スミスとマルクスにとっての生産力の向上 | 秋山のブログ

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アダム・スミスとマルクスの考え方の違いが面白い。引用してみよう。
『スミスは分業による生産力の上昇から、富裕の一般化という事態が実現すると予想していた。 ところが見てきたように、マルクスは生産力の上昇を全く正反対に否定的に捉えている。 生産力の上昇のメリットが資本家だけにもたらされるメカニズムを描いたといえよう。』

アダム・スミスは、ストックよりフロー、つまり国民の生活における消費にこそ重点をおくべきという素晴らしい貢献をおこなったが、その『楽観主義的な資本主義像』は現代でも生き続け、その思想に基づいた経済学上の理論が間違った政策を生み、貧困や格差に繋がっている。生産力の上昇にともなう分配が、自然に最善のケースがおこると考えていたようだ。

生産力の上昇が、資本の取り分の上昇に繋がるという話は、私も初期に書いたことがある。要するに10人必要な仕事が効率化して9人で済むようになれば、一人解雇してその分人件費が浮きコストが下がる。本来は、残った人間の賃金をより多く生産した分だけ上げるべきだが、雇用者の利益を増やすか、競争のため価格を下げるために使われるといったことになるとマルクスは考えたようだ。資本による搾取は生産力の上昇によって悪化していくということである。

実際は、スミスの言うように、必ず賃金上昇という形になるわけでもないし、マルクスの言うように、全て投資家の利益になるわけでもない。観察してみれば、生産性の上昇と、賃金の上昇は、一致している時期もあれば、乖離している時期もあるのだ。もちろん放っておいては、上昇の一致は実現できないだろう。一致を妨げるような政策がおこなわれていないか、一致を妨げるものを規制がおこなわれているか、きちんとチェックする必要がある。最悪なのは、マルクスの言うような搾取がおこなわれている状況に対して、スミスの言う見えざる手等の誤りを信じて、搾取などないと思いこむことだろう。そしてこの最悪なことをしているのが、現在の主流派経済学である。