国際収支と貨幣の理解 | 秋山のブログ

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「スタンフォード大学で一番人気の経済学入門マクロ編」から。
 
第5章の冒頭から、P62『国際収支ほど大きく誤解されているものは、ほかにない』などと書かれているが、大きく誤解しているのはこの本の作者に他ならない。
 
大きな誤解とは、しばしば述べている恒等式の貯蓄に関する誤解である。経済学の主流派がその権威の維持に利用しているノーベル経済学賞受賞者であるルーカスが、その矛盾を指摘しているにも関わらず誤解している人間が後を断たない。簡単に言えば、ミクロの現象を全体でも成り立つと誤解してしまうパターンだ。
ミクロでは、人は自分の収入から自分の意志で貯蓄する割合を決めることができる(本当のところはそれも微妙だ)。しかし人を集めてでも、コンピュータでシミュレーションするのでもいいが、経済活動でお金を得たりお金を支払ったりする実験をすれば、参加者の意志で貯蓄率を決めることができないことが分かるだろう。誰かが出費を減らせば、誰かの収入が減るのである。ある時点の総貯蓄は常に、その時点の総借入額と一致する。貨幣というのは借り入れによって発生し、返済によって消滅するもので、商取引をいくらおこなっても減りも増えもしないものであるという根本的な事実を理解しなくてはいけない。
金融資本の需要量と供給量が常に等しいのは当然のことであるが、供給にあたる貯蓄は常に他の要素によって決まるのである。この本で書いてあるようなP69『民間の投資が減ったために、政府の使えるお金が増え』るなんてことはありえない。完全に誤りだ。例えば、銀行に100億のお金があったとする。するとこの時、政府の負債と企業の負債の合計は100億であるはずだ(外国からの流入は話を簡単にするため0とする)。新たに国が40億銀行から借りたとする。しかし銀行預金が60億に減るわけではない。国が40億借りるために、企業が40億返済しなくてはいけないわけでもない。100億の預金はそのままであるだけでなく、国がその40億を使うことによって、40億が誰かの懐に入って預金され、貯蓄は140億になる。貨幣とはそもそも担保兼借用書が流動性を持ったものであり、銀行はそのシステムを円滑に運用するためのものである。銀行に貯まっている貯蓄は限りある金鉱などではなくて、金融システムによって現実化された信用なのだ。実例を述べれば、以前国債の国内消化が難しくなるなどと夜迷い事を述べていた経済学者もいたが、国債発行額の増加に伴い、銀行の総預金残高の上昇が観察されていたというのが現実である。
 
P71『経常赤字を減らすには国民貯蓄率を上げる』などという話ももちろん誤りである。恒等式をいくら眺めても経常赤字を他の要素で修正する方法は見つけられない。例えば、財政支出自体をどれだけ削っても貯蓄が減るだけで、経常赤字は減らない(財政支出の中の政府の輸入が減れば当然経常赤字は減るが、それはあくまで輸入が減ったからであって財政支出が減ったからではない)。
1980年代以降の米国の経常赤字等の推移は、あたかも作者の間違った考えを現実が裏付けているかのように書かれているが、米国の国債が他国に買われる一方、米国の資本家は多量に外国の債券を買っていて、所得収支は大きく黒字である。金融資本が足りなくなって外国に頼ったなどというのは事実ではないのだ。財政赤字が改善したと同時に貯蓄率が急落したことも書かれているが、普通は財政赤字の改善が貯蓄率の急落の原因だと気付かなくてはいけないだろう。
 
経常赤字の原因が貿易でないというのも全くおかしい。経常赤字の変動に対してP74『政策の変化を示すデータ』がないから貿易が原因ではなく、貯蓄率や財政赤字や企業の投資で決まるなどと考えているようだが、経常赤字は貯蓄率等々に関係なく、米国を取り巻く状況、日米貿易摩擦とその後、中国の台頭などで全て説明がつく。日本がISバランス論に従って政策をおこなったが、経常黒字の低下に全く効果がなかったというのも反証になるだろう。
 
最後に財務官僚バリの頭の悪い記述が出て来る。P77『アメリカはどこかで、借りを返さなくてはいけません』とかまったくナンセンスだ。どこの国の誰が返せと迫ったところで、ドルを刷って渡せばそれで済むのである。もう貸さないというのであれば、嘗て日本がやったように中央銀行が融資すればいいだけの話であるし、大抵は一般銀行の信用創造で事足りる。
 
まとめよう。
○国民がどのように行動しても貯蓄率を変化させることは出来ない。
○貯蓄は常に、政府の負債、企業の負債、経常収支の結果である。
○財政収支、企業投資、経常収支はそれぞれほぼ独立している。