全世界のカウンセラーに必要な、“気づき”  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

mind resolve / edit 004
 
 
前回に書いた中 へ出てきた、
「~いちばん重要なのは、洗心法である。要するに、“気づく”ということ。」
その“洗心法”が、なぜ必要なのかという点に着眼して、
以下、とりあえず、“創った側の人”の言葉を紹介しておく。
これも『大自然の気による政治革命』の一部、
世の中には公開されなかった重要な原稿のひとつである。

 
 
     仮題: 幽体の治療 ~ 洗心について 
 
 
 人間の病気には、肉体の病気と邪気…。
 そして、幽体の病気がある。
 最近、医学の中で「心身症」という病名が流行した時期もあった。
 この「心身症」とは、どのような病気なのか。
 また、何が原因で起こるのか。
 では、どうしたら治るのか。
 今まだ「素晴らしい」とされている世の中の教育の中で、医学が発展しても、
心理学者がどんなに頑張っても、カウンセラーという職業を選ぶ人がどんなに増えてみても、
この「心身症」と言われる病気は原因も解らず、また治すこともできない。
現在流行している医学の言葉でしかない。
 なぜなら、人間とは、目に見える肉体だけで動いているのではなく、
すべての行動も、言葉も、良心的ということも、常識的ということも、
決して、肉体から生まれるものではない。
 それは、目に見えない、自分でも解らないことであり、現在の流行りでもない。
 何百年も、何千年も以前から、
人間の病気とは、心身症である。
 なぜなら、人間とは、どんな人も、
男も、女も、きれいな人も、醜い人も、決して、
肉体だけでは、動くことも話すこともできないからである。
 それは、どんな立派な体も、
心によって動き、心によって言葉があるものである。
 だから、肉体は心のオーヴァー・コートでしかない。
 形ある物として地球上に実在するものすべて、
何らかの目的を持ち、造られている。
人間の造ったテレビも車も、家も、
地球上のすべての形ある物は、それぞれの職責を果たしている。
人間とて、まったくその通りである。
 形作られて生きているものであるが、どうして創られたかは、
かつてどの聖人君子も、世界の何人たりとも、
知ることも、明かすこともできなかったことは事実である。
 その、「心身症」の原因とは何か…。
 それは、経済であり、哲学であり、宗教であり、医学であり、
すべての教育、思想である。
 人間の魂は受胎の瞬間に入魂される。
その時すでに、今生に産まれる前から、
その者の職責も、職能も決まる。
生きるために必要な知識は最初から持って生まれてくる。
 その創られ方は人間だけではなく、
すべての植物も、動物も、過去、未来、現在に区別なく、
永遠に変わらないし、
変えてはならない。
また、目に見えることも、目に見えないことも、
決して、偏って別々にあるものではない。
 すべてに流れがあり、すべてに関係がある。
 その中で、自然の産物である人間も、
自然の気を受けて生かされている。
 そうして、この自然界に創られ、生まれ、育ち、死に行く、生命あるものである。
 しかし人間だけは、様々に、必要以上の教育を受け、己で邪気を作り、そのようにして、
肉体が病めば心は悩み、
心が悩み苦しめば肉体は病気をする。
 人、一人が、心から楽しく、健康で明るく、楽に生きられるよう、
己に気づくため、
この、「肉体が心の容器である」という当然のことも、
かつて誰も言わなかったことであり、
これまで、すべての教え、あらゆる教訓、思想の中にも
絶対になかったことである。
 そのため全人類に今、幽体の病気があり、
目に見えない色々のことで、
肉体も心も、とても悩み苦しむ人が増えてきた。
すると、医学や宗教、そうした学問とは関係なく、
肉体だけではい、
幽体の病気の治癒、
「心の手当て」を施せる人が必要な時代である。
 
またそれが、私と○○○で一緒に勧めて来た“洗心法”である。

今後、出版する予定の『人類意識革命』現在未公開という本の中には、
そうしたことが書かれて在る。
 
 
 

 
 
