘が刺さっていた。
「何コレ?」
俺がその釘に触れようとした瞬間、
「やめろっ! 触るなっ!」
と、一人が俺を怒鳴りつける。
「なんで?」
「タタリが起きるぞ!」
「そうだ、そうだ」
「ずっと前からそこに刺さってる。
前はそこに、ワラ人形も くっついてた。
そのクギに触ったヤツは みんな交通事故とかにあったり、
いろんなケガとかしたりしてるんだぜ。
だから絶対に触っちゃダメだ」
「そうだよ、加奈子ちゃんのお姉ちゃんだって、
それに触った次の日、自転車で転んだんだよ」
「そうだ、そうだ」
「おめぇ、死にてぇのか?
死にてぇんなら触ってもいいけど、オレは知らねぇぞ!」
「オレも知らない」
「私もし~らないっと・・・」
とにかく賑やかな連中。
確かに、よく見ると、かなり以前から刺さってる様子で、
釘も昨日今日の雨風に叩かれた錆び方ではなかった。
子供達に訊けば、もう何年も前から、そこに刺さったままだと云う。
しかも、それなりに太さもあって、子供にとっては、
普通に見かける五寸釘とは違うように見えたのかも知れない。
ただ、どうしてそんな低い位置に刺さっていたのか?
誰かのイタズラとしか思えない。
そのままその場で引き抜く俺。
「ああっ! おめぇ、なんてことすんだよ!」
「おいっ、みんな来てみろよっ!
こいつ、ほんとうにクギ抜いちまったぞ!」
いぃ~けないんだぁ、いけないんだぁ
「おめぇ死んじまうぞ! 
 はやく神社の鐘の下まで行って謝ってこいっ!」

「あしたの朝、目が覚めた時、死んでるんじゃねぇのか?」
「なに言ってんの? 死んでたら目が覚めるわけないでしょ」
「そっかそっか・・・」
「どうなっても知らなねぇぞ!」
「あんた、自分がナニやったか分ってんの?」
タタリ起きるぞ ! タタリだタタリ!」
とにかく賑やかな連中。
   
夕方になり、仕事を終えた父兄のみなさんが、
自分達の子供を迎えに来る時間…。
学童に通う子供達の中で、
いちばん威勢のいいヤツの弁当の袋の中へ、
持っていた釘を忍ばせる俺。
「じゃぁねぇ、また明日ねぇ!」
帰ってゆくそれぞれの子供達。
   
で、子供達の世界に根強く浸透した“ジンクス”。
その掟は、とどまるとこを知らない。
夏休みも明け、2学期になったある日、
いつものように学校の校庭を借りて、
みんなでサッカーをやっていた。
秋も深まる気配を見せ、宙を舞うトンボの色も紅い。
トンチンカンな方角へ子供が蹴り飛ばしたボールを拾いに走る俺。
学童に通う子供とは別の、下校途中の二人の小学生が俺に気づく。
「アイツだろ、神社の呪いのクギを抜いたの…」
「あ、あいつだあいつだ。アツシ君の弁当の袋に入れた奴…」
本人達はヒソヒソと喋っているつもりでも、俺にはよく聞こえた。
   
そういう子供達が、クソをする時も、小便をする時も、
学校に勤める教師が知らない子供達の顔を俺は知っている。
本人達は、絶対にやってはいけないこと。
自分達で決めた掟を破ってはいけないこと。
そういうことを教育や躾とは別に、よく判っている。
それがどうして、 “自殺サイト”のような罠 に嵌って、
自分で自分の息の根を止めてしまうのか
それがどうして、後からナイフで首を掻き切られるような
血まみれの惨事になるほどの“心のゆがみ”を作り出すのか
誰に責任があるとは云わない。
問題は、何に責任があるかだ。
「殺られる前にヤル」
「斬られる前に斬る」
「撃ち落される前に射ち落とす」
それは決して、ゲームやテレビ映像の影響ではない。
多少なりともそこに、誘発するキッカケはあったとしても、
それ以前に荒んだ精神、打ちのめされた心…が存在する。
そうしたものは、
“使い古された教育の枠”に縛り付けられないはずの、
人間の自由を求める嘆き、悶え、捥がき、叫び、訴え…。
そういう辛く、薄暗い、冷たい哀しみの中から、
簡単に手に入れられてしまう最期の手段
そういう現実の中に生きている現代の子供達。
今、この日本において、
教育の中に自由はなく、また、自由の中に教育はない。
   
俺が子供の時を想い出しても、
その時代と今とでは、まったく違う世の中だ。
絶対に今まで通りではないし、
今まで通りのモノサシで、
この殺伐とした世の中は図れない。
幼稚園、保育園の中に出さえ、
イジメに近いものはある。
でもそれは決して、“イジメ”ではない。
子供達の間にある”掟”であって、
大人の社会にあるような“イジメ”とは全然、違う。
でも、それをそのまま本当の“イジメ”に発展させてしまうのは、
学校でも地域社会でも
教師でも親でもない。
戦後教育そのものが人間を歪ませている。
全国の義務教育の現場にいる学校の先生には、
このことに気づいている人も中には いるかも知れない。
でも、本人達はそれをどうにもできない。
校長も教頭も、PTAも教育委員会も、
何か事が起きてみて、そこではじめて嘆き哀しみ、
また時間が経てば、子供達の捥がき苦しみは忘れてしまう。
そこだけじゃない。
一つの学校の、その一部分だけじゃないんだ。
全国で、子供達の肉体と心のバランスが狂わされている。
決して、心が、精神が先ではない。
肉体にも問題がある。
   
立った姿勢のまま、膝を徐々に畳んで、
足の爪先だけで体を支えて地面や床に座る姿勢。
これだけのことができない子供がいる。
一人の教師なら教師が、
自分の受け持つ学級クラスの、その中に、
そのような学童、児童、子供が何人いるのか?
また、足の爪先だけで体の重心をとれなくても、
踵を付けば、同じ姿勢で屈んでいられるかも知れない。
でも、長時間もその姿勢を保っていたわけでもないのに、
瞬間的に、そこから立ち上がらせると、
今度は後ろに仰け反ってしまう子供もいる。
ゆっくりと何度とやっても仰け反ってしまう。
それどころか、まったくバランスを失い、
そのまま後ろ向きに転んでしまう子供までいる。
それが、一つのクラスに何人いるのか?
実際に、体育の授業の合間にでも試してみればいい。
驚くのは本人達ではない。
それを目の当たりにした教師そのものが驚く。
子供達は、それが自分一人だけではないから、
ちっとも驚くことはない。
そんな身体の子供が、全国の小中学校、
高校、大学にまでいるということも知らない。
文部科学省も厚生労働省も、
そのデータを集めてみても、
それが何なのかは解らない。
学者は解ったフリをして適当なことを言うかも知れないけど、
俺は、その原因を解るし、はっきりと説明できる。
解ったフリはしないし、できない。
なぜなら事実を伝えるから。
次回は、その内容を克明に記す…よ。
楽しみに待っててくれ。
但し、今もしも、どうしても気になるっていう、
現役の学校の先生、もしくはその関係者の方がいるなら、
mind resolve の他のページ40窓くらいか
全部 読んで予習しておいてくれ。…ください。
そのほうがあとで話が早いし、
それ以外の問題でも色々と役に立つことも多いと思うよ。
よろしくね。
また頼みますよ
 
 
 
 
 つづく   http://ameblo.jp/badlife/entry-10004026965.html
 
 
 
  mind resolve : chapter 023
 
 
        
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