新型コロナと経済 | 秋山のブログ

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新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の記者会見を見た。様々な意見を見る中で、彼らの主張は自分の持っている考えと近い。考えが近くなる理由は、彼らの多くがSARS対策の経験者であり、新型コロナがそれに近いものとしてその対策を考えているからだろう。SARSの際の記録を勉強した知識からは、自分は同じ結論しか導けない。(よく観察してもらえば分かると思うが、集団免疫や共存を主張する人間は、インフルエンザと同じようなものとして考えている。しかしコロナウイルスとインフルエンザウイルスは大きく異なる)

 

彼らを悩ましていることは、その政策が経済を犠牲にしているのではないかという主張である。新型コロナで死ぬ人間よりも、経済で困窮して死ぬ人間が多いといった主張もなされている。そこで彼らは、専門家会議に経済学者が必要だともコメントしている。しかし財務省の御用学者が入ったならば、足を引っ張られるだけであろう。

 

藤井聡氏も新型コロナに関しては迷走している。以前主張していた大型イベント自粛に対する批判は、論理的に完全に誤っていたし、財務省が絶対に許さないから自粛を緩和すべきといった意見は、経済政策に関して正しい主張をしてきたことが全く台無しだろう。死亡率をもってこの疾患の深刻さをはかるのは誤りである。また、疾患による被害と経済的損失をトレードオフのように考えることがそもそも誤りである。病気が蔓延すれば、自粛などしなくてもそれによる莫大な経済的損失がある。

藤井聡氏のグループが専門家会議に対しておこなうべき提言は、知識レベルが全く違う医学的内容に踏み込むのではなく(踏み込むのならもっと勉強すべきである)、プライマリーバランスの無意味さや、財政に糸目をつけなければ自粛を強力におこなっても問題ないという、正しい経済学、財政学の知識である。本来MMTは、エビデンスを重視する医師には相性がよい。

 

それでは新型コロナに関する経済の問題を考察してみよう。

 

まず、現在の需要が大きく落ち込んでいる現状を見てみれば、以前は最低限必要な需要よりもはるかに大きな消費をおこない、多くの人に働く場を与えてきたことが分かるだろう。少子高齢化人手不足などという主張がいかに馬鹿げた話で、私が説明してきた通り、非効率化とワークシェアリングの結果、一見人手不足のように見えていたという事実も理解しやすくなったとも思える。

食料自給率が低いので、食糧不足や、食料品の値上げなどを気にする人もいるかもしれない。しかし、生産する余力がないわけではない。農家が余った農産物を廃棄するようなことは、日常的におこなわれてきたのだ。友好国である米国の小麦生産の余力は大きく、小麦の価格はあまり上がりそうもない。食料品の価格は、生産者の収入が上がって担い手が増えるためにも、若干上がることが望ましいだろう。とにもかくにも商品が安くなることが良いといった、主流派経済学の考え方が誤りであることは、多くの国民が実感したはずだ。自国で賄えるものは自国で賄うべきである。このパンデミックによってグローバリズムは衰退するであろうし、衰退することが好ましいことである(少なくとも日本に関して、グローバリズムが繁栄のもとになったという事実はなく、むしろマイナスの要素がかなり大きい)。ここで注意すべき事項、国がその政策によって防がなくてはいけないことが一つある。米国の大恐慌の時には、消費者の収入減によって生産物の価格が下がったり、餓死者も出ているのに食品が廃棄されたりすることも見られた。そのようなことがおきないように、消費者の収入が維持されるようにしなくてはならない。

供給力が過多であったといっても、得られた知識技術、準備された設備を捨ててしまうのは、愚かしいことである。潰れさせないためにも、家賃やガス、光熱費、銀行利子など毎月必ず出ていく費用、従業員の賃金などは最低限補償するべきである。それでは、それらの補償を全ておこなった結果はどうなるであろうか。それが何か月続こうが、国庫が破綻するなどという馬鹿げたことはありえない(将来世代が税で埋め合わせなければいけないなどという事実もない)。需要が増えもしないので、インフレにもならない。十分に補填して、焼け太るようなら後から取り上げるというのがよいだろう。(一律十万というのは、急ぎの応急処置であり、補填の本当のところはこれからである)

これで経済での死亡率はゼロになる。(むしろ消費税による死亡率の方が高いだろう)

 

規制を解除したところで、需要減が収まるわけではない。滅多に刺さないとしても猛毒の毒蜘蛛がいる草むらを人は歩かないものである。死亡率による主張は、多くの場合比べられないものをそれで比べて、データを使っているので論理的だと勘違いしているものだ。それを見て我々が怖さを感じているイタリアやスペインの状況は、一部を切り取った誇張だとでも言うのだろうか。治療にあたった医療従事者が簡単に亡くなる疾患だいうことを理解すべきだろう。

