東京のご当地武将知ってますか?
日本の政治の中心地、東京。
東京を日本の首都にした立役者が戦国時代にいた。
皆さんご存知のこの方。
徳川家康(とくがわいえやす)
徳川家康について知りたい人は↓
http://ameblo.jp/ameblo-sengoku/entry-10843985924.html
このタヌキのおっさんは江戸幕府を開いたわけですが、
幕府を開いて、政庁とした場所があります。
現在の皇居!
そう、江戸城!
では、このお城を作ったのは?
今回の真の主役です。
もうわかった方はいるかと思います。
正解は、
大工さん(だいくさん)
大工さんを東京都ご当地武将と認定してくれるなら
↓↓ポチっと
い、いやちょっと待て!
大工さん、武将ちゃうやん
これじゃ誰もご当地武将に認定してくれないやん。
ポチっと押してもらえないやん。
どんどんランキングも下がってまうやろ~!!
っと、エセ関西弁のノリツッコミはこのくらいにさせていただきまして、正解はこの方です
大田道灌(おおたどうかん)
ちょっと今まで紹介してきた武将たちと比べると時代は古いです。
室町幕府時代の武将になります。
文化大名としても有名で、彼の文化的エピソードをいくつかご紹介します。
【道灌くんの文化的エピソード】
①曲がった性格直ったかい?
幼少期、ワルガキだった道灌くん。
お寺でその曲がった性格を治してこい!
っと親父に言われて、お寺に修行に行かされます。
修行を終えてお寺から帰ってきた道灌くんに親父は尋ねます。
「部屋の障子を見ろ!あれは、まっすぐだからちゃんと立っているのだ。曲がっていては役に立たない。人間もそれと同じだ。どうだ、お前のその曲がった性格は直ったか?」
そう聞かれた道灌くんは、屏風を持ちだしてこう言いました。
「この屏風は、折れまがっているからこそ立っているのではないですか?障子は枠から外れたら倒れてしまいます。曲がった屏風は一人立ちしています。私もそれと同じです。」
親父は呆れて、何も言えませんでしたとさ。
②軍歌のはじまり?
ある合戦でのこと。
道灌くんは、敵城である小机城を攻撃していたが、小机城にどんどんと援軍が駆け付け相手の兵力が倍以上に増えてしまいました。
おかげで味方の士気はガタ落ち。
そこで道灌くんは歌を作りました。
「小机は先ず手習いのはじめにて、いろはにほへとちりぢりになる」
これをみんなに歌わせろ!
と言って兵士たちにこの歌を歌わせました。
この歌詞の意味は、
「小机城に多くの軍勢が集まろうと、それは子供の手習いと一緒でバラバラである。最初はきちんと字を書くが、そのうち飽きてしまう。それと同じように、小机城の敵も援軍ばかりで全然統一がとれていないから、我々が一丸となって攻めれば必ず勝てる。」
この歌を軍団全員で合唱することで、みんなの勇気が湧いて士気が高まり、戦に勝利することができました。
これが軍歌のはじまりだと言われています。
徳川家康と大田道灌を東京都ご当地武将と認定してくれるなら
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大田道灌(おおたどうかん)
ちょっと今まで紹介してきた武将たちと比べると時代は古いです。
室町幕府時代の武将になります。
文化大名としても有名で、彼の文化的エピソードをいくつかご紹介します。
【道灌くんの文化的エピソード】
①曲がった性格直ったかい?
幼少期、ワルガキだった道灌くん。
お寺でその曲がった性格を治してこい!
っと親父に言われて、お寺に修行に行かされます。
修行を終えてお寺から帰ってきた道灌くんに親父は尋ねます。
「部屋の障子を見ろ!あれは、まっすぐだからちゃんと立っているのだ。曲がっていては役に立たない。人間もそれと同じだ。どうだ、お前のその曲がった性格は直ったか?」
そう聞かれた道灌くんは、屏風を持ちだしてこう言いました。
「この屏風は、折れまがっているからこそ立っているのではないですか?障子は枠から外れたら倒れてしまいます。曲がった屏風は一人立ちしています。私もそれと同じです。」
親父は呆れて、何も言えませんでしたとさ。
②軍歌のはじまり?
ある合戦でのこと。
道灌くんは、敵城である小机城を攻撃していたが、小机城にどんどんと援軍が駆け付け相手の兵力が倍以上に増えてしまいました。
おかげで味方の士気はガタ落ち。
そこで道灌くんは歌を作りました。
「小机は先ず手習いのはじめにて、いろはにほへとちりぢりになる」
これをみんなに歌わせろ!
と言って兵士たちにこの歌を歌わせました。
この歌詞の意味は、
「小机城に多くの軍勢が集まろうと、それは子供の手習いと一緒でバラバラである。最初はきちんと字を書くが、そのうち飽きてしまう。それと同じように、小机城の敵も援軍ばかりで全然統一がとれていないから、我々が一丸となって攻めれば必ず勝てる。」
この歌を軍団全員で合唱することで、みんなの勇気が湧いて士気が高まり、戦に勝利することができました。
これが軍歌のはじまりだと言われています。
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