DVD【2046】発売。

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2046dvd 本ブログを作ったきっかけにもなった映画「2046」のDVDが先月27日、とうとう発売しましたー。

まあ、早速買ってしまった僕ですが。

結構見所満載で、この映画のメインテーマが何かというところも、ウォン・カーウァイ監督自らが語ってくれています。基本的に、本ブログで押さえてるから、ここのページを読んでくれるとそれは分かるとは思いますが、やはり監督自身から出てくる言葉や演者がどのような考えで演じているのか、このテーマをどう捉えているのかなど、詳しく理解できると思います。

お金に余裕があったら是非一本どうぞ。


まだまだ、このブログを読んでくださる人がいてくれるので、「2046」の感想含め、コメントいただけると嬉しいです。今後は、また時間を見つけて映画を観てはコメントをしていきます。

よろしくっす☆


 

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2046DVD発売決定!!

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ついに出ますね、DVD「2046」
待ちに待った発売。しかも発売予定日が僕の誕生日と一緒。
なんたる偶然!!

なんて勝手に一人でわくわくしながら。もちろん購入します。
以前DVDプレーヤーが壊れてしまって、数週間前にDVDレコーダーを購入。
新たになったAV機器で見るのが今から楽しみです。

このブログはそもそも「2046」観て書き始めたわけだし、色々な批評、酷評が渦巻く「2046」ですが、もう一度本blogを読み返してじっくり観てください!きっと、あなたらしい発見ができるはずです。
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仏教と2046

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 ウォン・カーウァイ監督は、日本に興味を持っているのだろうか。
 彼の経歴を知らないが、影響を与えた国の一つであることに違いないと考える。

 そう確信したのは、映画『2046』に出てくるある場面だ。映画で2046行きのミステリートレインの車掌であるワンが話した「アンドロイドが衰えたこと」へのたとえ話がそうだ。「天人五衰」。これは、日本の最も著名な文学者の一人である三島由紀夫の『豊饒の海』4部作の第4巻に出てくる。
 また、「転生輪廻」という考え方もそうだ。仏教では人は、生まれ変わり、繰り返し行き続けるという。悪事を働けば、次の生に影響を出るという考えは、日本人ならば聞いたことがあるのではないか。
 仏教にはまた、「不生不滅(生じもせず滅びもせず常住不変であること)」という考えがあるそうだ。一方で、諸行無常という世の中に不変なものなどない、という考えもある。「世の中に変わらないものはあるのだろうか」。勘のいい人は気付くだろうが、「50年後も変わらないものなんて、この世にあるのか」というウォン・カーウァイ監督の問いと合致する。
 両者の考え、ただ、不変か無常かの違いはあるものの、両者に共通する「すべての事象は繰り返されている」という考えに関しても、映画『2046』から感じられないだろうか。『花様年華』での出来事が『2046』でも繰り返されているような気がする。女との出会い一つにしろ、スー・リー・チェンと同名の女と出会うところも、そうである気がしてならない。

 どちらにせよ、これら仏教の考えを理解することは、『花様年華』も含め、wkwの映画をより深く理解する一助になることに間違いはないと思う。ここ数日俺は、仏教の考えをWEBで読み漁っている。それらは、面白いほどこの映画の主要な要素と重なっている。文学と宗教、新たな視点に出会うことでまた、一歩理解が深まった気がする。
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時間と空間の『間借り』

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 鑑賞から一週間以上経ったが、『2046』のことは未だ頭から離れない。
 ウォン・カーウァイがどこかのインタビューで言っていたことを思い出す。「人は過去を忘れて生きることができない。忘れようとすればするほど、過去は人から離れていかない。」

 自分はそもそも、「答えのない問い」を考えるのが好きな人間であるようだ。2046に出会ったことで、新たな問いに出合った。特に、夏子さんのblog(最近の記事では、『2046 「1」という隔たりと借り物』、がある)は、自分にとって素晴らしい出会いだった。

 さて、夏子さんのblogは俺に、「間借り」が重要なキーワードであることを教えてくれた。空間の貸し借りと時間の貸し借りを加えた『間借り』が、この映画では重要な要素の一つだということ。「間借りが重要なキーワードであるか?」という質問への回答は、映画のセリフにある気がする。映画のセリフからも間借りの重要さを伺える気がした。

 『2046』でバイ・リンの「今日はどっちが時間を貸すの?」というセリフがあったのを覚えているだろうか。最後のシーンでチャウもまた、「君が前に聞いたろ?どっちが貸してるのかって?俺達は時間の貸し借りなんてしていなかったんだ。」と、バイ・リンに伝えていた。こんなことを振り返っている。時間、空間の貸し借りの付き合い、バイ・リンにとってもチャウにとっても、各人考えるところはあったに違いない。

2046/男の視点/女の視点

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 『2046』。話題の映画だけに、公開一週間も経っていない今日までに、観た人は結構多いようだ。話題先行だが、なかなか考えさせられる映画であることも事実。それ故、色々な意見が存在する。だから、また自分もここに意見を書く。連鎖反応の一種だ・・・。懲りずにまた、書いている。

 さて、男と女では心のメカニズムが異なる。コメントを頂いた。女性の視点から観た「2046」。個人的には女性の視点からの「2046」も理解していたように思う、おそらく。だけど、やはり男だから、チャウ・モウワン(トニーレオン)の男心を重ねながら観ていたのだろう。その男心、理解した女性はどのくらいいたのかもまた、自分は興味を持つ。
 つまり、バイ・リン(チャン・ツィイー)のそういう気持ちを理解しつつも、若い彼女の未来を今の自分が占有してはいけない・・・チャウ・モウワンはそうも思ってたはずだ。「花様年華」を観て感じたのは、「2046」の映画では、バイ・リンを愛することができない自分がいたということ。人間は過去を引きずる生き物、過去なしでは生きていけず、過去にすがってしまう。彼にとっての忘れられない過去とは、「花様年華」の中の出来事。1962年に出会ったスー・リー・チェン(マギー・チャン)を本気で愛した自分がいたこと、そしてその本気の愛が実らなかったことで、通じ合ったはずの想い(愛)が確かなものなのか不安になってしまったこと。彼は今でも本当の愛、変わらぬ約束というものを、信じられないでいるのだと思う。近未来「2046」に失われたい愛を求めて向かったのも、それが原因だったと、俺は思う。

 2046から戻ってくる人がいないことは、つまり、愛を失い、「過去」を「華やかな思い出」として持っている人ばかりがそこへ向かったからだろう。チャウは小説「2046」の中でTak(木村拓哉)に自分を投影させていた。Takが2046を出られたのは、2046には彼の求める「愛(スー・リー・チェン)」が存在していなかったから。「愛」があったと信じていた過去の経験には本当は、「愛」が存在していなかったのでは・・・と感じたから、もしくは・・・。2046に愛が存在しなかった考え得る理由は二つだ。愛が本当になかったか、それとも、『まだ愛は現在に存在したまま』か、である。