どちらにせよ、もしある地域で感染が拡大すれば、直ちにその地域での経済活動に強い抑制がかかる。多少年齢が高くてもまだまだ活動できる人(免疫が弱い人が重症化するなどという理解をしている人がいるが、ACE2受容体の量で重症化する率が違うだけで健康な人でも普通に重症化する)がコロっと亡くなるのだ。そしてその周辺の人で、それなりの症状の人が発生する。それがどれだけインパクトがあるか考えるべきである。すなわち、規制を解除して患者が増えれば、自然に自粛がおこり、その方が経済的損失が大きくなりかねない。

 

留学した人ならば知っていると思うが、日本では見られない感染症が蔓延している国は多々あり、渡航の際には予防接種をおこなうことが必要である。それと同じように新型コロナウイルスがいくつかの国で風土病になる可能性は低くない。台湾やニュージーランドのように根絶に向けた取り組みが成功しつつある国もある一方、ほとんどの国民の感染が予想される国(スウェーデンでは壮大な実験がおこなわれており、現状あまりうまくいっていないようである)があり、清浄国と汚染国に分かれることになる。有効なワクチンや、重症化をほぼ無くする治療法が確立し、ほとんどの国で収束に向かわない限り、自由な往来はできないだろう。すなわちインバウンド消費に期待するなどという愚策は成り立たなくなる。貿易自体が困難になることはそれほどないが、原油価格が下がっているように、需要の下がるものも出てくるだろうし、各国の財政政策の程度によって左右もされるだろう。

日本国内においても、県によって感染の程度に大きな差が存在し、大きく分かれるようだ。他県からの移動者を把握し、一定期間隔離するなどの対処をするだけで、自粛の必要性が低い県もけっこうある。しかしそんな県で、自粛要請が解除されても、経済活動が通常の状態に戻ることはない。需要の落ち込みは避けようがなく、売り上げを減らした企業、収入を減らした住民が、また消費を減らすという悪循環になるだろう。それによって地方自治体は税収を減らすので、財政上の縛りのある地方自治体の支援には限度がある。民間に対して銀行が繋ぎ融資をおこなうことによってもある程度防げるが、これも限度があるし(特にデフレ下では融資を受けての事業が困難である)、一定数は事業を諦めてしまうだろう。結局のところ財政的な制約のない政府が、そのための資金を供出しなければならない。

 

政府には財政的な制約はないが、あえてなるべくそれが少なくてもすむ方法を考えてみよう。長期化すれば、際限なく費用が必要である。米国での終息に2年かかるという予測は、スペイン風邪の時の実例から考えて、かなり現実的である(コロナの場合、インフルエンザよりさらに長期になる可能性が高い)。自粛が足りなければ、その期間はどんどん延びるのだ。集団免疫で沈静化するという不確実な(私は全く信じていない)方法を推奨するのであれば、自粛によってかえって長引くことにも繋がる。したがって収束に向かうという再生産数を1以下にするのは絶対必要である。まず、政府は清浄地域と汚染地域(県単位ではなく臨機応変に分ける必要があるだろう)に分け、汚染地域からの移動では台湾のように2週間の隔離を義務付け、その間の居住地とその費用を拠出すべきである。物品の搬入など短期間の滞在は、隔離は必要でないが、誰が出入りしたか掌握することが必要だろう。収束に重要なのは、感染者数よりも感染源不明感染者数である。清浄地域ではほぼほぼ自粛無しの生活と緩やかな補助、汚染地域では強力な活動の抑制と強力な補助をおこない、少しずつ清浄地域を広げていくというのがよいだろう(二つでなく、三つ、四つに分けるべきかもしれない)。これでもっとも国民の被害も政府の持ち出しも小さくできるはずである。

次に十分な補填が政府によっておこなわれた場合の、お金の流れについてとりあげてみよう。補填したお金の全てが消費に回るわけではなく、貯蓄されるものもあるという指摘はその通りである。しかしそのことは他のやり方よりも効率が悪いわけでもなく、何か不都合が生じるわけでもない。リーマンショックの時に配られたお金、買い物券などは、小さ過ぎたから効果が乏しかったのである。むしろ低中所得層が預貯金を持つこと、預貯金を持つことが出来るレベルで収入を得られることが、健全な経済に必須のことだ(高度成長期にはそれが可能であった)。この際、多めに配って、健全な経済を取り戻すことこそ必要だと考える。生活に余裕があれば、雇われる時に買いたたかれる必要も、無理して働きに出る人が増えて条件を悪くする必要もない。富裕層(資本家層)にお金が集まることが有効需要不足を生み、デフレと格差を広げた元凶であるから、そうならないように目を配る必要がある。最悪なパターンは、政府が企業に資金援助をした上でそれが配当に化けるとか、潰れた企業が安く買いたたかれてレントシーキングのもとになることだ(バブル崩壊の時に見事におこなわれた。二度と騙されてはならない)。税は、政府の活動資金を集めるものではなく、搾取された富を再分配したり、経済を調整(例えばインフレを是正)したりするためのものだ。上手くやらなくてはならない。