この内容は、現在、カウンセラーという職業を生活の糧としている人、あるいは、
 “本当の自分”を知りたい、見つけたい…と、そう願いながら、
 様々な本の中を探り、今なお、そこへ到達できずにいる人、またあるいは、
 自殺を考え、そこから一歩、踏みとどまることができた人、
 まず、そうした人たちに繰り返し読んでもらいたい…という気持ちから、
 このページへ独立させ、紹介させてもらった内容です。
 書いた人はともかく 、“原液”として薄め、
 ひとつひとつの言葉の意味をもっと噛み砕かなければ、
 内容を理解することが難しいと感じる人もいるかも知れない。
 例えば、あらゆる哲学書を開いて、中を覗いてみても、
 自己の問題を解決できない場合もある。
 それは、かつて、マット・ジョンソン という人が、
 我々に人間へ投げかけた幾つかのメッセージとしても、
 この、生きることが困難な時代に、
 それを素直に受け止められる人が少なかったかも知れない。
 
 
1990年の秋、ある雑誌で、こんな記事を読んだ。
 
    「この世はあまりにもネガティヴな人間が多すぎる。
    ポジティヴな人生に肯定的なアイデアを伝えたい。
    そして内なる自分 inner_self を発見し、
    自らの意識の声に耳を傾け、
    自分を表現することの素晴らしさを知ってもらいたい。
    人はその魂を解放すべきだ。
    みんなあまりにも一次元的なものの見方しかしていないし、
    どこかで恐れているのかも知れない。
    若者は実質、中身のあるものを求めてはいるが、
    現代のポピュラーカルチャー(メディア全般)の中には殆んどない。
    音楽、映画、TV、文化を大衆化する目的のものすべてが、
    人気取り主義で内容に欠ける。ただ、
    得ることのできないスピリットを求めてはいる。
    満たされた気持ちになれるヨーロッパの映画、文学、
    クラシック、そういった高いレベルに触発される満足感を
    ポピュラー・カルチャーのフォーマット (以下、2枚のアルバム参照)
    を借りて伝えたい」
 
 
マット・ジョンソン 自身が そう云ってから
 
既に15年以上が経った現在、世界では、
 
テロによる殺戮が繰り返され、怯え、逃げ惑う人々が、
 
救いを求めて叫び続ける。
 
政治家は「これに屈しない」とは云っても、最早、
 
「神も仏も人々を救わない」というような時代に突入している。
 
自分で自分を救うしかない。
 
今、そういう時代に我々は生きている。 
 
 
 
    
 THE THE                   THE THE
 マインド・ボム             ダスク
 
 
 
 

 
---------------------------------------------------------------------------------
 
 

  四診法 : 古来、中国の優れた医学の中にも、人間の身体を部分的、統計的に診て判断し、
 
  対症療法に偏るようなことはなかった時代があった。その中に、四診法というものがあって、
 
  望診、脈診、切診、問診とあるうち、望診とは、何か病気になる以前に病気になる
ことを予測して、
 
  その施しにあたる。これは “創った側の人”の云うところの未病【みびょう】 というもの
にあて
 
  はまる・と思う。
切診とは外科的なもの。脈診というものは、いわゆる手首の脈を取る行為。ただ、
 
  その場所だけで、その人の体の具合の、そのほとんどを判断できる素晴らしい医学であった。
 
  そしてこの四診法
の中でも
 
  最も重要で、大切な物の考え方。要するに“聞く”という行為。これは、“洗心”【せんしん】という、
 
  現在のその人の肉体と心の状態を的確に認識させることで、人間を「0」(ゼロ)からスタートさせ、
 
  肉体の治癒力を高め、その肉体を動かす心(魂)の軌道修正を図ることを目的としている。
 
  但し、現代の多くのカウンセラーが、一つの学問的に取り組んだり、研究していることとは
 
  まったく違う。また、“問診”という言葉そのものは現代医学の中にもあり、それは西洋医学の
 
  中でも、医師の医療行為の中で最も重要な行為が問診とされてはいるが、近年の医療の現場
 
  を見ても判る通り、機械に頼り、機械的な時間とシステムで運営される病院医療の現状…。
 
  その中では、お医者さんにも限界がある。そもそも・・・・中略。
 
  “洗心”または“洗心法”というものを完全にできる人というのは、それなりに心身共に人間として
 
  パーフェクトなくらい健全でなければ無理。絶対に。似たようなことをやっている人も世の中には
 
  いるかも知れないが、俺はまだ一人しか見たことがないし、逢ったことはない。
     但し、“問診”というのは医師免許を必要とする完全なる医療行為に当たるので、「問診法」などと
 
    枝別れした言葉を使っても、それは医師法違反に近い…と思うよ。
 
    ましてや、“洗心”なんて たいそうなこと できるのは鼻が詰まって口臭が臭い奴には無理だ。
 
    なぁ、松本くん。