山形のご当地武将知ってますか?
山形城内より
戦国時代のとある昼下がり。
とうとう家督を引き継いだ。
16歳頃に親父と蔵王温泉に行ったときに
力比べだといって200キロ近い大きな石を持ち上げてからというもの、
親父にドン引きされてなかなか家督を譲ってもらえなかった。
家督を継いだのは良いが、
お隣の伊達様に味方して同族の者までが
「にさに従う理由はねー。んだべ?
(あなたに従う謂われはありません。そうでしょう?)」
とか言ってるし。
さて、どうしましょう。
この難局を乗り越えて、
親族でもあり、ライバルでもある独眼竜伊達政宗と
肩を並べる東北地方の大大名にのし上がった男。
「最上義光(もがみよしあき)」
![$戦国武将についてみんなが知りたい事☆戦国IXA・戦国BASARA・戦国無双・戦国大戦の人気武将たち](https://stat.ameba.jp/user_images/20110624/13/ameblo-sengoku/30/62/j/t02200137_0250015611309591966.jpg?caw=800)
この難局の中で、義光さんが最初にやったことは内政![ビックリマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
治水工事や最上川の改修などで穀物増産、水運向上を実施。
銅山、銀山の発掘や港の発展にも力をいれました。
また、領民たちに対しては大規模な免税など
寛大な政治をしていました。
そのため、義光が山形を治めていた間は
一度も一揆は起きませんでした。
一方、軍事の方では
「んだべ?」
って言ってた人に対しては、
その人の娘を自分の側室に迎えて和睦。
従わない者にはその家臣をそそのかして暗殺や内乱を起こさせたり、
地位と名誉を餌に敵を降伏させたりしていました。
いわば、戦わずして勝つ道を突き進んでいたのです。
そんな義光さん。実はあの伊達政宗の伯父でもあります。
義光さんの妹である義姫(よしひめ)が政宗のお母さんです。
この2人、親族であるにも関わらず何度も戦っています。
伊達家から独立しようとした義光さんの嫁の実家を、
政宗が攻めたのが始まりです。
義光さんは、嫁の実家を守るために政宗と戦います。
最終的には、政宗のお母さん、義光さんの妹である義姫が両軍の間に割って入り停戦することになりました。
秀吉の時代は、豊臣家に嫁にだした可愛い娘が処刑されたため
秀吉に絶望して徳川派として暗躍していました。
徳川の時代が訪れると
山形県全土を統治する大名として認められました。
力持ちで領民からも愛されていた戦国武将。
戦わずして勝つ道を選び、それを実現させるだけの器の大きさを持っていた戦国武将。
最上義光を山形県ご当地武将と認定してくれるなら
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P.S.
義光さん。実はものすごく鮭好きで、
海に面している庄内地方を手に入れた時に
「やったー!遂に念願の庄内地方を手に入れた!これで塩鮭が自由に食べれるぞヽ(゜▽、゜)ノ」
という手紙を家臣宛に残しています(笑)
後に上杉に庄内地方を奪われてしまい、
悔しさのあまりに秀吉に訴えたのだが
秀吉は上杉好きであったため却下。
仲の良かった徳川の時代になり、ようやく庄内地方を取り戻せたのです。
まっ、まさか、
敵家臣の「鮭延秀綱」という武将を引き抜いて
重臣にしたのは名前に「鮭」が入っていたからじゃないよね
義光さん(笑)
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戦国時代のとある昼下がり。
とうとう家督を引き継いだ。
16歳頃に親父と蔵王温泉に行ったときに
力比べだといって200キロ近い大きな石を持ち上げてからというもの、
親父にドン引きされてなかなか家督を譲ってもらえなかった。
家督を継いだのは良いが、
お隣の伊達様に味方して同族の者までが
「にさに従う理由はねー。んだべ?
(あなたに従う謂われはありません。そうでしょう?)」
とか言ってるし。
さて、どうしましょう。
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親族でもあり、ライバルでもある独眼竜伊達政宗と
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この難局の中で、義光さんが最初にやったことは内政
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治水工事や最上川の改修などで穀物増産、水運向上を実施。
銅山、銀山の発掘や港の発展にも力をいれました。
また、領民たちに対しては大規模な免税など
寛大な政治をしていました。
そのため、義光が山形を治めていた間は
一度も一揆は起きませんでした。
一方、軍事の方では
「んだべ?」
って言ってた人に対しては、
その人の娘を自分の側室に迎えて和睦。
従わない者にはその家臣をそそのかして暗殺や内乱を起こさせたり、
地位と名誉を餌に敵を降伏させたりしていました。
いわば、戦わずして勝つ道を突き進んでいたのです。
そんな義光さん。実はあの伊達政宗の伯父でもあります。
義光さんの妹である義姫(よしひめ)が政宗のお母さんです。
この2人、親族であるにも関わらず何度も戦っています。
伊達家から独立しようとした義光さんの嫁の実家を、
政宗が攻めたのが始まりです。
義光さんは、嫁の実家を守るために政宗と戦います。
最終的には、政宗のお母さん、義光さんの妹である義姫が両軍の間に割って入り停戦することになりました。
秀吉の時代は、豊臣家に嫁にだした可愛い娘が処刑されたため
秀吉に絶望して徳川派として暗躍していました。
徳川の時代が訪れると
山形県全土を統治する大名として認められました。
力持ちで領民からも愛されていた戦国武将。
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義光さん。実はものすごく鮭好きで、
海に面している庄内地方を手に入れた時に
「やったー!遂に念願の庄内地方を手に入れた!これで塩鮭が自由に食べれるぞヽ(゜▽、゜)ノ」
という手紙を家臣宛に残しています(笑)
後に上杉に庄内地方を奪われてしまい、
悔しさのあまりに秀吉に訴えたのだが
秀吉は上杉好きであったため却下。
仲の良かった徳川の時代になり、ようやく庄内地方を取り戻せたのです。
まっ、まさか、
敵家臣の「鮭延秀綱」という武将を引き抜いて
重臣にしたのは名前に「鮭」が入っていたからじゃないよね
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