需要と供給の関係は簡単 | 秋山のブログ

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「スタンフォード大学で一番人気の経済学入門マクロ編」から。
 
第6章では、大きな問いかけがなされている。P80『総供給が総需要を動かすのか、総需要が総供給を動かすのか』という総需要と総供給の関係に関する問いだ。供給が需要を生むという考えは、所謂セイの法則であり、新古典派がその立場をとっている。一方、需要が供給を生むというのがケインズの考え方だ。
それぞれの弱点について書かれているのはたいへん面白い。新古典派は景気後退を説明できないことが弱点だ。一方、ケインズは、生産には限界が必ずあるという実に当たり前の話が弱点としてあげられている。
この解決方法として、この本ではP84『時間軸で分ける捉え方』が主流であると、毎度のことながら正しいことのように書かれている。長期では総供給が、短期では総需要が重要だと言う。しかしこの考えは実に馬鹿馬鹿しい。供給は能力であり、需要は意思であると考えれば、話はすんなりおさまる。供給は常に需要によって制約を受けていて、そこまでしか生産されないと考えることに何の不都合があるというのだろうか。短期だろうが長期だろうが常にマクロ経済はそのような構造にあると考えれば前述の弱点も全て解決である。P87『セイとケインズの理論をきれいにつなげるような包括的モデルはまだ登場していない』などと書いているが、こんなに簡単なことが思いつかない方が不思議である。実際のところ長期で総供給が重要などと言い出したのは、有効需要等の概念を取り入れずに今まで通りの経済学を続けたいがための方便なのではないだろうか。
 
正しいモデルによるマクロ経済の姿を説明してみよう。
生産力の向上によって生産できるモノが増える。しかし需要飽和(例えばもうこれ以上食料を作っても食べきれないとか)によって作っても無駄であれば作られないだろう。生産に必要な人数は減少しているから、余剰の人員は別のモノを作るようにならなければいけない。生産力の向上によって産業構造が変化していく様子は、ペティ・クラークの法則と呼ばれ、現実に観察されることである。しかしこれは必ずしも容易には実現しない(実現することもある)。生産力の向上によって失業しなかった人間が、生産力が増加した分多くの収入を得なければ、新しい産業に支払うお金が足りないからだ。一方生産力の向上は、資本家にとって絶好の搾取拡大の場である(だから新古典派は供給拡大を重要視すると思われる)。そして資本家がより多く取れば、使われる率が低いために、景気は悪くなる。いくつかの大恐慌は、農産物の生産力が大きく向上した時に、残った農民の賃金が、失業者が増えたためむしろ下がったことが発端であった。つまり消費者(特に中低所得層)の収入が有効需要を生むものとして重要であり、その不足が最大限まで供給力を活かせないもう一つの原因である。従ってマクロ経済の健全な状態を達成するために、労働者の賃金を観察し、搾取がおこなわれていないかチェックし、おこなわれていれば再分配によって適切な状態にする、需要を調整するというのが政府の役割であるはずだ。(余談だが、直接的な賃金のチェック以外にも、実体経済の循環で利用されている貨幣の量を観察するという方法もある。貨幣量の減少は、賃金を低下させ、有効需要を減らす。貨幣量の減少の原因は、貸し出しや設備投資の減少、金利や配当の増加、貯金や証券市場投資の増加、財政支出の減少である)
 
まとめよう。
○供給力は、短期、長期の区別なく常に、需要不足(需要飽和や消費者の収入の偏り)によって抑制がかかっており、最大限発揮されていない。
○国は、供給力の向上を促すと同時に、需要の管理をおこなう必要がある。