貯蓄のパラドックス | 秋山のブログ

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乗数効果のWikiを見ていたら、おかしな項目が目に付いた。それが今回の貯蓄のパラドックスである。

どういうことかと言えば、『貯蓄をすればするほど大きな投資も可能になるように見えるが、』『マクロ経済で単年度の貯蓄量を増やそうと当年度の投資量を減らした』ら、『当年度の貯蓄量は減る』ということだ。

面白いのは次のくだり。
『仮にある年の総貯蓄を0にしようとして所得の全てを消費するような社会(その年の限界貯蓄性向=0)を考えてみた場合、新規に追加的投資をおこなえば乗数過程により無限に所得と消費を生み出すことになる。 現実にはこのような社会はありえず、これは前提とした条件(限界貯蓄性向=0)になんらかの論証上の矛盾が含まれていることを意味している。』

答えはそれほど難しくない。間違いは、家庭における貯金の一部を投資にまわすという行為をマクロ経済にそのまま当てはめてしまっているところだ。根本的なお金の話で書いたように、誰かが貯蓄を持っている場合、世の中のどこかに必ずその分の借金をしている人がいる。採掘すれば増える金がお金の役割を担ってきた経緯から、お金は何かの行為で増えるものと勘違いしている人も多いが、金であれ土地であれ、借金の後ろ盾になるものに過ぎず、お金(概念上)は誰かが借金しなければ存在しないのだ。つまり追加投資は、企業が追加で借金をしたということに他ならない。企業の借金は、そのうちに利益を出して配当まで出せるという状況ゆえに許されたものであるから、それはそのうちどこかで回収されるわけで、限界貯蓄性向がゼロということはありえないことになる。

今度は追加投資に目を向ければ、誰かが借金さえできればお金は無限に増えることが可能だ(実際は借金するための担保が足りなかったり、投資に値する内容も無限に存在するわけではないので、無限に増えるわけではない)。そして大事なことは、企業が借金をするかどうかは、貯蓄者の貯蓄性向に直接依存しない(タンス預金等が増えれば足を引っ張る場合もあるし、需要減も問題にはなる)。

貯蓄のパラドックスを正確に言い直してみよう。
家庭でも企業でも得たお金を貯蓄しようが使おうが、投資はよい事業であれば常に可能である。投資、すなわち企業の借金が増えればその分と全く同量貯蓄が増える。貯蓄性向は乗数効果によって投資を減らすのではなく、需要を減らすことによって投資すべき事業を減らす。ちなみに高い配当や金利などは貯蓄性向の一部である。